第四十二話 課されたミッション
四時限目が終わり、教室には様々な生徒が出入りをしていた。部活動が始まったということも拍車をかけ、今や一人で昼食を摂るような奴はいないのだろう。もちろん慧だって昼食を共にする友達がいないわけではない。ただ今日は不幸にも、恵凛も友宏も他の教室へ出向いているというだけの話である。慧は辺りの生徒たちを見て自らを嘲る気持ちと、今日は仕方ないんだという屁理屈を脳内で戦わせながら鞄に手を突っ込むと、そこから財布を取り出して逃げるように購買へ向かった。
今日は比較的空いていて、コロッケパンとミックスサンドの二つを購買で、次いでお茶を自販機で買った慧は数分で教室に戻って来た。
(今テラスに行ったら先輩がいるだろうし、今日は教室で大人しくしとくか)
騒々しい室内を一望して小さいため息をつくと、慧は自分の席に着いた。そして右手にはスマホを、左手にはコロッケパンを持ち、食事をしながら朝のデータ確認作業の続きを始めた。
(何となく軽い返事をしちゃったけど、小説か……。大分久し振りに読むな。小学生の朝読書以来か? 感想まで求められちゃったし、生半可な気持ちで読むわけにはいかないよな……。でも、なんか良い感じではあるよな。何がって明確には分からないけど、上手くピースがハマってる感じというか。努力が実ってる感じ……?)
いつの間にかスマホを操作する指を止めて考えに耽ってしまっていた慧は何に気付いたわけでも無いが、ハッとしてコロッケパンを頬張り、スマホの画面を忙しなくタップした。ただ漠然と、ちょっとした進歩を感じながら。
「――それ、ユニユニじゃん」
「へっ?」
ゲームと食事に集中していた慧は突然背後からした声に驚き、咀嚼途中のコロッケパンを飲み込んで素っ頓狂な声を出した。
「え、江波戸……?」
慌てて振り向いて見たそこには伊武が立っていた。
「なに。来ちゃ悪い?」
「い、いや、そう言うわけじゃ無いけど……」
もじもじした慧の答えを聞くよりも先に動き出していた伊武は、慧が答え終わる頃にはもう自分の席に着いていた。そして鞄を机に置いて慧の方に向き直ると、鋭い視線を慧に向けた。
「で、さっきやってたの、ユニユニでしょ?」
先ほどから伊武が言っているユニユニとは、慧が昨晩再インストールをし、絶賛プレイしているソーシャルゲームの略称である。正式には「ユニバース・オブ・リユニオン」というのだが、昨今特有の何事も略すという風潮に流され、このソシャゲを開発した大元がリリースするよりも前にユニユニと言う略称で宣伝を始め、それがしっかりとユーザーに定着したのであった。
「う、うん。そうだよ」
今日はもう伊武は登校してこないと勝手に決めつけていた慧は、鳩が豆鉄砲を食らったような調子で答えた。
「私もやってるんだよね」
「そ、そうなんだ。へぇ~」
偶然を装った返事をして見せたが、内心では作戦が上手くいき、自分でも何と答えたかハッキリと理解できないくらいには、慧は興奮状態に陥っていた。
「どのくらいやってるの」
そう聞く伊武の瞳はいつもより生気が宿っていた。やっぱりゲームのことになると少しだけ活き活きするんだな。と思いながら、慧は会話を続ける。
「えっと、実は復帰勢なんだよね」
「ふーん、あっそう……」
「あ、いや、ごめん」
「別に。五周年で復帰する人も多いみたいだし、良いんじゃない」
伊武は淡白に答えると、先ほどまで瞳に宿していた光を一瞬にして失してしまった。
(やばいやばいやばい。折角ソシャゲで気を引くって作戦は成功したのに、たったの一言で全部無駄になっちまう……!)
