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第八十四話 軋轢

「勝者は。白!」


 司会の口から正式な結果が発表されると、忽ち歓声が沸き起こり、ステージ前は祭りのような賑わいを見せる。一方慧はその盛り上がりを目の当たりにしたことで、ようやく現実に引き戻され、浜崎が「白」の紙を選んだのだという事実を泣く泣く受け入れる。


「な、なんで……?」


 当然赤を選ぶだろう。勝手にそう思い込んでいた、いや、そう確信していた慧は、驚愕のあまり心の声を漏らす。するとそれに続き、隣に立つ恵凛が、


「え……」


 と、声なのか吐息なのかも分からない小さな呟きを漏らした。どうやらこの場で赤を選ぶと確信していたのは慧だけではなかったらしい。となると、自分たちよりも遥かに、絶大に、浜崎が「赤」を上げると信じてやまなかった人物がステージ上にいるはずである。そう思った慧は突然胸騒ぎを覚え、ステージのあらゆる場所に視線を走らせる。そして間もなく、ステージ中央に立つ浜崎の右斜め後ろ、ライトの当たらぬ暗がりに佇む璃音の姿を発見した。


「それでは折角ですので、浜崎さん、軽く理由をお聞きしてもいいでしょうか?」


 慧たちが打ちひしがれていようと、お構いなしにイベントは進行する。


「うーん、そうねぇ……」

「是非ともお聞きしたいです。皆さんもそう思いますよね!」


 説明を渋る浜崎に対し、司会は観客たちに助けを求める。すると観客たちは声を張って賛同を表する。


「分かった分かった。それじゃあ手短にね――」


 多勢に無勢だと悟り、浜崎がいよいよ話し出そうとしたその時、彼女の背後に立つ璃音がひっそりと舞台袖に捌けて行った。浜崎はそれを何となく察しつつも、自分の責務を果たすため、璃音の後は追わずに話を続ける。観客たちはそんな浜崎の説明に夢中で、璃音の退場には全く気付かない。しかしそんな中ただ一人、慧だけが璃音の動向に気付いていた。


(雀野……。きっとアイツは俺や龍宮よりも驚いてるはずだし、傷付いてるはずだよな……。でも、俺が行ったところで……)


 この悲しみに同情することは出来るが、この悲しみを解決することは出来ない。自分の中でそう決めつけてしまった慧は、動かなくてはと思いつつも、結局動き出せないまま、行き場を失った虚ろな瞳を浜崎に戻す。そしてぼんやりと、聞くでもなく浜崎の説明を聞いていると、その視線の先に立つ浜崎がチラチラとこちらを見ていることに気付いた。


(なんだ? あきらかに俺のことを見てるよな?)


 何かを察知した慧の瞳に生気が戻る。そして次の瞬間。


『りーちゃんのこと、よろしくね……』


 つい数秒前に耳打ちされた浜崎の言葉が、慧の脳内に反響する。


(そうか。俺は、託されてたんだ……!)


 浜崎が白を選んだという驚きが大き過ぎて忘れていたが、確かにあの時浜崎は、ステージへ向かう前に慧にそう言っていたのだ。それを思い出した慧は、考えるよりも前に走り出していた。

 走る勢いに任せ、慧は両開きドアの片方を思い切り押し開けてエントランスに飛び出す。すると丁度、ライブハウスの出入り口から出て行こうとしている璃音の背中を見つけた。


「雀野!」


 黙って立ち去ろうとする背中を見つけた慧は、すぐに彼女の名前を呼ぶ。しかし璃音はその声に振り向かず、と言うか、そもそも聞こえていないようで、慧の存在に気付く前に外へ出て行ってしまった。


(この距離でも聞こえないなんて、相当ショックを受けてるな)


 今の一瞬でなんとなく璃音の現状を把握した慧は、閉まり始めている出入口まで駆け寄ると、完全に閉まる前にドアを再び押し開けて裏路地に出る。そしてとぼとぼと歩く背中を見つけ、再度璃音の名前を呼ぶ。……しかし彼女は立ち止まらない。振り返らない。となるともっと接近して声を掛ける必要がある。或いは接触しなくては気付かないかもしれない。そう考えた慧は、璃音の背中を追って再び走り出す。幸いにも、璃音はハエが止まりそうな速度で歩いていたので、小走りに数メートル進むだけで追い付けた。そうして残りの数メートルは歩度を緩め、手が届く範囲まで近寄り、


