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第八十三話 赤か白か

 ライブハウスのドアを抜けて中に入ると、そこには自分たちと同じ年齢くらいの男女がすし詰めに近い状態で集まっていた。前回来た時に飲み物を提供してもらったバーカウンターにも、ホールへと続くドアの前にも、入口間近にある受付の周りにも、彼ら彼女らはグループを成して開場の時を今か今かと待ち望んでいた。


「すごい人数だな」

「はい。璃音に聞いた話では、私たちが通う天方中央高校の生徒さんと、合同ライブ相手の安雲橋高校の生徒さんがいるらしいですよ」

「なるほど。みんな高校生だったのか」


 ライブの概要を聞いた慧は改めて周囲を見回す。するとその中に、学校で何度か見たような気がする顔をいくつか発見した。


「曖昧だけど、多分学校ですれ違ったことある顔が何人かいるな」

「本当に曖昧ですね」

「まぁ、すれ違う人の顔をまじまじとは見ないからなぁ」

「ふふっ、それもそうですね」


 なんて緩いトークをしていると、


「いらっしゃい」


 受付の方から声が掛かった。かと思うと、慧たちが反応するよりも前に声の主が言葉を続ける。


「って、あら? りーちゃんのお友達じゃない」


 そう言いながら受付のスイングドアを抜けて来たのは、前回訪れた時にも世話になった女性店主であった。


「あっ、どうも。こんにちは」

「お、お邪魔しています」

「フフッ。そんな畏まらなくていいわよ」


 慧たちの前まで歩いて来た店主は親しみやすい笑みを浮かべた。


「今日は三人揃ってりーちゃんの応援ってとこかしら?」

「はは。まぁ、そんなところです」


 今日のライブ内容をついさっき知ったどころか、直接誘われてすらいなかった慧は少しだけ濁した答え方をした。


「全くあの子ったら、急遽出演させてくれって言うからビックリしたわよ。それもボーカル決定戦なんてイベントまで組んじゃって。ま、時間内でやり繰りするって言うし、なんだか面白そうだからオッケーしちゃったけど」

「け、結構軽いノリなんですね……」

「そうよ。こういうのは音楽と一緒。ノリとフィーリングよ!」

「ノリとフィーリング、ですね。勉強になります」

「そう。考えるな、感じろ! ってことね」

「いや、パクリじゃないですか」

「はい!」

「いやいや、龍宮も真に受けなくていいから」

「フフッ。なんだか学生の頃に戻ったみたいで楽しいわ。でも、そろそろ仕事に戻らないと」

「あっ、すみません。私たちが引き留めてしまったせいで……」

「違う違う! 私が話したくて声かけたんだから気にしないで。それじゃ、開場までもう少し待っててね」

「はい。わざわざお声かけいただきありがとうございました。えっと……」

「あぁ、そう言えばまだ名乗ってなかったわね。私は浜崎はまさき。改めてよろしくね」

「浜崎さん。ありがとうございました」

「えぇ。それじゃあまた後でね」


 浜崎は別れの挨拶をしながら右手を軽く上げると、群衆の合間を抜けて行き、スタッフオンリーと書かれたドアの奥へ消えていった。


「相変わらずフレンドリーな人だったなぁ」

「はい。ですが浜崎さんに話しかけていただいたおかげで、幾分か緊張が解れたような気がします」

「確かに。入店直後は場の空気に呑まれて固くなってたけど、今はなんとなく馴染んできた気がするよ」

「ふふっ、ですよね。江波戸さんは大丈夫ですか?」

「平気」

「意外と人混みは苦手じゃないんだな?」

「別に。どっちでもない」

「そ、そっか。まぁ、嫌だったらすぐに言ってくれよ」


 慧はそう言った後に、また保護者みたいなことを言ってしまった。と気を揉んだが、伊武は特に気にする様子もなく小さく頷いて応えた。

 それから数分後。ホールへと続く防音ドアが開かれ、中から男性スタッフが出てきた。


「お待たせしました~! ただ今より開場となります。焦らずゆっくりと進んでくださ~い!」


 開け放たれたドアの脇に移動した男性スタッフは、声を張り上げて誘導を始める。するとエントランスで待機していた私服姿の学生たちがぞろぞろとホールへ流れ込む。慧たちもその流れの最後尾に並んでホールに入ると、ひとまずバーカウンターの近くにあるスタンディングテーブルに身を寄せた。


