第八十九話 バトル再び!
待つこと数分。慧と恵凛の口数も徐々に少なくなってきた折、部屋と廊下を繋ぐドアが開いた。
「お待ち遠様です」
そう言って先に入って来たのは三宅。そしてその後に続き、上はパーカー、下はパンツと、昨日の服装に着替えた伊武が入って来た。
「もう乾いたのですか?」
「えぇ。昨晩すぐに洗濯機を回したのが功を奏したようです」
三宅は相変わらずニコニコと微笑みながら答えると、続けて、「江波戸様の朝食もご用意しますね」と言ってキッチンへ向かった。
「もう着替えてしまったのですね。ワンピース、似合っていたのに残念です」
恵凛は伊武の方に視線を向けると、眉をハの字にして口惜しそうに呟く。
「汚しちゃうと悪いし」
マイペースな恵凛に負けず劣らず、伊武もマイペースに答える。
「そうですよね。私が良くても江波戸さんは気にしますよね……」
「まぁね。あと、ああいうのは着たことないから落ち着かないし」
伊武は恵凛に向けて答えていたが、その真の矛先はどことなく慧に向けられているような気がした。
「そうでしたか……。すみません、次回はパンツも用意しておきますね」
「別にそういうわけじゃ……。はぁ、まぁいいや」
すぐに訂正しようとした伊武だが、純度百パーセントの恵凛の相手をするのが急に面倒になったらしく、ため息交じりに答えると慧の隣の席に腰かける。どうやら今回は恵凛に軍配が上がったようだ。するとその話が終わったタイミングで、三宅が丸皿と茶碗を持って戻って来た。
「では、いただきましょうかね~」
席に着いた三宅の一言で三人は居住まいを正す。そしてほぼ同時に手を合わせ、各々食前の挨拶を読経のように呟き、ようやく朝食が始まる。
……長い間焦らされた割に、朝食は三十分足らずで終了した。空いた食器類は恵凛と三宅の手で片付けられ、テーブルの上には麦茶の入ったコップが三つだけ残った。
「こちら置いておきますので、ご自由にお飲み下さい。それでは、ごゆるりと」
キッチンから麦茶の入ったピッチャーを持ってきた三宅は、それをテーブルの中央に置き、軽くお辞儀をするとドアの方へ向かう。
「ありがとうございます」
キッチンで洗い物をしている恵凛は、既にドアノブを握っている三宅の背中に向かって慌てて感謝の言葉を述べる。すると三宅は大らかな返事をして静かにドアを開け、瞬く間にドアの向こうへ消えてしまった。
それから一、二分後、食器を洗い終えた恵凛が戻って来た。
「お待たせしました。それでは、今日の予定を確認しておきましょうか」
恵凛はそう言いながら椅子に腰かける。
「うん、そうだね。それじゃあ今日やることの確認をしていこう」
……慧は恵凛の提案に答えた流れでそのまま議長を務め、昨晩話した作戦の要点を検める。まずは璃音に味方だと示しつつ、璃音の心に火をつけるという目的の確認。次いでそれを成すために、璃音が伊武に向けて言ったセリフを、璃音が一方的にライバル視している伊武に言い返してもらうという手段の確認。そして最後に、それでもダメだった場合は、伊武が問題解決に向けて既に動き出しているというダメ押しの切り札の確認をし、慧はコップに残っている麦茶を飲み干した。
「ざっとこんなところかな。気になることがあったら何でも言ってほしい」
喉を潤した慧は、二人の顔を見ながら付け加える。
「私からは何もありません。立案者である風見君を信じて付いて行くだけです」
「ありがとう、龍宮。江波戸はなんかある?」
「……セリフってさ、まんま同じことを言い返した方が良いの」
「あぁ、そうだよな、ごめん。そこは訂正しとく。昨日は話の勢いでそっくりそのまま言い返そうって言ったけど、流石に一言一句違えずに言い返すっていうのは難しいと思うし、それに、江波戸らしい言葉をぶつけた方が雀野に響くかもしれないから、ニュアンスさえ合ってれば何でも良いよ」
「ふーん。何でも、ね」
「げ、限度はあるからな? ただの悪口とかはダメだぞ?」
「ふっ、分かってる」
