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「何かお心にかかることがございましょうか」
王はロランと会話を紡いでいるうちに意識がはっきりしてきたようだった。言葉が明瞭になる。
「夢を見たのだ。それで側近に泉について問うたら、はかばかしい返事がなくてな」
初耳だった。
常世の森の泉の存在を知る者は限られている。また、泉に対しては保全監視のみしか対応していない。
王国の、王家の力の源であるが故に非常の事態にしか用いられぬ秘密だからだ。
数年前にロラン自ら指摘して監視強化を要請したお陰で、魔道庁の手により一応重点的に防御魔法が為されている。これに加えてジュールがその周囲を廻って魔物を駆除しているのは秘密だが。
「それは、いつでありましょう」
「エルザの子らと会う前だ」
「それ程お心にかかる夢でしたか」
普段は忘れ去られている常世の森の泉に、わざわざ言及する程の。
「いや、泉を初めて訪れた折の記憶がな。何故か突然浮かんだのだ。それであれを再び視ることは出来ぬかと考えたのだ」
「何故に」
「エルザの子らとの対面が迫った故。万一、あれらが余と同じであれば配慮が必要であろう」
「そのようなお心遣いをお考えとは」
国王アランは肉の薄い頬を歪めた。自らを笑ったのだ。
「だが余の考えは浅はかであった。愚か者の思案など端から無用。あれらはエルザに似たようだ」
「殿下方が魔力を持ってると、おわかりになられたのですか」
ルイの内包する魔力は人より多いとジュールから聞いている。シャルロットの方は本人は無関心だが、並み程度には保持しているとの話だ。
「余には判別出来ぬ。しかし王妃がな。恐ろしい顔をしておった」
対面の折を思い出したのか、王はくつ、と笑う。
「あの様子では双子共々、特に男子の方は充分過ぎる程、魔力に溢れているのだろう」
「ナディーヌ妃殿下が」
ロランは普段は意識にも上らぬ王妃の能力を思った。
ナーラ国の王候貴族、支配者層の多くは魔力を持つ。これは一般的に認められた事実だが、その実態が公的機関で調査されたり実数や魔力の有無を国に登録するような試みはされたことがない。人々は魔道士にでもならぬ限り、魔力の多寡や習得した術の志向などは把握されない。魔力を持つ者のほとんどが貴族階級である為、役人が特権階級の能力を量るようなことは僭越かつ無礼と認識されたが故だ。
職業として魔道庁が管理する魔道士と、王立学校の魔法学の中で能力や技術が露になった生徒のデータだけが、国の知り得る魔法使いの数だ。それは大まかであり、新たな能力の開花、また消失や死亡による数の増減や直近の魔力、魔法の術を会得した者を網羅しておらず、とても曖昧だった。
故に王国の最上位に位置する国王、そして王族、つまりは王妃の魔力や得手の魔道などは機密であり、極一部の者しか知らぬ。
王妃は魔力精査を得意とする。
だがそれはただ純粋に魔力そのものの多寡を視るのみ。その者の習得している術や魔道の志向は知り得ない。
例えばアルノーのように、魔力は多いが実際の魔道、魔法の習得はあまりしておらぬという輩と魔道に長けた者との判別はできない。ただ内包する魔力が多いとのみ感知するだけだ。
幼い第二王子に魔力があると精査したが為に、早期教育を強要して失敗に終わった苦い過去もある。故に実際の役には立たぬとて、もはや本人もあまり行使せぬ力。
しかし腹違いの兄王子という我が子の即位を危うくする存在に、王妃は持てる限りを駆使して精査したに違いない。
結果、隣の玉座にまで届く程の苛立ちの発露をした。つまりは、とアランは己が持ち得なかったルイの才を察したのだろう。
「しかし、それは──」
言いかけて、さすがに憚られてそれ以上は口を噤む。しかしアランは包まず語った。
