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第六十五話 イレギュラー・デイ

 改札を抜けた二人はホームで電車を待つ。しかしここに立ってようやく慧は思った。一体どこに向かうんだ? と。


「あぁ、そういえば、行き先を言っていなかったね」


 慧が違和感に気付いた直後、輝虎の方から話が切り出された。


「はい。俺もちょうど聞こうと思ってたんですよ」

「ハハッ、そうか。これは以心伝心というやつだね。とまぁそれは置いといて、行き先は山木田やまきだだよ。あそこは家電量販店も多いし、機械方面の専門店も多い、それにジャンク品や部品のみを扱っている店もあるから、今回のような専門的な何かを買う時には打って付けなんだよ」

「なるほど。俺はあんまり行ったことないので、道案内は任せますね」


 平然と答える反面、慧の心の中には心配と不安が漂い始めた。


「あぁ、任せてくれ給え。あそこには何度か行ったことがあるからね」


 何度か。という単語を聞き、先ほど漂い始めたばかりの心配と不安が一気に塊となり、慧の心に満ちた。しかし山木田に行ったことがない慧に何かを言い返す権利はなく、ここは輝虎に従う他ないと思ったので、慧は素直に「はい。お願いします」とだけ返した。

 それから数分後、電車がホームに到着した。二人はやや混んでいる電車に乗り込むと、慧が通路側に立って吊革を握り、輝虎は昇降口の手すり付近に立って仕切り板に身体を預けた。そうして各々立ち位置が決まると、それを待っていたかのように電車は動き出した。

 山木田市は一応都の一部ということになっている。しかし安雲橋駅から約二十分ほどで到着してしまう場所にあるせいか、慧たちからすると身近にある大きな街であり、気軽に行ける都心。というやや軽薄なイメージが定着していた。加えて、行こうと思えば自転車で行くことも可能な距離。という事実もそのイメージを強くしていた。とはいえ、自転車で行くには流石に時間がかかりすぎてしまうし、それに慧にはその時間と労力をかけてまで買いたいものも無かったので、実際に自転車で山木田に行ったことはない。

 電車が走り出して数分。二番目に停車した駅で数人の客が下り、たまたま角席とその隣の席が空いた。


「先輩、座りますか?」

「ん、あぁ。空いているなら座らせてもらおうかな」


 乗降口の小窓から外の景色を見ていた輝虎は慧の提案に生返事をすると、今の今まで身体を預けていた仕切り板の向こう側にある角席に腰掛けた。それを見届けた慧は少しだけ横に移動して座っている輝虎の前に立つ。そして新たに吊革を掴もうとすると、輝虎がキッと慧を見上げた。


「なぜ僕の前に立つ」

「え? あっ、すみません」


 前に立たれるのが嫌だったのかと思い、慧が輝虎の前から退こうとした次の瞬間。慧の左手首を輝虎の右手がガシッと掴んだ。そして、


「いやいや、そういう意味じゃなくて、君も座ればいいだろう?」


 と、もっともなことを言った。しかし慧としてはわざわざ輝虎と他の客の間に割って入ってまで座るのは気が引けたし、それに何より、私服姿の輝虎を少し意識してしまっている部分があり、隣に座ることは避けたかったのであった。


「いえ、俺は立ってま――」


 慧がこのまま逃げ切ろうとしたその時、電車が動き出した。発車時の慣性は思いの外強く、吊革を掴んでいなかった慧は体勢を崩してしまった。すると慧の手首を掴んだままでいた輝虎がグッと慧を引き寄せ、慧は右手を仕切り板に着き、左手を座席の背部に着き、輝虎に覆いかぶさるような形で何とか転倒を避けた。が……。


