第五十五話 関係性
翌日、慧は昼過ぎになってようやく目覚めた。アラームもセットせず、泥のように眠りたいだけ眠ったのは久しぶりのことであった。時刻は二時を回っていた。しかしそんな快さも長くは続かなかった。起きて間もなく、ベッドサイドテーブルで充電していたラヴィが忙しなく振動し、画面を明滅させ始めたのである。
それを目にした慧は致し方なくイヤホンを耳にかけた。するとその直後、ラヴィの質問攻めが始まった。部活はどうだったのか。何か面白いことはあったのか。女子との進展はあったのか。等々。昨晩ラヴィに一言も報告をせずに寝てしまったが故に、慧の休日はラヴィの質問に答えるだけで消費されていき、時刻はいつの間にか夕方を過ぎ、気付けばまた暗い部屋のベッドに寝転がって天井を見つめ、そして目を閉じるのであった……。
翌日はセットしていたアラームで目が覚めた。時刻は平時より少し遅らせた八時頃であった。慧はカーテンの隙間から射す微かな朝日の中、サイドテーブルに置いているスマホを手に取り、念のためセットしていた八時半以降のアラームを切り、再びベッドに仰向けで寝転がった。約束の昼前まではまだ時間がある。寝起きの頭でぼんやりと考えた慧はとりあえずユニユニを起動した。
それからしばらく薄暗い中でスマホの画面を見ていると、次第に目と脳が冴えて来た。それを機に今が潮時だと感じた慧はゲームを続けながら身体を起こし、ベッドから離れた。
朝のルーティーンを終えて自室に戻って来ると、部屋の暗さに少々驚いた。と言っても、単に部屋の暗さに驚いたわけではない。ゲームに夢中で自室の電気も点けずに部屋を出て行った自分に驚いていたのであった。なんていう一驚の間に、サイドテーブル上のラヴィが振動を始めた。
「どうした?」
【どうした。じゃありませんよ! 私の充電、忘れましたよね!】
「あぁ~、ごめん。忘れてた」
慧はあっさりと非を認めて答えたが、実は昨日ラヴィに絡まれ過ぎて、その腹いせに充電せずに寝たのであった。
【全く。気を付けてくださいよ!】
「はいはい」
面倒くさそうに答えると、慧は渋々充電ケーブルをラヴィに繋いだ。次いで耳に掛けたイヤホンも外そうとした時、
【お待ちを! ご主人!】
と、ラヴィが慧を引き留めた。
「なんだよ」
【昨日お話を聞いて、それからずっと考えていたのですが……】
ふてぶてしく気怠そうに答えた慧に対し、ラヴィはツッコミも入れず真剣な様子で話を始める。慧もそれで何かを察し、イヤホンの位置を正してベッドに腰掛けた。
【まず、宇留島氏と江波戸氏の関係。これはやはり気になりますね。私のデータには彼女たちの接点は記録されていません】
「うん。それは俺も思ってた」
【と言うことは、眼鏡を掛けていない状態でも、ご主人は彼女たちが会話をしているところを見たことが無いのですね?】
「うん。一切ない。唯一友宏だけが、新入部員は江波戸だって聞かされてたみたいだけど、それも先輩から聞いただけっぽかったな」
【なるほど。この二人の関係は調べていく必要がありそうですね】
「そうは言っても、二人とも抜け目無いからなぁ……」
【まぁまぁ、そこは追々考えていきましょう。次にもう一つ気になったのが、宇留島氏の引き際ですね】
「引き際?」
【はい。私に集積されたデータを見るに、宇留島氏がすんなりと部活動の強制終了を受け付けるとは思えません】
「いやだから、昨日も話しただろ? 先輩のイタズラで俺たちが校舎を走り回る羽目になったから、強制終了には誰も言い返せなかったんだよ」
【はい。確かにそうと伺いました。ですが、既に宇留島氏は目的を達成していたから言い返さなかった。とも考えられませんか?】
「目的……? 目的は超常現象の研究だろ?」
【確かにそれが第一目的だったと思います。しかしそれ以外にも目的があった可能性も否定できませんよね?】
「まぁそれはな」
【ではご主人に聞きますが、昨日まで江波戸氏の存在を隠していたのには何か理由がありそうだ。とは思いませんか?】
「あぁー、まぁ、言われてみればそれもそうだな。俺と江波戸はクラスメートなんだから、そもそも隠す必要なんて無かったよな……」
【そういうことです! そこで私が疑っているのは、宇留島氏と江波戸氏が何らかの密約を交わしているのではないか。ということです!】
