第四十三話 強引な勧誘
入部届けを書き終えた慧はシャーペンを筆箱にしまい、碌に確認もせず、用紙を輝虎に差し出した。恵凛と友宏の二人は既に用紙を輝虎に渡しており、慧の用紙が渡されたことで三人分の入部届けが輝虎のもとに揃った。すると彼女はその三枚の入部届けを手に取り、しげしげと見つめた後にそれを机に置いた。
「うん。全員ちゃんと書けているね。それじゃあこれを今から提出しに行って、その後は理科室に行って詳しい話をしよう!」
輝虎はそう言いながら三枚の入部届けをそれぞれの手元に滑らせ、一人先に席を立った。
「はい! 行きましょう!」
「なんか楽しみになって来たな!」
思った通り、恵凛と友宏は入部届けを返却されると、やけに前向きな反応を示しながらそれを拾い上げ、輝虎に続いて席を立った。
「う、うん。そうだね……」
最早自分は蚊帳の外だと気付いてはいたが、慧は念のため小さく同意の言葉を発して立ち上がると、先に歩き出していた三人に続いてテラスを離れ、一行は職員室へと向かった。
「君たちは同じクラスだと言っていたね?」
職員室へ向かう道中、輝虎がふと尋ねた。
「はい、そうです」
それに答えたのは、輝虎のすぐ右斜め後方を歩く恵凛であった。
「僕が先生を呼ぶから、クラス担任の氏名を伺っても良いかな?」
「はい。内海先生です」
「内海先生だね。了解した」
輝虎は目を輝かしながら溌溂と答えた。そして誰よりも先に階段を下ると、職員室へと続く廊下の角を曲がった。
「ゴホン。では、君たちは少し後ろで待っていてくれ給え」
職員室のドア前に立った輝虎は軽く咳ばらいをしてそう言ったので、慧たち三人は大人しくそれに従い、彼女がドアをノックする姿を後ろから眺めていた。
「失礼します。二年三組の宇留島輝虎です。内海先生はいらっしゃいますか?」
彼女の登場は職員室の空気を僅かな時間凍結させた。そして一間置き、
「えっ、わ、私?」
と、職員室の奥まった席に掛けていた内海が立ち上がり、周囲の先生に確認した。すると答えを求められた先生方がうんうんと一斉に頷いたので、内海は自らの行いを顧みながら不可解な表情を浮かべて輝虎の方を見た。そして未だ得心の行かないまま、彼女は少々早足で職員室前方の出入り口まで来て、輝虎と一緒に廊下へ出て来た。
「えっと、どうしたの?」
輝虎が自分を呼んだことにも驚いていたのだが、それに加えて自分の受け持つクラスの生徒が三人も廊下で待っていたことを知った内海は更に驚いた。しかしすぐに、自分が驚いていては話が進まないと気付いた内海は、こういった場合に用いる定型文を目の前にいる四人の生徒に投げかけた。
「嬉しいご報告を持って参りました! ねぇ諸君!」
この場で一番答えるに相応しくない輝虎が答えると、彼女は慧たちに無理矢理同意を求めた。それに対して恵凛と友宏が小さく頷いて見せたので、輝虎は内海の前から退き、慧たちの後ろに回った。
「その……。嬉しい報告って言うのは?」
その場の主導権を完全に輝虎に握られてしまった内海はこれ以上どうすることも出来ず、困惑と不穏の文字を表情に現しながら慧たち三人に問いかけた。
「これを、持ってきました……」
自信なさげにそう切り出したのは恵凛であった。するとそれに続いて友宏が入部届けを内海に手渡し、
「これ。えーっと、ナントカ研究部の入部届けっす!」
と、付け加えた。
「入部届け? 超常現象研究部って……」
内海は先ほどまで浮かべていた困惑と不穏の表情を消し、忽ち難問にぶち当たったような険しい表情に変えてそう言うと、三人の顔を見回した。……しかし三人とも答えあぐねていたので、内海はその間に冷静さを取り戻し、優しい声音と言葉をチョイスして問いかけ直すことにした。
「その、部活動に入るのはとても良い事よ」
そこまで言うと、内海はススッと三人に歩み寄り、顔を近付け、
「けど、本当にこの部活で良いの……?」
と、輝虎に聞こえないくらいの小声で囁き、すぐに元の位置へ戻った。
(そんなの、嫌に決まってるじゃないですか)
すぐにでもそう答えたかった慧だが、今日だけ我慢すれば、今日だけ我慢すれば……。と自らに言い聞かせてその言葉を生唾と共に胸の奥底へと飲み込むと、
「はい。そう言うのに興味があって」
と、心にもない答えを返した。すると内海はその返答から何かを感じ取ったのか、怪訝そうに慧を見つめた。
(マズいな、流石に感情がこもって無さ過ぎたか?)
