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第三十九話 浮き沈む情緒

 教室に戻って来た慧はざわつく室内の中で眠っている伊武の姿を見つけた。絵を描き終えた彼女は抜け殻のように、ピクリとも動かず、いつも通り窓の方を向いて寝ていた。


(こっちを向いてないだけ良しとするか……)


 同じ空間、隣の席に腰掛けることさえも煩わしく思っていた慧だが、幸いにも顔は合わせずに済むし。と言い聞かせて自分の席に座った。

 時折動く伊武に過剰な反応を示しながらも、帰りのホームルームは事無く終了した。いつまた不意に起き上がるかも知れないとビクビクしていたが、ほんの一瞬、筆箱やらノートやらを鞄に詰めているほんの一瞬間に、伊武は教室から姿を消してしまった。慧はホッとしたようで、しかしどこか物寂しいような心持になりながら、教室から出ていくクラスメートたちを見送るともなく見送った。


「はぁ、うーん……」

【どうしたのですか? と、聞いてほしそうですね】

「え、あぁ、ごめん。無意識だった」

【そうですか。それで、どうしたのですか?】

「ん、いや、何と言うか、自分でもよく分かってないんだよなぁ」

【なるほど……。でしたら、帰って寝ましょう!】

「は?」

【そのままの意味ですよ! こういう時は、考えていないで眠った方が良いんです!】

「まぁ、一理ある。のか……?」

【はい。あります! 疲れを取るだけでなく、脳内の整理も兼ねて、今は休養が必要なのですよ】

「……かもな。それに、ずっと教室にいるわけにもいかないしな」


 ラヴィと話すことで一時的にポジティブ思考を得ることが出来た慧は、そのバフが切れてしまう前に動き出した。

 廊下には点々と生徒が残っていたが、慧に目を向ける者はいない。早々に入部した人はもうこんなところで油を売ってるわけも無いし、きっと今廊下にいる奴等は俺と同じ暇人なんだろうな。と思うことで無理矢理ポジティブバフを維持しながら慧は下駄箱がある一階まで下り、靴を履き替えて帰路に就いた。

 もうすぐ家に着こうという頃、ラヴィがかけてくれた魔法のバフが切れ始めた。


(やっと家だ……。今日はマイナスなことばかりで疲れたな……。雀野のことも、江波戸のことも、ようやく進展すると思ったんだけどなぁ。唯一進んだというか、強引に進まされたのは先輩のことだけか……)


 輝虎の一件のおかげで何とか気持ちが沈み切らずに済んだ慧は鞄から鍵を取り出して玄関ドアを開けた。そしてその後は無意識下でも行える手洗いやらのルーティーンを済ませ、慧は自室に向かい、楽な格好に着替えてベッドに仰向けで寝転んだ。


【お疲れ様です、ご主人】

「あぁ、本当に疲れたよ」

【ですよね。お気持ちは重々承知しているのですが、出来れば寝落ちする前に充電器に繋いでくださるとありがたいです】

「ふっ、分かったよ」


 機械の癖に利己的だな。と思いながらラヴィを充電器に繋ぐと、慧は再びベッドに身体を沈めた。


【ありがとうございます。ゆっくりお休みになってくださいね】


 何か答えようかとも思ったが、一言二言答えることさえも億劫に感じた慧は何も言わずにイヤホンと眼鏡を外してそれぞれをケースにしまった。


(寝ればきっと、この変なモヤモヤも晴れるだろう……)


 根拠のない淡い期待を抱きながら慧は目を瞑った。そして間もなく彼の意識は身体を離れ、遠く遠く別世界へと誘われていった……。


 夢を見なかった慧の意識は予兆無く忽然と戻って来た。そんな無頓着な意識はするりと身体に舞い込んだかと思うと、一方的に肉体と混ざり合う。するとそれに驚いた身体はほとんどノータイムで反射的に目を開く。その結果、点けっぱなしにしていた電気の光に瞳を射られ、慧は瞼をしばたたきながら上体を起こした。

 時刻は七時過ぎ。帰宅したのが五時前だったから、約二、三時間は寝たのか。なんてことをぼんやりと考えながら下半身をベッドの外に出し、ベッドに腰掛ける形で慧は動きを止めた。


(少し身体がだるいけど、これはきっと寝起きだからだな。頭は……幾らかスッキリしたかな?)


