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第七十四話 瀬戸際

 いつも通り天方中央駅で電車に乗り、古屋根駅で下車した慧は改札を抜けて駅前で立ち止まった。


【どうしたのですか、ご主人?】


 慧が立ち止まったことに気付いたラヴィが問いかける。


「え、あぁ、大したことじゃないよ。ただ、今日はこのまま帰ろうか、それともチラッとコンビニを見てから帰ろうか迷っててさ」

【なるほど。一日でも無駄にしたくない! と言う思いと、連日調査するのも疲れるし、怪しいし、今日くらいは休もうかなぁ。と言う思いが混在しているのですね?】

「て、的確だな。まぁ大体合ってるよ。で、どう思う?」

【どうと聞かれましても……。どちらを選らんでも正解だと思いますよ】

「なんだよ、その曖昧な答えは。めんどくさくなったか?」

【いえいえ、とんでもございません! 私が思うに、情報収集も休暇を取るのもどちらも大事だと思いますよ。ですが、一挙両得というのは出来ません。つまりご主人がご主人の心身と相談してスケジューリングをしなくてはならないということです】

「うーん、一理あるな。じゃあ質問を変える。今日どっちを選んでも結果は大きく変わらないと思うか?」

【はい。どちらもいつかはやることになると思いますからね。どちらを先延ばしにして、どちらを先に済ませるか。の違いじゃないですか?】

「はぁ、夏休みの宿題かよ……。まぁいいや、歩きながら決めるよ」


 結局その場で考えは纏まらず、答えを有耶無耶にしたまま慧は住宅街目指して歩き出した。

 そうして数分が経過し、もう少しで自宅に辿り着こうという時、


【お決まりになりましたか?】


 と、ラヴィが決断を迫って来た。


「そうだなぁ……。少しだけ見に行こうかな。別に疲れてるわけじゃないし、後回しにして面倒になっても嫌だし」

【なるほど。良い選択かと】

「うん。……でもやっぱりスッキリしないな」

【スッキリしない。ですか?】

「あぁ。いつも口うるさい奴が、後押しもしなければ止めにも入らないから、なんか調子が狂うと言うかな」

【お気持ちは分かります。ですが先ほども言った通り、今回に関しては本当にどちらでも正しいと思っているので、私は口出ししませんよ。それに、私が意見を出し過ぎても、ご主人が指示待ち人間になってしまいますからね】

「はぁ、その通りなのが腹立つな」

【怒らないでくださいよ~。それと、ご自身の判断に自信を持ってください! 本当に最悪な選択をしそうなときはしっかりと口を出しますから】

「分かったよ。あくまでもアドバイザーなんだもんな?」

【はい。そういうことです】


 なんてやり慣れた会話をしていると、慧はいつの間にか自宅を通り過ぎていた。

 その後慧は数分間住宅街を歩き続け、横断歩道を渡り、駐車場を真っすぐに突っ切ってそのままコンビニの出入り口に向かう。そしてもう少しで自動ドアに辿り着こうという時、慧の左腕がグイっと後方へ引っ張られた。


「うわっ!」


 驚きの声を上げながら振り向くと、そこにはブレザーの袖を掴む伊武が立っていた。


「こっち来て」


 伊武はいつも以上の仏頂面でそう言うと、慧に発言の猶予も与えず、掴んだままにしていたブレザーの袖を引っ張って歩き出す。


「あっ、ちょ、おい!」


 慧は慌てて声を上げて制止を試みるが、伊武は全く聞く耳を持たず、結局二人は駐車場を引き返し、横断歩道を渡り、住宅街まで戻って来た。


「え、江波戸! 一旦止まってくれ!」


 これ以上引っ張られるとブレザーが破れそうだったし、それに理由も聞かずに連れ回されるのも不服だったので、慧は明確に伊武を止めにかかった。すると彼女はその声で立ち止まり、ようやくブレザーから手を離した。


