第七十五話 仕切り直し
「な、なに、この空気は?」
保健室に入って来た璃音は、自分のことをじっと見つめている慧と堤を見て少し引き気味にそう言った。
「彼女が今話してた子?」
「はい、そうです」
「そう、なら良かった。いらっしゃい。ところで、保健室にお邪魔しまーす。は無いんじゃない?」
「あっ、すみません……」
「フフッ、冗談よ。座って」
「もうっ。本気にするところだったじゃないですか」
璃音は早速堤と相性の良さそうな予感がする掛け合いを披露すると、促されるがままに慧と同じ長ソファに腰掛ける。
「保健室に来るのは初めてよね?」
対面に座した璃音を見て、堤が切り出す。
「はい。あたし、めっちゃ元気なもので」
「フフッ。いいことじゃない。私は養護教諭の堤。よろしくね」
「あたしは一年六組の雀野璃音です。よろしくおねがいします!」
「うん、言った通り元気でよろしい。良い子を相棒に選んだわね」
自己紹介を終えた堤は慧の方を向いて笑顔で言う。
「は、はい。まぁ……」
性格で選んだわけではなく、あの日立ち聞きされていたからほとんど無理矢理に協力関係を結んだとも言えず、慧は曖昧な返事をした。
「あら、どうしたの。何かあった?」
「い、いえ。その――」
「こいつ、照れてるんですよ!」
勘の鋭い堤に詰められて慧が答えあぐねていると、隣に座る璃音が慧の肩を軽く叩きながらはぐらかした。
「そうなの? 恥ずかしがらなくてもいいのにね」
「ほんとですよ。何を恥ずかしがってるんだか」
「は、はは、すんません」
璃音のおかげで何とか堤の詮索を振り切ることに成功した慧だが、相変わらずぎこちない笑みが漏れた。
「そんで、今日は顔合わせだけで終わりってわけじゃないでしょ?」
つい先ほど話をはぐらかして慧を救ってくればかりの璃音は、それに加えて今度は話題を変えることで慧を救ってくれた。慧はその機転の良さに八割の感謝をしながら、残りの二割で彼女の面倒見の良さに感心した。
「あぁ、もちろん。じゃあ早速だけど、本題に行きますね。実は昨日、江波戸にバレる寸前まで問い詰められたんです」
ジャブにしては思いの外パンチが効いていたようで、璃音と堤は二人して目を見開き、口をポカンと開けた。
「バレてはいない、のよね?」
答えを聞くのは少し怖いが、これを聞かなくては話が進まないと言った調子で堤がレスポンスする。
「はい。バレてはいません。多分……」
「は? 多分ってなによ」
「いやだって、直接江波戸の口から聞いたわけじゃないし、絶対とは言い切れないかなって」
「はぁ? だったら最後までしっかり確かめて来なさいよ」
「まあまあ一旦落ち着きましょ。こういう時は私見で答えを決めつけるより、慎重になれる方が得だわ」
「……すみません」
「いいのよ。ハッキリした答えが欲しいっていう雀野さんの気持ちだって間違いではないんだから。と言うことで、まずは風見君的にはどう思っているのか。続きを聞きましょ」
「それもそうですね。ってことで風見、続きよろしく」
「あ、あぁ。えーっと俺的には、バレてないと思ってます。それも割と強めに」
「理由はあるの?」
「はい。ここでさっき少し話した、先生に謝りたいことがあるってところに繋がって来るんですけど。実は昨日、江波戸に詰められたとき、堤先生に探るよう指示を出されてるって言い逃れをしたんです。そしたら意外とそれ以上詮索されなくて、そのまま潔く引いてくれたんですよ。だからきっと、江波戸側も確信を得られてないから踏み込めないのかなーって思ったんです」
「うんうん、なるほどね。私が出汁に使われたってことは一旦置いとくとして、それは恐らく、私が本当に指示を出したかもしれないと思ったから引いたのかもしれないわね。要するに、真実味があったのよ」
「まぁ確かに、以前にも先生に言われて尾行したことがありましたからね……」
