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第六十二話 晴れるモヤ、写るモヤ

 決意を固めて二人との帰路を共にしたはずの慧だが、結局上手く会話に混ざることが出来ないまま古屋根駅まで帰ってきてしまった。しかし女子二人に男子一人という構図で一人の男子が会話に混ざれない事なんてざらにあるので、慧が会話に混ざって来ないことを恵凛と璃音が気にする様子はなかった。


「じゃ、また明日ね!」


 駅前で少し立ち話をした後、璃音はその言葉を締めに切り上げた。慧と恵凛も「また明日」と短い挨拶を返し、住宅街の方へ歩き出す。


「今日はいつもより疲れた気がします」


 信号を待っていると、恵凛がポツリと呟くように言った。


「うん、俺も。そう言えば、龍宮も今朝足が重いって言ってたけど、治って来た?」

「いえ、全然です」

「そっか。俺もだよ」

「ふふっ、璃音の言う通り、私たちもう少し運動をする必要があるかも知れませんね」

「ははっ、だね」


 何気ない会話を交わした後、慧の脳裏には教室での同級生たちの視線や友宏の言葉が思い出され、自然に緩んでいたはずの頬が不自然に凝り固まった。


(いやいや、気にするな! これ以上踏み込まなければ良いだけの話なんだから……。それに――)


 慧はそこまで考えると、笑っている恵凛の横顔を見る。そして強く思い直した。


(この笑顔に罪は無いんだからな)


 信号が青に変わる。恵凛は何も知らないまま先に歩き出す。そんな彼女の背中を追うように慧も歩き出した。

 その後二人は他愛無い会話を交わしながら住宅街を進み、気付けば自宅前に辿り着いていた。そして何か特別なことをするでもなく、二人は別れの挨拶を交わしてそれぞれの門扉を抜けて帰宅した。

 靴を脱いで自宅に上がると、慧はまずリビングに向かった。そして卓上に置かれたままになっている弁当箱を確認すると、ソファに鞄を置いてから洗面所へ向かった。

 手洗いうがいを済ませて再びリビングに戻って来ると、鞄からラヴィ一式を取り出した。するとそれを待っていたかのようにラヴィ本体が勝手に起動した。これはきっと何か話すことがあるのだろうと察した慧はイヤホンを耳に掛けてソファに腰掛けた。


「どうした?」

【まずは学業お疲れ様でした。ご主人】

「うん、それで?」

【もうー。そんなに急かさないでくださいよ! 嫌われますよ?】

「えっ、あぁ、うん。ごめん」

【ありゃ、思ったよりダメージを負ったみたいですね】

「うるさいな……」

【ぷぷっ。ご主人の面白い反応も見れたところで、お話に移るとしましょうかね】

「あぁ、そうしてくれ」

【ゴホン。では早速。とその前に、先にご主人に伺います。ご主人の方こそ、私に話したいことがあるのではないでしょうか?】


 ラヴィの質問に対し、慧は「えっ?」と声を発したつもりであったが、現実では全く声が出ていなかった。すると間もなくラヴィが話を続ける。


【蒲地氏に言われたことが気になっているのですよね?】

「あ、いや、うん。そうだけど……。でも確か友宏とトイレに行った時、お前の本体は持って行って無かったよな?」

【はい。私は教室の鞄の中でお待ちしていましたよ】


 なんか含みのある言い方だな。とは思ったが、慧は言及することなく話を続ける。


「だよな。じゃあなんで?」

【簡単な話です。読唇術を使いました】

「読唇術……。そっか、今日は一日中眼鏡を掛けてたから」

【えぇ、そういうことです。それに加えて、トイレに行く前の蒲地氏との会話の様子、戻ってきた後の龍宮氏との会話の様子も合わせて考えた結果、この推察に至りました】

「なるほど。俺もしっかり分析されてるってことか」

【はい。ですので、私には何でもお話してください】


 優しく寄り添うようなこと言ってるけど、要は何でもお見通しってことだよな……。と、慧は少々卑屈な捉え方をしたが、ラヴィに相談したいと思っていたことも事実なので、その文句を口にすることは無かった。


