第九十話 僅かで確かな進展
「江波戸、聞きたいことがあるから一回止まってくれ」
雀野宅を大分離れ、あと少しで古屋根駅に辿り着こうというところで慧が伊武を呼び止める。
「なに」
「さっきのあの勝負、受けたってことで良いのか?」
「いいんじゃない」
「いいんじゃないって。どっち付かずだな……」
「はぁ、だってどっちでも良いじゃん。あっちをやる気にさせるっていう目的は果たしたわけだし、お互い問題解決しなきゃいけないのも事実なんだから」
「ま、まぁ確かに……」
伊武の的を射た発言に慧は一瞬だじろぐ。しかしすぐに気を取り直して言葉を続ける。
「でもさ、問題解決の速さを競うっていうのは危険じゃないか? もしかしたら焦って変なことして、現状より悪化する可能性だってあるわけだし」
「はぁ、あのさ、向こうが勝手に言い出したんだから、文句はあっちに言って。ていうかそもそもの話、勝敗とか気にしてないし、競うつもりも無いから」
「え? てことは、勝負は受けたけど、勝負するつもりはないってことか?」
「当然でしょ。あんな報酬も無い勝負に振り回されてこっちが損するとかあり得ないから」
つっけんどんに言うと、伊武はぎろりと慧を睨んだ。ちょっと、いや、かなりイライラしてるらしい。
「ご、ごめん……。でも、だとしたら俺たちは案外良い取引をしたのかもしれないな」
「どういうことでしょうか?」
傍聴していた恵凛が会話に加わる。
「えっと、簡単に言うと、雀野が勝負を申し込んで、江波戸がそれを受け入れたってことになってるけど、江波戸は勝負するつもりがないから、雀野の一人相撲になった。って感じかな。だから、俺の推測が正しければ、俺たちは雀野だけ監視してれば良いはずなんだよ」
「なるほど。つまり私たちは、一方的に目的を達成したってことですね?」
「そう。だと思う。けど、思い込むのは良くないから、まずは雀野に言われた通り、俺は江波戸の手伝いを、龍宮は雀野の手伝いをしながら様子を見よう」
「はい。分かりました。何かあれば逐一報告しますね」
「うん。よろしく。江波戸もそれでいいよな?」
慧の問いかけに伊武は頷いて応える。
「よし、それじゃあ今日は帰ろう」
すべて計画通り。というわけにはいかなかったが、無事に目的を果たした慧は多少安心した面持ちでそう言うと、恵凛と伊武と共に自宅への歩みを再開するのであった。
翌日。いつも通りの時間に目覚めた慧は、登校の準備を済ませ、いつも通りの時間に家を出る。玄関ドアにカギをかけ、鉄の門扉を抜け、そして駅へと続く一本道に踏み出したその時、隣家のドアが開いた。
「いってらっしゃいませ。お嬢様、江波戸様」
「はい。行って参ります」
短い会話が聞こえた慧は門扉を閉めてその場に立ち止まり、隣人の登場を待つ。すると程なくして隣家のドアが閉じられ、その陰から恵凛と伊武が現れる。
「あっ、おはようございます。風見君」
目が合うと、恵凛が先に挨拶をする。それに対して慧は、
「おはよう、龍宮。江波戸」
と、微笑みながら挨拶を返す。
「昨日はお疲れ様でした」
門扉を抜けて来た恵凛はいつもと変わらない様子である。
「お疲れ様。今日はよく眠れた?」
「はい。一段落して安心したのか、今日はぐっすり眠れました」
恵凛は少し耳を赤らめて答える。
「そっか、良かった。江波戸は?」
「……はぁ」
一方伊武はとても不機嫌そうに慧を見ると、すぐに視線を逸らしてため息を吐き、先に歩き出してしまう。
「すみません。昨晩はまだパジャマがワンピースだったので、それが嫌だったのだと思います……」
歩み寄って来た恵凛が囁き声で推測を述べる。
「そ、そっか。相当嫌なんだな、ワンピース……」
「はい。ですからすぐに制服に着替えてもらったのですが、それでもあまり機嫌が直らなくて……」