「おぉ、やるね……」

「今どきの子は大胆ねぇ……」


 等々、ひそひそ声が慧の背中にチクチクと刺さる。


「大丈夫かい?」

「は、はい……」


 周囲の声にばかり気を取られていた慧が顔を上げると、視線のすぐ先には輝虎の青く美しい二つの瞳が慧を包み込まんばかりに大きく見開かれていた。


「す、すみません……!」


 目が合った慧は羞恥と惑乱とで正常に考えることができなくなり、とりあえず謝りながら慌てて輝虎から離れると、手持無沙汰な右手を吊革に持って行った。


「体勢を崩してしまうくらいなら素直に座れば良いじゃないか」


 新たな弱点を見つけた輝虎は、ここぞとばかりに慧を茶化す。


「い、いえ、いいです。どうせあと数分で着きますから」

「そうか。残念だなぁ」


 不満げに答える慧に対し、輝虎はとても満足そうに微笑みながら答えた。

 その後、電車内ということもあり、二人は特に会話をすることなく十数分間を送り、山木田駅で下車した。慧たちの他にも下車した客は多く、二人は人波に飲まれながらホームの階段を上がり、改札を抜け、ひとまず切符売り場の近くに避難した。


「ふぅ、流石に休日は人が多いね」

「ですね。てっきり星峰のショッピングモールに客が吸われてるのかと思ってましたけど」

「いやいや、向こうとこっちでは客層が違うからね」

「まぁ、それもそうですね」

「あぁ。星峰がライト層やファミリー層向けと定義するなら、こっちはマニアックな層向けといったところかな」


 輝虎は慧と会話をしながらスマホを取り出すと、ネット検索で付近の家電量販店と電気屋を調べ始めた。


「まずはここにするか……」


 大体の目安はつけていたようで、一、二分スマホに集中していた輝虎は小さく呟くと、スマホをポケットにしまった。


「お待たせ。さぁ、行くとしよう」

「はい」


 山木田を歩き慣れていない慧は立案者である輝虎に全面的に従うことにして、輝虎の少し後に慧が続く形で二人は南口から山木田の街へ繰り出した。

 一軒目は南口を出てすぐにある駅ビル内の家電量販店であった。輝虎曰く、ひとまず近い店から順に見ていき、その中で性能と値段を比較して最終的な店を決める。という計画があるらしく、まずはこの店が選ばれたのであった。

 店内に入ると、二人の足は迷わずカメラコーナーに向かった。そしてまずは実際に手に持てる比較的安価なカメラが並ぶところで足を止め、その後参考程度にショーケースに並べられている高価なカメラをチラリと見てから一軒目を後にした。

 そんな調子で二件目に専門店。三件目に別の家電量販店。四件目にジャンク・中古屋。そして五件目に別の専門店と、四十分程かけて五軒の店を見て回り、二人は小休止のために広場に入った。


「どうでした、先輩。いいのありました?」

「うーん、とても悩ましいが……。まずは腹ごしらえをしよう!」


 輝虎の提案を聞いて一瞬呆れた慧だが、次の瞬間には確かに一理あるようにも思えた。それもそのはずで、時刻は疾うに十二時を過ぎており、それどころか一時を迎えようとしていたのであった。


「そうですね。何か食べましょうか」

「ハンバーガーにしよう!」

「早っ。聞かれる前から決めてましたよね?」

「まあまあ、そんなことはどうでもいいじゃないか。ほら、すぐそこにあるから行こう」


 慧の質問をサラリと回避した輝虎は、現在休憩している広場の向こう側に見えるハンバーガーショップ目指して歩き出す。慧も輝虎を見失わないよう、すぐにその後を追った。

 注文を終えて店内で飲食することにした二人だが、あいにく店内は満席であった。しかし幸運にもその店舗にはテラス席が設けられており、慧と輝虎は各々が注文した商品の乗るトレイを持って二階へ上がり、学校のテラスよりも数倍広いテラスに出た。