「そうそう、そんな感じ。あの子は私がお節介だって知ってるからこそ、一度仕切り直すことにしたのかも知れないわね」
「ふーん。ホントに何とか逃げ切ったって感じね」
「あぁ、不幸中の幸いだったよ」
「そうね。出鼻は挫かれたけれど、バレなくて良かったわ。ここからはもう、どっちの調査が早いかの勝負になりそうね」
「はい。みたいですね」
情報が一気に出たせいか、会話が一段落したタイミングで三人は各々交錯している情報の整理に入り、保健室には僅かな静寂が訪れた。そして間もなく、
「これからの問題は」
と、一番最初に事態の把握を終えた堤が口を開く。
「私と風見君。どちらに矛先が向かうか。ね……」
「矛先って何の話です?」
堤の呟きのような提起に答えたのは、一番事態を把握できていないであろう璃音であった。
「えーっと、矛先と言うか。風見君は昨日尾行されたから引き続き江波戸さんに目を付けられる可能性があって。私の方は、嘘とは言え風見君に江波戸さんを探るよう指示を出した黒幕ってことになってるから、江波戸さんに問い詰められるかもしれないって話ね」
「つまり、昨日風見がバレかけたことで、二人ともマークされちゃったってことですね!」
「そうそう、正にその通り!」
「でもそれって……」
二人の会話を黙って聞いていた慧だが、明らかに璃音がこの状況を理解できていないようだったので、静かに口を出した。すると、
「えぇ。自由に動けるのは雀野さんだけってことになるわね」
つい数秒前まで笑っていた堤が真顔になって補足した。
「……ん?」
「そのー、俺たちが巻き込んどいて悪いんだけど、この作戦の成功は雀野にかかってるってことなる。ごめん……」
「あぁー、うん。なるほどね?」
「ちゃんと意味分かってる、よな?」
「うん。あたしがノーマークだから頑張れって話でしょ?」
「まぁそうなんだけど……」
慧が答えに困っていると、
「私たちが勝手に始めたことにあなたを巻き込んでしまった挙句、重大な役回りも押し付けるなんてことしたくないのよ、彼も私も」
堤が慧の言いたかったことを上手いこと言語化してくれた。すると璃音は呆れたように鼻で笑い、
「はいはい、なるほどね。でもこっちから言わせてもらうと、二人とも何を今更って感じよ。巻き込まれた時からそんな覚悟できてますよって」
璃音の漢らしい返事を聞き、慧と堤は思わず顔を見合わせた。
「ほ、本当に大丈夫なのかしら?」
「もちろん! あたしに任せてください!」
「無理、してないよな?」
「大丈夫大丈夫! バンド練だって毎日あるわけじゃないし」
笑顔でそう答える璃音を見て、慧と堤の二人は再度顔を見合わせる。
「なによ。当人のあたしがやるって言ってるんだからそれで良いじゃない」
「そ、そうなんだけど、ねぇ?」
堤はひとまず場を持たせるような返事をすると、慧の方へアイコンタクトを送る。
「……分かった。雀野に任せるよ」
「うんうん。それでいいのよ」
「だけど、一つ条件がある」
「なに?」
「調査するときは俺も絶対に同行する」
「それじゃあ意味ないじゃん。風見はマークされてるんでしょ?」
「うん。だから、完全に一緒にいるってわけじゃなくて、通話をしながら~。とか、少し離れたところから様子を見ながら~。とか、なるべく雀野の近くにはいないようにするつもり」
「ふーん。ま、あんたに策があるなら、とりあえずそれでやってみよっか」
「あぁ。ありがとう雀野」
「いいのいいの。さっきも言った通り、覚悟はできてるんだから」
「フフッ。頼もしい子ね。この調子で行けば早めに江波戸さんを救えるわ」
「はい! あたし、頑張ります!」
「えぇ、よろしくね」
こうして作戦会議は、璃音を中心に引き続き調査を行う。という結果をもって終了した。しかしどことなく慧は、璃音が無理をしているような気がしてならなかった。
