第七十七話 収穫と消息
路地裏が路地裏らしい静寂を得てから数十秒が経過した。しかし未だに璃音が動き出す気配はない。
「だ、大丈夫か、雀野?」
こんな時なんと声を掛ければいいのか心得ていなかった慧は、一番シンプルな言葉を選んだ。すると、
「すぅー。はぁー」
問いかけに返ってきたのは大きな深呼吸であった。
(これは……。これ以上詰めない方がいい感じか……?)
訳ありそうな深呼吸を聞いて完全にしり込みしてしまった慧は、次の言葉を続けることができない。そうしてまた熾火のような沈黙が再燃するかに思われたその時。
「ありがと」
振り返らず、璃音はハッキリとそう言った。
「へっ?」
状況が把握しきれていない慧は、感謝の言葉がしっかりと聞こえていたにもかかわらず、腑抜けた声を上げた。
「あんたが居てくれたおかげで怒らずに済んだのよ」
璃音は柔らかい声で慧に答えると、ようやく振り返った。顔色は少し上気しているが、確かに目元を見る限り、先ほどまで宿っていたはずの捕食者のような鋭い眼光は残っていなかった。
「……ちょっと、聞いてる?」
「え、あ、あぁ」
「聞いてるなら何か反応してよ。まぁいいや、この話はこれで終わり。行きましょ」
「えっ、うん。でもその……」
「なに? あんたが気にしてるわけ?」
「そりゃまぁ、するだろ」
「あたしは大丈夫よ。どうせ今からミーティングに出れるわけでも、バンド練習ができるわけでもないんだから。むしろ、他のことしてる方が気楽よ。だから行こ」
「……分かった。雀野がそう言うなら」
完全に納得したわけではなかったが、こういう場合は本人の意向を尊重した方がいいと思った慧はとりあえず璃音の言う通りに歩き出した。するとそれを見た璃音も歩き出し、二人は再び肩を並べて江波戸宅を目指す。
ほんの数分前までは楽しくクレープの感想を交わしていたというのに、今となってはそれが遥か昔のことのように思われる。空気は重く淀み、今にも息が詰まりそうだ。そこで慧は何か楽しい話題を提供しようと考えた。しかし何を話そうにも墓穴を掘ってしまいそうな気がして、結局慧は口を開くことすらできなかった。
「こっちだっけ?」
ライブハウスの先にある十字路に辿り着くと、璃音が徐に口を開いた。
「あぁ、そうだよ」
折角話す機会を得たというのに、慧は璃音の問いに答えるだけで口を閉ざした。
(今、何か話した方が良かったかな……? いやでも、気を遣われる方が雀野は嫌がりそうだよな……)
一言だけで会話を終えてしまったことを引きずりながら角を曲がると、
「ちょっと待って……!」
璃音が慧を呼び止め、角に引き戻した。
「ど、どうした?」
何か気に障ったのかと思った慧は恐る恐る答えながら振り向くと、璃音は口に人差し指を当て、シーッ。と言った。次いで空いている左手で角の先を見るよう指示を出してきたので、慧は曲がり角の向こうを覗き込んだ。すると先日伊武が入って行ったアパート前辺りに、派手目な服装の女性と、スマートカジュアルな服装をしたマッシュヘアの男性が立っているのが目に入った。
「アレ、あの子のお母さんなんじゃない……?」
後方から璃音の推測が聞こえる。
「うーん、どうだろ。でもそれっぽくはあるな……」
母親が荒れているやら、複数の男を家に連れ込んでいるやら、事前に堤から聞いていた情報を思い出しながら、慧は呟くように答えた。
「もう少し近づいてみましょ」
「あっ、おい雀野……!」
完全に探偵モードに入ってしまった璃音が宣言と共に飛び出してしまったので、慧も慌ててその後を追う。そうして二人はそそくさと、忍者というよりかはコソ泥のような抜き足差し足で、少しずつ少しずつアパートへ近づいて行った。
「じゃ、今日は帰りますね」
「うん。来てくれてありがと」
「いえいえ、呼ばれたらいつでも来ますよ。だから、また呼んでくださいね」