「うん。じゃあまず、読唇術で分かってるとは思うけど、一応友宏に言われたことから話すよ」


 慧はそう答えると、トイレに向かう中途で友宏とどんな話をしたのか、その一点のみを子細に話した。


【ふむふむ、大体私の読み通りですね。それで、ご主人はそう言われて、どうお考えなのですか?】

「俺は……」


 今の距離感を保とうと思っている。そう答えようと決めていたのだが、改めて問われると慧の心は動揺した。


「俺は、今の距離感を保つ。……それか、離れるべきかで悩んでる」

【ふむ、なるほど。消極的な二択ですね】

「それ以外無いだろ。いや、まぁ、無いことも無いけどさ……」

【無いことも無い、ですか。確かにそうですね。ご主人と龍宮氏が付き合ってしまえば、周りの認知もそれで固定化されますからね】

「うん……」


 力無く答えた慧は、(合理的ではある。そんなことは分かってる。でも、合理的なだけなんだ……!)と、心の中で独り言ちた。


【――ですが、それは論理的な解決と言うだけであって、現実問題やら感情やらを加味するとそう簡単ではない。ですよね?】

「えっ、う、うん……。そう、そういうことだよ」


 今考えていること、更には今感じていることまでラヴィに見透かされていると分かった慧は驚きの余り返答に詰まった。


【私も伊達に情報収集をしていたわけではありませんからね!】


 声音で慧が驚いていると気付いたのか、ラヴィは嬉しそうに、そして威張るようにそう言った。


【ゴホン、失礼しました。話を戻しましょう。ではまず、私の結論から申し上げますと、今の距離感を保つのが良いかと思います】


 ラヴィの結論を聞いた慧は、力強く背中を押してもらったように感じて少し気が楽になった。すると間を置かずにラヴィが話を続ける。


【いくつか理由はありますが、まず一つ目。相手目線、つまり龍宮氏の視点です。きっと彼女はご主人の接し方が突然変わったら、間違いなく困惑すると思いますし、悲しむと思います。それに自分を責めてしまうでしょう……。それは避けたいところですよね? そして二つ目。周りの目線です。これも一つ目同様、突然ご主人の龍宮氏に対する接し方が変わったら、きっと今よりもひどい勘違いが生じるでしょう。ご主人にしても、龍宮氏にしても、これ以上噂が大きくなるのは嫌ですよね? そして最後に、恋愛的観点から。踏み込むのは早計です! もっと相手のことを知ってからワンステップ上がるべきです!】


 と、ラヴィからは要約した三点が伝えられたが、あからさまに三つ目だけが強調されていた。早口で、かつ声のトーンも一段高かった。まぁそこは、恋愛サポートナビとして役目を果たそうとしているのだろうと慧は考え、一旦三つ目は度外視にして、一つ目と二つ目の意見は概ね自分の考えと同じだったので、慧は安心して息を漏らした。


「ふぅ、良かった。そこまで複雑には考えて無かったけど、ほとんど同意見で安心したよ」

【そうでしたか。ご主人も成長しましたねぇ……】

「感慨深そうに言うな」

【本当のことを言ったまでですよ】

「はいはい。じゃあそれでいいよ。俺はこれから用事を済ませて来るから、また後でな」

【あっ、ちょっと、ご主じ――】


 引き留めようとするラヴィを無視してイヤホンを外すと、慧は鞄を持って二階に向かう。その足取りは軽やかで、そんな彼の表情には、気が休まったような微笑みがじんわりと浮かび上がるのであった。


 翌朝、ラヴィのアドバイスを受けて完全に心が決まった慧は恵凛と共に登校した。距離を取るでもなく、距離を詰めるでもなく、いつも通りの距離感で二人は学校へ向かった。

 大型連休の疲れが残っているのか、それともまだ学校が始まったという現実を受け止め切れずに憂いているのか、理由はどちらにせよ、生徒たちは比較的静かな午前中を送った。そうしてそのまま静かな昼休みが訪れると慧は信じていたのだが……。


「あのー、平気ですか?」

「保健室行きます?」


 常ならば喧騒にかき消されてしまうであろう細やかな声が慧の耳に届き、慧は食事の手を止めて辺りを見た。そしてすぐ、開け放たれている教室後方のドアに目を向け、その先の廊下に集まっている数人の女子生徒たちがその声の主だと気付いた。


(なにがあったんだ?)


