第九十八話 到着
車窓から見ていた景色で何となく予想していた通り、竹川駅は閑散としていた。が、静かであるという予想が一致していただけで、それ以外のことは全く予想外であった。まず一つ、慧たちの他に下車した客がいないこと。二つ、ホームにはベンチが数個しかなく、少し歩けば改札に辿り着いてしまうこと。そして何より、無人駅であるという事が慧を驚かせた。
「無人駅は初めてかい?」
「はい。こんな感じなんですね……」
初めて無人駅に下りた慧は、感心したような、はたまた呆気に取られたような調子で答える。
「その感じだと、まだまだ驚くことがありそうだね」
輝虎は悪戯な笑みを浮かべると、先に歩き出し、改札を抜ける。慧もそれに続いて改札を抜けると、まずは駅を出てすぐに自動販売機を見つけた。そして少し直進し、大通りに出て左に曲がると、今度は大通りに面した小さなコンビニを見つけた。自動販売機とコンビニ。この二つを発見したというだけなのに、慧は多大な安心を感じた。しかし、それだけである。駅前にもかかわらず、それしかないのである。後はひたすらに道路が伸びているだけ、家屋が点々と建っているだけで、車通りも無ければ人通りも無い。限界集落とまでは言わないが、それくらいに辺りはシンとしている。
「どうだい? 寂しいもんだろう?」
コンビニの前で足を止めた輝虎は、ニヤニヤと嬉しそうに言った。
「なんで嬉しそうなんですか」
「何事も初心な反応を見るというのは楽しいものだろう?」
「はぁ、要は俺の反応を見て楽しんでるってことですね?」
「ハハッ。まぁそうなるね。だが、この対象は君に限った話ではない。例えばこれが恵凛君だったとしても、僕は楽しんでいたと思うよ。だからそう怒らないでくれ給え」
「別に怒ってはないですよ。あと、ゲスいことを偉そうに言わないでください」
「うん、そうかそうか。怒っていないなら良かったよ。それじゃあ、コンビニで飲み物を買ってから家に向かうとしようか」
輝虎は何事も無かったかのように会話を終了させると、方向転換してコンビニに入って行く。慧はそんな輝虎の態度と、何も言い返せない自らに呆れながら、彼女に続いてコンビニに入る。
「いらっしゃいませ~」
店内に入ると、レジに立っている中年くらいの女性が朗らかな挨拶で二人を迎える。その他に店員の姿は無く、客の姿も無い。
(これで経営が成り立ってるのか……?)
慧は店内を見回してそんなことを思いつつ、輝虎の後ろに付いて飲料コーナーに向かい、冷蔵庫の前で立ち止まる。そして輝虎の買い物が終わるのを静かに待っていると、
「助手君も何か飲むかい? 今日は僕が奢ってあげるよ」
不意に輝虎が切り出した。
「えっ、良いんですか?」
「あぁ、僕だって感謝しているからね」
「そうですか。なら、お言葉に甘えて……」
全く期待していなかった慧は驚き半分、疑い半分の心持ちで冷蔵庫に視線を移し、種々様々飲料が並ぶ中からスポーツドリンクを手に取る。
「これにします」
「ほう。これで良いのかい? てっきり炭酸とかジュースとかを選ぶと思っていたのだが」
「最初はそうしようかと思ったんですけどね。まだ歩くならこれが良いかなと」
「ハハッ。状況に応じて飲み分けるなんて、君は凄いな。僕には出来ないね」
輝虎は笑いながらスポーツドリンクを受け取ると、自分はエナジードリンクを手に取り、レジに向かった。
滞りなく会計を済ませて外に出ると、慧はペットボトルを開封し、二口三口スポドリを飲む。それに対し、輝虎は開封した缶に唇を押し当てると、一気にエナドリを飲み干した。
「い、一気飲みですか?」
「あぁ、いつもこうだよ」
「えっ、いつも?」
「いつもと言っても、毎日ってわけじゃないからね。眠い時は毎度こうしてるって意味さ。あと、缶だし」
輝虎は答えながら空になった缶をゴミ箱に捨てる。
「もう行けそうかい?」
「はい」
「よし、あと少し頑張ろう」
二人は傍らに置いていたキャリーバッグの取っ手を握り、大通り沿いの歩道を歩き出す。
数軒連なる家の前を過ぎ、野菜直売をしている大き目のビニールハウスの前を過ぎると、一度そこで立ち止まり、大通りを横断する。そして住宅と住宅の間にある車一台がギリギリ通れるくらいの幅しかない小道に入り、その道を数分進み、更に道が狭くなり、もう少しで橋に辿り着くという所で輝虎は立ち止まった。
「はい。到着」
「あっ、意外と近かったんですね」
