136 物語が始まらない
ルイは混乱と落胆と先への不安を抱えて帰りの馬車に乗った。常にない不穏な雰囲気をまとった主に、馭者が心配そうに視線を寄越していたが、気遣う余裕はなかった。
そうして、宮に着くと誰とも口を利かずに自室へと直行した。
「ルイ。どうだった?」
部屋の扉をしっかりと閉めて振り返る。今日が出会いの日と予想したサヨは、早めに宮にやって来て待ち構えていた。
こちらの負ったダメージを知らぬヒトガタのその姿を認めた途端、堰を切ったようにルイは全てをぶちまけた。
サヨに言われた通り、出会う場所に待ち構えていたこと。少し待ったが予測通りに少女が現れたのでほっとした気持ちになった。彼女が塔の階段から足を踏み外して落ちかけたから、急いで落下点まで走っていってその身を受け止めた話。なのに少女は感謝するどころか、顔を見た途端嫌悪を露にしたので驚愕した。ルイとしては変な態度を取ったつもりはない、至ってまっとうに騎士的に振る舞った筈。なのに少女はルイの手を振り払い、足を引きずりながら逃げるように去ったこと。
「それだけじゃ終わらなかったんだ」
いつものように医療処置室でゾエの手伝いをしていると、患者として先程の少女がやって来た。そうして塔での態度が勘違いではなかったと示すように、ルイを見てまたもや嫌そうに顔を歪めたこと。とにかく近くにいるのも耐えられないといった感じだったので、自分は出来る限り離れて見守ることにした。その判断はまっとうだと思う。そしてルイに対してはそんな感じの悪い態度なのに、ゾエには笑顔さえ見せてにこやかだった。その姿だけ見れば確かにヒロインといっても良いように見えたこと。だが治療を終えて処置室を去るまでルイを拒絶していて。処置室の記録簿に書かれた名前は、間違いなく教えられていたヒロインのもの。つまり、今日の出会いで何故かはわからないが、ゲームのヒロインに徹底的に嫌われたのが確実となったこと。
話していて気持ちが暗く沈んでいく。
自分がいかに嫌われたかと人に語るのは、ひどく気が滅入る作業だった。
「あー。そうなったんだ」
全てを聞き終えたサヨの一声は、そんなものだった。
「!そうなったってどういう意味だよ。というか、サヨは驚かないのか?ヒロインと第一王子は出会った始めからお互い好意を持つ筈だったろ」
恋愛絡みではなくとも。
小さく付け加えて、自意識過剰のようで居心地が悪くなる。
だが問題はそこではない。
ルイにとってはこれまで本で読み、サヨに教えられてきた展開が根底から覆されたような、正しく登っていた梯子を外されたような気持ちだ。なのに、語り聞かせたサヨはルイのような衝撃を受けていない。少なくとも、自分と同じ程の混乱に陥っていない。
どうして。
サヨが語ったゲームの進みと乖離しているのに、何故冷静に受け止めている?
「革の本にも書いてあったし、サヨもそう言ってただろ。他のルートに行くにしても第一王子と主人公が出会って関係が築かれて進んでいくって」
「ああ、それはそう。そうなんだけど」
サヨはそこで一度言葉を切った。
焦らすのか、と眉を寄せたルイの耳に信じられない内容が告げられる。
「ヒロインがゲームを進めていく為に出会うのって。
第一王子シャルルなんだよね」
「は?」
ルイは頭の中が真っ白になった。
それこそ、かつて神様(仮)と会った不思議な空間のように、思考の中身が白く塗りつぶされた。
何を言われているのか、わからなかった。
呆然とするルイの前でサヨが肩を竦める。黒い長い髪がその仕草に合わせて大きく揺れた。宙に舞ってまた真っ直ぐに戻る。
その髪の流れをぼんやりと目で追っていると、顔にクッションを投げつけられた。ソファの備えつけの小さなものだから痛くはない。
衝撃に瞬きをする。視界がクリアになった。
「ちょっと。こっちに戻ってきた?」
「あ?──ああ、多分」
軽く頭を振って頷いた。
じゃあ話すから、とサヨは口を開いた。
「前世で私がやってたゲームの中では、第一王子の名前はシャルル。母親はエルザで双子の妹はルイーズ」
「──ルイーズ」
「うん、引きこもりの王女様」
シャルルが王子でルイーズが王女。
忙しく記憶を辿る。
幼い頃から読み込んだ革の本に書かれた攻略対象者は、第一王子とだけ。ルイの名は確かに一つもなかった。
サヨがゲームについて語る際にも、一度もルイとは言って、なかった…?