「うーん、なるほど……」
サスペンスドラマの主役並みに次々と推理を展開していくラヴィに圧倒され、慧は唸り声に近い声を漏らしながら脳内を整理する。もしかしたらラヴィに誘導されているかもしれない。という可能性も含めて。
「お前が言ってることも分からなくはない。けど、今決めつけるのは早計だと思う」
数秒の後、慧は整理した結果をラヴィに伝えた。
【……それもそうですね。少し興奮し過ぎたようです。機械ですが】
「ふっ。まぁでも、その可能性は覚えておくよ」
【本当ですか、ご主人!】
「あぁ、折角データから算出して教えてくれたわけだしな」
【もう、ご主人ったら。ありがとうございます!】
「なんか気持ち悪いから無かったことにしようかな」
【そんな! 撤回しますから許してくださいよ~】
真剣なムードから一転、会話は少々道を逸れてしまった。そのせいか、慧は再び昨日の話に戻る気がしなかったので、その流れのままラヴィとの会話を終えて出掛ける準備を整え始めた。
洋服を吟味し、髪をセットし、遅めの朝食を摂るか悩んだ末に止め、部屋に戻ってショルダーバッグの中身を確認し、充電していたスマホを手に取り、珍しく勉強机の中にしまわれている不釣り合いのオフィスチェアを引き出してそこに腰掛けた。
(十時過ぎか……。ってことは、星峰のショッピングモールは開いたな。あ、でも、安雲橋の駅ビルにも本屋があったよな。けどまぁ一人で決めるのも変な話だし、とりあえず龍宮にメッセージを送っておこう)
スマホを右手の中で弄びながらその考えに行き着くと、慧はくるりと椅子を回し、勉強机に両腕を置いてメッセージを打ち始めた。
何度か打ち直し、読み直し、納得のいく文章になってからメッセージを送信すると、慧はスマホを机に置いた。そしてしばらく返信は来ないだろうと一息ついて立ち上がろうとしたその時、スマホの画面が明るんだ。
『おはようございます。丁度連絡をしようと思っていたらメッセージが来たので驚きました!』
画面に表示されているメッセージはそこで切れていた。この不自然な切り方は、続けてもう数件メッセージが来るな。そうと直感した慧は椅子に座り直してスマホの画面を静観した。すると一分後、予想通りメッセージが送られてきた。
『私の方は既に準備が整っていますので、いつでも大丈夫です。それと、本屋さんは出来れば大きい所だと嬉しいです』
慧が送った二つの質問に対して、それぞれに適した丁寧な答えが返って来た。慧は念のためメッセージを二度読み直し、
『了解。俺も準備できたところだから、とりあえず迎えに行くね』
と返信をして席を立った。
ショルダーバッグにラヴィ一式と財布を入れ、スマホはズボンのポケットに押し込み、自宅の鍵は手に持って玄関へ向かう。玄関から出て鍵を閉めると、用済みになった鍵はバッグに入れてチャックを閉じ、慧は龍宮宅のインターホンを押した。
「はーい?」
玄関ドアから顔を覗かせたのは家政婦の三宅であった。
「おはようございます。えっと、恵凛さん、いますか?」
慧は呼び慣れていない彼女の名前を呼ぶことに恥ずかしさを覚え、ギリギリ聞き取れるくらいの声で答える。
「はい。今お呼びしますね」
三宅は優しい声音で答えると、ニコリと笑みを浮かべてドアを閉じた。
それから少し後、再びドアが開かれた。今度はそこから恵凛が現れ、彼女は小さくお辞儀をしながらドアの隙間を抜けて出て来た。
「おはようございます」
「うん。おはよう」
門扉を抜けて来た恵凛の挨拶に慧も挨拶を返す。そして二人は互いに何かを話し出そうとして短く見つめ合うが、喉に何かが引っ掛かってしまったように言葉が出ず、結局微笑みを交わして横並びになり、駅に向かって歩き出す。
「……行き先なんだけど、」
駅へと続く信号に辿り着いてしまう前に話し出さなくては。そう考えた慧は少々早口に切り出した。
「一応安雲橋の駅ビル内と、こないだ行った星峰のショッピングモールにある本屋がここら辺だと大きめの本屋なんだけど、龍宮はどっちの方がいい?」
一人で決めるのも忍びないと思ってそう質問した慧だが、今になってみると、決断を彼女一人に押し付けているような気がして来て、慧は少し表情を歪めた。