「どうしたんだよ、いきなり」


 慧は背中を向けている伊武に問いかけると、左の袖を確認する。どうやら破れてはいないみたいだが、少し伸びたように感じる。


「放課後、保健室に来たでしょ」


 そう言うと共に振り返った伊武の瞳には、慧の罪を一つ残らず暴こうとする異端審問官さながらの暗く鋭利な輝きが宿っていた。


「えっ、えっと……」


 ここで答えあぐねるということはほとんどイエスと言っているようなものだったが、慧はこの一瞬で、堤は伊武に何と言ったのだろうか。自分は素直に真実を明かしていいものだろうか。と考え、その結果、


「うん。行ったよ」


 と、罪が重くなる前に自白する道を選んだ。


「やっぱり……」


 納得したようでいて呆れたような一言を呟くと、伊武は慧から視線を外す。しかしすぐに慧の方を見つめ直して質問を続ける。


「なんで来たの?」

「そ、それは……。って、別に言う必要は無いよな?」

「そうね。言う必要は無い。じゃあ質問を変えるわ。どうしてコンビニに?」


 最初は上手いこといなしたと思った慧だが、伊武はしっかりともう一枚手札を用意しており、慧は再び回答者側に追い詰められた。


「ま、まぁ、その、買い物に……」


 弱い。弱すぎる! と自覚していたものの、慧はそれ以上の回答が出てこなかった。


「話を聞いてた感じ、体調が悪くてすぐに保健室を出て行ったみたいだけど、それでも買い物に?」

「う、うん。今家には俺しかいなくてさ、それで……。飲み物が無くて! それを買いに」

「ふーん、そう。殊勝な心掛けね。家に帰らなくても自宅の冷蔵庫の中身を把握してるなんて、私には出来ない」

「え? 家に帰らなくてもって?」

「そのままの意味よ。だって帰ってないでしょ」


 一回目は少し鎌をかけるような話し方を選んだ伊武だが、それでも慧がとぼけようとしたので、二回目はド直球で勝負を仕掛けてきた。


(バ、バレてる……。制服のままだからか? それとも気付かずにどっかでそれっぽいこと言っちゃってたか?)


 驚きが表に出ないよう努めながら、慧は伊武の表情を伺う。しかしその顔には微塵の色彩も宿っておらず、白く冷たい視線だけが慧を射る。すると次の瞬間、


「なんでバレたんだろう? って顔ね。理由は簡単。尾行したからよ」


 押し黙っている慧を見つめたまま、伊武が冷ややかに、そして低い声でそう言った。その突然の告白は慧に更なる衝撃を与え、慧から言葉を奪った。何か答えなくてはと開きかけていた口は途中で止まり、見開かれた目は伊武に向けられた。


「び、尾行? じゃあ最初から俺が家に帰ってないのは知ってたのか……」

「そう」

「でもなんで尾行を?」

「先生の言動が怪しかったから」

「それだけで俺を尾行したのか?」


 慧がそう問いかけると、伊武は真顔で頷いて言葉を続ける。


「それで最初の質問に戻るけど、なんで保健室に来たの?」


 始めに重要な質問をし、そこで答えを得られなかったので直ちに質問を変え、その後も自分が問い続けることで慧にターンを譲らず、動揺を募らせ、ミスを誘い、隙が生じたところで今までずっと尾行していたという事実を告げる。それによって学校からここまでの全ての行動は監視されていたのだと一瞬で慧に擦り込むことに成功した伊武の話術は実に効果的で、破壊力抜群であった。


「え、いや、それは……」


 もうどうやって誤魔化しても伊武には叶わない。それならばいっそ、今ここで話すべきなのだろうか……。慧の心にはそんな弱気が充満した。


「病気じゃないのに保健室に来て、意味深な会話をして帰ったと思ったらコンビニに向かってて、問い詰められたら誤魔化そうとして。疑わない方がおかしいでしょ」


 パンクした頭で必死に糸口を探っている慧に、伊武の無慈悲な追撃が飛んで来る。それは僅かに射し込んでいた光明を絶ち、今できたばかりの傷口にたっぷりと塩を塗り、慧の心を悉く折った。