「ここでも良いかな?」


 人混みがあまり得意ではない慧は、ステージの前に押し寄せている観客たちを横目にそう切り出した。


「はい。私は大丈夫ですよ」

「江波戸は?」

「どこでもいい」

「ありがとう。じゃあここにしよう」


 全会一致した三人は、改めてスタンディングテーブルを囲むようにして立つ。そして後はライブの開始を待つのみとなったその時、後方のバーカウンターから声が掛かる。


「あら、こんな後ろで良いの?」


 振り向くと、そこには浜崎が立っていた。


「あっ、浜崎さん。お仕事の方は大丈夫なのですか?」


 いち早く反応したのは恵凛であった。


「大丈夫。あなたたちと演奏を聴くために粗方片付けてきたから」

「そうだったのですか? ふふっ、嬉しいです」

「当り前じゃない。りーちゃんのお友達なんだから手厚くもてなさないと」

「それは流石に贔屓しすぎなんじゃないですか……?」


 他の客には聞こえていないと思いつつも、周りの目が気になった慧は小さい声で浜崎に指摘をする。


「確かに贔屓っぽく聞こえるけど、それだけが理由じゃないのよ?」

「そ、そうなんですか?」

「そうよ」


 浜崎は短く答えると、グラスが四つ乗ったトレイを持って慧たちのもとへ歩み寄って来た。


「あなたたち、ライブに慣れてないでしょ?」


 先ほどの答えの続きを言いながら、浜崎は狭いスタンディングテーブルの上に氷の入ったグラスを一つ一つ置いていく。


「まぁ、はい。慣れてないですね」

「でしょう? だから、ライブを楽しめるように一から解説してあげようと思ってね」

「それはありがたいです!」

「な、なるほど……?」


 結局それも贔屓なのでは? と思った慧だが、恵凛が嬉しそうにしていたので野暮な屁理屈は飲み込むことにした。


「飲み物はみんなコーラで良いかしら?」

「はい。俺は大丈夫です」


 慧が答えるのに続き、伊武も頷いて応える。そして最後に恵凛が答えるのだが。


「コーラ?」


 彼女は首を傾げてそう言った。それを見て慧は、


(そう言えば、ついこないだまで炭酸飲料自体知らなかったもんな)


 と思い出し、フォローを入れることにした。


「前にショッピングモールで買ったサイダーって覚えてる?」

「はい。炭酸飲料、ですよね?」

「そうそう。それと似たような飲み物だよ。まぁ、こっちの方が甘ったるいけど」

「なるほど。では、私もコーラにします」

「平気?」

「大丈夫です。前から飲みたいと思っていたので」


 恵凛はそう言うと、にこりと笑みを浮かべた。


「オッケー。それじゃあコーラ持ってくるわね」

「ありがとうございます。でも、良いんですか? 飲み物まで貰っちゃって」

「良いのよ。今日のライブは全員ワンドリンク制なんだから」


 浜崎はそう言うと、カウンターに戻って行った。

 それから間もなくして、瓶のコーラを待った浜崎がテーブルに戻ってきた。


「お待たせ〜。はい、コーラです」


 思い出したようにフランクな接客をしつつ四つのグラスにコーラを注ぐと、浜崎は最初にグラスを持ち上げ、


「乾杯しとく?」


 と言った。するとそれに続き、


「しましょう!」


 と、ノリノリな恵凛が浜崎に続いてグラスを持ち上げる。しかしこの場には四人いる。きっとまだ可決にはなっていないはずだ。と、慧が伊武の方に視線を向けると、意外にも伊武は既にグラスを手に持っていた。


「……分かりました。やりましょう」

「よし。それじゃあ、かんぱーい!」


 浜崎の音頭に合わせ、四人はグラスをコツンとぶつけてコーラを一口飲む。


「くあー。久しぶりに飲むと美味いな」

「ん。確かに」

「お酒も良いけどコーラも悪くないわねぇ~」


 コーラを飲んだ慧、伊武、浜崎の三人は思い思いの感想を口にする。しかし一人だけ反応が無いのを察知して、三人は一斉に恵凛の方を見る。すると彼女は大きな瞳をパチクリさせ、口をぴったりと閉じて三人の顔を見回した。


