第34話 張り巡らされた謀略
「ガウルさん……もしかして、お父さんは……」
ブランケットの上で座ったまま、杏葉はガウルを見上げる。
「……今は推測に過ぎないが。わざと決別を演出したのかもしれない」
「オイラもそう思うヨ。制約の腕輪をしている以上、恐らくこっちに味方することはできナイ。あの対応が精いっぱいだったのカモネ」
「アタイも、すごく複雑な心の匂いを嗅いだんにゃ」
全員が肩を落とす中、ブランカがそっと杏葉に寄り添う。
「アズハさん、体調は大丈夫? 記憶を取り戻したのでしょう?」
「ブランカさん……実は、頭が……割れそうです……」
ランヴァイリーも膝を突き、杏葉の顔を覗きこむ。
「里長の指輪があって良かったヨ。それがなかったら、たぶん気が狂ってタネ……長は知っていたのカモネ」
「な!」
ガウルが慌てた様子で杏葉に寄り添おうとすると、ランヴァイリーはそれを腕で遮る。
「ガウル。らしくないヨ。ちょっと感情的になりすぎダネ。はい、これそこで濡らして来テネ? 杏葉、横になって頭を冷やソ。みんな、その間にこれからの動き、話し合うヨ」
「グルルル」
ランヴァイリーの差し出した布を受け取るも、足が動かないガウルの背を押すのは、クロッツだ。
「団長。ボクも冷静になった方が良いと思いますよ。ね! いきましょ!」
「クロッツ……」
ガウルとクロッツが小川に向かって席を外すと、杏葉はブランケットの上に横たわりながら
「ブランカさん……ごめんなさい」
とか細い声で謝罪した。
「なぜ?」
「だ、て。婚約……」
「ふふ。言ったでしょう? ガウルはわたくしの思いに賛同したに過ぎない。形だけだったの。本当よ?」
「……」
「それより驚いたわ。あれほど他人に心を開かなかったガウルが、あなたの匂いを許しているなんて! むしろ喜んでいるのよ。おばさまも、そうだったでしょう?」
「そ……」
かあっと頬が赤くなる杏葉に、ブランカは微笑む。
「さあ今は自分の体調だけ考えて。ね?」
「はい」
「あじゅ、一応回復魔法しよう」
「うん、ジャス。ありがと」
ジャスパーが懐から杖を出し、魔法を唱える。
杏葉の眉間が緩んで、ダンもホッと息を吐いた。いつの間にか火を起こしてくれていて、ポットに湯を沸かしている様子だ。
「ほら、ワビーから預かっていた薬草で、薬湯も作ったぞ。飲め」
「ありがと、ダンさん」
差し出すカップをそっと持つ杏葉は、ふう、と温度を冷ましながらゆっくりと飲み下す。
それにならって、全員それぞれの水筒を傾ける。ダンは、ブランカにもお湯を勧めた。
リリが飲み終わった杏葉のカップを預かるや横になるように促し、巻いた布を枕代わりに頭の下へ差し入れると、杏葉はようやく安心した様子で微笑んだ。
「ありがと……リリ……」
「アズハ、休むのにゃ」
「ん」
――すん、と周囲の魔力が収まった気がする。と同時に、言語フィールドが消えた。
【ダンたちは、不便にゃね】
【あ~ソダネ】
リリとランヴァイリーがダンとジャスパーを振り返ると、ふたりは【気にするな】というハンドサインで火の側に座ってくつろいでいる。
【はあ。それにしても、なんて素晴らしい魔法なのかしら】
ブランカは温かい白湯をゆっくりと飲みながら、杏葉から目を離さずに独り言ちる。
【前魔王の願いなのかもしれないわ……】
ランヴァイリーはその言葉を受けて、ブランカの隣によっこらしょと腰を下ろす。
【ブランカ嬢、詳しく聞きたイ。エルフが何をしたノカ】
【エルフが? あえて言うなら、なにも】
だがブランカは、強い目でランヴァイリーを見返すだけだ。
