第八十一話 そわそわランチ
伊武から返信が来たことはとても嬉しかった。しかしこんな急展開を迎えると思っていなかった慧は喜びよりも戸惑いが勝ってしまい、文面の解読と返信の考案に至ったのはメッセージを確認してから一、二分後のことであった。
(話があるって……。これは良い話なのか。それとも悪い話か? いやいや、今はそこを詮索したってしょうがない。まずはどこで会うのか聞いて……。いや待てよ、これは俺だけに言ってるのか? 雀野も呼んだ方が良いのかな? 違う違う。そんなことより、まずは江波戸が元気なのか聞くべきだ。いやでもなぁ、江波戸は変な回り道をされるより、端的に聞かれた方が返信してくれそうだよなぁ……)
返信が短くて意味深なせいなのか、それとも慧が疑い深いだけなのか、とにかく慧の脳内にはたったの数文字の影響で様々な憶測が生じ、慧はメッセージルームを睨んだまま数分間を過ごすこととなった。
(うーん……。考え込んでても仕方ないか。とにかくあいつが言ってたみたいに、気楽にメッセージを送ろう)
昼休みに入って早十分。このままでは昼食を摂る時間もなく、伊武への返信を考えているだけで昼休みが終わってしまうと思った慧はとりあえずどこで会うのかを聞くことにした。
『おはよう。返信ありがとう。明日はどこに行けばいい?』
何度か打ち直したにもかかわらず、とても余所余所しい文章になってしまった。しかし読み直してみると案外この方が良い距離感を保てているような気もしてきたので、結果オーライかもな。なんて都合良く解釈していると、伊武から返信が来た。
『安雲橋駅の改札。十一時頃』
どうやら本当に最低限の情報しかくれないらしい。しかし今はメンタルが不安定だろうし、他人に話すのが辛く、かつ難しいであろうことを頑張って話そうとしてくれているのだから、連絡をくれただけでも有難いと思わなくてはならない。文句を言うなんて以ての外である。と自らに言い聞かせ、慧は色々と追及したい気持ちをグッと抑え込み、
『分かった。それじゃあ明日』
と、相手を気遣ってこちらから話を切り上げた。すると間もなく既読が付いた。しかしすぐに返信が無いところを見るに、伊武はこれで伝えたいことを全部伝え終えたらしい。慧はそう受け取ると、スマホを机に置き、鞄から昼食を取り出した。
……それから少し時は流れ、放課後。ホームルームの終わった教室には慧が独り残っていた。理由は単純で、昼休みにあったことを璃音や堤にも伝えるべきだろうかと迷っていたのである。とは言え九割方答えは出ていた。「恐らく伝えた方が良い」と。しかし、もしかしたら伊武は自分にだけ話をしたいかもしれない。という謎の杞憂が一割湧いて来てしまい、結果、慧は二人に昼休みの出来事を告げることなく、明日はとりあえず一人で行こうと決心して帰宅した。
そうして謎の杞憂だか自信だかを抱いたまま、慧は翌日を迎えた。約束だと十一時頃に安雲橋駅の改札付近ということであったが、彼女の気まぐれが生じて時間が前後する可能性もあると考えた慧は、念のため早めに起きて早めに準備をし、早めに家を出た。
逆算に逆算を重ねた結果、慧は乗る予定だった電車より一本早い電車に乗り、約束よりも大分早い十時半頃に安雲橋駅に到着した。
(三十分前か……。流石に早すぎたかな?)
そう思いはしたが、来てしまったものは仕方がない。ここまで来て引き返すわけにもいかないので、慧は利用客の邪魔にならないよう改札の横へ移動し、壁に寄りかかってスマホをいじり始めた。
到着から十分が経過した。伊武はまだ来ないし、メッセージも来ない。早く着いたのだから当たり前のことなのだが、なぜか慧の気持ちは逸る。どうやら余裕をもって早く来たのが逆効果だったらしい。有り余った時間が慧に無駄なことばかり考えさせる。もしも伊武が来なかったらどうしよう。もしも自分一人の手に負えないことが起きたらどうしよう。やはり二人に伝えておくべきだったかもしれない。と言うかなんで昨日の自分は二人に伝えなかったのだろう? 正直面倒だと思っていたところもあるが、それでも昨日ばかりは体に鞭を打ってでも動くべきだった……。という風に、思考はどんどんネガティブになっていく。
(ダメだ。何か別のことを考えよう。そうだ。一旦飲み物でも買いに行けば、身体が動いて脳もリフレッシュされるはずだ)
立ち止まっているから変なことを考えるんだ。という結論に至った慧は、気分転換のために飲み物を買いに行こうと壁から背を離して歩き出す。しかしその歩みはたったの数歩で止まった。何故なら、
(いやダメだ。もしかしたらこの間に江波戸が来るかもしれない……!)
