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第五十話 気付き

 短い午睡から目覚めると、慧の心にかかっていた霧は幾分か晴れていた。しかしそうは言っても先を見通すことはまだまだ困難で、ふとした一瞬には謎の部員のことや、輝虎の存在や、璃音の言葉など、様々な悩みが霧の上に浮かんでは消え、浮かんでは消え、慧の行動の全てを妨害した。この調子では一日中何も手に付かない。そうと考えた慧はもうこれ以上考え事をしないようにと、さっさと夕食や風呂等々を済ませ、波乱の一日に終止符を打った。


 翌朝。少しとは言え夕方に寝てしまったせいか、慧はいつもより早く目覚めた。アラームが鳴るよりも前に起きたのは実に久しぶりのことであった。しかし早く起きてしまうというのも酷なもので、登校時間まで何もすることが無い。そこで慧は最高の暇つぶし、ユニユニを思い出し、それで時間を潰すことにした。

 学校鞄の中身を整えたり、一階に下って顔を洗ったり、歯を磨いたり、朝食を摂ったり、それら何をするにもポチポチと片手間にスマホ画面をタップしながら、慧は大体の登校準備を済ませて部屋に戻った。そうして残りの時間はベッドに寝転がって何を考えるでもなくユニユニをプレイし、出発時間のアラームが鳴ったタイミングでようやくユニユニを閉じた。それまで約一時間あったのだが、ユニユニをしていたおかげか、慧は無駄な考え事に捕らわれずに済み、いつもより心穏やかな状態で家を出た。

 今朝は恵凛と登校する約束が無かったので、慧は一人で駅に向かった。その道中、一人で歩いていると勝手に考え事を始めそうで怖かったので、慧は鞄からイヤホンを取り出し、それを装着してラヴィに話しかけた。


「なぁ」

【はい、どうかいたしましたか?】

「いや、動いてるか確認しただけ」

【なっ! なんて雑な扱い!】



 もとより中身のない会話を求めていた慧はラヴィのこの期待通りの反応に対し、満足げに微笑みを浮かべた。


【ちょっとご主人。無視しないでくださいよ】

「あぁ、悪い悪い。たまには中身の無い会話も良いなって」

【ふむふむ、そうですか。良いでしょう! 私がいつまでもお付き合いしますとも!】

「……ありがとな」

【ん? 何か言いましたか?】

「何も言ってないよ。ほら、眼鏡もかけてやるから、今なら何でも答えてやるぞ。もちろん、答えられる範囲でだけど」

【本当ですか! では、早速駅の構造に関していくつか……】


 こうしてラヴィとの世間話を広げることで変に考える時間を作らないことに成功した慧は、そのままラヴィと身にもならない、恋愛とも全く関係の無い話をしながら学校へ向かった。