「あぁー、なるほど……」
それはきっとワンピースどうこうじゃなくて、学校に行きたくなかっただけだな……。と思った慧だが、そこまでは口に出さず、相槌を打つだけに済ませて恵凛と共に歩き出す。
その後伊武に追い付いた慧と恵凛は、不機嫌な伊武を刺激しないように気を付けながら世間話をしつつ、古屋根駅までの道を進む。そうして駅に着くと、三人は一列に改札を抜け、エスカレーターでホームに上がり、電車が来るのを待つ。
「璃音、来ますかね?」
待ち時間、恵凛がポツリと切り出す。
「うーん。どうだろう。雀野のことだから、どれだけへこんでても学校には来そうだけど」
「そうですよね。例え辛くても、ご家族に心配をかけないために空元気を出して学校に来そうですよね」
「うん。理由としてはそれが一番あり得そうだね」
「私、璃音の力になれますかね……?」
「大丈夫。龍宮ならきっとなれるよ。だって、それだけ雀野のことを大事に思ってるんだから。それに、龍宮を相棒に選んだのは、他でもない雀野本人なんだから、自信持って良いと思うよ」
「璃音が私を……。そうですね、私、頑張ります」
「うん。それでももし心配が消えないようだったら、いつでも俺に言って。手伝うから」
「はい。ありがとうございます」
昨日三宅に精一杯頑張ると宣言してしまった手前、慧はやけに紳士的と言うか、父性的な言い回しをしてしまった。しかし恵凛にとってはその言葉が救いになったようで、彼女は和やかな笑みを浮かべて答える。するとその直後、アナウンスが響き、電車がホームに滑り込んで来た。
電車が停止すると、伊武、恵凛、慧の順で電車に乗り込む。乗車した号車はいつも通り、既に座席が全て埋まるくらいには混んでいた。そこで慧たち三人は乗ってすぐの乗降口付近に落ち着き、出発を待つことにする。その間に慧は何となく車内を見回す。一般客もいるにはいるが、視界には常に天方中央高校の制服が映るので、もしや生徒だけでこの号車が埋め尽くされているのではないかと錯視する。なんて下らない観察をしていると、目の前で吊革を握っていた数名の客が突然横に退き、海を割ったように視界が開け、期せずして反対側の乗降口が見えるようになる。そしてそれと同時に、反対側乗降口の隅に立っている人物に目が留まる。同じ高校の制服。スカートから伸びる白く細いスラッとした足。キャップから漏れる金髪。まさかな……。とある人物が頭に浮かび、慧が心の中で呟いた直後、その人物が振り返り、横目で慧の方を見る。眼鏡はかけておらず、マスクをしている。つまり出ているのは目元だけである。普通ならば目元だけで特定するのは難しいだろう。しかしその人物の綺麗な青い瞳を見て、慧はほとんど確信した。すると間も無く相手も慧の存在に気付いたようで、開けている通路をそそくさと抜けて慧の前まで来た。
「やあ、おはよう……。分かるかな? 僕だよ、僕……」
話しかけてきた姿は不審者そのものである。しかし困っているのに冷たくあしらうわけにもいかず、慧が単刀直入に、
「先輩。ですよね?」
と聞くと、輝虎はうんうんと力強く頷いて応える。
「色々聞きたいことはありますけど、電車を降りたらにしますね」
慧の追加の言葉に輝虎は再び頷くと、人目を避けるように慧の背後へ回り、乗降口の隅に立って窓の方に顔を向けた。
それから十数分後。電車を降りた慧たちは、改札へと流れていく生徒たちの波には加わらず、ホームに留まり、制服姿なのに不審者のように見える輝虎と対峙する。
「白衣も着ていなければ眼鏡も掛けていないなんて、珍しいですね。でも、今のスタイルも素敵です」
「ハハッ。ありがとう恵凛君。珍しいと言えば、君たちも三人で登校なんて珍しいんじゃないかな?」
「はい。色々とありまして」