「た、確かに。疑わない方がおかしいよな……」


 慧は弱弱しく伊武に同意し、負けを認めたような自嘲の笑みを浮かべる。


「まぁ、答えたくないなら無理強いはしない。どうせ調べれば分かるだろうし」


 慧が怯んでると分かってか、伊武は容赦なく責め続ける。


(クソ。どうすればいいんだ。もう素直に全部白状するしか……。いや、全部白状する必要は無い。江波戸が納得しそうな真実だけを伝えればいいんだ)


 窮地の中で一つの策が浮かんだ慧の顔は俄かに引き締まった。そして再び責めの文句を仕掛けようとしている伊武よりも先に慧が口を開いた。


「分かった。話すよ」


 答えが返って来ると思っていなかったようで、慧が話し出したのを見て伊武は少しだけ驚きの色を表に出した。


「実は、堤先生に頼まれてたんだ。教室での伊武がどんな感じか教えてくれって。それでその報告のために保健室に行ったんだけど、今日は江波戸がいたから引き返したんだ」


 先生、ごめんなさい! という堤への謝罪と。これでどうだ! という乾坤一擲の思いをこの策と言葉に乗せ、伊武にぶつけた。すると、


「……あっそう」


 まだまだ疑っているぞと言いたげな視線を慧に向けながらではあったが、伊武は小さく納得したような返事をした。


「ごめん。コソコソ探って」

「別に。私も尾行してたし」


 勝ちを確信していたからなのか、それとも期待していた答えが来なかったからなのか、伊武は常よりも更に低い声音で答えた。しかしその反応は慧からすれば作戦が上手く行った証拠であり、慧は心の中で安堵の息を漏らした。


「その……。しょぼいお詫びだけど、駅まで送って行くよ」


 形勢逆転したとはいえ、ここで付け上がると手痛い反撃を喰らいそうな気がした慧は尚も下手に出る。


「いい」


 それに対し伊武は淡泊に答えると、回れ右をして駅の方へ歩き出す。と思うと、すぐに立ち止まって振り返った。


「あと、制服でコンビニ来ないで。学校知られたくないから」


 それだけ言い残すと、伊武は早足で駅方向に歩いて行った。慧はその背中を追うことも出来たが、今日に関してはお互いこれ以上の追及は危ないように感じたので、帰路の無事を祈りながら、慧も自宅目指して歩き出した。


 何とかピンチを切り抜けて翌日を迎えた慧は、朝一で璃音にメッセージを入れた。


『放課後、共有しておきたいことがあるから保健室に来れるか?』


 昨日伊武にバレかけたことと、この際協力者である璃音と堤の顔合わせも済ませてしまおうと思った慧は、危険を承知で保健室を指定した。まぁ例え伊武が保健室にいたとしても、日にちをずらせば良いだけの話である。なんて脳内で自己解釈を進めていると、『おっけー』と返信が来たので、慧は支度を済ませて家を出た。

 ……そうして約束の放課後。伊武は登校してきていなかったが、慧は誰の目にもつかぬよう逃げるように教室を出て行き、下手に璃音とも合流しないように一人で保健室へ向かった。


「失礼します」


 三回のノックの後、慧は保健室のドアをゆっくりと開く。そしてデスクで作業している堤と視線を合わせると、堤が小さく頷き「いらっしゃい。今日は大丈夫よ」と言ったので、慧は小さく息をついてから保健室に入った。


「昨日、江波戸さんが追って来たでしょう?」

「はい」

「やっぱりね……。ごめんなさい。引き留められなくて」

「いえ、お互い様ですよ。俺も先生のせいにして言い逃れましたから」

「え、私のせいにしたの? それは詳しく聞かせてもらわないとね」

「は、はい。勿論ちゃんと話しますよ。けど、今日はもう一人呼んでるので、その人が来たらまとめて話します」

「分かったわ」


 ――と、会話が一段落したその時、ドアがノックされた。そして、


「お邪魔しまーす」


 噂の的となっていた璃音が現れた。

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