123 友達がいない 2 続
「モリスになんとか言伝てをしたがな」
ジュールの珍しい溜め息に、本を読み漁っていたアルノーはふむ、と思う。
「そんなに忙しいのか、ロランは」
音遮断を済ませた書庫の中は静かで、本の頁を繰る乾いた音だけがする。
その中で、先日のルイの件の宰相に告げた顛末をジュールが語った。
常ならば王宮に伺候する行き帰りを掴まえて直接話すのだが、それが叶わないという。宰相につけた部下に連絡を取るのが精々とは、ロランの多忙が窺える。
「王宮に詰めきりだ。さすがにあそこに乗り込むのは憚られる」
「無位無官の魔道師だからの」
「そういうことだ」
アルノーの軽口に頷いて続ける。
「まあ、ルイ殿下の件は問題ないだろうがな」
「ジェロームじゃからな」
「ジェローム殿だからな」
楽観的な展望は、その後、モリスを介したロランの黙認という答えで現実となった。
再度、ジェローム、また他の魔法学の教員の身辺調査をしたが、いずれも権勢ある貴族の干渉を受けない一派と明らかになった。
「学校の独立性はなかなかのものじゃの」
「見習いたいな」
王立図書館においては会話が誰かに聞かれることを前提として、極秘の話の際は念入りに音声遮断をしている。
図書館は貴族階級はもちろん、政府や貴族の推薦があれば平民でさえ入館出来る。庶民には高い障壁だが、ジュールとアルノーからみれば誰でも入り込めるのと同義だった。
どこかの間者が入り込んでいるという認識は常に持っている。王立学校の、権力から一線を画した清廉さは新鮮だった。
「ま、親の期待を背負った生徒が数多く在籍しておるがの」
「そうだな。殿下の実力はなるべく隠す、その方針は変わるまい」
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大人の話し合いがどう決着したのか、ルイに詳しくは知らされなかった。
ただジェロームには呪術語を解することを隠さなくても良いこと、だが学校では今まで通り授業で習った魔法を試技するのみに留めること、特に治癒魔法など目につくものはたとえ人助けであろうと行使しないこと、などジュールに念を押された。
ルイの選択授業は、古語の復習を終えて魔法学の真髄となる呪術語の学習に入っていた。一年生全員が受ける必修の初歩魔法学とは進度が違う。古語が覚束ない一般生徒ではなかなか厳しい授業内容だが、ルイにとっては楽しみでしかない。
魔法語学の授業で、ルイは張り切って教師の示す呪術語を口にした。アルノーの指導は間違いがなかった。
「見事な発語でした」
「ありがとうございます」
発音を褒められた。ルイとしてはまだまだ初歩の段階なので口で唱えるのは容易だ。だが同級生達は魔法学を選択したとはいえまだ馴染みがないようで、見慣れない文字、読み慣れない組み合わせ、そして難物の発語に四苦八苦している。
幾人かはルイのように滑らかに唱えることが出来ていたが、彼らが幼少から学んでいたのか初見で呪語が読める才があったのかはわからない。
聞いてみたいが、逆にこちらが聞かれて正直に答えるわけにもいかないのだ。そっと顔を覚えるだけに留める。
その日は初歩の文字を学んで授業が終わった。これが一日の最後の授業であったので一同やりきった空気が漂う。ルイはそれでも幾分か手早くテキストやノートを抱えて教室を出た。
早足で行く先に、見知った背中を見る。
「ジェローム先生」
「ルイ殿下。お時間、よろしいでしょうか」
久方ぶりの邂逅だった。
今日はもう帰るだけ。それがルイの足を止めさせた。
「はい。何かご用でしょうか」
礼儀を保って尋ねる。それが新たな深みに嵌まることとは予想しなかった。
「医療処置室」
魔法学の教科室で、ジェロームと小さな机を挟んで椅子に腰掛けた。そこで告げられたのは馴染みのない語句だった。
「はい。生徒達の怪我や身体の不調を緩和する施設です」
「それは、確か入学時に説明を受けましたが」
前世で言う保健室のようなものだ。今のところ世話になったことはない。それが自分に何の関係があるのか。
ルイは言外に尋ねた。
「こちらで、しばし治癒者の教師の手伝いをされませんか。簡単な雑用をしていただくことになりますが、ルイ殿下の適性にお役に立つかと」
言われた瞬間、びりっと全身が緊張するのがわかった。
適性。
ルイの魔法、魔力の志向は概ね、防御、治癒など守勢に回るものと存在の復原に向いていると言える。
ジェロームには先日、呪術語を解する、つまりは魔法をかなり習得していると悟られた。
だがあれから、他の選択した同級生と共に地道に魔法学の授業を受けている。古語から呪術語に進んでも特に飛び抜けたこともしていないし、授業では未学習のうちに身につけた簡易な生活魔法の出来不出来を生徒皆で披露している程度だ。
査定も受けていないルイの、適性など知る術はない筈だ。
どうして、何かまた知らないうちに追求される材料を提供してしまっていた?
動揺するルイを余所に、ジェロームか語り始める。
「処置室には、私もたまに詰めている時があるのです。授業の空いた折などに」
それで。
「先日、休み時間に怪我をしたという生徒が処置室にやって来まして。どうもクラスで何か盛り上がって、その際に女生徒同士が揉みあって怪我をしたとか。ま、軽い打ち身程度ですが、令嬢方というのはそんなものでも大事を取るわけで」
話の行き先が見えなくて、ルイは黙って続きを聞いた。
「ぐったりとする女子生徒に付き添って訪れた生徒が、殿下の妹君でした」
「えっ」
ルイは慌てて腰を浮かせた。
そんなことがあったなんて初耳だった。
しかも怪我人に付き添うなんて、まさかシャルロットが同級生に怪我をさせたのか。
無いとは思うが、万一を考えて焦る。
「ああ、いや。王女殿下はいさかいには直接関係ありません。怪我をした生徒がしきりに礼を言っておりました」
「そう、ですか」
ほっとして椅子に座り直した。ジェロームはルイを見て小さく笑った。
「王女殿下は女子生徒に人気があるようです。どうも争いは殿下を巡ってのことらしい」
「……」
最近、シャルロットがクラスの女子に受け入れられているのは知っていた。始めの頃に仲間外れにされて嘆いていたのに、随分変わったものだ、と。温かく見守っていたが、逆におかしなことになっているのだろうか。
人から指摘されて内心、狼狽える。
「ま、それはどうでも良いですが」
ルイの気持ちを余所に、ジェロームはさらりと告げた。
「王女殿下のお顔の傷痕。初めて間近で拝見しました」
「あ…」
ルイの呼吸が止まった。