「雀野……」


 と、小さく呼び掛けながらそっと肩を叩く。すると璃音はようやく立ち止まり、慧の方を向いた。意外にも涙は流していなかった。それどころか、彼女の瞳は渇いていた。それを見て慧は、良かった。と一瞬思ったが、すぐにそれは間違いだと気付く。何故なら、視線の焦点は定まっておらず、瞳からは全く生気が感じられなかったからである。


「だ、大丈夫か、雀野?」


 改めて呼び掛けると、璃音は僅かに顔を上げて慧のことを見る。しかし見たというだけで、視線が合った感じはしない。


「風見……?」

「うん。そうだよ」

「なんでここに……。あたしが呼んだんだっけ……」


 そう言いながら、璃音の視線は少しずつ少しずつズレていく。


「いや、たまたま駅で龍宮と会ってさ。それで合流したんだ」


 朧気に発された璃音の言葉を聞き、もしかしたら自分は招かれざる客だったのかもしれないと推察した慧は、相手を刺激しないくらいの絶妙なラインの嘘をつき、無理矢理話に区切りをつける。


「ふーん、まぁいいや。で、どうしたの?」


 言葉選びはいつも通りの璃音だが、その声には抑揚が無く、まるで機械が話しているようであった。


「どうしたって、その……」


 面と向かってどうしたのかと聞かれると、単刀直入にライブの結果や浜崎のことについて切り出すことが出来ず、慧は言葉を濁した。


「何も無いなら帰るよ」

「あっ、いや、待って。その、聞いてたよ、雀野の歌」


 ここで逃がすわけにはいかない。まずは歌の感想でも言って引き留めよう。そう考えた慧だが、歌。と言う単語が慧の口から発された瞬間、璃音の眉がピクリと動き、目つきが鋭くなった。


「最後まで見てたんだよね?」

「えっ、うん」

「てことは、投票の結果もだよね?」

「うん。それで様子が気になって」

「そっか。なんかダサいところ見せちゃったね」

「いや、そんなことない。俺は雀野の方が良いと思ったよ」


 聞いている最中、言い表せぬ違和感は覚えていたが、璃音の歌の方が良いと感じていたのは確かなので、慧は心のままにそう答えた。


「ありがと。でも、負けは負けだから」


 璃音は気丈に答えて笑顔を浮かべているつもりなのだろうが、実際は負けた悔しさが声音に出ていたし、引きつった笑みが心の衰弱を物語っていた。それを見て慧は、このまま璃音を帰らせてはいけない。一対一で浜崎と話し合わせる必要がある。と思い、


「理由、聞かなくていいのか?」


 と、勝負に出た。


「えっ?」

「浜崎さんが白を選んだ理由。雀野は聞かなくていいのか? 聞かずに納得できるのか?」

「そ、そりゃ……」


 璃音は小さく言って口ごもる。


「俺は赤を上げるって確信してた。でも、結果は違った。だから俺は浜崎さんがなんで白を上げたのか、直接本人の口から理由を聞きたいと思ってる。雀野はどうだ?」

「……」

「これからの雀野のためにも、二人の関係のためにも、俺は理由を聞きに行った方が良いと思う。もしも一人で聞くのが怖いなら、一緒に――」

「分かってる! そんなの分かってるよ!」


 慧の言葉を遮り、璃音が声を荒げた。


「でも、これからって何? 表現する場所も、信頼してた人も、たった今全部を失ったあたしのこれからって何?」


 璃音の本音が漏れた。それは当人の口からしか語れぬ感情の発露であると同時に、彼女の心が想像以上に深く暗い水底まで沈んでしまっているという自白でもあった。そんな璃音の魂の叫びを聞き、慧は何も言い返すことが出来なかった。何故なら解決策も無ければ、同情すら出来ていなかったのだから。