 実験結果をレポートするかのように脳内で独り溢すと、慧は両膝に両肘をつき、蝶のように広げている両手に顔を埋めた。そして数秒後に顔を上げると、枕元で充電していたスマホを手に取り、再び眠らないためにさっさと立ち上がった。

 階下のリビングに到着した慧はキッチンに向かい、冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを取り出した。そしてそれをコップに注いで冷蔵庫に戻すと、コップを手に持ってダイニングの椅子に掛けた。

 眠い時に寝ると、短時間でも凄いスッキリするもんだな。何て他愛の無いことを考えながらスマホを起動すると、まずは通知を確認した。……メッセージは無い。久しぶりに平穏が訪れたような気が慧はした。


(久しぶりだな。この感じ……)


 中学時代までの日常が戻ってきたようで、慧はどこか安心した。そう、確かに安心していたはずなのだが、その数秒後にはどこか落ち着かない気持ちを抱いている自分に気付き、これが不安なのかもしれないと思い込んだ慧は誤魔化すように麦茶を飲み干した。しかしそれだけで脳内に広がる不安の翳りが止まる訳も無く、むしろ様々な不安が脳内で交錯した。恵凛はもう帰って来たのだろうかとか、璃音は元気になったのだろうかとか、伊武は何を考えているのだろうかとか、輝虎はどこまで本気なのだろうかとか。とにかく頭の中には色んな人が浮かんでは消え、色んな思いが浮かんでは消え、入れ代わり立ち代わり、止めどなく慧の思考を搔き乱した。それら掴み切れない思考の連続に疲れた慧は諦念と鬱憤を溜め息にして吐き出すと、背もたれに背を預けて天井を仰ぎ見た。


(はぁ、何考えてんだか。こんなの考えるだけ無駄だって言うのに。いや待てよ、そもそも考えようとなんかしてない。勝手に浮かび上がって来たんだ。そうだよ。俺は何も考えようとなんか……。って、自然に浮かんで来てる方が潜在的に意識してるってことにならないか……?)


 そこまで考え至った慧はこれ以上自分に考える猶予を与えてはならないと悟り、すぐに席を立った。そしてキッチンでコップを軽く濯ぐと真っすぐ自分の部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。


(何かしてないと考えちゃうってのに、何もすることがない……!)


 両手で持っているスマホの真っ暗な画面を見つめ、慧は学校のことや交友関係のことを考えないように努めた。しかしそれらはそう努めれば努めるほど、却って色彩を帯び、鮮明に浮かび上がって来ようとする。


(せめて一つの考え事に集中出来れば脳内の整理もつくんだけどな……)


 暗い画面を見つめる瞳に強い怨嗟が籠り始めたその時、スマホがふわりと柔らかい光を放った。通知が来たのであった。それもメッセージアプリの通知であった。慧はそれを見るや否や通知をタップし、パスワードを入力してスマホとアプリを起動した。そしてトーク欄が開かれると、その一番上には龍宮恵凛という名前と、その欄の右端に新着メッセージがあることを示す赤い丸が点灯していた。


(た、龍宮からだ。もう帰って来てるのかな?)


 先ほどまで脳内を彷徨していた様々な不安やら思考やらの霧が一気に晴れ、慧の脳内には恵凛の姿が色濃く浮かんだ。彼は心の中で恵凛に感謝の気持ちを述べながら、龍宮恵凛と名前の書いてある欄をタップし、トークルームを開いてメッセージの内容を確認した。


『こんばんは。夜分に失礼します。先ほど爺やから話を聞いて、どうしても今朝のことを謝りたく思い、ご連絡しました。今朝、わざわざ来ていただいたにもかかわらず家を空けていてすみませんでした。明日からはいつも通り登校する予定ですので、またその時に改めて謝罪させてください』


 固い文章の最後は、ぺこぺこと土下座をしている可愛らしい絵文字で締めくくられていた。前にやり取りした時も無理矢理絵文字を使っていたように感じたが、今回も中々に不格好であった。これは文章の固さを緩和してくれると思って打っているのか、それとも恵凛独特のセンスなのかは分からなかったが、どちらにせよ慧は微笑ましく思い、かつ実際に微笑みを浮かべながら、メッセージの返信を打ち始めた。


