第二十四話 試し騙し
目の前でおにぎりを完食された輝虎は少しだけ口惜しそうな表情をして見せたが、すぐに気を取り直してテーブルに両肘をつき、手と手を組んで余裕の笑みを浮かべた。
「おや、話を聞く気になったのかな?」
「まぁ、たまには良いですよ。俺も話すことがありますから」
慧がそう返すと、輝虎は虚を突かれたように少しだけ目を見開いた。
「そうだったのかい! まさか君から話があるなんて、今から雨でも降るんじゃないかな?」
まるでアメリカ喜劇のように囃し立てながら席を離れた輝虎は天を仰ぎ見た。しかしそこには綺麗な青空が広がっており、雨が降る様子など微塵も無い。
「コホン。こ、これは失敬。少し度が過ぎたようだ……」
常ならば辟易した態度を取ってくれるはずの慧が何のリアクションも起こさなかったので、輝虎は慎ましく席に戻った。
「えぇと、気を取り直して……。いつもは僕が話してばかりだから、今日は君の話を聞きたいと思うのだが、いかがかな?」
「はい。先輩がそれで良いなら何個か聞かせてもらいます」
低く落ち着いた調子で発された慧の言葉に輝虎も姿勢を正した。しかしその実はテンパっているだけで、声音にまで機転が利かずに声が小さくなっているだけであった。その証拠に、
(えーっと、何から話す? 何から聞くべきだ? いや、こんな考えてる暇無いな。なんか喋らないと)
考えることを止める。という考えに至った慧は時が何秒進んでいたか全く考慮すること無く、
「好きな食べ物は、何ですか?」
と、しょうもない質問をした。すると輝虎は答えに困っている。というよりかは、一瞬何を聞かれたのか理解できていないような顔をした後、大声で笑った。
「アッハハハッ! 君、あれだけ溜めてその質問は無いだろ!」
そう言ってからもしばらく笑い続けている輝虎を見て、慧は救われた気がした。もしもこの相手が恵凛や伊武だったらと考えると、それだけで背筋が凍る思いであった。しかしこのまま彼女に笑っていてもらうのは忍びないので、慧は弁解と謝罪の意を込めて笑いを遮った。
「すみません。でも、毎度毎度俺がランダムで買ってきたものをパクパク食べてるので、特に好き嫌いが無いのかなぁーと思いまして。ハハハ」
つられて笑ったように見せかけたものの、その笑いがあまりにも乾いていたのでそれが愛想笑いであることは輝虎に筒抜けであった。それでも彼女は笑い続け、先ほどまでの改まった姿勢では無く、両肘をテーブルに着く元のスタイルに落ち着いた。
「いやぁ、君があれだけ溜めるもんだから、勝手に色々と勘繰ってしまったよ」
ようやく落ち着いた輝虎はいつもの理知的な雰囲気を纏い、眼鏡の位置を直しながら話を続ける。
「それで、好きな食べ物を答えれば良いのかな?」
「は、はい。嫌いな食べ物でも良いですよ。そしたら今度からそれを持って来るようにするので」
「ハハ、なんだ、僕が爆笑したから仕返しのつもりかい? まぁ良い、どちらも答えてあげるよ。そうだな、基本的に何でも食べられるから、突出してコレが好き、嫌い。というものは無いかな。肉も野菜もご飯もパンも、何でも好きだよ。つまらない回答になってしまったが、これで良かったかな?」
輝虎は既に自らが実験の対象になっているのに勘付いているかのような素振りで答える。対して慧は次の質問が浮かばずにどぎまぎしており、傍から見るとどちらが質問者でどちらが回答者なのか分からない構図が出来上がっていた。
「は、はい。ありがとうございます」
とりあえずお礼を述べることで最低限自分のターンを消費させた慧は、眼鏡を調整するという名目でスッと右手を口元に持っていき、
「どうだ、記録できてるのか……?」
と、小声でラヴィに問いかけた。すると、
【はい。眼鏡のおかげでお姿もバッチリ記録済みですよ】
間髪入れずにラヴィから返答があった。これを聞いた慧は一安心して、再び輝虎と向き合う。
「じゃあ、もう一つ良いですか?」
「あぁ、何なりと」
「ご趣味は?」
「ぷっ、くくくっ……。ご、ご趣味ね」
またしても何か言いたげに笑いを堪えた輝虎は、込み上げてくる喜の表情を抑え込みながら返答を考える。
「やはり、研究かな。理科的な実験に限らず、調べること、知ることが僕の趣味かな」
「なるほど、ありがとうございます」
「これで何が検証されたのかな?」
「いや、別に。期待に沿えるような結果は……。ははは」
「ふーん、そうか。少し過大評価だったかな」
輝虎は嫌味に聞こえない嫌味を言ってニコリと笑うと、白衣のポケットに手を突っ込み、そこから懐中時計を引き出した。
「そろそろ昼休みも終わりだ。さ、教室に戻ろうか」
「はい」
もう少し情報を集めたいと思い始めていた慧だが、ここで変に食い下がって企みがバレてしまうのは本末転倒だし、これ以上輝虎に目を付けられるのは危険だと感じたので素直に彼女の意向に従い、二人はテラスを出た。そして渡り廊下の中ほどまで歩いて来ると、突然輝虎が立ち止まった。
「おっと、ついここまで来てしまった。すまないが、僕は職員室に用があるから引き返すね」
