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マクシムが宮に駆けつけたのは四日後だった。
多忙が重なって、校内で話題の噂を知るのが遅れた。クラスの男達がシャルロットについて言い囃しているのを聞いて肝が冷えた。
その後襲ってきたのは、ひどい自己嫌悪。
シャルロットが剣術の授業で受けた疎外感は、全て自分のせいだ。
剣術の教師にマクシムが配慮を頼んだのが裏目に出た。
初めて多くの同世代と日中過ごす環境。慣れない中で、孤立して冷たい視線を浴びながら授業を受けねばならない。シャルロットの気持ちを思うと申し訳なさでいっぱいになった。自らの頭を殴りたい気分だった。
そんなつもりはなかった。
言葉にするのは簡単だ。だが実際に味方のいない場で一人戦わざるを得なかった彼女の気持ちを思えば、己の罪を悔いるしか出来ない。
謝らねば。
シャルロットをそんな辛い立場に置くように願ったわけでは決してない。だがマクシムの余計な行動がシャルロットを追い詰めた。
放課後、宮邸に帰宅した頃合いを見計らって、シャルロットを訪ねた。
約束はなくとも通される、そんな親しい関係になってもはや久しい。
「マクシム!久しぶりだ。どうしたんだ」
シャルロットはマクシムを歓迎した。
気に入りのパンツスタイルで、足取りも軽く駆け寄ってくる。
剣術の授業が機能していないのなら、自邸での稽古を渇望しているだろう。己の訪問を喜ぶのは想定内だったが、迎えるシャルロットの表情の明るさが、マクシムには意外だった。
「いえ、学校で問題が生じていると伺ったので」
「マクシムも知ったのか。…もしかして、上の学年にも知れ渡ってる?」
そこで不快感を顕わにするのではなく、少し恥じらったように窺ってくるのがさらに謎だ。
「俺のせいです」
「?」
「俺、シャル様が入学する前に剣術教師のところに行きました。父の知人で、俺も顔見知りだったから」
「あー、元騎士とか?」
「はい。主任教師のヤン先生が」
「ブリュノ将軍はさすがだね」
「騎士団に年月だけは長くいましたから。それで、俺はヤン殿にシャル様を授業の間、他の生徒から隔離した方がいいと言いました」
シャルロットは何も言わず続きを待っている。じっとこちらを見る藍色の瞳を見返せなくなった。マクシムは居たたまれなさに下を向いた。
「だから、シャル様が授業で仲間外れみたいになったのは俺のせいなんです。すみません!」
「──マクシムは、私のことを考えて先生に話したんだよね」
はい、とマクシムは頷いた。
「シャル様がそんな目に遭うなんて思いもしなかった」
「なんで?」
シャルロットは怒っていなかった。純粋に疑問だけを孕んだ問いかけ。
「なんでマクシムは先生にそんなこと言ったの?普通、そういうことをわざわざ言いに行く性格じゃないよね」
一瞬、言葉に詰まった。だがここまでの大事になったのは全部自分の浅はかさから来たのだから、言いにくかろうと正直に語るしかない。
だからマクシムは素直に答えた。
「シャル様、容赦ないから」
「は?」
「自分で考えてるより、シャル様強いんです。なのに敵に容赦ないから。もちろん、父や俺にはそれでいいんだけど。稽古で相手に手加減するって、考えたこともないんじゃないかな」
「そんなことは…」
「ああ、ルイ様には細心の注意を払ってるのはわかってます。でもルイ様以外は、基本、一撃必殺の気持ちでいますよね」
長年の稽古でずっと思っていたことを告げると、シャルロットは頬を紅潮させた。
図星だ。
それでもぎゅっと目を閉じてから、一息に反論してきた。
「マクシムとは、それぐらいじゃないとまともに戦えないじゃないか」
「そう思っていただけるのは光栄ですけど。他の、自分より技量の下の相手に合わせる稽古ってできますか」
あ、とシャルロットは口を開けた。
「──考えたことなかった」
それはそうだろう。シャルロットの狭い世界で、剣の相手は極々限られていた。
