表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プリンス・チャーミング なろう  作者: ミタいくら
4章
130/277

128 王妃と国王


王との面会を約したナディーヌが慇懃に案内されたのは、王宮の中程にある広い居間。

外国からの国賓を親しく招く為に、公的な宮廷の間に迫る豪華さで飾り立てた擬似的な私空間である。

そこから、さらに別棟に移動する。

王妃であるナディーヌが王と私的に会う時は、この迂遠な手続きを踏む必要があった。


公の場に姿を現さなくなった国王に会うことが出来たのは、今日で二回目。

王は病を得てから、王宮の奥にある国王の私室に籠っていた。ちょうどあの雛共が正式に対面を果たしてすぐの事だ。

ナディーヌ自身があの双子を目にして以降、気鬱のようになって外の世界を拒んでいた為、把握するのに時間がかかった。しかし、ある意味二人は同時期に臥せっていたというわけだ。

いわゆる御座所は、国王個人のみの居住空間である。その一番奥まった場に広く豪華な寝室がある。そこで王は長らく臥せっている、らしい。

全ては、政務を請負っている宰相や王の侍従から聞いた話である。


ナディーヌは王妃であるが、国王個人の寝室に足を踏み入れることは許されていない。

妃や子女との空間は王宮の別棟に設けられていて、ナディーヌは御座所にすら招き入れられたことはない。

──あの女は、エルザは王の私的空間に入ったことはあるのか。

ナディーヌは今に至るまで己のプライドが壁となり、その問いを発することが出来ていない。常は、考えぬように努めている。しかし、王と会うが為に王宮の奥に進んでいると、嫌が応でも『そのこと』についてつらつらと思わずにいられない。


もしあの女だけは陛下の個人的な空間に自由に往き来できていたのなら、私はますます惨めになる。


心の深淵に陥りそうになって、ナディーヌは小さく頭を振った。

病になっても、ナディーヌとの個人的な面会でも、国王アランはわざわざ御座所から出て別棟に場を設ける。

明らかに体調が悪く見えてさえ、私室には王妃を立ち入らせない。

心が現つから離れる兆候があれば、妻たるナディーヌに助けを求めるではなく側仕えの侍従が身を支えて退がっていった。ナディーヌを一人残して。

今日も、面会の場は王の私室から離れた別棟。妃の王宮での休憩所だ。豪奢な装飾が余すことなく施された内装に、華麗な花が随所に生けられた手入れの行き届いた場だが、そこはアランの日常の居場所ではない。

病に倒れても尚、妃は他人ということだ。

期待はしていなかった。ただ心の一部がまた冷たくなっただけ。


しばし設えられたソファに座っていると、先触れが告げた。

「陛下のおこしです」

ナディーヌは立ち上がって頭を下げた。

少し途切れがちな歩み。そっと視線を投げると、窶れた王が侍従の手を借りて向かい側のソファに腰を落ち着けていた。

「ナディーヌか」

「陛下」

膝を折って礼を取る。指先で座るよう促されて従うと、そこで改めて王の姿を見た。

先に会った時と同じ、痩せて青白い男。

本来は輝くオレンジがかった金髪は、今はパサついて額から後ろへ流されている。窪んだ眼窩にある藍色の瞳も陰りが見えた。だがそれでも尚、こちらを見つめる姿は美しい。

ナディーヌは国王アランに魅せられる。物心ついた頃より繰り返し囁かれた、アランへの憧憬をかき立てる周囲の言葉のせいか。出会った折に惹かれた幼心がそのまま凝って大人になってしまったせいか。

ナディーヌにはわからない。

だが囚われてしまった自分は、それで生き方を選んだ。家の望みとも合致した、華やかだが暗い苦しみを伴う道を。


「健やかか」

低い声。それがナディーヌの身体を気遣うものであったことを嬉しく思う。王からしてみれば挨拶代わりのものであっても。

「はい。先にお会いした頃より、体調も持ち直してございます」

「それは良い。余はこの通り、体は程ほどなのだがな。時折、不意に意識が離れてしまう。それが己でもいつ起きるか読めぬ故、大事に関われぬ」

自嘲するように笑う。

「薬は」

「効かぬ。まあロランに仕事を押し付けて怠けているお陰か、小康は保っている。ベッドの上で呆けていれば良いから、楽なものよ。特に困るものでもない」

「宰相殿のご心労も大きいのでは。他に人を増やしてはいかがでしょう」

「そなたにしてみれば、兄が政権に携わるが都合が良いか」


口を滑らせた。

王のまとう空気が刺々しくなった。

ナディーヌの背後にある勢力に対して、王は常に過敏に反応する。王宮でのフォス家の及ぼす力は、既にして国王の権威よりも貴族達の末端まで広がっている。警戒する王の心を荒立てぬよう、ナディーヌはなるべく公正に、バランスを取るよう務めなければならない。そうでなければこの歪みは、王と公爵家の関係をも破綻させてしまう。