「ほら、何も無いでしょ。あたしにはもう何も無いんだよ……」


 それは違う。慧はすぐにでも璃音の言葉を否定しようとした。しかしそれに続く言葉も無ければ根拠も無い。そんな不確定ばかりの返答をしてもまた突き返される。そう思った慧は一度開きかけた口を閉ざしてしまった。するとその直後――


「風見君! 璃音!」


 二人の名を呼ぶ声が聞こえ、二人は声がした方を見る。そして数メートル後方、ライブハウスの前に立つ恵凛を見つけた。


「突然いなくなったので心配しましたよ」


 小走りに歩み寄って来た恵凛は、無垢な微笑みを浮かべて言う。


「じゃ、あたし帰るね」

「か、帰ってしまうのですか?」

「うん。話は終わったから」


 璃音は素っ気なく言うと、踵を返して歩き出す。


「か、風見君。どうしましょう?」


 恵凛はとても心配そうに慧の方を見るが、「話は終わった」と一刀両断されてしまった慧はその言葉ばかりが気になり、恵凛の訴えに答えることが出来ない。


「もしかして、何かあったのですか?」


 それを察してか、恵凛が問い直す。


「うん。戻ろうって説得したんだけど、上手くいかなくて……」

「そうだったのですね」

「多分、今日はもう無理だと思う」

「そんな。諦めるのですか?」

「いや、俺だって諦めたくはないけど……」

「でしたら一緒に行きましょう?」

「でも……」

「分かりました。私が行きます」

「えっ、いや、今日は一人にしてあげた方が……」

「いいえ。一人で帰らせるわけにはいきません。今日は私が璃音の後を追うので、風見君は何か策を考えておいてください」


 恵凛はキリッと表情を引き締めて言うと、最後に笑みを添えて走り出した。


「あっ、龍宮!」


 慧が声を上げると、恵凛は一度立ち止まって振り返り、綺麗なお辞儀をして再び走り出した。


「ありがとう、龍宮……」


 今恵凛が施せる最大限の気遣いと優しさを感じ取った慧は、素直にその厚意に甘え、彼女の背中に感謝の言葉を呟いた。そうして恵凛の背中が完全に見えなくなるまで見送ると、慧はライブハウスに戻った。


「待ってたわよ、風見君」


 ライブハウスに入ると、浜崎と伊武が待っていた。


「あっ、浜崎さん。すみません。雀野のことなんですけど……」

「大丈夫。何となく分かってたから」

「分かってたんですか?」

「えぇ。今日中に片付く問題じゃないってことはね」

「それなのに俺を行かせたんですか……」

「それは、君ならワンチャンスあると思ったからよ」

「じゃあそのワンチャンスを掴めなかったわけですね、俺は」

「まぁそうなるわね。でも、それは当然よ。私が何も情報を伝えていないんだから」

「情報?」

「えぇ。あの子を選ばなかった理由」

「それは雀野に直接言った方が良いんじゃないですか?」

「そうかもね。けど、あの子はしばらく私のところに来ないと思うわ。それに、君から言ってくれた方が響くと思うのよね。だから、君に託したいの、私の思いを」


 そう言う浜崎の瞳には力強い意志が籠っているように感じられた。


「……分かりました。聞きます」


 慧としてもこのまま璃音との関係がギクシャクしているのは嫌だし、璃音と浜崎の関係がギクシャクしているのも嫌だし、それに何より、璃音が歌を辞めてしまうのは勿体ないという思いがあったので、浜崎の申し出を受けることにした。


「ありがと。それじゃあ軽く説明するわね」

「はい。あっ、でもその前に、江波戸は時間大丈夫か?」

「平気。来る前に取引したでしょ」

「そっか。分かった」


 伊武を拘束してしまうことを気に掛けた慧だが、それは瞬く間に一蹴された。


「じゃあ改めて、浜崎さん、お願いします」

「分かったわ。それじゃあまず結論から言うわね。……あの子には才能が無い」


 浜崎の端的過ぎる結論に、慧はあんぐりと口を開けた。

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