焦りに焦った慧は何を思ったか、右手に持っているスマホを伊武の前に差し出した。そして、
「見てくれないかな? 俺、強くなりたいんだけど、右も左も分からなくて」
と、会話の左右も見失いながらに申し出た。
「は?」
案の定伊武は強めの語気と共に怪訝そうな瞳を慧に向けた。あぁ、終わった。その瞳を見て全てを悟った慧が項垂れた次の瞬間、紺のブレザーから伸びる細くしなやかな手が慧のスマホを奪い去った。
「えっ」
思わず声を漏らしながら顔を上げると、机に肘をつき、今しがた奪い去られたスマホを凝視している伊武の姿が映った。彼女は声を上げて驚く慧には少しも目をくれず、ただただスマホの画面を眺めていた。
それから数十秒間、慧は息も詰まるような思いで伊武の感想を待った。彼女は顔色一つ変えず、慧のスマホをタップしたりスワイプしたりと、様々な手法を用いてスマホの画面上で指を躍らせる。それを傍から見ていた慧は次第に自分の恥部を弄ばれているような錯覚がして来て、少しだけ体温の上昇感じた。事実、慧の耳は少しだけ赤らんでいた。なんて空想に捕らわれている間に、先ほどまで気だるそうに画面を眺めていた伊武の瞳がカッと見開いた。遅れてそれに気付いた慧が慌てて姿勢と意識を正すと、
「これ、すご……!」
と言う伊武の独り言がしっかりと耳に届いた。一体何が凄いんだ。慧は心の中でそう思ったが、口には出さなかった。ここで焦ってはいけない。相手の出方をじっくり伺うんだ。慧は自らにそう言い聞かせ、得物を狙って草むらに忍ぶ捕食者の如く、全神経を瞳に集中させ、その瞳で伊武の一挙手一投足を捉えた。
「初期の限定キャラがほとんど揃ってる……」
またも独り言を呟いたかと思うと、伊武は突然スマホから視線を外し、慧の方を見た。そして空いている左手で椅子を掴み、椅子と共に慧の方へグッと接近してきた。
「はい。返す」
「う、うん……」
これはどっちなんだ……。慧は恐らく心情ダダ漏れの表情と声音で答えながら差し出された自分のスマホを受け取ると、急く気持ちを抑えて伊武の次の行動を待った。
「……まぁ、なかなか良いんじゃない?」
小さい声で評価を伝えると、伊武はブレザーのポケットからスマホを取り出してユニユニを起動した。そしてプロフィールページを開き、その画面のスマホを机に置いた。
「これ、私のフレンドコード。登録しといて」
「わ、分かった!」
上手いこといった! 急いては事を仕損じる精神でなんとか耐え抜くことに成功した自分を心の中で褒めたたえながら、慧は伊武のスマホ画面に映っているコードを自分の画面に入力した。
「送っといたよ」
「ん。じゃあ短い期間で強くなる方法は次までに考えて来るから、今のところはとりあえず、メインとかイベント進めて石集めといて」
伊武は自分のスマホを回収しながらそう言うと、椅子ごと後退して元の位置に戻った。
「うん、分かった。ありがとう」
「あと、そこそこキャラ育ててるみたいだけど、レアリティが高いやつは軒並み強そうだったから、全部育てといて」
「りょ、了解!」
あわや将軍やら軍曹やらと呼称してしまいそうになったが、慧は了解の一言だけに踏みとどまり、早速キャラクターのレベル上げをしながら食事を再開した。
それから少し経ち、食事を終えてゲームの休憩がてらにチラリと視線を横に移すと、もうそこに伊武の姿は無かった。相変わらず気まぐれな奴だな。と思いながらも、今は伊武を探そうとは思わなかった。何故なら今日は既に大きな収穫を得ていたし、それに今はソシャゲを進めなくては伊武との仲も進まない。そう考えた慧は昼休みの残り時間を全てソシャゲに投資するのであった。
その後気分が沈むような事も無く、五時限目と六時限目を意欲的に受けた慧は久し振りに元気なまま帰りのホームルームを迎えた。この後に輝虎に会うということを思い出しても尚、慧の気分は沈む気配すらなかった。それほど今日の進展は、慧にとって大きな一歩だったのである。
「それじゃ、今日のホームルームはこれで終わりです。号令お願いします」
ソシャゲのことや今日の進展、そしてこれからの作戦をぼんやり練り直していたら、いつの間にか帰りのホームルームは終わっていた。
「風見君。持っていく物は、入部届けの用紙だけで大丈夫でしょうか?」
周囲がどれだけざわついていても、恵凛の純度百パーセントの澄み切った声は明瞭に慧の耳に届く。
「うん。後は記入用に筆記用具があれば大丈夫かな」
「分かりました。ありがとうございます」