 昨日、恵凛たちと出くわさないように一本電車を遅らせて登校したせいか、今日、いつも通りの電車で登校すると、朝のホームルームまで大分余裕があることが改めて分かった。


「よっす」


 挨拶とも判別し難い挨拶をしながら慧の席に近づいて来たのは友宏であった。


「おはよう」

「おう。元気そうだな」

「元気そうってなんだよ」

「いや、昨日帰る時に疲れ切った顔してたからさ」


 やっぱり、昨日の別れ際の曖昧な表情と台詞は俺を労ってのものだったのか。と慧は心の中で思いながら、


「まぁ、あんなことがあって疲れない方がおかしいよな」

「ははっ、確かに」

「で、何の用?」

「用? なんも無いけど」

「用も無いのに来たの?」

「そんなもんだろ。別に一緒にいるからって無理に話す必要も、何かをする必要も無いし。一緒にいたい奴と一緒にいる。それで良いだろ?」

「うーん、まぁ、確かに……」


 こいつ、普段は全然考えていないように見えるけど、突然考えさせるようなことを言うよな……。慧は友宏の無頓着そうな笑顔を見つめながら、ぼんやりとそんなことを思った。


「なんだよ。顔になんか付いてる?」

「い、いや、そう言うわけじゃ無いよ」

「んー、そうか?」


 慧の答えを聞いても尚、友宏は疑わし気に自分の両頬を右手で撫でた。それでようやく顔に何も付いていないことを確信したようで、ふんと鼻を鳴らした。


「ったく、マジでなんも付いてねぇじゃんか」

「だからそう言っただろ」


 通学時にラヴィと交わした会話くらいに中身の無い会話を続けていると、右隣の席が引かれた。そして、


「おはようございます」


 と、椅子に掛けた恵凛が二人に笑顔を向けた。


「おはよう」

「よっ!」


 恵凛に挨拶を返した慧は、ふと教室後方の出入り口に目をやった。するとそこには先ほどまで恵凛と一緒にいたのであろう璃音が立っており、丁度目が合った。璃音は右手を軽く上げてニコリと笑うと、声は出さずにそのまま自分の教室に戻って行った。


(あの様子だと、雀野はもう俺との一件を完全に振り切ってるみたいだな。まぁ面と向かって謝罪もされたわけだし、どこからどう見ても解決したはずだよな。けど、なんか引っ掛かるんだよな……。人間そんな簡単に心を開けるとは思えないし、むしろ昨日の雀野の宣言のせいで、一層アイツに霧がかかってしまったようにも思えるし……)


 もう誰もいない教室の出入り口を眺めながら茫然と考えていると、ホームルーム開始五分前のチャイムが鳴った。それで我を取り戻すと、周囲の雑音が一瞬にして耳を通り、慧の脳内に満ち、意識を振動させた。それによって目眩を覚えた慧だが、その振動は何事も無かったかのように消え去った。


「そんじゃ、俺も自分の席に戻るわ」

「あぁ、うん」


 つい今しがたまで何かを話していた友宏は話を切り上げて席を立ち、自分の席に戻った。


(考え過ぎだ……。考え過ぎは良くない。雀野本人からそう聞かされたわけでも無いのに、勝手にそうだと決めつけるのは俺の被害妄想だ。きっと今俺のすべきことは考えることじゃない。もっと他に何かあるはずだ……)


 慧は虚空の一点を険しい表情で見つめながら、マイナス方向に考えようとする自らを諫め、なるべく前向きな心持になるよう努めた。しかし心がどれだけ前を向こうとも、それに伴う明確な実質が付いて来ておらず、気持ちだけがただただ空回りするのであった。


 それから数時間が経ち、昼休みになった。慧は冷食の詰まっている弁当を半分ほど食したが、それ以上食べる気が起きず、弁当をしまって席を立った。


(考えるだけじゃ何も解決はしない。良い結果を求めるなら何か行動をしないと……。でも、何をするのが正解なのか全く分からない……)


 考えても仕方がないと分かってはいるものの、それでも考え込んでしまう慧は悶々としながらトイレに辿り着いていた。そして手洗い場の前に立ち、鏡面に映る自分の顔を見るともなく見つめた。するとその折、左の太腿が振動を感じ取った。確か左のポケットには……。と、その中身を思い出した慧はそそくさと奥の個室トイレに入った。そうしてそこで左のポケットに手を突っ込むと、中からラヴィの本体を取り出した。


「どうしたんだ……?」


 イヤホンを装着した慧はラヴィ本体の画面を覗き込みながらひそひそと問いかけた。


【えーとそのですね、珍しく今朝から眼鏡を掛けたままでしたので、一応お伝えしておこうかと思いまして】

「えっ……」


 ラヴィに言われて自分のこめかみに手を持っていった慧は、その指先が肌に触れるよりも前に無機質なフレームに触れて愕然とした。


「全然気付かなかった……」

【やはりまだ消化不良の悩みか何かがあるのですね】

「うん。まぁ図星かな。けど、相談もしづらいと言うか……」

【なるほど。ですが私は恋愛サポートナビ! 何なりとお話しくださいよ。それにもしも答えが出なくとも、話すことで気持ちが整理されることもありますし!】

「うーん、そうか? まぁじゃあ一応……」


 慧は一度そこで言葉を区切ると、小さく呼吸をして話を続ける。


「端的に言うと、今の俺は何をするべきなのか分からないんだ」

【何をするべきか。ですか。ふむ、確かにアバウトですね】

「だろ? 龍宮は突然欠席した日のことをいつか話すって言ってくれてるけど、いつになるか分からないし、でも気になるし。雀野は隠し事なく対等に話せるようになる。って言ってたけど、こないだのことがあるから踏み込んだ質問はしづらいし、てかそもそも俺は対象外かもしれないし。江波戸は学校来ないし、先輩は意味不明だし…」