駅からは十分程であった。
「この距離だったら炭酸が良かったかい?」
「いえ、別にそういうわけじゃ」
慧は半笑いで答えると、目の前の家に視線を向ける。建っているのは瓦屋根の立派な平屋で、ぱっと見では結構大きいように見える。家の周囲はぐるりと石塀が巡らされ、前庭には手入れの行き届いた庭木が並び、玄関までは大小様々な飛び石がアーティスティックに敷かれている。そして眼前には胸くらいの高さの門扉があり、その右端には、宇留島。と書かれた表札とポストが設置されていた。
「父方の実家なんだ」
慧の視線を辿ったのか、輝虎は隣でボソッと呟き、門扉の右側へ向かう。そして引き戸タイプの門扉を少し大袈裟に開き、キャリーバッグを引いてそこを通る。
「行くよ、助手君」
「あぁ、はい。すみません」
家の観察をしていた流れで輝虎の一挙手一投足をぼうっと眺めていた慧は、彼女に呼ばれてようやく動き出す。そして輝虎の手で門扉が閉められるのを見届けた後、二人は玄関へと続く飛び石の上を進む。
「ただいまー」
開錠されたままの玄関引き戸を躊躇無く開き、輝虎が声を上げる。すると廊下の左方から、パタパタとスリッパの足音がこちらに近づいてきた。そして間も無く、小柄でやや腰の曲がった女性が姿を現した。
「おかえり、輝虎ちゃん」
「ただいま、おばあちゃん」
輝虎と祖母は挨拶と共に笑みを交わした。かと思うと、輝虎はスッと右に避け、慧の方に左手を伸ばし、
「で、こっちは昨日話した部活の副部長。風見慧君だ」
と、慧の紹介をした。
「こ、こんにちは。風見慧です。今日一日お世話になります」
自分のタイミングで自己紹介をしようと思っていたのだが、輝虎に先手を取られてしまったので、慧は慌てて堅い挨拶をして頭を下げる。
「いらっしゃい。何も無いけれど、ゆっくりしていってね」
そんな慧の様子を見て、輝虎の祖母は再び笑みを浮かべる。
「はい。ありがとうございます」
「よし。じゃあ挨拶も済んだし、まずは僕の荷物を部屋に運ぼうか」
慧と祖母がぎこちない会話を交わしているというのに、輝虎は相変わらずマイペースに会話をぶった切ると、靴を脱いで廊下に上がる。そしてキャリーバッグを両手で持ち上げ、そのまま廊下の右奥に進み、突き当たりの左手にある部屋に入って行った。
「ごめんなさいね。小さい頃からああなの。自由奔放でそそっかしくて」
「ははっ、そうなんですね」
「一緒に居て疲れるでしょう?」
「はい、正直。でも、その分楽しいです。先輩といると常に新しい景色が見れるというか」
「そう。ありがとうね。君みたいな子が輝虎ちゃんの傍に居てくれて良かったわ」
「いえいえ、俺なんて――」
「助手君~。まだか~い?」
会話が滑らかになってきたところで、輝虎からお呼びが掛かった。
「ふふっ。行ってあげて」
「はい、すみません。お邪魔します」
別に謝る理由はないのだが、慧は謝ってから靴を脱ぐと、靴を綺麗に揃え、キャリーバッグを両手に抱え、開けっ放しになっている廊下右奥の部屋に向かった。
「何をしてたんだい?」
机と椅子とベッドの他にはまだ何も置かれていない簡素な部屋に踏み入ってすぐ、ベッドに腰かけている輝虎から問いただすような言葉が飛んで来る。
「すみません。少し話をしてて」
「ふーん……。まぁいい。荷解きを始めようか」
口調からして内容を追及されるのかと身構えたが、実はそれほど興味はなかったようで、輝虎はさっさと話を切り上げてベッドから離れると、ラグの上に置かれているキャリーバッグの傍に座り、荷解きを始めた。それを見て慧もラグの上にバッグを置くと、輝虎の対面に胡坐をかき、いつでも手伝える心構えで待機した。
輝虎はまず、自分が運んで来た白いキャリーバッグを開く。そして中から白衣を一枚、次いでまた一枚、おまけにもう一枚取り出し、三枚の白衣をベッドの上に綺麗に並べる。
「ま、まさか白衣だけじゃないですよね?」
「あぁ、もちろん」
心配する慧を宥めるように答えると、輝虎はそれを証明するかのように、バッグからシャツやらジーパンやらを取り出す。
「ほら、ちゃんと私服も入ってるだろ?」
茶化すように言葉を足すと、輝虎はこれ見よがしにどんどん私服を取り出していく。そうしてそのままバッグの中身を全て取り出すのかと思いきや、彼女は突然手を止め、
「助手君。そっちのバッグも開けてくれないかい?」
と言った。