「むろん、あれの不機嫌はフィリップもすぐに気づいたであろう」
「は」
「母の苛立ちが何に起因するのかもな。気難しい癖に勘が鋭い」
「東の御方々のお心が安らかであると良いのですが」
幼い頃に母が強いた魔法教育がその性格に影を落としたフィリップ王子。
腹違いの兄が自分よりはるかに強い魔力を持つと知った第二王子が、また煩悶せぬことをロランは願う。
だが王は無碍に言い放った。
「それは無理だ。母の声掛けは逆効果であるしな。フィリップは己と兄の差を痛い程感じたであろう。そして、それを察して王妃が荒れる」
「臣下といたしましては、陛下のご身辺が平らかであるのを望んでおります」
「そなたが願うのは勝手だがな。人の心は動かせぬ。あらん限りの慰めを皆から捧げられようと、余の心が浮上できなかったように」
さらりと告げられたアランの抱える闇に、ロランは沈黙する。
「エルザというカタチが消えようとも人の心の中にいたという記憶がある。かの者は余の救い、生きる希望と喜びの全てだが、他の者には呪いの存在だ」
アラン自身の思いを吐露しながら、周囲の負の感情も冷ややかに把握している。
「そしてあの双子。あれらが世にある限り己に平穏はない。そう取る者はこの国に少なくない。──ロラン」
言いかけたロランを制して続ける。
「あの双子を呪いと信じる者にとっては、それは真実だ。あの二人の噂が耳に入る都度、目に映る毎、身に新しい痛みをもたらすだろう」
王の見る目は冷たく正しい。
しかし曲がりなりにも正式な妻である王妃と万民に認められた己の王子が、惑い暗い感情に囚われるのを黙認するというのか。仕方なしとして放置するのか。
しかもそれを引き起こしたのは自らが愛した亡き女の忘れ形見。王妃とその背後にある勢力が事を起こせば、この子らの平穏も飛ぶ。
唯一、彼ら全てと繋がりを持ち、事を治める力を持つ王が、座して混乱を見届けようというのだろうか。
国王からは、東の宮にも双子のいる西の宮に対しても、身内に向ける慈愛は感じられない。王妃はともかく、血を分けた子供達、次代を受け継ぐ王子達への態度はひどく不透明だ。
泉について言及した折には、エルザ妃の忘れ形見を気遣ったと見えたのに。
陛下はいかがお考えか。
そう問いたい心持ちに駆られたが、無論、聞けよう筈もない。
「陛下は」
「なんだ」
「争いをお望みですか」
「いや。ただあるべき姿を眺めるだけだ。余には治める術はない故な」
「──」
ロランの沈黙をどう受け取ったのか。
「ロラン。お前が有能でこの国への献身に揺るぎないことは知っている。だが」
一つだけ言っておく。
「私に干渉しようとするな」
王の瞳が濃さを増して揺らぐ。
「お前だけではない。王妃もリュシアンも、他の大臣達も。誰一人として私を己の望むように動かすことは許さない」
アランに干渉できたのは、心をかけることを許されたのはただ一人の女性。亡きエルザ妃のみということか。
逡巡するロランの前で、王はベッドに身体を沈めてわずかに咳き込んだ。
「元より」
アランの容態を見極めようと屈み込んだロランの耳に、小さく囁く。
「欠格な王なのだ。何事かを成すなど出来よう筈もない」
そこでロランを探すように焦点を失いつつある瞳がさ迷う。
「ほら、また意識が薄れ行く。このような者に大事を預けるなど…愚かの極み」
最後はほんのかすれ声が音を刻んだ。
「全て、お前が良いように。お前が考え、判断するが良い……それが恐らく正しい道だ」
そう告げたのを最後に、王は意識を手放した。
呼吸が規則的なのを確認し、静かに寝具を整えて、ロランは身を起こす。
眉間に皺が寄るのを自覚した。だがその表情は変えられぬまま、王の御前を下がることになった。