片頬を緩ませて笑う伊武はどこか不敵で、もしかしたらゲーム感覚でとんでもないことを言うかもしれない。なんて嫌な想像が先走る慧だが、今ここで仲間割れを起こしてしまっては元も子もない。もしものことが起きそうになったら、その時は絶対に止めに入ろう。と固く誓い、今はこれ以上追及することは避けて話を進める。
「他にはあるか?」
「んー。ない」
「分かった。じゃあ次は時間を決めよう」
「何時頃なら家にいますかね……。連絡して聞いてみますか?」
「うーん、出来れば知られたくないけど……」
「お得意のアレ、すれば良いじゃん」
「お得意の……?」
伊武の確証を得ているような言い方が気になり、慧はしばし考え込む。しかし答えは出て来ない。すると、
「張り込み」
伊武が痺れを切らして答えを教えてくれた。
「あぁ、そうか! その手があったか!」
張り込みと言う単語を聞いた慧は忽ち目を見開き、声を上げる。
「自覚無しとかマジ……」
「ついに私も張り込みデビューということですか?」
「うん、これで行こう!」
「はい! 私、頑張ります!」
ドン引きしている伊武を差し置いて、慧と恵凛は大いに盛り上がり、そのまま二人で話を進めて行く。そんな二人を見て、
「はぁ、張り込みで決定ってことね……」
と、伊武は渋々了承するような言葉を呟き、頬杖をついて二人の会話を見守った。
こうして予定の確認と作戦の方針が定まると、あとは何時に龍宮宅を出るか。と言う話になった。すると、それならば、少しでも早く張り込みに行きたいです。と恵凛が申し出たので、打ち合わせはそこで切り上げられ、恵凛と伊武は準備のために一度部屋に戻った。一方既に準備を済ませて来ていた慧は独りダイニングに残る形となり、僅かではあるが独り時間が生じる。そこで、念のためラヴィにも報告しておくか。と思いバッグに手を伸ばすのだが、その時、折り悪く三宅が戻ってきた。
「あら、話し合いはもう終わったのですか?」
「はい。ついさっき」
「そうでしたか」
「あの、さっきはすみませんでした。わざわざ席を外してもらって……」
「何を言ってるんですか。空気を読むというのも大事な仕事の一つですよ。それになにより、楽しそうにしているお嬢様の邪魔はしたくないんです」
三宅はそう言いながら、優しさと悲しみが混ざり合ったような曖昧な笑みを浮かべる。
「すみません。余計なこと言って……」
「いえいえ、良いんですよ。その代わりと言っては何ですが、お嬢様のこと、今後もどうぞよろしくお願いします」
「はい。俺で良ければ、精一杯頑張ります」
恭しく願う三宅に感化され、慧は曇りない清々しい誠意を以て答える。
「その言葉、信じますよ」
「は、はい!」
しかし答えた後で、自分はとんでもないことを言ってしまったかもしれない。と気付いた慧は、思わず小さなため息を漏らす。そんな慧を見て、
「……お嬢様は人を見る目があるようだね」
と、三宅はクスクス笑いながら慧には聞こえないように呟き、再び部屋を出て行った。
その後、三宅と入れ替わるように恵凛と伊武が戻って来た。二人は今すぐにでも出られる。というか、恵凛が今すぐにでも出発したがっていたので、三人は早速龍宮宅を出る。まずは古屋根駅目指して住宅街を進み、古屋根駅に着くと、駅正面を見て右に曲がり、左手には線路、右手には住宅が連なる線路沿いの道を真っ直ぐ真っ直ぐ進み、そうしてついに突き当たりに差し掛かろうという時、案内役の恵凛が立ち止まる。
「あの角のお家です」
突き当たりの右の曲がり角にある家を指で示しながら恵凛が言う。
「あそこか……」
呟く慧の視線の先には、立派な一戸建てが建っている。慧が住んでいる家と同じくらい、いや、もしかしたらそれよりも大きいかもしれない。
「車はあるみたいですね」
「うん。てことは、家族で出掛けてるって線は薄そう――」
電柱の裏でこそこそ雀野宅の観察していたその時、玄関のドアが開き、男性と女性が一人ずつ出てきた。
「それじゃ、おばあちゃん家に行ってくるから、二人のこと、よろしくね」
「頼んだぞ、璃音」
出てきたのは璃音の両親だったようで、二人は玄関にいるであろう璃音に一言ずつ声を掛けると、駐車場に停まっているミニバンに乗り込み、数秒後には走り出してしまった。
「ラッキーじゃん」