恵凛はにこやかに言うと、机の上に置いていた入部届けの用紙を取り上げ、嬉しそうに笑みを浮かべた。そんなに楽しみなんだろうか? と思う反面、ま、彼女が嬉しそうなら何でも良いか。と磊落な気持ちを抱きながら、慧も机の中から入部届けを取り出した。この紙を見れば多少は自分も嬉しさが込み上げてくるかと期待したが、こればかりは恵凛だけの特殊な感情だったようである。
「ういー、お待たせー」
もう少しで準備が整おうという頃、教室の前方から友宏がやって来た。彼は入部届けの紙を持った右手を軽く上げて振りながら、陽気な笑顔と共に慧の机の前に立った。
「それ、入部届け?」
「おう。そうだけど」
「入るつもり?」
「まあ、今のところは」
「そっか……。分かった」
今朝は冗談で言っている可能性もあると半信半疑で期待を膨らませていたが、わざわざ入部届けを貰ってきたところを見る限り、友宏は入部に大分前向きらしい。
(これで期待通りに事が進んだら、俺の負担はかなり軽減される。はずだよな……)
期待に反発するように、不安の陰は徐々に伸びつつあった。しかしもうこれ以上考えている時間は無い。友宏と恵凛を待たせてしまっているし、それに何より、もうこれ以上待たせられない事の中心人物がテラスで待っている。
「そろそろ行こうぜ」
「え、あぁ。うん。龍宮ももう行けそう?」
「はい。私はいつでも大丈夫です」
「よし、じゃあ行こうか」
そう言いながら二人の顔を見ると、二人は快く頷いた。二人のその反応から少しだけ爽快さを授かった慧は、いつもより幾分か勢い良く席を立ち、鞄と入部届けを持って先に廊下へ出た。
慧の案内で三人はテラスの前に辿り着いた。他の生徒たちは帰宅。あるいは部活動に向かったため、テラスで油を売っている者など一人もおらず、そこにはただ、輝虎一人が座していた。それも、廊下に背を向けて。慧はその自信に満ち満ちている背中を見つめながら、代表者としてテラスへと続くドアを開き、三人は多少の緊張を感じながらテラスに出でた。
「今週一週間はここで待つ覚悟をしていたけれど、案外早かったようだね」
輝虎は未だ背を向けながら、来訪者たちにしっかりと聞こえるようにはきはきと言った。
「は、はい。面倒……。じゃなくて、こういうのは早い方が良いと思って」
「ふむ、そうかそうか。殊勝な心掛けだね」
本音なのか世辞なのか、輝虎はそう言うや否や席を立った。そして白衣をはためかせながら振り返り、ようやっと三人の姿を視界に入れた。
「これはこれは恵凛君! お久し振り。それと……?」
「この人が噂の宇留島先輩か……。あ、俺は蒲地友宏って言います。二人と同じクラスです。よろしくおなしゃす!」
輝虎からの視線を感じた友宏は、すかさず自己紹介を済ませた。
「君たちの同級生か……。反応を見るに僕のことを既に存じているようだが、念のために自己紹介をしておこう。僕は宇留島輝虎。改めてよろしく」
輝虎も自己紹介で返すと、軽く会釈をした。
(よし。今のところ俺の思惑通り、友宏に興味が向いてるな。このままさっさと入部届けを書いて、名前だけ貸す形にして帰ろう)
慧が心の内でそんなことを考えていると、左右に立っていた友宏と恵凛が歩き出した。そして二人が丸テーブルを囲む一席に各々腰掛けると、輝虎の視線が慧に戻った。
「さぁ、君も座りたまえ」
ボーっと立っている慧に向かってそう言うと、輝虎は先ほどまで自分が座っていた席を引き出し、そこに座るよう促した。そして自らはテラスの奥側に位置する最後の一席に腰掛ける。慧はその一連の動作を見た後にようやく動き出し、引き出されている椅子に掛けて輝虎と対峙した。
「では早速、入部届けを書いてもらおう。そしてそれが終わったら、今日この日から、超常現象研究部を始動しようと思う!」
輝虎は高らかにそう宣言したが、三人はすぐに反応することが出来なかった。何故なら彼らには、その言葉を咀嚼する時間が必要だったからである。そして宣言から少し後、
「……え、えっと、これを書き終えたら直ぐに活動を始めると言う事で良いのでしょうか?」
と、恵凛がようやく問い返した。すると、
「勿論!」
とだけ輝虎は答え、ニヤリと笑った。
(マジか。名前だけの部活に名前だけ貸す予定だったのに……。てか、本当に活動なんてあるのか?)
慧は胸中で愚痴をこぼしながらキッと輝虎を睨んだが、彼女は何食わぬ顔で顎をクイッと動かし、入部届けを早く書くよう慧を催促した。しかしそれでもまだ逃げられる可能性を信じたかった慧は自分の左右に座っている恵凛と友宏の様子を盗み見たのだが、そこには一縷の望みすら存在しなかった。二人既に、悪魔との契約書にサインをしてしまっていたのである。
(万事休すか。上手いこと追い込まれたな……)
今日はもう逃げられないと観念した慧は、筆箱からシャーペンを取り出し、泣く泣く入部届けに記入を始めた。