という新たな負の思考が芽吹いたからである。そしてそれは瞬く間に不穏な黒い花弁を広げ、慧に凶兆を告げる。となると元居た場所に戻るのが正解なのだろうか。いや、壁際に戻るということは、自ら電気椅子に座るようなものである。電気椅子で伊武を待つべきか。凶兆を無視してコンビニへ向かうべきか。慧は究極のジレンマの間を行ったり来たり歩き続ける。するとその時――
「なにウロウロしてんの」
背後から声がかかった。慧が慌ててその声に振り向くと、そこには伊武が立っていた。
「目立ってるよ」
なんだか懐かしくも感じる伊武の冷静沈着な言葉を耳にして、慧はようやく頭が冷えた。
「お、おはよう」
「この状況でよく言えるね」
伊武にそう言われて辺りを見回すと、中学生の群れやご婦人の集まりなどがチラチラとこちらを見ていることに気付いた。そんな彼ら彼女らから向けられる視線には不審がたっぷり籠っており、それで慧はつい数秒前の自分が不審者同然の行動をしていたのだと理解し、急激な体温の上昇を感じた。
「ば、場所を変えよう」
慧の弱々しい提案に伊武は黙って頷くと、二人は改札を離れ、ひとまず駅前のバスロータリーまで移動した。
「ねぇ。昼まだだよね」
ロータリーについて間もなく、ここまで来れば大丈夫だろうと保身的なことを考えている慧に伊武が問いかけた。
「うん。実は朝も食べてきてない」
「そう。それじゃ、ファミレス行こ」
「良いよ。ファミレスなら落ち着けそうだし」
こうしてテンポ良く行き先を決めた二人はロータリーで止めていた歩みを再開し、駅から一番近いファミレスに向かった。
土曜日とは言え昼食を摂るには少々時間が早かったおかげか、慧たちはすぐに席へ案内された。一番奥の、窓からも一番遠い角の席。そこは二人掛けのテーブルだったのだが、ファミレスの二人掛けテーブルに案内されたことが無かった慧には少し狭く感じた。対して伊武は微塵もそんなことを気にしていないようで、ソファ側に座るとすぐにメニューを広げた。
「……今日、奢るよ」
メニューに視線を落としながら、伊武が不意にそう言った。
「えっ、それは悪いよ」
「なににするの」
「ん? 話聞いてたか?」
「うん、聞いてた。それで、なににするの?」
「……分かったよ。俺にもメニュー見せてくれ」
慧が根負けしたと分かると、伊武は持っていたメニューを上下逆さまに持ち替えてからテーブルに置き、慧の方に滑らせた。
「江波戸はもう決まったのか?」
「うん」
「分かった。じゃあ俺も早めに決めるよ」
慧はそう言ってメニューに視線を落とすと、サラダやスープなどが載っている前半のページは飛ばし、中盤以降のがっつり主食ばかりが並んでいるページを開いた。丼物に始まり、パスタ、ハンバーグ、定食と。種々様々な料理が続いている。慧はそれらのイメージ写真を見て、自分の胃腸が反応したものを選ぼうと思ったのだが、つい先ほどまで料理を見ていたはずの視線はスゥーっと移ろい、いつの間にか値段の方を見ている。料理、値段、料理、値段。そんなことを無意識に繰り返していると、
「奢ってもらったことないの」
と、伊武に問われた。
「えっ、な、なんで?」
「値段ばっか見てる気がしたから」
「そ、そんなことないよ。てか、奢られ慣れてる方が嫌だろ?」
「まぁ、そうかも。でも、今日は気にしなくていいから」
「いやいや、流石に――」
「いいの。私が奢りたいんだから」
「わ、分かったよ」
ここまで言われて一番安い料理を頼むのは失礼な気がするし、かと言って調子づいて一番高い料理を頼むのも違う気がした慧は、今自分が何を食べたいかという意思は完全に捨て、ちょうどいい値段の料理を探すこと一本に絞った。するとすぐに良い塩梅のメニューを見つけた。
「決まった」
「ん。どれ」
「マグロ丼」
「分かった」
伊武は簡素に答えると、テーブルの隅に置いてある呼び出しボタンを押した。
