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多忙だと聞いていたマクシムが突然夕方に訪れて、ルイは驚いた。少し前にシャルロットが騎士団の本部から帰宅したから尚更だった。
宮邸の居間に通して、ソファに落ち着いたところでマクシムはまずは突然の訪問を詫びた。ルイからしてみれば、騎士団から学校へと引っ越しや異動?の為に忙しない彼に妹の世話まで押し付けているのだから、逆に申し訳ない気持ちである。
マクシムは話があるという。
まずは、シャルロットから聞いているとは思うが、と前置きをした上で、騎士団での様子を語った。
「シャル様は主に騎士団内で鍛練場にて剣の稽古を熱心に見てます。あとは馬場で過ごしています。馬が気に入ったようで。あ、馬に近づく時は馬丁がきちんと見てるのでご安心を」
「シャルは随分と楽しんでるみたいだな。宮でも嬉しそうに話してくれる」
「はい。ただやはりかなり目立ってしまっているので。シャル様が少女であるとは気づかれていません。でも父がお連れしたことと俺が張りついていることから、皆勘繰ってます。それで」
と、マクシムが言いづらそうに話したのは、ある意味意外とも当然とも言える、騎士達の間で広がっている誤解だった。
シャルロットが皆と距離を取って口を利かない為に、少年=王子だと思われてつまりはルイだと信じ込まれていること。シャルロットが騎士団に強い関心を抱いている様子が好意的に受け取られている現状。さらに熱心に剣を振っている様に積極的に支持する風が見られる、等々。
「杞憂かもしれませんが、ルイ様に関わることなので」
そう締め括ったマクシムに、ルイは勢いよく頭を下げた。
「ごめん」
「いえ、謝るのはこちらの方で」
「いやいや。面倒かけてるのはこっちだからさ」
シャルのせいで、何だかおかしな期待を受けることになっている。その誤解を心配して、マクシムはわざわざ知らせに来てくれたのだ。
「変に燃え上がってる先輩方も良くないです」
もちろん、そんな彼らに騎士の本分を疎かにする者はいないだろう。軽口の類いである。
「うん、でもシャルがお世話になっているから。それと、あとは何だろう。騎士の人達が本当のことを知ったらがっかりするだろうなあ、とか」
そんな、とマクシムが言いかけるのを制して続けた。
「シャルはシャルで、王子なのはこれだもんな」
これ、と自分の鼻先に指を突きつける。
騎士団の皆が感心するような武芸には程遠い力量と、自覚はある。
「楽しんでるシャルはかわいそうだけど、これ以上変な噂になる前に、騎士団訪問はやめにした方がいいな」
「はい。来週には俺の離職が完了しますから。次が最後になります」
しかし、最後と決まった訪問で騒ぎが起こった。いつもより早い時間にシャルロットがマクシムを伴って帰宅した。気まずそうに肩を縮めて、隣を窺うようにした妹の姿に、ルイは一目見て何かあったのだと察した。
ぴりついた気持ちを抑えて二人を居間に通した。心の準備をしてシャルロットからの言葉を待った。
しかしもちろん、事の顛末を聞いたルイは平静ではいられなかった。
「森の中に入った!?」
「ごめんー。ちょっと暇だったから探検がてら」
悪びれない態度のシャルロットに天を仰いだ。
騎士団の宿舎と練兵場がある場と王立学校の間に挟まれた緑繁る広大な森。あそこは魔物が這い出てきた場所から程近い。あの地下の事件の後、魔道庁が厳重に封を施したというが、いつなんどき防御を破って現れるかわからないのだ。そこに一人きりで足を踏み入れるとは。
この妹はあまりに油断がならない。
「大丈夫。学校寄りのあの場所じゃなくて、騎士団から王宮に向かう方のそんな深くないところだし」
「っても。魔物はいなくても獣がいるかもだろ」
リスやウサギ程度なら良いが、狂暴な獣、害のある虫だって普通にいる筈なのだ。
「平気。私強いよ?」
「そんなこと言って!何かあったらただじゃ済まないんだぞ」
「ルイ様。申し訳ありません、俺の責任です」
シャルロットの隣で勢い良く頭を下げたマクシムは、そのまま顔を上げることはない。ここまで隠し通した素性がバレないように、協力を申し出た騎士団の手は借りず一人で捜索したという。
苦労がしのばれて、ルイはシャルロットを厳しく叱った。
「ほら。もしもの時はマクシムやブリュノが責めを負うんだ。そうなったら二度と会えないかもしれない」
「え、それは嫌!」
シャルロットが慌てたようにマクシムの腕を掴んだ。びくりとマクシムの肩が跳ねたが下を向いたままだ。
「──じゃあ、マクシムや他の皆に余計な手間をかけさせるようなことはしない」
「うん、もうしない。絶対しないから、マクシムは頭を上げて」
ぐいぐいと腕を引く懇願に、マクシム、とルイが声を落とす。ようよう茶色の頭が持ち上がった。だが眉を下げた顔は冴えないままだ。
「でも、俺が目を離したのは事実なので。ルイ様がいないから俺が任されてたのに、こんなんで情けない。今日シャル様が無事だったのは、運が良かっただけですから」
本当に申し訳ありません、と再度深く詫びる。シャルロットはばつが悪そうに下を向いた。
はあ、と溜め息をついてルイは改めて妹に念押しする。
「……本当に何もなかったんだよな?」
「うん、何も…あ、」
シャルロットはぱっと顔を上げた。
「可愛いウサギに会った」
「ウサギ?」
「木の根っこにいた。茶色くて可愛いこ」
思い出したのかにこにこと楽しそうなシャルロットを見て、本当に反省してるのかと思う。
だが一方で胸を撫で下ろした。
この様子だと本当に危険はなかったのだろう。
「マクシム。世話をかけて本当に悪かった。シャルもこの通りだし、今日のことは忘れてくれ」
「は、い。今後は絶対にシャル様は守ります」
最後の騎士団訪問でアクシデントがあったが、週末にはマクシムは騎士団から離れて学校に入学する。そうして一週間もすれば宮での稽古が再開予定だ。ルイとシャルロットの二人にとっては、元の通りの日常に戻る。
宮邸という箱庭。
今しばらくはこの中で平和に過ごせるが、近い将来、外の世界に出ていくことになる。
シャルロットが引き籠る道を選ばない以上、決まった未来だ。
あと一年。
準備期間はもう少ししかない。その間にこの誰よりも大事な妹に外の世界を教えていかねばならない。
メラニーとクレアの力も借りよう。
ルイは吐息をついた。
シャルロットが無事なのは何よりだが、とにかく周りは振り回されて大変なのだ。