慧が自分の失敗を悔やみ始めたその時。
「そうなんすよ! 面白そうじゃないっすか、超常現象!」
と、友宏が天然のフォローを入れてくれた。それで慧の言葉に多少の現実味が出て来たのか、内海は少しだけ表情を和らげ、今度は恵凛の方に顔を向けた。
「龍宮さんも?」
「は、はい! 私も、私も興味があります!」
「ふーん……。分かった。なら受け取っておくわね」
「はい」
代表者として慧が返事をすると、内海は小さく頷き、手に持っている三枚の入部届けを両手で軽く纏めた。
「それじゃあ一応預かっておくけど……」
「どうかしましたか。内海先生?」
言葉を閊えさせている内海を見て、恵凛がそう聞いた。すると、
「その、ね。入部届けの前に、まずは部を作らないといけないのよ。それでね、部を作るにあたって、最低でも生徒が五人と、顧問が必要なのよ」
内海のその言葉を聞き、慧たちは黙り込んだ。そして三人そろって一斉に後方を振り向き、輝虎の顔を見た。
「ん? どうしたのかな?」
「ん? じゃないですよ。そもそも部活動として認められてないって言われてますけど」
「……?」
勧誘した三人と内海の視線を受けながら、輝虎は堂々と腕を組み、状況が全く把握できていないと言いたげな表情で首を傾げた。
「いやいや、流石に無理ありますよ。な、友宏」
「無理はあるな。けど、流石っすね~。噂通りの変人だ!」
慧は良いように友宏を使うつもりで話を振ったのだが、想像以上に友宏が棘のあることを言ったので、少しだけ冷や汗をかいた。しかし輝虎は全くノーダメージと言った風で、と言うか全く話を聞いていないようであった。何故なら彼女は相変わらず、腕を組んで首を傾げていたからであった。
「宇留島さん。そう言う事だから、部を作りたいならもう一人連れて来てね。それと、顧問も探すように。それじゃ」
これでは埒が明かないと思った内海がそう言って話を切り上げようとすると、
「何を言っているのですか! 顧問はもういるじゃないですか!」
「え、えぇ? そうなの?」
「はい。貴女ですよ! 内海先生!」
「えっ、あ、えーっと……?」
気を遣ってこの場を切り上げようとしていた自分に鋭い刃が飛んでくると思っていなかった内海は、言葉にならない声を発した後、口を薄く開いたまま虚空を見つめ、輝虎の発言を何度も何度も脳内で復唱したが、それでも理解が及ばなかった。
「すみません。僕たちはこの後大事なミーティングがありますので、今日はこれで失礼させていただきます! あともう一人は今週中に見つけて参りますので。では行こう! 諸君!」
輝虎は混乱している内海を残し、さっさと廊下を歩き出した。
「うおー! 面白くなってきたな!」
「はい! 一体何をするのでしょうか!」
歩き出したハーメルンの笛吹き男ならぬ女に釣られ、恵凛と友宏も廊下を歩き出す。そうして残された正気の慧は、狂気と正常の狭間で揺れ動きながらも、茫然と立ち尽くしている内海に「すみませんでした」とだけ言い残し、正気のまま狂気の後を追った。
「な、何が起きたの、この数分で……」
廊下には内海一人だけが立っており、彼女は小さく呟きながらつい先ほどまで目の前で吹き荒れていた台風一過を思い出して身震いした。その後一瞬、今のは全部幻だったと思い込もうともしたのだが、手元に残った入部届けの用紙が物的証拠となり、内海は深いため息をついて職員室へ戻るのであった……。
なんて葛藤が行われていることなど露知らず、輝虎率いる狂気のパレード一行は、終着点である理科室に辿り着いていた。
「さぁ、入り給え」
さも自室へ案内するかのような調子で言う輝虎に続き、三人は理科室へ通された。そして黒板に一番近い実験台を囲む席に各々かけると、輝虎は黒板の前に立ち、そして黙々とチョークで文字を書き始めた。
しばらくの間、チョークがコツコツと黒板を打つ音が理科室に響いた。慧たちは手持無沙汰で、しかし何を喋れば良いかも分からず、ただ黙って輝虎の動向を伺った。この沈黙があと何分続くのだろうかと慧が考え始めた折、チョークが粉受けに置かれた音が聞こえた。