一、二分後、ウェイターが現れた。慧は先に注文していいよという意図で伊武に合図を送る。すると彼女は「たらこスパゲティ一つとマグロ丼一つ」と、二人分の注文を済ませてしまった。
「ごめん。頼ませるつもりじゃなかったんだけど」
「平気。一緒に頼んだ方が早いと思って勝手に頼んだだけだから」
ウェイターが去ってから慧が詫びを入れると、伊武はスマホをいじりながら淡々と答えた。
(機嫌が良いんだか悪いんだか分かりづらいな……。この気前の良さも、機嫌が良いから振舞ってくれてるのか、悪いから自棄になってるのか分からないし、何か江波戸の機嫌を知る方法があればいいんだけどな……)
慧はそんなことを考えながら伊武を見つめる。彼女は尚もスマホをいじっている。それを見て慧は、そうか。ゲームの話があった。と気付いた。
「最近はその、ユニユニやってるのか?」
「あんまり」
「ま、まぁそうだよな。やってる場合じゃなかったしな……」
「うん。今イベントも来てないし、日課だけやってる」
「そっか……」
ユニユニの話ならば無条件に続くと固く信じていた慧は、話が予想外の終わり方を迎えて言葉を失った。
(ま、マズイ……! ユニユニの話なら確実に続くと思ってたのに……。こうなったら、次は何の話をすれば良い? 何か話題はあるか?)
伊武がスマホを見ているうちに何か新しい話題を探そうと思った慧は、大袈裟にならない程度に辺りを見回す。そして、一旦一人になれる術を見つけた。
(そうだ! 水を取りに行こう!)
自分たちのテーブルに水が無いと気付いた慧は、早速行動に移る。
「俺、水取ってくるよ。江波戸もいるよな?」
「うん」
相変わらず素っ気ない返事を受け取ると、慧は席を立ってドリンクバーへ向かった。
その道中で気付いたのだが、店はいつの間にか満席近くまで客が入っていた。するともちろんドリンクバーも混雑し始めており、水と氷を入れるだけでも時間がかかってしまった。これでは一層伊武の機嫌を損ねてしまう。慧はそんな焦りを覚えながら急いで水を注ぐと、早足で席に戻った。
「お待たせ。結構混んできたっぽくて、水を入れるだけなのに並んじゃったよ」
少しでも笑い話になれば、或いは言い訳にでもなればと調子良く話しながら水の入ったコップを伊武の前に置く。
「そ。ありがと」
お礼は貰えたものの、ポーカーフェイスは崩れない。
(もうダメだ、これ以上は持たない……! 早く来てくれ、マグロ丼……!)
ついにはマグロ丼に助けを乞いながら、慧は右手に持ったままのコップを口元へ運び、渇いた喉へ一気に水を流し込む。それこそグビグビと鳴る喉の音が伊武に聞こえるほど勢いよく。すると、
「ふっ」
伊武が小さく鼻で笑った。
「えっ?」
「笑える」
「なにが?」
「そっちの方が緊張してるんだもん」
伊武はそう言うと、今で頑なに結んでいた唇を少しだけ綻ばせた。
「そうかな?」
「だってそれ」
伊武は空いている左手で慧の持つコップに指を向けた。慧はその誘導に従って自分の手元に視線を落とすと、つい先ほど注いで来たばかりの水が既に半分近く減っているのを見た。
「こ、これはただ、喉が渇いてただけだよ」
「あっそう」
返事はとても淡白であったが、伊武の顔にはまだ笑みが残っている。
(なんか、急に良い感じじゃないか? きっと今日は機嫌が良い方だったんだ)
理由は何にせよ、ようやく伊武の笑顔を見ることが出来て慧が安心していると、
「私、お母さんと仲直りしたい」
伊武がポツリと切り出した。既にスマホはいじっておらず、先ほどまで浮かんでいた笑みもない。慧はそれを見てすぐに真剣な雰囲気を感じ取り、伊武の次なる言葉を待つ。そしていよいよ本題に突入しようという時――
「お待たせしました。たらこスパゲティとマグロ丼です」
折悪く料理が運ばれてきてしまった。