「まさかここでもテラスとはね」


 テラス席に着いて間もなく、辺りを見回した輝虎が皮肉っぽく言った。


「ははっ、ですね。でも不思議と、先輩といる時はテラスの方が落ち着く気がします」

「ふむ、なるほど。それは室内で僕といると息が詰まるということかな? それとも、この開放的で自由な感じが僕らしいということかな?」

「え、えぇっと……」


 茶化しているのか、それとも真剣に聞かれているのか。輝虎が発した言葉には何とも言えぬ不思議なベールが纏われており、慧は返答に戸惑った。


「……アハハッ。冗談だよ。君は良い反応をするから、ついからかいたくなってしまうよ。さぁ、冷める前に頂こう」

「は、はい」


 つかみどころがない輝虎にまたしても弄ばれてしまった慧は、何とも言い難い敗北感を味わいながらハンバーガーの包みを開き、八つ当たりをするかの如くそれを頬張った。


「うん。良い食べっぷりだ。僕も負けていられないな」


 ハンバーガーにがっつく慧の姿を見て、何故か対抗心を燃やし始めた輝虎は嬉しそうに笑みを浮かべると、眼鏡を外してそれをテーブルに置いた。そして自分もチーズバーガーの包みを開き、大きく一口かじりついた。


「んんっ! んもい!」


 限界ギリギリまで口に含んだようで、輝虎の声は大分くぐもっていた。


(格好は大人っぽいのに、やることは子供染みてるな……)


 心の中で呆れる反面、慧はいつの間にか咀嚼を止め、頬を緩ませ、安心した温かい眼差しで輝虎を見つめていた。するとその視線に気付いた輝虎がもぐもぐと顎を動かしながら、アクアマリンのように澄んだ青い瞳をじっと慧に向け、


「ん?」


 と微かに首を傾げた。その仕草も実に子供らしく映ったが、それは幼稚さと言うよりかは、純真無垢な幼さであった。


「あっ、いえ、何でもありません。ぼうっとしてました」


 こそこそと人間観察をしていた。なんて言えるわけもなく、ぼうっとしていたというありきたりな理由をつけて話を区切った。


「ふーん、まぁそれなら良いが……。それはそうと、君は眼鏡を外さないのかい?」

「えっ?」


 輝虎に不意の質問を投げかけられた慧は、一瞬にして全ての思考回路が停止した。


(まずい。食事の時は外すものなのか? そう言えば、先輩も外してるな……。じゃあ今から外すか? いやいや、それはそれで怪しまれそうだよな……)


 何をしても地雷を踏んでしまいそうな気がして、慧はただただ輝虎を睨みつける他に出来ることがなかった。するとそれを見透かしたのか、突然輝虎が笑みを浮かべた。


「ふんっ。このままではこの、フードファイター輝虎に負けてしまうぞ?」

「は、はい?」

「待ったは無しだ!」


 慧の問い返しには全く触れず、輝虎は再びチーズバーガーにかじりつく。


(良かった。怪しいから没収! とか言われなくて……。だけど今後も安心は出来ないな。やっぱりこの人の洞察力は侮れない……)


 命拾いをした慧は、脳内で今後の方針を練りながらも、これ以上輝虎に怪しまれないように彼女の勝負に乗ってハンバーガーを食べ始めた。

 それから数分後、二人はほぼ同時に食事を終えた。


「ふぅ~。今回は僕の勝ちだね」

「ははっ、負けましたよ」

「またいつでも掛かって来るがいい!」

「いえ、食事はゆっくり摂りましょう」

「ぐふっ。正論が刺さる……」

「それで、どこでどれを買うか決めたんですか?」

「は、話の展開が早い! ゴホン、まぁ、そうだねぇ……」


 無理やり話の路線を戻された輝虎が答えを吟味し始めた直後、テラスの出入り口が開いて数人の女子高生が入ってきた。するとそのざわめきを耳にした慧と輝虎はほとんど反射的に出入り口の方に視線を向け、女子高生たちと一瞬だけ視線を交わした。かと思うと、彼女たちはすぐに視線を逸らして二人とは少し離れた席に着いた。まぁなんてことはない日常の一ページだ。慧は少しも気にせず会話に戻ろうとすると、先ほど視線を交わした女子高生たちの会話が、聞く気が無くても聞こえてきた。