「はいは~い」
二人が伊武の母親と予想している女とその逢瀬相手だと思われるマッシュヘアの男は、アパート前で短い会話と軽い挨拶を交わすと忽ちに別れた。男は駅の方へ歩いて行き、女はそれを見送る。案外素っ気ない会話だなと慧は思った。すると、
「案外素っ気ないわね」
隣に立つ璃音もそう呟き、慧は内心ビクッとした。
「あぁ、だな。あんまり親しくないのかな」
「そうね。あの感じだと、二、三回目。いや、下手したら初対面ね」
「なんでそんなこと分かるんだ?」
「だってあの男の人の笑顔、めっちゃ愛想笑いって感じだったし、それに、服装がどっちつかずに見えたのよね」
「どっちつかず……?」
慧はそう答えながら視線を上げると、歩き去っていく男の後姿を見る。確かに、服装も髪色も遊び人にしては落ち着きすぎているように映る。かと言ってセールスマンのようなビシッとしたスーツを着ているわけでもない。堅苦しくもなく遊びすぎてもいない。そんなちょうどいい塩梅の全貌は、アルバイトの面接に来た大学生といったような印象を慧に与えた。
「うーん。確かに」
「でしょ? 見た目だけの推測にはなっちゃうけど、結構いい線行ってる気はするのよね」
「じゃあ仮に初対面だとすると、江波戸が堤先生に愚痴ってた人とは別の人ってことになるな……。まぁでもどちらにせよ、男を家に連れ込んでるってのは本当だったみたいだな」
「みたいね。あとは体罰のことだけど、こっちはどうやって――」
「待って! クロコさん!」
電信柱の裏で二人が現状の整理をしていると、男の声が路地裏に響いた。それを耳にした慧と璃音は元々隠していた身を更に電信柱に擦り付けるようにして、アパートの方を窺った。
「はぁはぁ、待って……」
息を切らしながら現れたのは、伊武が勤めるコンビニの店長であった。
「なに?」
先ほどまで満面の笑みを浮かべていた女は目の前に来た巨漢を見ると、眉根を寄せてため息交じりに問い返す。
「そ、その。ここ数日伊武ちゃんが出勤してないんだけど、どうしてるのかなって」
男の言葉を聞いて驚いたのは面と向かって言われた女ではなく、隠れて聞いていた慧と璃音の二人であった。
「知らないわよ、そんなの」
「家には帰ってるの?」
「さぁね。昼間は寝てるし、夜は仕事で外に出てるから碌に会ってないわよ」
クロコと呼ばれた伊武の母親であることがほとんど確定している女は、ふてぶてしく答えながらタイトスカートのポケットに手を突っ込むと、そこから電子タバコを取り出した。そしてそれを口に持っていくと、間もなく深呼吸の手順を踏んで口から煙を吐いた。
「ふぅー。まぁでも、洗濯物もシンクも片付いてたし、私がいない内に帰ってきてるんじゃない」
多少イライラが収まったのか、クロコは幾分か和らいだ調子で付け加えた。
「そっか、そうなんだ。良かった……」
「まったく。しっかり監視しときなさいよね」
「うん。君に迷惑はかけない。伊武ちゃんは僕が守る!」
「だったらさっさと探しに行きなさいよ」
「あぁ、うん。ありがとう! それじゃあ!」
悲劇の様相で現れたはずの男は、伊武の生存を確認するとすぐさま元気を取り戻し、喜劇のテンションでアパートを離れた。
「なに今の……」
息を殺して様子を窺っていた璃音は、思わず心の声を漏らした。そして話を続ける。
「あの人、もしかして本当はお父さんとか?」
「いや、それは無いと思う。江波戸自身の口から、あの人は母親の知り合いだって聞いたし」
「そうだよねぇ。だとしたらあの人、他人の子供に執着し過ぎだよね」
「うん。それは俺も思った。なんというか、狂気的? だよな」
「分かる。さっきも、生きる意味を失った! みたいな顔で走って来たもんね」
「そうなんだよ。だから、言動だけを見てるとちょっと良い人なんじゃないかって思えてきたよ」