 まるで呪文を唱えるかのように、慧は小声でぶつぶつと現状の不満や悩みをやや早口に吐き出した。


【これはこれは、溜め込んでいましたねぇ】


 半ば呆れているような、半ば憐んでいるような調子で答えたラヴィはすぐに言葉を継ぐ。


【まずはそうですねぇ。宇留島氏。これは昨晩も言いましたが、情報が少ないのでどうしようもないですね】

「ははっ、だよな……」

【続いて龍宮氏。彼女は今私の持っているデータからして、自分のタイミングで話してくれると思います。今の調子で少しずつ距離を詰めましょう】

「分かった」

【その次は雀野氏。これは推測の域を出ませんが、もしかしたら彼女は自分の意思を提示することで、遠回しにご主人へ挑戦状を叩き付けていると私は分析しました】

「挑戦状?」

【はい。以前は踏み込んだ話をしてきたご主人を拒みましたが、今は違うぞ! だから踏み込んで来い! と言う身構えのように私は考えました】

「なるほど。確かに勝ち気な雀野らしくはあるな……」

【そうして最後は江波戸氏。来ないならこっちから行きましょう!】

「は?」

【今晩、コンビニに行くと言うことですよ!】

「お前な……」


 慧が言い返そうとしたその時、昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。


「はぁ、予鈴鳴ったからまた後でな」


 文句を言い切れなかった慧は不満気にそう付け加えると、ラヴィとイヤホンを左のポケットに入れ、眼鏡はそのままに個室トイレを出た。そして今更ながら、今日に限って誰もトイレに来なかったことに感謝しながら、慧は教室に戻った。


「あ、やっと帰って来た」


 教室に戻って来て早々、友宏が駆け寄って来た。


「探したんだぞ」

「な、なに?」

「先輩から連絡が来たんだ」

「え、ホント?」

「あぁ、コレ」


 そう答えるや否や、友宏は右手に持っていたスマホの画面を慧に見せた。するとそこには、『すまない! 急遽予定が入ったから今日の放課後のミーティングは無しだ! 皆にもそう伝えておいてくれ給え』という文面と、ニヤリと笑う顔文字が添えられていた。


「放課後の集まりが、無し……?」

「そうなんだよ」

「もう明日からゴールデンウィークだって言うのに」


 ――そんな慧の憂いと疑惑を余所に、五時限目の始まりを告げる鐘が鳴った。教室の出入り口付近で話していた二人はアイコンタクトだけを交わし、各々自分の席に戻るのであった。


 残り二時間の授業を何とか乗り切った慧は、放課後に恵凛と璃音、そして情報を持っている友宏に声を掛け、七組の教室に集合した。


「まず、これを」


 友宏からスマホを受け取った慧はそれをそのまま恵凛と璃音の二人に見せた。


「あぁー、そうなんだ。ま、それならそれであたしは軽音部の方に顔出そうかな」

「明日の予定はどうなるのでしょうか?」

「え、二人とも切り替え早くない?」

「だって、来れないもんはしょーがないじゃん?」

「まぁ、それはそうだけど――」

「それもそうだな! よし、とりあえず俺がグループ作っておくからさ、二人とも連絡先教えてくれよ」

「うん、いいよー」

「はい。お願いします」

「えぇ……」


 思いの外三人の切り替えが早く、慧は気が抜けると共にだらしない声を漏らした。


(でも確かに、俺が気張り過ぎだったのかもな。いろんなことを考え過ぎて勝手にマイナス方向に向かっていくのは俺の悪い癖だ。三人を見習って俺も切り替えよう)


 連絡先の交換をしている三人を見て、慧は人知れず元気を受け取った。今まで人とのかかわりを避けてたせいで、勝手に憶病になってるだけかもしれない。なんて追加で思っていると、慧のスマホにも招待が届いた。


「慧にも送っといたぞ」

「おう、ありがとう」


 友宏に釣られて笑顔で答えると、慧はスマホを開き、メッセージアプリを開き、届いていた招待、『超常現象研究部』と名付けられたルームへの招待を受諾した。

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