全身から力が抜ける。
「…ルイーズがルイに、シャルルがシャルロットに?」
「みたいね」
恐る恐る口にすると、サヨが軽い口調で同意した。ルイは舌で乾く唇を湿してゆっくりと確認した。
「つまり、俺は本来は王女の役回りなのに、何故か男女反転して王子として生まれてる、ってことか」
──ちょっとした手違いがあったようじゃ──
「まあ、そう。二人が入れ替わってる他は生まれやアンヌに育てられるのとかはほぼゲーム通り」
「なんでそんな羽目に」
サヨがさあ?と首を傾げた。
「わからないわよ。だから、常世の森で初めてルイを見た時驚いたもの。時期的に森に現れるのが早いのもそうだったけど、王子なのに私が前世で知ってる王子様じゃないから。…だから近くで見てみたくなったんだわ」
最後にはしみじみと遠い目をして懐かしむ。感慨に耽るようなサヨを、動揺が未だに治まらないルイは恨みがましく眺めた。
「……何で、今まで教えてくれなかったわけ?」
「面白いから」
ばっと思わず反射的に両腕を振り上げてしまった。サヨは笑いながら頭を抱えて、
「だっ!」
「痛!」
バチン!と二人の間に電流のような鋭い痛みが瞬時に走って、慌てて飛びすさった。
──この魔法をかけられて既に一年になるが、お互い話に熱が入ると気遣いを忘れて近づいてしまって、ジュールのひどい魔法に弾かれる。その度、飛び上がるのだが、懲りずに繰り返していた。
痛みには未だに慣れることはない。
二人して腕を擦って痺れをやり過ごす。そこでサヨは声を潜めて種明かしをした。
「って、嘘よ。だってルイ達が入れ替わっててもゲームのシナリオに破綻はないもの。早いうちから余計なことを言って、混乱させる方が良くないって考えたんだってば」
だがルイは納得できなかった。
「いや、なんだよそれ。現に今、破綻してるじゃないか」
「二人が入れ替わってるだけなら不都合はないんだって。本来なら。よく考えてみてよ」
意味がわからなくてサヨに噛みつく。すると逆に言い含めるように、ひとことひとことゆっくり告げられた。
「だから。ルイとシャルロットが王子王女で違ってもストーリーは問題なく進むでしょ」
「え、え?」
あれ?とルイは混乱した頭を巡らす。
「ヒロインが入学してきて、第一王子とゲーム開始の運命の出会いをする。それがルイだろうとシャルルだろうと関係ない。さっき話してくれたでしょ。塔で危ういところを助けてくれた王子様。庶民のヒロインは普通に感激するってば。何も知らない、ゲームのコレットなら、ね」
言われて、サヨの言葉を頭の中でもう一度精査する。そして気づいた。
「あ!」
「でしょ?ゲームとして進まなかったのは、出会った王子がルイだと違和感を持つ人。シャルルではないのは変だとわかっている人間だから。つまり、ヒロインはセイイノのゲームを知っている生まれ変わりの可能性が高い」
「そ、そうか」
「しかも、聞いた感じじゃ、このコレットは随分とルイーズが嫌いみたい。プレイヤーとしてはシャルル本命だったんじゃないの?なのに期待して見たらルイが目の前にいるんだもの。拒否反応が出ても当然かもしれない」
見てきたように語る。
だが確かに思い起こせば、あの時ルイの顔を見て驚いたコレットは、名乗ったことでさらに衝撃を受けたようだった。
「コレットは、ルイをゲームのルイーズと重ねたんだと思う。ゲーム内の王女様は、シャルル王子を攻略する上でひたすら邪魔者なのよ。王子に会えたと思ったら仇が出てきたようなものなの。ヒロインからしたら受け入れられなくて当たり前。でもそんなの、私がいくらゲームの内容知っていたからって、今日、あの子が現実に登場するまでわかるわけない」
「──」
「普通に判断したら。ただでさえゲーム開始でナーバスになってる第一王子様に、余計な不安要素を告げて心配の種を増やさなくてもいいんじゃないかって、考えない?」