『連絡ありがとう。俺たちのタイミングが悪かっただけだから、全然気にしなくて大丈夫だよ。と言うか、こちらこそ朝早くに押し掛けちゃって申し訳ない。文章だと長くなりそうだから、俺も詳しい内容は明日話そうかな』


 メッセージを送信した慧は、これの届く先が真横の家なのかとふと考え、再び微笑んだ。なんて空想に耽っている内に恵凛から返信が届いた。


『はい。文字だけでは伝わり辛いこともありますからね。では、明日は私から伺いますね』


 短い返事の後には音符と靴の絵文字が添えられていた。これはきっと彼女なりの気遣いか、癖なのだろうと一人合点した慧は『確かにそうだね。それじゃあ、また明日』と返信をして、スマホを持った手を膝の上に落とした。


(あ、部活と先輩のこと軽く伝えておけば良かったな。布石があれば明日自然と話せたのに……。まぁでも、仕方ないか)


 ほんの数分恵凛とメッセージのやり取りをしただけで、恵凛と輝虎に対する二つの悩みが一挙に解決したのではないかと勘違いするくらい心が軽くなったように感じた慧は、入部届けのことを思い出しはしたが、その記憶は心の中に芽生えたケセラセラの精神に打ち消された。そうして快活な心持ちとなった慧がベッドから立ち上がろうとしたその折、再度スマホの画面が点灯した。


『はい。お休みなさい』


 ロック画面には恵凛からのメッセージが表示された。誰かにお休みを言われるなんて、久し振りだな……。暗い悲しみと言うよりかは、幼年期のアルバムを開いた時のような、過去を俯瞰する淡い懐かしさで慧は胸がいっぱいになった。


『うん。お休み』


 慧はそう返すと、遅めの夕飯と風呂を済ませるために再び階下へ向かった。

 ……数時間後、諸々の用事を済ませて眠る準備万端で自室に戻って来た慧はベッドに寝転がった。


(とりあえず龍宮は帰って来たみたいだし、部活のことと先輩のことは明日伝えれば良いとして、やっぱり大きな問題は雀野と江波戸か……)


 仰向けに寝て白い天井を一点に見つめているようで、その実、慧は目を背けていた二つの問題を見つめ直していた。


(雀野の問題を解決するには、もっと雀野と仲良くなる必要があるよな。まずはアイツがどんな人間なのかしっかりと理解して、その上で今日感じた壁を越える。いや、壊す必要がある。とは言え、どうやって近付けばいいんだ……? 例えば好きなもので。音楽でアプローチするとかか?)


 好きな物で距離を詰める。という作戦を発案したはいいものの、慧はここ最近の歌手に疎く、聞いていると言っても一昔前のとある男性四人組バンドと、とある男性シンガーソングライターの二組しか聞いておらず、これをピンポイントで雀野が聞いているとも思えなかったので、慧は自信を失い、方向転換することにした。


(ひとまず雀野の方は考え直すとして、先に江波戸の方だ。今日見せてもらったあのキャラクター。アレは俺が前にやってたソシャゲのキャラの画風に似てた。もしかしたらそのソシャゲが糸口になるかも知れないし、久し振りに開いてみよう。多分データは残ってるはず……)


 考えが纏まった慧は早速スマホを手に取り、ゲームをインストールし直した。

 インストールはすぐに終わり、色のついたアイコンをタップするとゲームが起動された。続いてスタート画面の右下にある歯車マークをタップしてデータ引継ぎ画面へ移ると、そこにかつてメモしておいたプレイヤー番号とパスワードを入力した。するとその数秒後、『引継ぎ完了』の文字が表示され、再びスタート画面に戻されたので、ゲームスタートと書かれている画面をタップし、ゲームが開始されるのを待った。しかしこういう時に、いわゆるソシャゲ復帰する時に付き物なのが、初回ダウンロードの長さである。じりじりと進んでいくダウンロードバーとパーセンテージを眺めていると、慧は次第に眠くなって来た。このままでは多分寝落ちする。という予期がほとんど確定事項のように思えた慧は念のためスマホを充電ケーブルに繋ぎ、部屋の電気を常夜灯状態にし、ダウンロードの進行状況を伺った。しかしそんな寝る体勢バッチリの状態で起きていられるわけもなく、程なくして慧は寝落ちした。

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