【森に引きこもり、人も獣人も悪だったと嘆くだけ】
【っ】
【エルフらしい、ですわね】
【厳しいネ。ぐうの音も出ないヨ】
【ええ。獣人も、獣人らしく。弱者を貪るだけ】
「過去は……変えられません……未来を……」
あえぐように言葉を紡ぐ杏葉の喉仏が、ゆるく上下する。
ふたりは顔を見合わせてから、目を閉じている杏葉を見つめた。
「わたし……がんば、る……けんか、だめ……」
【!】
【アズハさん、わかったわ。わかったから、休んで】
と――
【すまん、戻った】
ガウルが、手に濡れた布を持って戻ってきた。
顔の周りも濡れていることから、顔を洗ってきたに違いない。
【アズハ、だいじょうぶか?】
「は、い……」
ガウルが丁寧に絞った濡れた布を、横たわった杏葉の額に乗せてやる。
と、杏葉の顔の上にぽたぽたと雫が垂れ、思わず笑みがこぼれた。
「んふ、つめた」
【う、すまん。ちょっと頭を冷やしてだな】
【もう、ガウルったら。何か拭くものを】
【ハイハイ、ふきますよーぉ】
ガウルが憮然として言ったかと思うと、呆れるブランカに促されて、後ろからクロッツがガシガシと銀狼の顔周りを拭く――ぼわっと逆立った毛を見て、杏葉が微笑んだ。
「ふふ。あとで、もふもふ。ね?」
それを見たガウルは、ようやく眉尻を下げる。
【ああ。アズハ。いくらでも】
「ふふふ」
【アズハ……みな、すまなかった】
そして、膝を突いたまま皆を振り返り、深々と頭を下げた。
【親父との確執もあって、冷静ではなかった。情けない。申し訳ない】
「ガウル、さん……」
杏葉が、手を差し出す。
ガウルは慌てて、その手を取った。
【アズハ、どうした。苦しいか】
「だいじょ、ぶ。それ、より……お父さんの、腕輪。取って、あげたい……」
【アズハ……!】
苦しいはずの自分よりも、マルセロを気遣う杏葉の様子に、全員が息を呑む。
【ね、ウネグ。聞いた? あれでも、邪悪だと思う?】
クロッツが狐の獣人にヒヤリとした言葉を投げかける。
【ブーイと大違いだね。エルフの里から出る時、罵声喰らってたでしょ。ボクも聞いてたよ~】
【っ……】
【ま。君がこれから何をしようが、勝手だけどさ】
クロッツは、ちろりとウネグの手首を見た後でその肩をみしりと握り、そっと耳に口を寄せる。
【楽になりたいんなら、ボクが君を殺してあげる】
ガタガタと震えるウネグの手首には――マルセロと同じ腕輪が、はめられていた。
【っ、わかって、ます】
【そ、んな】
ふたりを見て絶句するアクイラに、クロッツは
【新人君には、ちょーっと酷かもね~】
むき、と歯茎を見せて笑った。
◇ ◇ ◇
――ちちうえは?
――世界を変えるために、頑張っていらしてよ。
――あえないの?
――今は、会えないわ……セル、貴方も立派になってね。
――はい! ははうえ!
セル・ノアは、フォーサイス領の宿屋に居た。
最近見る夢は同じ。幼いころの母との会話だ。
【発動したか。やはりなあ。醜い】
ベッドサイドチェストの上に置いてある水晶球に目をやる黒豹は、けだるげに起き上がった。
普段透明なはずの水晶の中には、黒い煙のようなもやが漂っている。
【さあて、共倒れを選ぶか、それとも遂行するか】
くあああ、と大きく伸びをしてから、セル・ノアはベッドから降りた。
【いずれにせよ、今の世界は終わる。新たな世界へ旅立つのは、獣人らしい獣人だけだ】
窓際に立って勢いよくカーテンを開く。
ソピアに隣接するフォーサイスからは、川の向こうに立ち込め始めた低い暗雲が、よく見えた。