息を潜めて見守っていた慧と恵凛に代わり、伊武が感想を口にする。
「あぁ。だな。じゃあ行こうか」
「ちょ、ちょっと待ってください。もう少し張り込む予定だったので、気持ちの整理が……」
恵凛はそう言いながら胸に手を当て、呼吸を整える。よっぽど、俺もだよ。と賛同したかった慧だが、ここで賛同してしまったら一層恵凛が不安になるかもしれないと思い、慧は言葉と思いを飲み込んだ。
「緊張って。頑張るのは私だけでしょ」
賛同を示そうとして黙った慧に反し、伊武は鼻で笑い、二人纏めて皮肉るようなことを言う。
「た、確かにそうだな。緊張するべきなのは江波戸だよな」
「ふぅー、そうですよね。すみません、江波戸さん。行きましょう」
言い方に少々棘はあったが、存外その皮肉が慧と恵凛の心を和ませたようで、二人の心は忽ち整い、三人は雀野宅に向かって歩き出す。
「よし、じゃあインターホンは俺が押すよ」
多少は良いところを見せなくてはと思った慧は二人を見てそう言うと、インターホンの前に立ち、一呼吸おいてからボタンを押す。
――ピンポーン。呼び出し音がこだまする。そして間もなく、
「はい? って、風見?」
カメラ付きのインターホンから璃音の声が聞こえてくる。
「ゴホン、おはよう、雀野」
「おはようって、なんでウチを知ってるわけ?」
「龍宮に案内してもらって」
「えっ、恵凛も来てるの?」
「はい、おはようございます、恵凛です」
恵凛は答えながらカメラを覗き込む。
「はぁ……。で、何しに来たわけ?」
「雀野の様子が気になってさ」
「別に平気だから」
「ですが……」
「今日は弟たちの面倒見なきゃいけないから、じゃあね」
そう言って璃音が無理矢理会話を終わらせようとしたその時――
「へぇ~、他人の事情にはずけずけ踏み込んで来る癖に、自分のこととなるとすぐに逃げるんだ」
と、ギリギリ聞こえるくらいの声で伊武が言った。
「……は?」
インターホンのカメラには伊武が映っていないようで、璃音は不機嫌そうな一言を残すと、通話を切ってしまった。
「雀野? ダメだ。切れてる」
慧が振り返って二人に報告した直後、玄関ドアの向こうからドタドタと足音が聞こえてくる。それはまるで璃音の怒りを表しているかのようで……。なんて考える暇も無く、玄関ドアが勢いよく開く。
「やっぱり。なんであんたもいるわけ?」
玄関ドアを押さえて立つ璃音は、慧の背後に立つ伊武を睨みながら言う。
「えっと、その……」
「風見には聞いてない。あんたに聞いてんの」
そう付け加えた璃音は一層強く伊武を睨む。
「偉そうなこと言ってた自己中さんの顔を拝みに来ただけ」
「……っ!」
平然と言い放つ伊武に対し、璃音は感情的に何か言い返そうと一旦は口を開いたが、その口はすぐに閉じられ、悔しそうに唇を尖らせる。
(思った通り、雀野は自分の発言を気にして言い返せてない。けど、流石に言い過ぎじゃないか……?)
ラインすれすれの発言に慧が肝を冷やしていると、
「ま、こっちはもう動き出してるし、そっちを手伝ってあげても良いけど?」
伊武が追い打ちでジョーカーまで切ってしまった。すると璃音は若干表情を曇らせ、チラリと慧の方を見る。慧は璃音のことを見返しながら、小さく頷く。
「……良いわ。やってやるわよ。あんたより先に解決してやるわ!」
来た! 煽動作戦成功! と心の中で慧がガッツポーズをしていると、璃音が言葉を続ける。
「あたしは恵凛と、あんたは風見と協力してどっちが先に問題を片付けられるか勝負よ!」
「え?」
「は、はい?」
思わぬ形で巻き込まれた慧と恵凛はポカンと口を開く。
「ふっ、好きにすれば」
挑戦的に鼻で笑うと、伊武は踵を返して来た道を戻り始める。
「あっ、おい江波戸!」
「ま、また連絡しますね、璃音!」
想像以上の大波乱の展開に慧と恵凛も思考が追いついておらず、とりあえず今は状況を整理するために、伊武と共に来た道を引き返す。
「はぁ、ったく、変な気遣いしなくていいのに……。でも、やるからには絶対負けないから……!」
早足で去る三人の背中を見つめながら、璃音は満足そうな微笑みを浮かべて独り呟くのであった。