「そうですね……」
そこまで呟いた恵凛は黙った。やはり困っているのかもしれない。慧がそう判断しようとした直後、
「この間はゆっくりと見られなかったので、ショッピングモールの本屋さんでも良いでしょうか?」
と、恵凛は何も気にしていない様子で答えてくれた。
「う、うん。オッケー。じゃあ星峰に向かおう!」
勝手に沈み始めていた反動か、恵凛の答えを聞いた慧はワントーン高い声で答える。そして二人は既に青になっていた横断歩道を渡り、駅に向かって伸びる直線を進んだ。
……ゴールデンウィークではあったが、慧たちが乗った電車は想像よりも空いていた。と言っても席に着ける程では無く、二人は立ったまま二十分近く揺られ、星峰で下車した。そして改札を抜ける人波に飲まれ、ショッピングモールを目指す人波に流され、二人は会話もままならないうちにショッピングモールの入り口に到着していた。
「つ、着いたね……」
「は、はい……。先日来た時も凄い人の数でしたが、今日はそれ以上でしたね……」
慧と恵凛は目的地を前にして互いに疲れ切ったような口調で言うと、隣にいる互いの顔を見た。そして互いに馬鹿らしく思って微笑むと、二人は姿勢を正して再び歩き出した。
目的地である本屋は四階に位置するので、二人はエスカレーターに乗って上へ上へと昇って行った。そして以前、慧、恵凛、璃音の三人で買い物をしに来た時に少しだけ立ち寄った記憶を頼りに、二人は本屋に辿り着いた。
「ここだ。改めて見るとデカいな」
「前に来た時は、この新刊コーナーしか見ませんでしたからね」
恵凛はそう答えながら数歩前進して、新刊の一冊に手を伸ばす。
「そうだったね。それにしても凄い量だ。新刊ってこんなに出てるんだな……」
慧は恵凛に同調したかと思うと、今度は独り言のような曖昧な言葉を漏らして自らも新刊コーナーに歩み寄り、新刊の数々を流し見した。
「それが目当ての物?」
新刊コーナーにザッと目を通した慧は、今も尚最初に手に取った新刊本を見ている恵凛に問いかけた。
「いえ、気になっただけで。買いに来たのは――」
「こんにちは。空門黄李です。この度、二年振りに新作を書き下ろしました。内容は、純粋な愛を追求した作品となっております。中高生から大人まで、幅広い年齢層に響くよう想いを込めましたので、お読み頂ければ幸いです。……」
恵凛が答えようとしたタイミングで、新刊コーナーの一つ奥にある特設コーナーから、そんなアナウンスが聞こえてきた。慧はそれで全てを察し、特設コーナーに向けていた視線を恵凛に戻した。
「あっ……。ふふっ、そういうことです」
慧の視線に気付いた恵凛は、まさか広告に目当てのものをバラされるとは思ってもいなかったという風に、恥ずかしいような困ったような笑いを添えて答えた。
「そっか。それじゃあ、あっち見に行く?」
「はい。そうしましょうか」
そう答えた恵凛は手に持っていた本を平積みに戻した。そして静かに店内へ入って行ったので、慧も恵凛に続いて新刊コーナーへ向かった。
特設コーナーには空門黄李以外にも数人の注目作家がピックアップされていた。しかし慧と恵凛の二人は真っすぐに空門黄李の作品が並ぶ棚の前に移動をして、平積みになっている新刊の他に、既に文庫化されている数冊を発見した。
「新刊の他にも並んでるみたいだね」
「はい。恐らくですが、新作発表に合わせて昔の作品も売り出しているのでしょうね」
「なるほど。まぁ丁度良かった」
「……?」
何が丁度良いのかと、恵凛の澄んだ瞳が慧を見上げて訴えかけて来た。
「俺も今日空門黄李の小説を買おうと思ってたからさ。その、改めてオススメを聞いても良いかな?」
慧の答えと問いを聞いた恵凛は、先ほどまで疑問のために大きく開かれていた目を三日月形に細めて笑い、「はい。私で良ければ」と答えた。
「まず始めに、私がオススメするのはこの短編集ですね。これは……」
恵凛は本棚から一冊の文庫本を取り出して解説を始める。慧はそれに耳を傾け、作品の理解を深めようとする。しかしその意識は、いつの間にか恵凛の表情に吸い寄せられた。何故なら、言葉ではとても楽しそうに解説しているはずの彼女の表情が、とても悲しそうに映ったからである。




