第二十八話 揺れ、震え
ノート売り場で二人と合流すると、二人は既にシンプルなキャンパスノートを数冊手に持っていた。「教科ごとに色の違うノートにします!」と嬉しそうに言う恵凛を見て穏やかな気持ちを覚えた慧だったが、すぐさま「はい、アンタが持つのよ」と、璃音にノートを押し付けられ、心にはすぐ荒波が立った。とは言え荷物持ちをすると宣言してしまっている以上、慧が何かを言い返す権利は保持しておらず、彼は黙って指示に従う他無かった。
そうしてノートを購入した後、璃音が他に列挙していた大きな雑貨屋二店舗も回り、その中で気に入ったシャーペンやら慧と璃音がおすすめするボールペンやら蛍光ペンやらを追加で購入し、三人は一階のレストエリアにあるソファに腰かけた。
「はぁ~、結構歩いたわ~」
「はい。ですが不思議と疲れていません。見るもの全てが新鮮で、今は楽しさが勝っています」
「そっか、それなら良かった。恵凛がそう言ってるんだから、あたしが音を上げてちゃダメだね」
背もたれから身体を起こすと璃音は笑って言った。
「いえ、気にしないでください。案内役で疲れていると思うので、休める時にしっかり休みましょう」
「それもそうだね。じゃ、お言葉に甘えてもう少し休もうかな」
恵凛の気遣いを素直に受け入れた璃音は再び背もたれに身体を預けた。
「……なんか飲み物買ってこようか?」
二人とも疲れているように見えた慧は少し考えた後にそう切り出した。
「え、いいの?」
「うん。何にする」
「えっとねー。三ツ星サイダーがあったらそれにしてもらおうかな。無かったらー、リンゴジュースとかでいいや」
「オッケー。龍宮は?」
「わ、私は、えっと……」
「あー、恵凛は自販機のラインナップ分からないんじゃない?」
「は、はい。ごめんなさい……」
「そっか。いやいや、俺の方こそごめん」
そこまで会話が進んだにも関わらず、「一緒に行く?」と慧は言い出せず、一方の恵凛も「一緒に行きます」と言い出せず、最早何を待っているのか分からない虚無の時間が流れた。
「はぁ、あのさ、一緒に行けば良いんじゃないの?」
そのどっちつかずの様子を見兼ねた璃音は、身体を伸ばしたまま冷めた瞳で二人を見つめてそう言った。
「そ、そうだよな。じゃあ……。行こうか」
「は、はい」
慧は歯切れの悪い誘いの言葉と共に立ち上がると、恵凛もそれに倣って立ち上がり、二人はレストエリアの端っこにある数個並ぶ自販機に向かった。
「お、三ツ星サイダーあった。とりあえず雀野のはこれでオッケーだな」
誰に伝えるためでもなく、ただ沈黙を回避するための声を出しながら慧は財布を取り出した。すると隣の自販機を見ていた恵凛がそれに気付き、
「あっ、私が払います。細やかですが、お二人へのお礼ということで」
と言って、汚れ一つ無い白い長財布をトートバッグから取り出した。
「いや、俺が払うよ」
「いいえ、私が払います」
「それじゃあ、雀野の分はお願いしようかな」
「ダメです。風見君のも私が払います。どれにしますか?」
「え、えーっと、じゃあ……」
珍しく我を通し切ろうとする恵凛に気圧され、今回は自分が折れた方が良さそうだと直感した慧はそっと財布をしまい、横一列に並ぶ自販機の内容を流し見した。
「あ、じゃあこのカフェラテにしようかな」
「分かりました。これですね」
そう言いながら恵凛は百二十円を財布から取り出し、慧が指定したカフェラテが並ぶ自販機の前に立った。その時ふと、購入の仕方は分かるのか? と考えた慧だが、そんな心配を余所に、恵凛は目の前でカフェラテを買って見せた。
「はい。どうぞ」
「ありがとう。じゃあ、後は雀野のサイダーと、龍宮は何買うの?」
「そうですね……。緑茶にします」
「へぇー、緑茶好きなの?」
「はい。緑茶と言うよりかは、お茶全般好きですね」