「よし、こんなところだろう!」
手をはたきながら言う輝虎に釣られて慧たちは一斉に黒板へと視線を向けた。すると中央より左側に「超常現象研究部始動!」という大仰な嘘が書かれており、右半分には「天方中央高校の七不思議!」というテーマらしき文言が書かれていた。
「少し気は早いかもしれないが、超常現象研究部、本日より始動だ! そして栄えある一つ目の研究は、この学校の七不思議だ! どうだ、面白そうだろう、諸君」
輝虎のその問いかけに、慧たち三人は顔を見合わせた。なんて答えるのが正解なんだ? 全員が全員そんな顔をしていた。
「あのー、そもそもの話なんですけど、まだ部活動を認められてないですよね?」
水を差すようで悪い気もしたが、慧は冷徹に事実を述べた。
「大丈夫。あともう一人連れて来れば良いだけの話だろう。それにもし候補が居なかったとしても、僕たちの熱狂的な好奇心は誰にも止められない! そうだろう?」
教師用の実験台と黒板の間を右往左往しながら、輝虎はそれらしい演説を披露した。
(この人、無敵だな……)
微塵の罪悪感も無く言う輝虎を目の当たりにした慧は、改めて彼女の傍若無人っぷりを思い知らされたような気がして、小さくため息をついた。そして、
「はぁ、分かりましたよ。話は聞きます。ただし、本当に聞くだけですからね」
と、諦め半分にそう返答した。
「本当かい? 君たちも?」
輝虎はそわそわと慧に問い返したかと思うと、次いで視線を恵凛と友宏の間で反復横跳びさせながらそう聞いた。
「は、はい。私は、その、興味があります」
「俺も俺も!」
恵凛は少しだけ慧に気遣うように答え、友宏は相変わらずの爛漫さを以て答えた。
「よし、じゃあ決まりだ! 今から軽く概要を説明して進ぜよう!」
三人の前向きな答えを聞いた輝虎はパッと表情を明るませ、そそくさと慧たちのもとへ歩み寄って来て木椅子を引き出した。そしてそこへ腰かけると、いつもの高飛車な調子では無く、まるで幼子のような純真さで現状の調査状況を話し始めた。
……輝虎の話が終わったのは午後六時半であった。それも自主的に終了したというわけでは無く、部活動の終了目安を告げる鐘が鳴り、それで強制的に終了させられたようなものであった。
「おや、もうそんな時間か。これから詳細な説明をしようと言うのに……。まぁ致し方ない。今日の所は解散としよう」
まだまだ話し足りなさそうではあったが、流石の輝虎も最低限の常識は弁えているらしく、話を切り上げて立ち上がった。
「施錠は僕がしておくから、君たちは先に帰り給え」
「はい。ありがとうございます。お話、面白かったです」
「ふわぁーあ。途中ちょっと眠かったけど、七不思議面白かったっす!」
輝虎に次いで恵凛と友宏も立ち上がり、それぞれが輝虎に軽く挨拶をした。
「じゃあ、お言葉に甘えて、俺たちは先に失礼しますね」
これ以上輝虎を褒めても良い事は一つも無いと踏んだ慧は、感想は一切述べずに立ち上がり、小さい会釈をして廊下に出た。そんな彼に続き、恵凛と友宏も辞去を述べて廊下に出ると、三人はそのまま四階の渡り廊下を進み、下駄箱へと向かった。
慧たちが教室棟に辿り着こうという頃、諸々のチェックを終えた輝虎が理科室から出て来た。そして施錠を済ませ、鍵を返すために職員室へ向かおうと歩き出したその時、数メートル先の渡り廊下の曲がり角に立っている人物が目に入った。
「おや、彼女は確か……」
輝虎が小さく呟きながら歩き出すと、その足音で渡り廊下の角に立っている人物がパッと一瞬振り返った。そして完全に目が合うよりも先に、その人物は慧たちを追うように渡り廊下を早足で歩いて行ってしまった。
「そうか、保健室の前で会った子だ」
去った人物の正体を思い出した輝虎は急いで渡り廊下まで来た。そしてそこを早足で行く銀髪の後ろ姿を見て小刻みに頷き、
「ウチに興味があるのかもしれない……」
と、鋭い視線を光らせながら無根拠な自信を呟くと、輝虎は鍵を返すために階段を下って行った。