「どうかしら? コーラのお味は」


 浜崎のその問いに恵凛はうんうんと頷く。そして数秒後、ごくりと微かに喉を鳴らしながらコーラを飲み込むと、ぷはぁ。と息を吐いた。


「しゅわしゅわで、あまあまでした……」

「ダメそうだったら無理に飲まなくていいからな?」

「はい。でも大丈夫です。とても美味しいです!」


 恵凛はそう答えると、目を大きく見開いたままコーラを見つめる。


「フフッ。本当に箱入り娘さんなのね」

「そうなんですよ。龍宮は……って、俺たちの自己紹介ってまだでしたよね?」

「そ、そうね。直接は聞いてないわ。その、りーちゃんから聞いたの」

「なるほど」

「あぁーと言っても、あの子が自分からペラペラ話したわけじゃないからね? 私が無理矢理聞き出しちゃっただけだから!」


 墓穴を掘ったと思ったのか、はたまた璃音に迷惑がかかると思ったのか、浜崎は慌てて補足した。


「はは、大丈夫ですよ。気にしてませんから」


 慧がそう答えると、恵凛も小さく頷く。伊武は我関せずといった風で、別にどっちでも良いと言いたげにコーラを飲んだ。


「はぁ〜、良かった。私のせいで変な誤解が生まれなくて。とは言え、勝手に詮索したのは良くないわね。ごめんなさい。分かってはいたんだけど、あの子がどんな友達に囲まれてるのか気になっちゃって、ついね……。でも、良い友達に恵まれたみたいで安心したわ」


 そう言う浜崎の表情には安堵の色が見受けられた。きっとそれだけ璃音のことを心配しているのだろう。そうと解釈した慧は小さく、はい。と答えた。


「だから、今度からは直接あなたたちに聞くわね?」

「えっ、そうなるんですか?」

「そうよ。これなら何も文句は無いでしょう?」

「はい。私はもっとお喋りしたいです」

「ま、まぁそうですね、はい」

「フフッ。これで言質は取ったわ。ってことで、ここからはライブを楽しみましょ!」


 始終浜崎のペースに飲まれたまま会話は一段落し、続いて話題はライブの楽しみ方へと移る。まずは本日の出演者たちの特徴を聞き、それからライブの盛り上がり方や盛り上げ方、ちょっぴり通な聴き方などを軽くレクチャーされ、ちょうどその指導が終わろうという時、ホールが暗くなった。


「始まるみたいね」


 浜崎の合図めいたその言葉を最後に、慧たちはライブの世界へ誘われる。

 まずは共通して司会によるバンド紹介が行われ、その後からは早速各バンドの色が出始める。突然曲に入るバンドもあれば、トークから入るバンド、自己紹介から入るバンドもある。そうして数曲が終わると、曲の合間にソロパフォーマンスを挟むバンドがいたり、チューニングをしながらトークをするバンドがいたり、ぶっ続けで演奏をして最後にトークを入れるバンドがいたりする。演奏をとっても、バラード、ロック、パンクと、スタイルは種々様々である。慧はそれら数組の演奏を見聞きし、とても感心した。正直どのバンドもオリジナル曲を歌っていると言うわけでも無いし、プロ並みに歌が上手い、演奏が上手いと言うわけでもない。しかしステージに立つ彼らが同じ高校生なのだと思うと、何故かこちらもやる気だか活力だかハッキリと判別のつかない、血沸き肉躍るような感覚が全身に漲るのであった。


「さぁ、続いては!」


 まだ前のバンドの演奏が耳に残る中、司会は次のプログラムに移行する。


「本日のスペシャルイベント! ボーカル決定戦!」


 イベント名が発表されると、まずは観客が湧き立ち、それに応えるようにバンドメンバーが出て来る。そしてメンバーがそれぞれ配置につくと、上手から璃音、下手から先日出くわした女子生徒が出てきた。


「今日、一組のバンドの運命が決まる!」


 司会はそれらしい文句を言うと、イベントの説明に入る。ルールはとても簡単で、どちらも課題曲は同じものを歌い、観客の投票でボーカルを決定するというものであった。投票のシステムも単純で、スタッフが赤と白の紙を配るので、璃音が良いと思ったら赤を、もう一方の女子生徒が良いと思ったら白を投票箱に入れる。というだけのことであった。そしてそれらの説明が滞りなく伝えられると、続いてじゃんけんが行われ、その結果璃音は先攻となった。