「そっか。俺は最近麦茶しか飲まないからなぁ。久しぶりに緑茶にすれば良かった」
「じゃあ、飲みますか?」
あまりにも突飛な返しに慧は言葉を失った。え。という一音さえ口から発されることも無いほど、恵凛の言葉は慧の意表を突いたものであった。
「ふふ、冗談ですよ。それより、何か情報は手に入りましたか? お恥ずかしながら、私は買い物に夢中で全く……」
小悪魔のようなイタズラな微笑みを浮かべたかと思うと、今度はいじらしい哀切さと潤みを湛えた瞳で訴えかけてくる恵凛を目の前にして、慧は小さく頷いた。
「うん。アニマル楽団っていうアニメが好きらしいっていうのは分かった。あと、サイダーが好きっていうのも一応収穫かな?」
数秒前に恵凛の言動で心を大いに揺さぶられていた慧だが、何とか気を取り直してそう答えた。
「好きな物が具体的に分かったのは大きな進展ですね」
「うん。って言っても、仲直りに役立つとは思えないけど」
「いえ、そんなことありません! 小さなことでも何かの役に……。なんて、役に立っていない私が言っても説得力無いですよね……」
「いや、そんなことないよ。きっと龍宮にしか引き出せない情報もあるはずだし」
「そう、ですかね?」
「うん。さっきだって、ショッピングモールに来る途中でライブハウスの話を引き出してたし、純粋な龍宮だからこそ聞き出せることはあると思うよ、俺は」
「そうですよね。私、頑張ります!」
「うん、その意気だ。って言いたいけど、龍宮は自然体の方が良いかもな」
「そ、そうなのですか?」
「何となくだけどね。その、気張ってると見透かされそうというか……」
「私、そんなに表情に出やすいですか?」
そう言っているその姿が既に不安を表出させていたので、慧は思わず笑みをこぼした。
「ハハハ。出やすいかも」
「分かりました。気を付けます……」
「うん。それじゃ、サイダー買って戻ろうか」
またもあからさまにシュンとした恵凛を見て、慧は引き続き笑みを浮かべた。しかしその心中には、今目の前にいる彼女とは真逆の、全く表情が読み取れぬほど霞みがかった彼女が浮かんでいた。時折幻想と錯覚するほどの神秘性を纏う恵凛は、どこまでが自然で、どこからが演技なのか慧には分からなかった。するとそれに紐づいて、今朝の些末な行き違いを思い出した。
(態度とか表情に出るのは確かだけど、その理由が分からないんじゃ意味無いよな……)
その思考を遮るように、サイダーが自販機の受け取り口に落ちる音が聞こえた。それがいつもより大きく聞こえたような気がして、慧は少しだけ身震いした。
「行こ、風見君」
「うん。そうだね」
呆けていた自分に曇りの無い笑みを向けてくれている恵凛見て、慧は己の邪推を馬鹿馬鹿しく思った。恵凛はこんなにも自分に対して真摯でいてくれているというのに、自分と来たら……。と、慧はそこまで考えると、それ以上先に踏み入ることは止めて二人で璃音のもとに戻った。
「お待たせしました」
「おっ、サイダーじゃん。あんがと」
恵凛からサイダーを手渡された璃音は、早速それを丁寧に開栓した。しかしそれは炭酸を購入した経験が無い恵凛が持って来たせいか、勢いよく噴き上がりそうになったので璃音は慌ててペットボトルに口を持っていった。
「ん、危なかった~。久しぶりに噴き出たからびっくりしたわ」
上唇の先端に炭酸の泡を付着させながら、恵凛は無垢な笑顔を浮かべた。
「だ、大丈夫ですか? 私、何かしちゃったんですかね……?」
「だいじょぶだいじょぶ、気にしないで。炭酸なんてこんなもんだから」
「そうなのですか?」
大丈夫とは言われても、どこか納得のいっていない様子の恵凛は詳細を求めるような視線を慧に向けたので、慧は軽く説明をすることにした。