 今まで安穏としていたところに、突然怪しい兆しが訪れたように感じた慧は少しだけその様子を伺った。すると間もなく何かを囲んでいた女子生徒たちは、心配そうに二言三言聞こえないくらいの声でひそひそと話し、廊下の奥へと消えて行った。

 誰もいなくなり、廊下の壁と窓だけが慧の視界に映る。誰も教室に入って来ないところを見るに、問題は解決したのかもしれない。そう考えた慧が視線を手元に戻そうとしたその時、ドアの向こう側から手が飛び出し、その手が開放されているスライドドアをがっしりと掴んだ。そしてその直後、ドアの裏からふらふらと何者かが現れた。


「やあ、少し邪魔するよ……」


 現れたのは血色の悪い足元が覚束ない白衣を着た人物。つまり輝虎であった。


「ど、どしたんすか?」


 真っ先に反応して立ち上がったのは友宏だった。そしてそれに続き、


「だ、大丈夫ですか?」


 と言いながら恵凛が立ち上がった。慧もそれに続いて立ちあがり、三人が輝虎のもとに歩み寄ろうとしたその時、輝虎が倒れた。


「せ、先輩!」


 三人はほとんど同じタイミングで同じ言葉を発すると、倒れた輝虎のもとへ向かった。


「先輩、しっかり!」

「だ、大丈夫なのでしょうか……?」

「とりあえず保健室に連れて行こう。慧、肩貸せ」

「いや、これは多分――」


 慌てている友宏は慧の言葉を最後まで聞かず、輝虎の傍らにしゃがみ込む。そして輝虎を起こすために友宏が両腕を伸ばした次の瞬間。うつ伏せに倒れていた輝虎の右手が動き出し、ガシッと友宏の腕を掴んだ。


「うわっ!」


 友宏は当然の反応を示し、輝虎の力無い手を振りほどいて立ち上がる。すると間もなく輝虎は顔を上げ、


「保健室は……大丈夫だ……。しょ、食事、を……」


 と言い残して再び伏した。


(はぁ、やっぱりいつものやつか……)


 それとなく結果が見えていた慧は心の中で小さなため息をつき、友宏と共に輝虎を立ち上がらせて恵凛の席に座らせた。

 その後、慧の弁当と恵凛の弁当を少しずつ分け与えられた輝虎は見る見るうちに元気を取り戻して行き、最終的には誰よりも元気になって話を始めた。


「いやー、助かった! 一昨日辺りから何も食べていなくてね。はっはっはっはっ!」

「いやいや、笑い事じゃないですよ……」

「まぁまぁ、生きていたんだから良いじゃないか」


 輝虎はあっさり答えると、再び笑って見せた。


「ほ、本当に大丈夫なのですか?」

「大丈夫大丈夫! ピンピンしているよ!」


 心配そうに問いかける恵凛に対し、輝虎は席を立って軽くストレッチをして見せた。かと思うと、突然何かを思い出したようで、


「そうだそうだ。そんな事よりこれを見てくれ給え!」


 と言いながら、白衣のポケットからスマホを取り出し、少し操作した後にスマホを机上に置いた。そんな輝虎に促されるまま三人がその画面を覗き込むと、そこには先日部活動で夜の学校に訪れた時の写真が表示されていた。


「これって、こないだ部活で学校に来た時の写真すか?」

「あぁ、そうだ。密かに何枚か撮っていてね。それでここ、ここを見てくれ!」


 立っていた輝虎は席に座り直すと、輝虎以外の全員が写っている写真のとある箇所を指で示した。するとそこにはぼんやりと白い靄がかかっているように見えた。


「これ、オーブってやつですか?」


 写真に写る靄を確認した慧はいち早く反応し、輝虎の方を見た。


「そう。その通り! 学校の七不思議は何も起きなかったが、あの日あの場所には何かがいたかもしれないんだ! 君たち、何か心当たりは無いかい?」


 輝虎はそう力説すると、両手を机について三人の顔を見回した。しかしそれに答えるものはおらず、皆首を傾げた。


「ふむ。誰も心当たり無し。か……」


 先ほどまでハイテンションだった輝虎はあからさまに肩を落として呟いた。


「お力になれずすみません……」

「すんません。俺もなんもピンと来なくて」

「いや、いいんだ。気にしないでくれ」

「と言うか、そもそもこれは本当にオーブなんですかね?」


 話が纏まりかけていたところに、興味本位でぽつりと口にした慧の言葉が場を静めた。


「あっ、いや、これは違くて……」


 嫌な予感を察知して言い訳をしようとしたのだが、輝虎は既に腕を組み、考え込んでいた。そして、


「確かに。これがオーブと言う確証も無いか……。よし、今日の放課後の活動が決まった! 放課後、理科室に集合だ!」


 何かを閃いてしまったようで、輝虎はそう言い残すと慌ただしく教室を去った。


「なんか面白いことになりそうだな!」

「はい! わくわくします」

「は、ははっ、だね……」


 ノリノリの友宏と恵凛に合わせてそう答えた慧だが、心の中では自分の軽率な好奇心を悔やむのであった。

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