第三十二話 心の壁
十数年生きてきた中で、慧は今以上に昼休みを待ち遠しいと思ったことは無かった。つまりそれほどまでに友宏の言葉に可能性を見たのであった。加えて、もしかしたら彼が何かの着火剤になるかも知れない。という自らの直感を信じてみたかったこともあり、慧は珍しく四時限目が終わると同時に教科書を机に押し込み、鞄からおにぎり二個とお茶を取り出して教室前方にいる友宏の席に向かった。
「はやっ。もう来たのかよ」
「いや、まぁ。なんか今日は腹が減っててさ」
「ふーん。まぁそう言う日もあるよな!」
普段は気になる友宏の無頓着だが、今日に限ってはそれがとても心強く映った。
「ほら、そこ座れよ。後ろの奴は隣の教室行ったみたいだからさ」
「いいのかな」
「気にすんなって。いねーんだから!」
笑ってそう言う友宏に促され、慧は友宏の一つ後の席に着いた。すると友宏は自分の昼食を鞄の中から取り出し、椅子ごとくるりと反転して慧が着いた席の机におにぎりとサンドイッチを置いた。
「他人の席なんだからあんまり汚すなよ?」
「大丈夫大丈夫。こいつとも仲良いからさ」
友宏は軽々そう言い退けると、早速おにぎりを開封して海苔のカスを机上に散らかした。慧の心には、やはりこいつを信用していいものかと疑心が湧いてきたが、この屈託の無い世渡りの上手さこそが今の自分には必要なのだから、もう少し我慢してみようと自らに言い聞かせて慧もおにぎりの封を切った。
「さっき、ここの席の子とも仲良いって言ってたけど、友宏って他人と仲良くなるの早いよな」
自分のやる気が削がれるよりも前に話題を展開しなければならないと感じた慧は早速本題に入った。
「そうか? 何となく話してたらいつの間にか仲良くなってるって感じだけどな」
「す、凄いアバウトだな……」
「まぁノリだよ。ノリ! 会話ってその場の空気とかもあるだろ?」
「確かにノリも大事だけど。俺が気になるのはそこじゃ無いんだよな……」
「ん、なんて? 聞きたいことがあるならストレートに聞いて来いよ」
「いや、ストレートにってのは流石にな……」
「なんでだよ。そりゃ初対面で全部をさらけ出すってのはキツイかもだけどさ。こっちが踏み込まない限りは相手だって話す気になってくれないだろ?」
「うん。まぁ、それはその通りだけど……」
「それに、お前だってそうだろ。今こうやって俺と話してるのは、俺がしつこく話し掛けたからだろ? 最初はうぜーとか思ってたんだろうけどさ!」
友宏は冗談半分に言いながら笑みを浮かべると、右手に持っている残り少しのおにぎりを一口で頬張った。
「まぁ俺が思うにさ、ストレートに話せないってのは自分に自信が持てないとか嫌われるのが怖いからとかって思いがちだけど、それよりも相手のことを信用できてないって方がデカいと思うんだよな~。それにさ、こっちが正直に話しても話が通じないようだったら、それ以降付き合い方を変えればいい話だし」
所々でもごもごと咀嚼をしながらではあったが、今友宏が発した言葉は真髄を捉えていたような気が慧にはした。思えば今こうして友宏の人との付き合い方に対しての考えが聞けたのも、自分が友宏を信用して悩みをそれとなく打ち明けたからであるわけで、友宏の発言は今の慧において全ての的を射ていた。それに最後の一言も、そうなる未来を想像したくはないが、万が一恵凛と意見が合わないのなら付き合い方を変えれば良いだけの話なのだ。慧はそんな考えを一通り脳内で巡らせると、再び食事に戻った。
その後友宏との昼食を終えて自分の席に戻った慧は少し早めに五時限目の準備を始めた。するとそこへタイミングよく恵凛が戻って来た。
(昼休みは……。まだ十分ちょいあるな。雀野も後で来るとか言ってたし、話すなら今しかないよな。それに、ここで変に時間が空いたら覚悟が揺らぐかもしれないし)
覚悟を決めた慧が静かに身体を右へ向けると、恵凛も五時限目の準備をしていた。手元に集中しているようで慧が見ていることには気付いていないようだった。
「龍宮。ちょっといいかな」
「は、はい。何でしょうか……?」
数時間前の会話が引っ掛かるのか、恵凛は身も声も縮こまってそう答えた。
「悪く捉えて欲しく無いんだけど、正直、俺も龍宮と壁を感じてるんだ」
慧がそう切り出すと恵凛の表情が少し曇った。それを見た慧の心臓はバクバクと高鳴る。喉も急激に乾いて来る。しかしここで止まってはいられない。
「だからこそ、俺は率直にそう伝えるって決めた。龍宮が感じてる壁と俺が感じてる壁が同じとは限らないけど、龍宮だけじゃ無くて、俺も、雀野も、龍宮と仲良くなるために壁を壊そうとしてるってのは知っててほしいんだ」
尻すぼみになりそうな語気を何とか保って言い切ると、不安げにずっとこちらを見つめている恵凛の潤んだ瞳と自分の瞳とを交わす。
「た、例えば、さっきみたいにどこまで踏み込んで良いんだろう。みたいな話をしてる時に壁を感じるかなぁなんて。ははは……」
黙りこくっている恵凛を見て、急に毛穴と言う毛穴から冷や汗が噴出したように感じた慧は慌てて言い繕った。するとその直後、恵凛の瞳を歪ませるほど溜まっていた涙が目頭から零れ、綺麗な鼻に沿って顎まで流れた。