「なに。あんたが嘘くさいって言ったクセに、自信無くなってきたわけ?」
「いや、うーん。怪しいと思ってるのは今も変わりないんだけど、なんて言うか、違和感の正体が掴めないからもどかしいみたいな?」
「なるほどね~。あたしはむしろさっきのやり取りを見て、あんたが前に言ってた嘘くさいってのが分かったけどね」
「えっ、そうなのか?」
「まぁ多分だけどね。あの人がやってるのは優しさの押し売りなのよ。親子関係が上手くいってないのを知ってて、仲を取り持つフリして二人に近付いてるって感じ。それとコンビニの時も、自分は優しい人だよって見せつけてる感があったし、きっと誰かに優しくすることで悦に浸ってるんでしょ」
璃音にそう言われ、慧の脳内には違和感を覚えた瞬間瞬間が思い出される。初めて店長と会った日の伊武のやや怯えたような威嚇の表情と、身を寄せられた時に感じた全身の微かな強張り。次いでコンビニで見た女性店員の申し訳なさと忌避の混ざった複雑な表情。そしてたった今目にしたクロコの雑な応対。それらがパッと脳内に浮かび上がり、一瞬で同じグループに配属された。
「そうか、それだ。ずっと感じてた違和感の正体。みんな優しくされてるはずなのに、みんな嫌そうだったんだよ……」
謎が解けた慧は独り言のように呟いた。
「でしょ? こういうのは女の方が鋭いのよ」
「みたいだな」
慧はそう答えながら、つい先ほど璃音に気遣いの言葉をかけようとして先読みされたことや、先日伊武に問い詰められたことを思い出して苦笑いを浮かべた。
「なに、どうしたの?」
「いや、何でもないよ」
言葉が詰まりそうになった慧だが、何とか平静を装って答える。
「ふーん、まぁいいわ。それで、次はどうするの?」
「状況的には早く動き出した方が良さそうだけど、確実性を求めるならもう少し母親と店長の様子を見たいな……。でも、今一番優先すべきなのは江波戸の安否確認だな」
「あっ、そうじゃん! あの男より先に見つけ出して警告してあげないと!」
「うん。そうしたいのは山々なんだけど、それをすると探ってるのがバレちゃうんだよな……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」
「そ、そうだよな。雀野の言う通りだ……。よし、分かった。なるべく誤魔化しながら俺が警告するよ」
「おっけー。じゃ、見つけたらすぐに連絡するね」
「あっ、おい。時間、大丈夫なのか?」
「へーきへーき。六時まで探そ!」
「分かった。行こう」
こうして伊武の母親とコンビニの店長についての新しい情報を得た慧と璃音は、休む間もなく今度は音信不通となっている伊武の捜索に乗り出す。
……しかし、そちらは成果が出ず、時刻はあっという間に六時を迎えた。二人はメッセージアプリを通じて駅で合流すると、今日のところはここまでにして、ひとまずは明日登校してくることを祈ろう。それでもし登校してこなかった場合は、捜索を再開すればいい。という結論に行き着き、未練がましくも帰路に就くのであった。
今週も最後までお読みいただきありがとうございます。
今回のあとがきは、来週の投稿と今後の投稿についてです。
まず来週の投稿について。
簡潔に申し上げますと、休載します……!
年始から短いスパンでの休載。申し訳ないです。
詳しい事情を書くことは出来ませんが、ご理解いただけますと幸いです。
続いて今後の投稿について。
こっちはまだ確定ではありませんが、今年はちょこちょこ休載を挟みながら書こうと思っています。もちろん休載する際は、その都度あとがきを書こうと思っていますので、こちらもご理解いただけると幸いです。
少々長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは。