「えっと、これは炭酸飲料って言って、蓋を開ける前に振ったり衝撃を加えちゃうと液体中の炭酸が分離して、圧力が上昇するんだ。で、その状態で蓋を開けると、炭酸が外に出ようとする力が働いて、こんな風に泡が噴き出す仕組みになってるらしいよ。俺も大分前に調べただけだから合ってるか分からないけど」
「そうだったのですね。勉強になりました!」
念のため、大分前に調べただけという注釈を付け加えはしたものの、それでも恵凛は疑うことなく実直に慧の言葉を飲み込んだ。
「へぇー、そうだったんだ。アンタって頭良いんだね」
ついでに璃音もそう言ったが、それはとても機械的であった。
(こいつ、興味ないだろ。まぁ、勉強が好きなタイプには見えないし、一応これも情報の一つとして覚えておくか)
心の中で璃音に対する冷めた意見を呟きながら、慧は残りのカフェラテを飲み干した。
それから恵凛と璃音の休憩と給水が終わるまでレストエリアで時間を潰し、その後慧は三人分の空き容器をゴミ箱へ捨てに行った。
「ありがとうございます」
「ありがと」
「いや、いいよ。それで、次はどこに行く?」
「んー、そうだなー。軽く店回りながら四階行く。とか?」
「四階? 確か、フードコートか?」
「うん。そろそろお腹空いたっしょ」
「そう言われれば確かに」
「はい。私もお腹が減ってきました」
「じゃあ決まり。かるーく見物しながら四階へゴー!」
そう言って勢いよくソファから立ち上がると、璃音は回復した元気な足取りでレストエリアを出た。慧と恵凛もそんな彼女に続き、三人はひとまずエスカレーターで二階へ戻った。
「このフロアは、若い人向けのオシャレなファッションショップが多いイメージかな。ほら、あの店とか、あの店も、若い客が多いでしょ?」
「本当ですね。お一人で来られている方や、ご友人と来ている方が多いみたいですね」
「そうそう。価格もリーズナブルだし、ショッピングモールにあることで他の店と見比べることも出来てお得感があるんだよね」
「なるほど。確かにそうですね」
「うんうん。あとは、カフェとかコーヒーショップがあったり、流行のスイーツショップがあったり、そこら辺も含めてこの階は若者向けって私は勝手に思ってるんだ」
「カフェ。流行のスイーツ……。見てみたいです!」
「お、結構乗り気だね~。それじゃ、また後で見に来よ!」
「はい!」
意外にも流行に対するアンテナが敏感な恵凛に慧は少し驚いた。加えて、自分が既に恵凛のことを色眼鏡を通して見ていたという事実にも驚いた。しかしそれはどうやら璃音も同じだったようで、声では気の良い返事をしていたが、その表情には少々驚きの色が見えていた。とは言え、これは良い方の裏切りだと慧は考えていた。恵凛の流行に疎いながらも学ぼうと頑張っている姿を見ていると、慧もそれに感化され、自分も頑張ろうという気になるのであった。
今まで同年代の誰かと出掛けるという経験が無かった慧は、前を歩く二人の会話を聞いているだけでも新鮮な気がして、微塵も退屈を覚えることは無かった。気付けば三人は三階にまで到達しており、そこでも璃音は丁寧かつ概略的にフロア案内を務めた。
璃音曰く、三階にはファミリー向けの店が揃っているとのことだった。そう言われて慧が辺りを見回してみると、確かに二階に比べるとカジュアルで幼児向けの洋服店が並んでいたり、おもちゃ屋や百円ショップ、その他インテリアや生活雑貨を扱った店や、携帯ショップが多く見られた。
「ま、こんな感じね。あたしたちはそこまでお世話にならないフロアかも?」
「へぇー、そうだったのか。詳しいな」
「本当ですね。あまり利用していないフロアでも案内できるなんて、従業員さんみたいです」
「そ、そう? 別にそんな感心されることじゃないと思うけど。ま、まぁ、ありがと……」
今まで相手の目を見ながら会話をしていた璃音だが、二人に褒められた途端、その視線を外して小さな声でそう答えた。
(雀野って、俗に言うツンデレってやつだよな。恐らく……。絶滅危惧種。いや、未確認生命体と思ってたけど、実在するんだな……)