「ハイ」
「てことで、私はゲームの進捗を真剣に考えてたって、理解できた?」
「──よくわかりました。俺が悪かったです」
心なしか顎を上げて言い放つサヨに、ルイは平身低頭した。この世界には存在しない謝罪。二人だけに通じる作法だ。
もしかしたら、コレット嬢にも通用するかもしれないが、彼女に披露する羽目にはなりたくない。
それにしても、ぐだぐだなヒロインとの出会いだった。
前途多難な未来に溜め息が漏れそうになる。サヨが慰めにもならないフォローを入れた。
「まあ、やり込んだ人間なら、一目見て王子がルイーズ姫だってわかるし」
「そう、なのか?」
ルイはゲームのスチルはおろかタイトルさえ知らなかったから、是非は判断できない。
「ルイはルイーズ王女まんまよ。シャルはシャルルを写したみたいだし」
髪色と瞳とか。
言われて無意識に自分の髪を鷲掴んだ。
「うん、シャルル王子はオレンジがかった金髪でルイーズ王女はルイみたいな薄いブロンド。目の色もゲームとはまあ逆よ」
「なんで、そんなことになってるんだ…」
「うーん。私の見たところだとね」
考え考え、サヨはゲームでのプロフィールを語った。
作中において、攻略対象者として一番人気の自由闊達な元気王子シャルル。父王譲りの赤みがかかった金髪に藍色の瞳。華やかな容貌に明るい性格で、剣の腕前は優秀な剣士マクシムと互角に渡り合える程。
「なるほど」
滔々と説明されて納得がいくと共に天を仰ぎたくなった。
そりゃあ、シャルロットが剣術が上達するのは当たり前だ。本人があれだけ好きなのも。そもそも資質に恵まれていたのだ。
そして自分は、引き籠り王女ルイーズ。
そこまで考えて、がくりと項垂れた。
せめてもの救いは、ゲームでは何の特技も持ち合わせていなかった王女の裏設定かバグか、公式にはないのにルイに膨大な魔力が備わっていることだ。
これを有して幼少から呪術語を熱心に習得したお陰で、秘かに魔道師レベルまで魔術、特に治癒魔法を使えるようになった。元々は革の本を読むという目的で語学を学んだのだが、師が良かったのか環境に恵まれたのか、とにかく技を身につけることができた。ついでに、引き籠ってもいない。
幸いという他はなかった。
努力は裏切らない。
ルイは、前世の地味な生き方を久々に思い出した。
感慨に耽ってしまったが、現実に戻らねばならない。先の展望をサヨに聞くことは重要だ。
「それで。この状態でゲームって進んでいくのか」
「わからないわよ。物語が始まるお決まりが今日のルイと、ううん、第一王子と主人公の出会いなんだもの。それが成立したのかどうなのか…ねえ?」
「もしその、イベントとやらが失敗に終わったら話は進まない?」
サヨは首を振った。
「どうかな。わざわざヒロインまで入学してお膳立ては万全に整ってて、それで何事もなく済むと思う?しかも」
サヨはちらりと部屋の端にある棚を見た。
「バグの王子様は、ゲーム開始前に二つも重要アイテム手に入れちゃってるのに」
「それは」
反論しかけてルイは黙り込んだ。何とも言いようがなかったからだ。
ヒロインと攻略対象者とやらの自分との出会いは最悪。しかもゲーム本来のキャラクターなのか正誤は不明。ただゲームをクリアする為に必要な宝は、何故か手元に集まっている。
「やっぱり世界の危機とか国の滅亡みたいなのは起きるのか」
「まあ。ヒロインはその為の救国の聖女様な筈だから」
「──」
今日見た限りでは聖女とはとても思えない人格だった。ルイに対してだけなのは、処置室でのゾエへの態度で知っているが。
今後大きな事件が起きたとして、アレと協力してやっていけるのか、ヒロインが協力してくれるのか、ルイの中では先の展望は正直真っ暗だった。