「はい。分かりました」
断る理由も無いので、慧は指示に従って黒いキャリーバッグを自分の前に引き寄せると、ファスナーを限界まで開く。そしてバッグの蓋側を持ち上げ、ラグの上で両開きにした次の瞬間。蓋側と底側にぎっしりと詰まっている下着が視界に飛び込んできた。
「うわっ!」
慧は驚きと羞恥のあまり声を上げて壁際まで飛び退き、そのまま壁を一点に見つめた。
「俺、何も見てないですから!」
「アッハッハッハッハッ! たかが下着じゃないか」
「たかがじゃないですよ……!」
「これは別に見たって平気なやつだよ。君をからかうためだけに買った下着なんだから」
「はい?」
ネタバラシをされたとは言え、まだ罠の可能性があると思った慧は輝虎の方は向かず、呆れと怒りの混じった返事をする。
「だから、これは全部見せパンみたいなものなんだよ」
「……だとしても、普通にセクハラですからね」
「ん? セクハラ?」
「そうです。これは立派なセクハラです!」
「いや、僕はそういうつもりじゃ……」
「する人はみんなそう言うんです! もう今回ばかりは許しません。退部します」
「ゴホン。それは待ってくれ、助手君。すぐに片付けるから」
輝虎は低い声で答えると、ガサガサと作業を始めた。……そして数分後、
「お待たせ。とりあえず下着は片付けたよ」
と、背後から声が掛かる。正直、何度も弄ばれている慧としては、まだ振り返りたくは無かった。しかしその反面、流石にここまで来て反省していないなんてことはあり得ないだろう。という思いもあったので、慧は後者を信じて振り返る。すると言葉通り、黒いキャリーバッグからは下着が全て取り払われており、慧は小さく安堵の息を漏らした。
「すまなかった。本当にすまなかった! だから、退部だけは勘弁してください……!」
慧が振り返って早々、輝虎はスライディング土下座の勢いで頭を下げ、詫びの言葉を並べる。
「退部はしませんから、頭を上げてください」
「本当かい?」
「はい。でも、次同じようなことをしたら本気で辞めますからね」
「分かった……。ちなみに、からかうのは?」
「はぁ、度を超えない程度ならいいですけど……」
「やった、交渉成立! ありがとう。助手君!」
そう言って頭を上げた輝虎は慧の手を無理矢理取り、こくこくと頷く。そして、
「よし! 作業再開だ!」
と、快活に声を上げ、二人は荷解きを再開した。
それから二十分ほどが経過し、大体の荷解きと整頓が終わったところで輝虎はベッドに腰かけ、慧は地べたに胡坐をかいた。
「あぁ~、大体終わったね~」
両手を上げて伸びながらそう言うと、輝虎はそのままベッドに寝転んだ。
「意外と時間がかかりましたね」
「あぁ。でも、一人だったらもっとかかっていたかもしれないし、やはり君を呼んで正解だったよ」
「あくまでも、本来の目的は写真の鑑定ですけどね」
「ハハッ。その通りだね」
なんて会話をしていると、ガラガラ。と玄関の引き戸が開く音がした。そしてそれに続き、
「帰ったぞぉ」
と、男性の声が聞こえて来た。すると輝虎は上体を起こしてベッドから立ち上がり、
「おじいちゃんだ」
と呟いて玄関に向かった。その姿を見て、これは自分も行くべきだと判断した慧も廊下に出ると、玄関には、長袖長ズボンに長靴を履き、首にはタオルを巻き、頭には麦わら帽子を被った人が良さそうな男性が立っていた。
「おかえり、おじいちゃん」
「おぉ、輝虎も帰ってたのか!」
「五時前くらいに帰って来たんですよ」
音を聞きつけてリビングから出て来た祖母が答える。
「そうかそうか。それで、君が風見君だな!」
「あっ、はい。風見慧です。お世話になります」
突然自分に照準が向いて驚きつつも、慧は簡単に自己紹介をする。
「はっはっはっはっ。礼儀正しい良い子だ!」
「お父さん。もう夕飯にしますから、お話はその時にしましょう」
「それもそうだな! 風呂に行ってくる」
元気溌剌と答えた祖父は長靴を脱いで廊下に上がると、そのまま真っすぐ進み、恐らく浴室であろう部屋に消えて行った。
「もう夕飯らしいし、僕たちもリビングに行こうかな」
「久しぶりのお客様だから、今日は少し多めに作ったのよ」
「それは楽しみだ。今日はとてもお腹が減っているからね」
輝虎と祖母は家族らしい和やかな会話を交わしながらリビングに向かう。そんな二人を微笑ましく思いながら、慧はその後を追うのであった。