心の中で璃音のキャラ付けを行いながら、慧は女子二人の後に続いて上りのエスカレーターに直進した。するとその時――
【ご主人! 今、下の階に江波戸伊武氏がいましたよ!】
と、ラヴィの声が鮮明に鼓膜を伝った。マジで言ってるのか? と思わず言ってしまいそうになった慧だが、そこは何とか耐え抜き、すぐに、いや、この状況でラヴィが嘘をつく必要なんて無いな……。という結論に至ると、再びラヴィの声が響く。
【何かに追われているかのように、全速力でエスカレーターの横を抜けて行きましたよ】
「……分かった」
そこまで子細な情報を伝えられたにも関わらず、このまま見過ごしてしまうのは何だか気持ちが悪いように思えた慧はラヴィに小さい声で答えると、上りエスカレーターの直前で立ち止まった。
「風見、どしたの?」
「……ごめん。さっきのレストエリアに忘れ物してきたかもしれないから、二人は先に上行っててもらっても良いかな。もちろん、飯も食べてて良いから」
「マジ? オッケー。……あ、そうだ。一応サービスカウンターは二階にあるから、無さそうだったら聞いてみて」
「分かった。ありがとう、雀野」
慧は璃音に向かってそう答えた後、その横に立っている恵凛の方に視線を移して謝罪の念を込めて小さく頷いた。すると恵凛はハッとしたような表情を浮かべ、力強く数回頷いた。そんな彼女の行動心理は上手く読み解けなかったが、とにかく二人の了承を得た慧は下りエスカレーターを駆け下りた。
「江波戸はどっち行った?」
二階に降りた慧は周囲をぐるりと見回しながら伊武が走り去った方向を聞いた。
【そこです! 今見ていた道です】
すると眼鏡を通して外界を見ているラヴィの声が慧を一本の道へと、不自然に人混みが乱れている道へと導いた。
慧は走り出した。かつて伊武が走り抜けたであろう道筋を違うことなくなぞった。しかしそれは束の間、伊武の軌跡はすぐに失せ、目の前には人々の壁が立ち塞がった。
「ま、マジか……」
伊武が選んだ道は元より広く無く、加えて今流行りのスイーツを扱う店が連なっていたせいで、大量の人が集まっていたのであった。
(流石にこれはもう追えないな……)
慧がそう思った次の瞬間。
――突然左手首を掴まれ、一気に壁際まで連れて行かれた。
「ちょっと、何するんで……。ってお前、もしかして江波戸か?」
目の前に立つ目深にフードを被った人物を見下ろして、慧は半信半疑にそう質問した。すると相手はそれに答えることも無く、自らの背中を壁に預けた。かと思うと、今度は慧の腕を思い切り引っ張った。
「うわっ!」
全く身構えていなかった慧はそのまま引っ張った当人を壁と自分とでサンドイッチにしてしまいそうになったので、咄嗟に両手を前に突き出し、相手の頭を中間にして両手を壁に付いた。すると間近に迫った相手は一瞬だけ顔を上げ、瞳で何かを訴えるとすぐに俯いた。その刹那に見た顔は、やはり伊武であった。という確証を得たと同時に、
(あれ、これってもしかして……。か、壁ドン……?)
という事実にも気付いてしまい、慧の鼓動は急激に高まった。しかしそんなことにお構いなく、刺客たちが現れた。
「おい、あの女どこ行った!」
「くそ、人が多すぎる」
「ちっ、もういい、帰るぞ」
派手なシャツに短ランとボンタンを見に纏い、頭髪をワックスでガチガチに固めた、どこからどう見てもヤンキー三人組が慧の背後で短いやりとりを交わし、慧と同じく人間で出来た壁を見て諦め、引き返していった。
(た、助かった。のか……?)
傍から怪しく映らない程度に辺りをチラチラ確認し、完全に安全と落ち着きを取り戻した慧は伊武の方に視線を戻した。そして適当な言葉を掛けながら両手を引こうと思った慧だが、そこでようやく気付いた。伊武が慧の服の袖を掴んで微かに震えていることに。