「ねぇ、今の人、レーナに似てない?」

「えっ、分かる! 顔もスタイルも超似てたよね」

「まさか本人?」

「なわけないでしょ。ほとんど日本にいないらしいし」


 誰の話をしているのかは分からないが、女子高生らしい会話だなぁ。と、現役高校生である慧が思っていると、突然輝虎が席を立った。


「決めた! 最初の家電量販店にしよう」


 輝虎はそれだけ言うと、トレイを持って歩き出す。


「え、あっ、先輩!」


 慧も慌てて席を立つと、彼女の後を追ってゴミ箱へ向かい、包み紙やら空のドリンクケースやらを捨て、トレイを返却し、二人はハンバーガーショップを出て一軒目の家電量販店へ向かった。

 やや早足の輝虎に付いて一軒目に戻ってくると、彼女は少し悩んだ末にショーケースの品以外で一番高価なカメラを購入し、満足げに店を出た。そして、早速試し撮りをしたいので、ひとまず安雲橋に戻ろう。と提案され、二人はがらがらに空いている電車に乗りこんだ。

 と、こうしてとんとん拍子に安雲橋駅まで戻ってきた二人だが、慧はどうも腑に落ちない何かを感じていた。


(先輩。明らかに昼飯の後から様子が変だよな……。店も商品も即決するなんておかしい。まぁでも、最初から買うものが決まってて、俺を茶化してたんだとしたら合点は行くか……。いやいや、けどやっぱりおかしい。広場で聞いた時も、テラスで聞いた時も、先輩は真剣に悩んでいたように見えた。でも一体何があったんだ……?)


 脳内で推測を立てながら輝虎の後ろを歩いていると、彼女が突然立ち止まった。


「助手君!」

「は、はいっ?」

「充電がない!」


 一瞬肝を冷やした慧だが、すぐにカメラの話だと分かって小さく息漏らした。


「そ、それじゃあ今日は解散にしますか?」

「うーん。そうするしかないみたいだね。週明けまでには設定を済ませておくよ……」

「はい。えっと、よろしくお願いします」


 あからさまに元気を失くした輝虎を一人にさせるのは不安だったが、何度確認しても輝虎は一人で大丈夫だと言い張ったので、慧は少々心残りながらも改札で輝虎と別れ、下りの電車で古屋根駅に向かった。

 帰宅してメッセージを送ると、慧の心配とは裏腹に今日購入したカメラの画像が数枚送られてきた。『これで準備完了! 週明けが楽しみだ!』という一言も添えられていたが、慧は何とも言えない絶妙な苦笑を浮かべながら『そうですね』とだけ返信し、スマホをソファに置いた。


(心配するだけ損だったな。まぁ先輩のことだからすぐに元気になるとは思ってたけど……。あっ、そういえば、何で先輩の様子がおかしくなったのか解明してなかったな。いやでも、あの時は何もなかったと思うけどな……?)


 慧は改めて山木田に着いてからの大まかな流れを脳内に浮かべてみたが、輝虎の調子を狂わせるようなキッカケには思い当たらなかった。


(うーん、やっぱり何もないよな。あったとしても女子高生たちの会話が聞こえてきたくらいか……。確か先輩がレーナに似てるとか言ってたよな。暇つぶしに調べてみるか……)


 どれだけ考えても答えに辿り着けない気がした慧はソファに転がしていたスマホを再び手に取り、ネット検索で『レーナ』と調べた。そしてトップに出てきた画像を見て、慧は思わずソファから身体を離し、息を吞んだ。


「せ、先輩……?」


 慧が見つめるスマホの画面には、輝虎と瓜二つの人物が映し出されていた。

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