「ふーん。色々とねぇ……」
「で、先輩はどうしてそんな恰好なんですか?」
このままでは輝虎のペースに巻き込まれる。そうと危惧した慧が会話に割り込む。
「いやぁ、実はね、先日急に両親が海外に行ってしまってね。それで昨日から祖父母の家に行っているんだが、昨日一日だけでは最低限の物しか持って行けてなくてね。それでこんな格好になってしまったんだよ」
「なるほど、大変でしたね」
慧はそう答えながら、
(先輩の突拍子の無さは親譲りか……)
と思い、苦笑いを浮かべる。
「でも、君たちに会えて良かった。特に助手君。君にだ!」
「お、俺ですか?」
「あぁ、元々今日連絡をしようと思っていたからね」
「はぁ、なんでしょうか?」
「それは歩きながら話そう。伊武君が我慢の限界のようだからね」
輝虎に言われて横を見ると、つい先ほどまでそこに立っていたはずの伊武がいない。慧は慌てて目を走らせると、すぐに、階段を下り始めている伊武を見つけた。
「私が江波戸さんの傍にいますので、お二人はゆっくり付いて来て下さい」
恵凛は笑みを浮かべてやや早口に言うと、二人の答えも聞かずに駆け出し、伊武を追って階段を下っていく。
「彼女もああ言ってることだし、ゆっくりお話しさせてもらおうかな」
輝虎は目元だけで悪戯に笑うと優雅に歩き出す。こうなると慧には選択肢など存在しないので、慧も黙って歩き出す。
「話の続きなんだが」
階段を下り始めたところで輝虎が話を再開する。
「はい。何ですか?」
「昨晩祖父母と夕食をとっていた時の話なんだが、祖母の友人に霊感の強い人がいるという話を聞いてね。それを報告しようと思っていたんだよ」
「霊感の強い人……。あっ、確か、龍宮の写真に虹色の歪みが写ってた……。ってやつですよね?」
「そうそう。あれからずっと調べていたんだが、中々納得のいく答えに辿り着かなくてね。そんな時、霊感の強い友人がいるなんて話を聞いたら、飛び付かずにはいられないだろう?」
「まぁ先輩の性格ならそうですね……。で、近々その人に会いに行くって話ですか?」
「ご名答! 流石は助手君だ」
やっぱり親譲りの行動力だ……。と慧が心の中で苦笑していると、輝虎が話を続ける。
「だがその前に、僕の荷運びの手伝いをしてもらいたい」
「えっ、まさかそっちが本題ですか?」
「いやいやまさか! 本題はさっき言った霊感の強い人にじっくりしっかり写真を鑑定してもらうことだよ。だが何事にも順序と言うものがあるだろう? 本題に辿り着くには準備が必要だ。そしてその準備こそが、僕の荷物を運ぶということなのだよ」
「まぁ、それもそうですね」
「別に一人で運んでも構わないのだが、それだと時間がかかる。つまり原因究明が遅れてしまう。だから君に手伝って欲しいんだよ」
「はぁ、分かりました。手伝いますよ」
「本当かい? ありがとう! それじゃあそのお礼に、恵凛君の写真だけじゃなく、君と伊武君の写真も鑑定してもらおう!」
「いえ、別にお礼はいいですよ」
「ふむ、いらないのかい?」
「あぁー、それだったら、貸一つ。って言うのはどうですか?」
「貸一つか……。やらしいことでも考えているのかい?」
「ち、違いますよ。今は特に何も無いので、有事の際に取っておきたかっただけです」
「ハハッ! 君は面白いね。有事の際なら貸とか関係なく手伝うに決まっているじゃないか。だから、それとは別に今回は貸一つということにしよう。これで交渉成立かな?」
「はい。それで行きましょう」
「ありがとう。それじゃあ荷運びは今週末にでもお願いしようかな」
「分かりました。先輩とは取引ばっかりですね」
「ふっ、全くだね」
二人は互いに微笑むと、いつの間に辿り着いていた正門を抜け、校舎へと続く坂道を上り始めた。




