10
居間に場所を移して、アンヌと二人は小さなテーブルを挟んで座った。
「ルイ様。アンヌからお話がございます」
「シャルは?」
「シャル様も。おわかりとは思いますが、今日のお振る舞いについてです」
ぴん、と二人の姿勢が伸びた。
「ルイ様はアンヌの目を盗んで宮を抜け出されました。シャル様はルイ様の手助けをなさいました」
「ごめんなさい」
「アンヌを騙してごめんなさい」
「何故、黙って抜け出されたのでしょう」
「それは……」
ルイが気まずく言い淀んだ先を、アンヌはさらりと言った。
「私がルイ様シャル様を外に出そうとしなかったから」
「アンヌ」
「ルイの間違いだった?」
胸を衝かれたルイに代わり、シャルロットが問う。
「いいえ、ルイ様が考えた通りです。私はお二人をこの宮に留めておりました」
「なんで?」
「理由を教えてくれる?」
「はい。外に出たら危険があると考えていたからです。そして、お二人が宮に籠るのはお父君の望みでもありました」
「──」
告げられた事実をどう捉えていいかわからず、戸惑う。
「どうして」
「ルイ様は図書館で国のことをお知りになられたとか」
「うん、少しだけ」
「シャルは知らないよ」
シャルロットが口を挟む。アンヌが続けた。
「ルイ様シャルロット様、そしてアンヌが住むこの国はナーラ国と言います」
そして。
「ルイ様とシャルロット様はこのナーラ国の国王陛下のお子」
「王様?」
「はい、この国の王様がお父君です」
驚くシャルロットに先に知っていたルイが頷いた。
「ナーラ国の都の中に王陛下が住む王宮を中心とした、塀に囲まれた王居がございます。ルイ様、シャル様はこの王居の中に宮が、おうちがあります」
「へーそうなんだ!」
「それがここだよね」
「はい。この王居の内側に住めるのは王家の方と大貴族。それ以外の貴族は塀の外側に都の屋敷を所有して住んでおります。お母様のエルザ様のお家は外側に住まう貴族の一つでした」
伯爵というのは良いお家ですが、この国で一番偉い父君には少し足りません。
アンヌは、幼い二人にわかりやすく話してくれる。
「陛下は母君を望んでおられましたが、身分的に許されず。王妃は別の方が立つことになりました。この王居内に住む公爵家のお姫様です」
「?お母様はどうなったの」
話の行方に不穏さを感じてシャルロットが不安げに聞く。ルイには何となく先が読めていた。
「エルザ様はそのまま国王陛下のお妃になりました。ただ正式なお妃は王妃様、別にもう一人いらっしゃるのです」
ああ、やっぱり。
アンヌはやんわりと語っているが、事情を知ってルイは納得する。
生まれる以前の記憶、歴史や大人の知識が混じっている故かはわからないが、ただ合点がいく。
父は母以外の、身分の釣り合う政治に役立つ女性を隣に選択したのだ。
それは国王の判断として多分正しい。
でも。
ルイは考える。
それは物事を面倒にして問題を引き起こす。
一方シャルロットは、アンヌの説明で母親が無事に妃になれたとわかって、安心したようだった。そして、首を傾げた。
「お母様が亡くなった後は?」
「前に申し上げた通り、父君は王宮でお仕事に徹しておられます。そして、宮に預けられたお二人が表に出ることを厭われました」
エルザ様のお子を人目に晒したくなかったのでしょう。
「そしてお二人が生まれて一年後、王妃様は王子を儲けられました。第二王子殿下です」
「男の子?シャルの弟??」
シャルロットが驚いてアンヌに聞き返す。
ルイも初耳だった。
そういえば今日、道で詰問してきた衛兵が王子を見たことがあると言っていた。
多分、それが第二王子で、国王夫妻の子、つまりは国民が目にする王の子なのだ。
成る程。
「まあ…お会いしたことはございませんが」
ルイは、アンヌの濁す声音のうちに、宮に自分達を閉じ込めている理由をうっすらと察した。
「ええー、私は会いたいな」
シャルロットは弟の存在が気になるらしい。無邪気に口にする。
「さあ、それは。あちらは王妃様がおいでですし。こちらとはご縁がございません」
「そうなの?」
「ええ。あちらのお住まいも離れておりますしね。ルイ様の行かれた図書館はその点、王居の中ではご近所ですが」
アンヌが少々強引に話の向きをずらしていく。シャルロットは知らず、気になる単語に飛びついた。
「図書館!そうだ、ルイ。どんなだったか教えてよ」
「後でね」
ルイはシャルロットをいなしながら、アンヌの二人に隠しておきたいことを考える。それから、アルノーが言ってくれたことを。
──きちんと話せば、わかってくれる。
「アンヌ。図書館はとても良いところだった。僕はまたあそこに行きたい」
父王の意向が外に出したくないというなら、説得しても無駄かもしれない。アンヌが危ないと考えているなら、その判断はきっと正しい。
父親に厭われている不安定な自分達。強い後ろ楯を持つ弟。朧気ながら、アンヌの心配事が見えてきているからこそ、思う。
それでもルイは自分の望みを口にした。