「──それは、否定致しませぬが」

引いて、押して。

「ただ宰相殿お一人に負担がかかりすぎているのはでは、と考えた次第です」

「それは、そうだが」

「兄を、とは申しません。陛下の御心が安らかにならねば本末転倒ですから。ただ宰相殿のお助けになるよう、他に政庁の者をお近くに置くべきでは」

「──人選はロランに任せるが、良いか?」

「宰相殿の便の為ですから、当然かと」

王の為、王の負担を被る宰相の為。それは間違っていないが。

宰相所縁の者であっても、人が増える方が良い。ロラン一人で国をいいように動かされては堪らぬ。

ナディーヌとしては、兄公爵が表に立たずとも良いのだ。

兄も家も大事だ。だが時めくのは今でなくて良い。ただ国が安定したまま次代へ、フィリップへ引き継がれれば。己の得られなかったものへの渇望や口惜しさは、きっと報われる。

頭を上げてにこやかに微笑めばふむ、と頷く。

陛下は魔力がない代わりに人の心を見透かす。まるで何か未知の力を得ているかのように偶さか、全てを知り得るのだ。それを公けに振りかざさず、密かに胸のうちに仕舞い込む意図は、長くあっても未だに読めないが。


ふと王はその藍色の瞳を眇めた。思わぬ鋭い視線を受けて、ナディーヌは頬を固くした。

「何か」

「王妃よ。身辺に不審な者は置いていまいな」

瞬きをして、それから何を今更、と思った。フォス家が素性も素行も調べ尽くした者しか東の宮には上がれぬ。それは王も既知であるのに。

「それは無論。フィリップも居ります故、細心の注意を払っております」

「そうか。余は視ることが出来ぬ故、適当なことを言ったな。許せ」

「は、い…」

ナディーヌの答えにすぐにアランは引き下がった。しかし、緩やかな笑みを浮かべて手を振る王に、王妃は引っ掛かりを覚えた。

王の心のうちに近づけたことは一度としてない。ないが、長い間見つめてきた。自らを無能と自嘲することが多いが、このような不意の問いに、王の疑いや気づきが混じっていることもままあるのだ。



調べねば。

今一度きちんと宮に籍を置く者達を吟味し直さねば、王の問いに応じたことにはならない。陛下のお心に叶わない。

王の希みを叶えたとて、二人の間が何か変わるわけでもないが。

「陛下。お時間をまた下さいませ」

その際に、と心に約する。

「別に、構わない」

「ありがとう存じます。そうそう、以前フィリップの剣の稽古を見学したのですが」

次の約束を決めて、話を変える。王子の今も告げねばならない。

「うん?」

あまり関心を持たぬ様にも構わず続ける。王が跡継ぎに興味を持たないのは前からだ。特にフィリップに対してのみ無関心というわけではない。陛下は子供達全てに気持ちがないのだ。

「なかなか鋭い剣捌きで、将来が楽しみになりました。教師も褒めておりましたので、親の欲目ではないと」

「それは、そなたも安堵したであろう」

言葉はナディーヌの心に沿ったもの。しかし父王が王子の成長を喜ぶものではない。

それでも、フィリップの順調な育ちを、はっきりと言葉にするのは大事だ。

宰相ロランの考えが奈辺にあろうとも、正式な国王と王妃の子、国の内外に公けに披露目された王子はフィリップのみ。疵なく成人となれば順当に王位を継ぐ。

邪魔なアレは平凡な学校生活を送っている。王へ特に告げるような華やかな経歴は増えようもない。ならば病でロラン以外の外の言葉が届きにくい今、フィリップの生き生きとした姿を王の意識から途切れぬようにすべきだった。

病に冒された王を付きっきりで看病する。そのような関係ではないのだから。


王が求めれば、あるいは。


だがそのようなことは有り得ない。王が望むのはエルザだけ。死んで尚、あの女は王を捉え続ける。



───────────────────────



侍従に支えられて、アランは何とか自室へ帰りついた。

寝室の入り口で余人を閉め出し、壁伝いに歩く。最後は調度品を掴みながら、やっとの思いでベッドに転がり込んだ。

「はっ」

これだけのことなのに息が上がる。虚弱に堕ちた身が厭わしい。

王妃に会ったのは失敗だったのか。

いや。


アランはかすかに首を振った。ぱさり、と髪がシーツに舞った。


ナディーヌは愚かだが努力家だ。そして権力の効果的な行使を熟知しているフォス家の女だ。

こちらの問いかけの意味を考えたら、間違いなく動く。あの宮で企みを抱く虫は炙り出されて始末される。

その点に懸念はない。

しかし、力を使わない卑小な存在が王妃の傍らに物理的に食い込んだら。ナディーヌは気づけない。

良くない結末を思い浮かべてしまった。頭の中を刺すような痛みが襲う。


せっかく。

己が身の内にある剣の力で、塵を見つけたというのに。


アランは、ベッド脇に据え付けてある小卓に手を伸ばした。象嵌の小箱が置いてある。蓋を開けるとオーバル型の丸い銀のケースが現れた。震える指でそっと摘みあげて胸に押しあてた。

冷たい金属の感触が服を通して伝わる。銀のケースの中には、最愛の女の髪がしまわれていた。

「エルザ…」

名を唱えるだけで頭痛が和らいだ気がした。


この部屋は、この空間は結界。エルザの記憶と思い出を埋める場所。

内なる剣が我が身を焼き尽くすまで、彼女に会うことはできない。

全てが終わり命の果てるその時、苦しみから解かれるのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