「いよいよね」

「はい。なんだか私も緊張してきました」

「大丈夫よ、あの子なら」


 ステージに立つ璃音を見つめながら恵凛と浜崎は心配そうに言葉を交わす。しかしそんな心配を他所に、演奏はスタートする。

 曲は少し前にヒットしたロックバンドのラブソング。ストレートな歌詞が高い評価を得てドラマ主題歌にも起用された。しかしそれが理由で今回の課題曲に採用されたわけではない。浜崎曰く重要な点は、演奏の難易度が高くなく、ボーカルによって曲の雰囲気が変わりやすい。という二点らしい。その二点が、バンドを始める若者たちの礎となるため、この曲がよく採用されるとのことであった。そしてその知識を前提に聞いてみると、確かに演奏はミス無く着々と進行されているし、璃音の綺麗でのびやかな歌声という特色も十全に発揮されている。どちらも浜崎の解説通りである。しかし慧はどことなく違和感を覚えていた。璃音の歌声は間違いなく今日聞いた中で一番の技量と美しさを有しており、会場の皆も璃音の歌声に聞き入っているし、自分も聞き入っている。それなのに、何かが引っかかる……。慧はそんな言い表せぬ違和感に襲われながら、璃音の歌に耳を傾け続けた。

 結局もやもやは解消せぬまま璃音の歌唱は終わり、後攻の演奏が始まった。演奏には少しの差異もない。変わるところと言えば、これから歌いだすボーカルである。慧は、いや、その場にいる全員が、女子生徒の歌い出しを待つ。一体どんな歌声なんだろうかと。そして間もなくその時は訪れる。

 ――第一声。華奢な体躯からは想像も出来ないパワフルな歌声がホールに満ちる。するとその歌声は瞬く間に観客たちを魅了し、会場は一気に盛り上がる。曲が進むにつれて会場のボルテージはグングン上昇していき、歌も演奏も歓声も、気付けば全ての音が一緒くたになり、文字通り演者と観客が一体となったまま、一切の衰えを見せることなく一過性の嵐のようにパフォーマンスは終わりを迎えた。


「さぁ、いかがだったでしょうか! ここからは早速投票タイムに移ります!」


 演奏が終わって間もなく、司会のアナウンスが入る。すると投票箱を持った別のスタッフがホールに現れ、ステージ前に集まる観客たちから票を回収し始める。そうしてステージ前の回収が全て終わると、箱を持ったスタッフは最後に慧たちの前に訪れる。


「赤か白。一枚入れてください」


 スタッフの案内を受けた三人は、顔を見合わせて赤の紙を箱に入れる。


「ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げると、スタッフは箱を持ってステージ前まで進み、そこで司会に投票箱を手渡す。


「皆様ご協力ありがとうございます! では、今から開票していこうと思います!」


 そう宣言するや否や、司会の男は一枚一枚投票箱から紙を取り上げる。そしてその結果をステージ脇にいる別のスタッフが集計していく。赤、白、赤、白……。と、予想のつかぬ大接戦が繰り広げられ、やがて最後の一枚が取り出される。


「最後の一枚は……。赤。赤です! さぁ、結果はどうなったのでしょうか!」


 男は観客を煽りながら、ステージ脇にいるスタッフに目を向ける。そしてカンペを読んで結果を発表しようとするのだが、その表情はあきらかに一度曇った。しかし発表しないわけにもいかず、男は即座に表情を作り直し、


「えぇー、結果は……。同点。でした!」


 と、発表した。すると先ほどまで盛り上がっていた場内は一瞬にして静まり返り、次いでどよめきが起こり始める。このままではイベントだけではなく、今日のライブ自体が失敗に終わってしまう。そんな不穏な雰囲気が満ち始めたその時、浜崎が静かにグラスをテーブルに置いた。そして、


「りーちゃんのこと、よろしくね……」


 と、慧に耳打ちをして肩をポンと叩くと、彼女はステージに向かい、司会からマイクを受け取り、ステージ中央に立った。


「えぇー、同点。と言うことで、最後の一票は、このライブハウスを代表して私が入れたいと思うんですが、皆さんどうでしょうか!」


 浜崎がそう提案すると、冷めていた会場には再び熱が宿り、観客たちは歓声を以ってイエスと答える。


「オッケー。みんなありがとう! それじゃあ箱に入れるのは手間だから、このまま発表するわね!」


 未だ歓声が上がる中、浜崎はそう言って場を沈める。そして一呼吸置いてから、勢いよく右手を掲げる。


「さぁ、掲げられたのは……!」


 司会の盛り上げに合わせ、浜崎はゆっくりと右手を下げていく。そしてその手が浜崎の面前まで来た時、彼女の持つ紙の色を見て慧たちは息を吞んだ。その手には、白い紙が握られていたのであった。

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