「もう勝手はしないと約束するよ。それでも駄目かな?」
アンヌはふっと息を吐いた。ゆっくりと姿勢を正して二人を見つめる。
「今日のお二人の企みはお見事でした。アンヌはまんまと騙されてしまいました」
言ってアンヌは目線を落とした。
「今後もルイ様、シャルロット様はご自身で考え、動かれるでしょう。私がお止めしても聞かず」
ご成長するにつれ、この先もっと頻繁に。
「今日のことは、ロラン閣下のお使いがお知らせ下さったので、アンヌは承知しております。ですが、」
そこで言葉を一旦止める。アンヌの伏せられた瞼、睫の濃さが目立っていた。
「アンヌに黙って出ていかれるのは、とても堪えます」
「ごめんなさい」
もう一度、ルイはシャルロットと頭を下げる。しかし続く言葉にルイは勢いよく顔を上げてしまった。
「なのでロラン閣下のご提案で、今後、ルイ様は図書館でアルノー卿のご指導を受けるようお願いいたしました」
「え」
考えもしないことだった。
「アンヌから、博識なアルノー殿に是非とも殿下にご教育いただきたいと依頼したのです」
「あの、でも王様が駄目って」
「ロラン閣下が、陛下にご許可を願うとお申し出くださったのですよ」
「じゃあ」
半ば諦めていた望みが、知らぬ間に障害を除かれて叶うという。ルイは信じられない気持ちだった。
「ええ。宰相閣下のご提案を陛下がお許しくだされば、ルイ様はアルノー殿の元に定期的にお通いになれます」
「本当に……?」
「はい。閣下からお手紙がまいりまして。ルイ様とお会いして、きちんとした教育を施す必要を感じられたそうで。王子殿下に相応しい人材を配するよう、陛下に奏上するおつもりのようです」
今日偶然会っただけのロランがそこまで動いてくれるとは思ってもみなかった。
夕食の席を外した時に、アンヌは手紙を受け取ったのだろう。
嬉しさが沸き上がったルイに、アンヌは何気ない風に続けた。
「ただ、ロラン閣下におかれましては、ルイ様に必要なものは書庫の他にもあるとお考えです。勉学もご興味のある言語だけでなく多方面をアルノー殿に指導するよう指示されたとか。さらに礼儀作法、剣術と、それぞれ相応しい師を閣下ご自身が選別してお付けくださるとのこと。ありがたいお申し出がございました」
うわあ、と声をあげたのはシャルロットだった。ルイも思わぬ方向に大事になっているのを自覚する。多分、もうルイの好き嫌いでは済まなくなっている。
「よろしいですね」
強い圧を帯びて微笑むアンヌにルイは受け入れる他はない。これは自分の得意不得意構わず詰め込まれると確信した。もしかしてこれが帝王学?というものだろうか。
「それから。外の世界とお付き合いをするからには覚えておいていただきたいことがございます」
「なに」
「これまで、アンヌはお二人をご一緒にお育てして参りましたが、お二人はごきょうだい」
「うん」
「知ってる。双子でしょ」
「はい。ですが外では双子でも順番が決まっているものなのです」
「へー、ルイは知ってた?」
「ああ」
アンヌの言いたいことがルイには何となくわかった。
「その順番で名前がつくのですよ」
理解の早いルイと違いきょとんとしているシャルロットに、アンヌが優しく教える。
「ですのでお二人は双子ですが、今日からは上がルイ様、下がシャルロット様。兄と妹、とご記憶ください」
「僕が兄」
「シャルは妹…?」
「はい。兄君がルイ様、妹君がシャル様」
「シャル、もうルイって呼んじゃいけないの?」
気づいたようにシャルロットがアンヌを見上げた。困ったように口角が下がっている。
アンヌは優しく頭を振った。
「いいえ、それはお二人の間ではどうぞご自由に。ただ、外では兄と妹、と。決してお間違いの無いよう」
ようやく解放されて休むだけになったルイは、寝室のベッドに転がりほっとした。
実に長い一日だった。
「僕が兄」
ぽつんと呟く。
一日の最後に、少々くどいくらいに繰り返し説かれた。
確かに兄弟の別に関してはアンヌの言う通りだった。そして宮のうちだけなら知らず、外の世界では二人の続柄を問われることもあろう。今まで全く区別してこなかったのが不思議なくらいだ。何故かは知らず、これまで最低限の男女の別を除いて差異をつけてこなかった。
とにかく、二人は兄と妹という関係に決まった。馴染むまで時間がかかるだろう。
「ルイ、おにい、ちゃん?」
傍らでシャルロットがぎこちなく口にする。聞き慣れない呼称に勢いよく振り返ってしまった。
「あれ?間違えたかな」
随分と変な顔をしていたのだろう。寝転がったままシャルロットが眉を下げた。二人は広いベッドに並んで横たわっていた。
「間違えて、はいないけど。なんかシャルにそう呼ばれるのは変な気分」
居心地が悪い。
「でも」
「うん、シャルは正しい。だけど僕らの間では今まで通りがいい。僕達は双子のルイとシャルだよ」
「私もルイがいい。本当はね」
ふふ、と笑ってシャルロットはルイに抱きついた。




