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それから、ルイの充実した日々が始まった。剣の稽古は師の将軍の都合がつかずにいた為、まずはアルノーの古語授業が開始された。王から贈られた兄妹専用の馬車が足となった。
馭者もついた小さく瀟洒な馬車をシャルロットはとても喜び、ルイと図書館まで同道した。しかし、書庫での授業は性に合わなかったらしい。
「私は本はもういいや」
その一言で、シャルロットの書庫探険は終了した。
そして。
「またあ?」
「ごめん、次はシャルに付き合うから」
シャルロットの辟易した声にルイは急いで宥めにかかる。あれから、三日と置かず図書館──実際は書庫、に通いつめていた。しかも一度行けば、ほぼ終日そこで過ごしてしまう。
宮に残って一人遊びを強いられるシャルロットは不機嫌極まりない。飽かず出かけることにもはや呆れられていたが、当人はやめるつもりは毛頭ない。
書庫は宝の山、知識の泉で、さらに専属の解説者アルノーが体系的に懇切丁寧に教えてくれるのだ。当初の目的である古語の修得を後回しにするくらい、ルイは新しい学びに夢中になっていた。
だからこそ。
「ここで、宮で読めばいいじゃない」
シャルロットの提案は飲めなかった。
「僕が読んでるのは禁帯出…書庫から持ち出し禁止の本がほとんどなんだよ。だからあそこに行くしかないんだ。ごめん」
「うー」
精一杯謝ると、それ以上は責めることができなくなったシャルロットは唇を結んだ。
駄々はこねるが、基本、シャルロットはルイの気持ちを大事にしてくれる。今も大層不満が貯まっているだろうが、念願がかなってようやく書庫で学ぶようになったルイの邪魔することは決してしない。
「わかった。いいよ」
「シャル、ありがとう」
「今日のうちにたくさん勉強してきて。明日は絶対私と遊ぶんだから」
最後は決まって許してくれる。ルイはシャルロットの頭を一撫でして、急ぎ出掛ける支度を始めた。今日は絶対区切りの良いところまで勉強を終わらせようとひそやかに誓う。
書庫に向かう馬車の窓から、見送るシャルロットに手を振る。
笑顔になった妹を見つめながら、ルイはしかし、ずっと気になっていたことをアンヌに確認しようと心に決めた。
「ねえ、聞いていいかな」
書庫での勉強を終え帰宅した夕刻、シャルロットが席を外したタイミングで、ルイはアンヌに切り出した。
「はい」
「王様って僕らが双子なこと知ってるんだよね」
「もちろんご存知です」
「男と女の兄妹っていうのも」
「ええ」
「ふーん」
間違いのない応えにやっぱり、とルイは思う。だが何と問うべきか迷って言いあぐねていると、アンヌが薄く笑った。
「ご教育のこと。ルイ様向けばかりで、シャルロット様に合わせたものがないとお感じなのですね」
「わかってたんだ」
「はい。ただルイ様がお気づきとは思いませんでしたので」
「僕のための先生が何人も用意されてるのは嬉しいよ。でも、シャルロットにもそれなりの、王女様用の勉強とかあるんじゃないの?例えば……音楽とかマナー講座とか」
女性向けのプログラムがいまいち想像がつかなくて、考え考え口にした。その様子にアンヌの瞳が面白そうに躍る。
「よくお考えで」
「笑わないでよ」
「失礼いたしました。シャル様を無視している、というわけではないのです。言いにくいことですが、陛下はお子様方全てにあまりお気持ちがないのですよ」
顔も知らぬ母が生きていた頃は王が頻繁に訪れていたのだろう。父の人となりをアンヌは知っているのだ。それでも蔑ろにされている当人を前に気遣ってか、慎重に言葉を選んで王の心を語る。しかしルイは父王に関してはある程度醒めた気持ちでいたので、ショックは受けなかった。
「じゃあ、今度のことは」
「宰相閣下のお申し出だからというのが一番ですが、やはり王家の存続の為に王子殿下の教育は必要と考えたのでしょう」
つまり、ロランの進言を切っ掛けとして子供の教育に気づいた。だが自ら考えるほどの関心はないので宰相任せにしたということか。勧められるまま、後継になるかもしれない王子の教育だけが言及されたのだろう。ということは。
「弟は」
ルイはついもう一人の跡継ぎについて尋ねてしまった。
「同じです。陛下はほぼ無関心かと。ただ王妃殿下がお側におられるので、何かと手配しておられるようです。ご実家の公爵家から人も呼んでご熱心ですとか。ですから陛下の今回のご採可に、王妃殿下が大層驚かれたと聞いております」
先だってのロランの具申に横槍が入ったのはそのせいかと腑に落ちた。なので、そもそものシャルロットの問題に立ち返る。
「で、シャルは」
「今後、新しい使用人が参ります。お二人付きの侍女になりますが、教育に関しても心得のある者にするつもりです」
「そうなの?」
「はい。ですからシャル様の件はアンヌにお任せください」
アンヌがこう言い切るからには、安心して良いのだろう。
ルイは安堵して、これで話はお仕舞いになった。
後々顧みれば、この時の二人はシャルロットの闊達な性格を忘れていたのである。
さて、図書館に通うようになっていつからか、同じくらい書庫に居着いている人物がいるのにルイは気がついた。書庫に結構な頻度で出入りしている自分が敵わぬ程、頻繁に書庫で見掛ける顔。
アルノーとほぼ同世代に見えたが、綺麗に髭を剃り銀色に見紛う長い白髪を首の後ろで束ねている。痩躯だが背筋が伸び、秀でた額の下、深い蒼の瞳が澄んで知性の高さを感じさせる老人だった。
名はジュールと言う。
大抵、静かに書庫で本を探して必要な箇所のメモを取っていく。ルイが書庫の狭い机を占領しているせいか、階段の途中や棚の隅でひっそりと本を選んでいて知らぬ間に消える。
もしや自分がいるせいで遠慮しているのかと聞いてみたが、返ってきたのはきっぱりとした否定だった。
「殿下がお気にされることは何もありません」
礼儀正しいがルイに特に関心はないらしい。この書庫の中で調べ物をするに徹していた。
「既に引退した身。己の好奇心を満たすために書を拾い読みしているだけですから」
アルノーとは近しい間柄のようだが、職は辞して久しいと仄かに笑うだけだった。
どう接したらいいか考えあぐねて、宮に戻った折りにシャルロットに話して聞かせると、
「もっと外で遊ぶ大人はいないの?」
という身も蓋もない反応が返ってきた。
「本好きが多すぎるよね。どうかと思うな」
図書館で出会った人を評するにはそれこそどうかと思う感想を言われて、ルイは黙ってやり過ごした。シャルロットを放って通いつめている本好きの身としては、耳が痛い言われようだ。
ともかく、それからルイはジュールを意識するのをやめた。
実際、ルイがアルノーに古語を教わって声高に論じても、書庫内を漁り資料を探していても、彼は全く邪魔せずただそこに居るだけであった。そのため、次第にジュールのことは空間の一部のように気にならなくなった。