師は圧倒的な技量と老いたとはいえ力のあるブリュノ。稽古の相手で一番対するのがマクシム。そして自主練習で打ち合うのは双子の兄のルイ。こちらには決して傷つけてはならないという絶対の配慮が働くが、それは特殊な例外だ。
シャルロットの剣の世界はその三人で全部で、他に剣を合わせたと挙げるならば、数年前の刺客と魔物で、加減は不要の相手でしかない。
「正直、自信がない」
ぽつりと呟かれた。
それは予想していた。だからマクシムは教師に話を通して、シャルロットと他の男子生徒が立ち合うことを阻止した。
しかしそれがシャルロットを追い詰めた。
話をした主任教師のヤンはマクシムの意図を察してくれたと信じているが、一年の担当教師はシャルロットをか弱い姫として扱い、必要以上に生徒達との間に溝を作るやり方をしていたようだ。
曲がりなりにも王女を、担当授業の中で怪我をさせて、男子生徒が咎を負わない為の配慮。実は王女が同級生を負傷させる懸念があったとは思いもよらない。まあ、順当にみたらそう考えるのが普通だろう。
それでも、シャルロットが授業で居心地の悪さを抱えるなら誤解は解かなければ。
「俺、もう一度ヤン殿に話してきます。シャル様が特別扱いでなくて、他の生徒と一緒に授業を受けられるように」
「──それで怪我させたら、まずいよね?」
だが身も蓋もないシャルロットの問いに、マクシムは言葉を途切れさせる。
「あー。それは、はい。でもシャル様が気をつけてくれれば」
「出来るか不安だよ」
即答出来ずに、それでも妥協案を挙げた。だがシャルロットは正直に言い放って、それからあっさりと匙を投げた。
「じゃあ、もういいや」
「シャル、様?」
「選択授業はこのまま仲間外れで良い。だって剣は振れるんだし、自主練になる。隅っこにいても講義は聞こえるから、参考にできる。で、マクシムはお詫びに、私の稽古にたくさん付き合ってくれるんでしょ?」
「それは、はい」
ちらりと上目遣いで尋ねられた。慌てて頷くとシャルロットが破顔する。
眩しい笑顔にマクシムはたじろいだ。心が跳ねた。
「だったら、その方が断然いいよ!」
藍色の瞳を輝かせて、シャルロットがマクシムを見つめる。
こんな期待に満ちた顔を向けられて、誰が抵抗できるだろうか。
マクシムは負けた。完全に白旗をあげた。
本当はもう一度学校に掛け合って、シャルロットの扱いを他の生徒に近いものにする方が良かったかもしれない。多少の怪我や揉め事があっても、それで生徒同士、互いに学習していく方が健全だ。
だがマクシムは、シャルロットの望みを叶えてしまいたかった。
脳裏で自身の日課を浚い、捻出できる時間をピックアップする。各所を調整すれば放課後に、週末に時間を作って宮邸を訪ねられるか。いけそうか。
ぎりぎりのスケジュールになるが、それはマクシム自身の楽しみでもあった。
「わかった。週末と、時間の合う放課後に稽古しよう」
「やった!」
シャルロットは諸手を挙げて喜んだ。
王女殿下が剣を振り回すなど本来有り得ないこと、剣を取らなければならない事態となれば、相手に心配りの要などなく全力で倒す一択であること。そう考えれば、現状のままでも良い。
本音を言えば、マクシムにとって学校の剣術は生ぬるい。講義は有意義だが、実践の相手が貴族の生徒達では技量と意欲に大いに不満があった。
力が弱くとも、剣先は鋭く立ち回りが早いシャルロットとの試合は、相手が必殺を目指してくるので油断がならない。だから立ち合って面白い。
何よりも優先すべき対象のシャルロット。彼女が特に不満を持たないなら、持っていないならこのままで良い。
マクシムは現状維持を選んだ。
ただし、それはシャルロットの選択授業についてで、自身の日課はさらに多忙過密なものになった。
それでも、マクシムの中では楽しみが増えただけだから負担にはならない。
これまでより一層忙しくなって、級友との付き合いはさらに減った。
慣れてきた筈の学校生活をバタバタとこなして、しかし何故か上機嫌なマクシムに同級生は首を傾げるだけだった。