(やっべぇ……。完全にやっちまったか? まぁそうだよな。まだ出会って一週間しか経ってないってのに、こんなこと言われたらキツイよな……)
虚しく響く乾いた苦笑いが惨めになって来て、慧はついに愛想も尽くし、小さくため息をついて身体を机の方に戻した。
「ご、ごめんなさい! これは違うんです。その、嬉しくて……」
慧が自分から視線を逸らしたことでようやく自分が涙を流していることに気付いた恵凛は、それを拭いながら声を上げた。
「へ? う、嬉しい?」
最早先ほど行った自らの弁舌も何もかも、全てが脳内から吹き飛んでいた慧は素っ頓狂な声で返した。
「はい。その、そこまで私のことを考えていてくれたという気持ちを言葉にしてくれたのが嬉しくて……。私、友達もいたことが無くて、どうやって距離を詰めれば良いのか、どんなことを話せば良いのか何もかも分からなくて。その上、世間知らずで迷惑ばかりかけてしまっている私が二人と仲良くなりたいと思うのは高望みなのかもしれないなって、昨晩考えてしまっていたので、尚のこと嬉しくて……」
「そっか。龍宮も同じこと考えてたんだな」
「え?」
「俺もさ、龍宮とか雀野とか友宏とか。みんなに嫌われたくなくて、壁から目を背けようとしてたんだ。嫌われないようになるべく耳障りの良い言葉を選んで、選んで、選んでさ。でも、それだけじゃダメだなって思ったから、友宏に相談して、龍宮に打ち明けてみたんだ。……はぁ~、良かった。流石に言い過ぎたかと思ったよ」
今まで気を張って喋っていた分、解き放たれた慧の心は次々と本音を零した。それを見て恵凛は微笑みを浮かべると、椅子と一緒に慧の方へ寄って来た。
「風見君、ありがとうございます。気持ちを言葉にすると言うのは怖いですけど、やはり言葉にしないと分からないことってありますよね!」
恵凛はそう言うと、慧の両手を無理矢理引っ張り出し、それを自らの両手で包み込むようにして掴んだ。
「え、う、うん。そうだね」
「だから私も、今日の放課後に璃音と話してみようと思います!」
「あぁ、うん。俺も立ち会わせてもらうよ」
恵凛が前向きになってくれたのはとても嬉しいことなのだが、それよりも今は、自分の両手を包んでいる恵凛の両手にばかり気が行ってしまい、少し空返事をしてしまった。
「本当ですか。風見君もいるなら心強いです!」
「え、うん。それなら良かった」
「……あ、ごめんなさい!」
慧の視線に気付いた恵凛はパッと両手を放した。そして頬を赤らめて椅子事後退すると、ぺこりと頭を下げた。
「い、いや、気にしなくて大丈夫だよ」
「それは気遣いですか?」
「いやいや、本当に気にしなくて大丈夫! その、ちょっと恥ずかしかっただけだから……」
「ふふ、良かった。私、頑張りますね。風見君みたいに上手く話せるかは分かりませんが、出来るだけ本音で話せるように努めてみます」
「うん、無理せず少しずつ頑張ろう」
「はいっ」
慎ましやかでありつつも、元気を取り戻した恵凛の声と笑顔を見聞きした慧は心底安心した。そしてそれと共に、友宏に対して深い感謝の感情を抱いた。
(まさかこんなに上手くいくとはな……。完全に理解し合ったってわけでは無いけど、明らかに大きな一歩は踏み出せたな。アイツには今度なんか奢ってやろう)
なんてことを考えていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
思い煩いも無くなった慧はようやく授業に集中することが出来た。残るは放課後にある恵凛と璃音の話し合いに立ち会うのみ。きっと今の恵凛なら大丈夫だと思うし、慧自身も一皮むけた気でいるから、そこまで心配が勝ることは無かった。そうして五時限目を精神的に楽々終えた慧はラヴィへの報告も兼ねてトイレに向かった。
「はぁ~、疲れた。起きてるか、ラヴィ」
【はい、起きてますよ! お疲れ様です、ご主人】
「じゃあ、一部始終聞いてたってことだよな?」
【えぇ、聞いておりましたよ】
「なら聞きたいんだけどさ、アレで良かったと思うか? 今更だけど、少し強引だったかなって気もしてきてさ」
トイレで独り落ち着いて考えたら、少しだけ不安感が募って来た慧はラヴィにそうぼやいた。
【うーん、どうでしょう。私はアレで良かったと思うから何も口出しはしませんでしたが……。何か気になることでもありましたか?】
「いや、俺も失敗したって言うか、なんか違和感? みたいなのを感じててさ」
【違和感ですか……。確かにそう言われて思い出してみると、龍宮氏は少し空元気だったような気がしないでも無いですね】
「だよな。まぁもしかしたら、上手く行き過ぎてて俺がビビってるだけなのかもしれないけどさ」
【いえ、そう言う直感も記憶しておきましょう】
「うん。そうだな。覚えておくよ。それじゃ、教室に戻るか」
【はい。放課後も頑張りましょうね】
トイレでの用を済ませると、慧は一抹の不安を予期しつつ教室に戻った。