……それから残りの三日間は珍しく伊武が登校してきており、慧たちは彼女の監視を警戒してなかなか動き出せず、結局そのまま平日を終えた。そして短い週末もあっという間に過ぎ、学生たちは再び月曜日を迎えた。
【アクションを起し辛くなってしまいましたね】
登校の準備を終えた慧がリビングのソファに沈んでいると、イヤホンからラヴィの声が聞こえてきた。
「お前が曖昧な返事をしたから……」
【わ、私のせいですか!】
「いや、冗談だよ。どうせ江波戸のことだから、いつかは勘付いてただろうし。でも、それは抜きにして、あの日は嫌な予感がしてたんだよなぁ。その予感を信じとけば良かったよ」
【時には直感を信じるというのも大事ですからね~。しかし、それをいつ信じるかと言う判断が一番難しいものですよ】
「そうだな。まぁとにかく今はセーフティーに情報を取りにいくよ」
【そうですねぇ。江波戸氏を尾行するというのは厳しそうですもんね。やはりまずは外堀を埋めて行った方が良いのかもしれませんね】
「コンビニの店長か」
【はい。もちろんそちらでも良いですし、母親という選択肢もありますね】
「なるほど。偶々とはいえ江波戸の家も知ってるしな」
【はい。それに、もし江波戸氏に見つかったとしても、あそこには雀野氏が通っているライブハウスがあるので、その周辺をご主人と雀野氏がうろついていても何ら不自然はありませんからね】
「確かに。雀野があのライブハウスに出入りしてるっていうのは江波戸も知ってるし、言い訳は簡単にできそうだな」
【一考の余地ありかと】
「あぁ、考えとくよ」
ラヴィと話しているうちに家を出る時間になってしまったので、慧はそこで話を切り上げ、ソファから立ち上がった。
いつも通り予鈴の十分前くらいに教室に到着した慧は、真っ先に伊武の席を確認した。どうやら今日はまだ来ていないみたいだ。慧はその事実に少しだけ胸を撫で下ろすと、自分の席に着いて朝のホームルームが始まるのを待った。
その後、朝のホームルームが始まるまで伊武が登校してくることは無かった。しかし授業の途中で登校してくるかもしれない。と気は緩めずにいたが、結局遅刻して来るということもなく、久しぶりに伊武のいない放課後を迎えた。
(江波戸、来なかったな……。もう警戒を解いてくれたのか? いやいや、まさか。きっと気が乗らなかっただけだ。そんなことより、今日は久しぶりに動ける日かもしれない。雀野に連絡してみよう)
月曜日で放課後に活動が無い部が多いせいか、教室には生徒たちが残っており、未だ騒々しい。しかし慧はそんな騒ぎを微塵も気にすることなく、璃音にメッセージを送信する。
『今日、いけそう?』
色々と文章を考えたが、メッセージでごちゃごちゃ伝えるよりかは会って直接話した方が早いと思い、単調なメッセージを送る。すると間もなく、
『ダイジョブだよ!』
と返信が来たので、慧は、下駄箱で合流しよう。と璃音にメッセージを返し、教室を出た。
慧が下駄箱に着いて間もなく、璃音が現れた。
「おまたせー」
「いや、別に待ってないよ」
「そっか。で、用は?」
「あぁ。今日、江波戸が学校に来てないから、調査を進めようかなって」
「待ってました!」
「待ってたんだ……。まぁいいや、とりあえず駅に向かいながら話したいんだけど、部活とか大丈夫か?」
「へーきへーき。今日は何もないから」
「分かった。じゃあ行こう」
「おっけー」
短い会話で璃音の了承を得ると、二人は早速靴に履き替えて昇降口を出る。
「数日間考えた結果、江波戸でもなく、コンビニの店長でもなく、江波戸の母親の行動を少し探ってみようかと思ったんだけど、どうかな?」
歩き出して間もなく、慧が話を再開する。
「うーん。いいんじゃない? 正直、あたしは作戦に従うだけだし」
「分かった。それじゃあ今日は安雲橋に行こう」
「うん。おっけー」
正門へと続く坂道を下りながら本日の指針を定めた二人は、そのまま歩度を緩めることなく駅を目指して前進する。