そう言って踵を返す輝虎を見て、一番大事な用を思い出した慧は彼女を引き留めた。
「あ、先輩。あと一つだけ良いですか?」
「なんだい?」
「俺たち、先輩の部活に仮入部するかもしれないので、その時はよろしくお願いします。では」
仮入部の申し出をした直後、予鈴が鳴った。それから少し経っても輝虎から返事が無かったので、慧は別れの挨拶をして早足で教室に戻った。残された輝虎は慧の足音が大分遠ざかった頃に言葉の意味を嚙み砕き、小さく数回頷いた。
「今確かに、仮入部すると言っていたような……。俺たち。俺たち……?」
独りぶつぶつと呟きながら、輝虎は白衣のポケットにそれぞれ手を入れて渡り廊下をゆっくりと歩いて行った。
色んな意味で先輩を置いてけぼりにした慧は、五、六、七組の教室が連なっている廊下に戻って来た。既に予鈴は鳴っていたので、廊下にいる生徒は少なかった。五組の前を通り、六組の前を通ろうとしたその時、ガラガラとドアが開いて恵凛と璃音が六組の教室から出て来た。
「あっ、すみません」
「あ、いや、こっちこそごめん」
二人で作戦を企てているせいなのか、それとも単純に気まずいせいなのか、慧と恵凛は目と目が合うとすぐに詫びを入れた。
「そ、それじゃ」
この場にいてはいけない気がした慧はすぐに逃げようとしたのだが、璃音がそれを制した。
「ちょっと。同じクラスなんだから、一緒に戻ったらどうなの?」
璃音の声がして振り返ると、彼女は眉間に皺を寄せてキリッと鋭い視線を慧に送っていた。しかし慧と目が合うと、パッと視線を逸らし、「またね、恵凛」と言って教室に引っ込んでしまった。
「えっと、戻ろうか?」
「は、はい」
こうなると恵凛を置いて行く必要も無くなったし、むしろ置いて行くわけにはいかなくなったので、慧は恵凛と一緒に教室へ戻った。
「あの、璃音のことなのですけど……」
席に着いた慧が五時限目の教材を机から引っ張り出した折、恵凛が独り言のように喋りかけて来た。
「うん、なんか良い情報は聞き出せた?」
教科書やらノートを一通り机に並べた慧は恵凛の横顔を見て、一言も聞き逃さないようにと少しだけ前のめりになって彼女の次の言葉を待った。
「それがその、明日の予定で盛り上がってしまって、肝心な璃音のことはあまり……」
後半に行くにつれて薄れていく声と伏し目がちな視線が、今の彼女の気持ちを最大限に体現していた。
「いや、全然大丈夫だよ! 俺もその、全然集めれてないし……。それにさ、明日仲直りさせるってわけでも無いんだし、地道に頑張ろうよ」
ラヴィからの受け売りも取り入れつつ、慧は包み隠さず本当のことを伝えた。かつ恵凛が自責の念に駆られないようフォローの言葉も入れ、慧は自信満々に言葉を区切った。
「そうですよね……。私、少し焦っていたのかもしれません。そ、それでは、その、ふ、二人で、頑張りましょうね?」
伏せていた瞳を慧に向け、自分の発言に照れ笑いを浮かべながら返事をする。そんな恵凛の姿に見惚れてしまった慧は少し間を置いた後、二つ返事で応じた。すると恵凛もそれに笑顔を返して、二人の周囲には青春の煌きが星のエフェクトとなって散りばめられ……。なんて妄想をしていると、授業開始のチャイムが鳴った。慧は慌てて伸びきった表情を引き締めると、パラパラと教科書を捲って机と机の間に架けた。
その後、何事も無く五時限目と六時限目が終わった。ホームルームが始まるまでには五分の空き時間があるのだが、ほとんどの生徒が数秒で帰り支度を整えてしまうのであまり意味は無い。それは慧も例外では無く、鞄に筆箱をしまった慧は内海が来るまでスマホをいじることにした。
「あの、風見君」
メッセージアプリを開くよりも前に横から恵凛の声が聞こえて来たので、慧はスマホを持つ手を下げて右方に首を回した。
「連絡先、交換しておきませんか?」
「確かに、それが良さそうだね」
女子から連絡先を聞かれるの何て初めてだったし、それが更に恵凛だったこともあり、慧はその言葉を聞いただけで少し鼓動が早まった。しかし何とか表面上は繕って答え、二人は同時にコードを提示した。
「あっ、はは。ゴメン。俺がカメラにするね」
「あ、ふふふ、ごめんなさい。お願いします」
慧が手早く読み取りモードに切り替えて恵凛の方へ向き直ると、そこには白百合のように美しく開かれた両掌に乗るスマホがあった。慧はその美しさに目を奪われながらもコードをしっかりと読み取ると、「よろしく」とメッセージを送ってみた。するとすかさず「よろしくお願いします」と返って来たので、二人は画面から目を離して微笑んだ。
「こ、これで、いつでもお話が……。情報が共有できますね」
「うん、そうだね」
時折見せる恵凛の歩み寄りに何度も心をときめかせる慧であったが、ここで調子に乗ったらまた同じことを繰り返してしまうと自制を敏感に働かせ、落ち着いた返答をした。
(勘違いの可能性もあるからな。焦るな、焦るな俺。龍宮とのことも長い目で見るんだ……)
心の中で深呼吸を終えた慧はスマホをポケットにしまった。
「この後はご帰宅ですか?」
ようやっと落ち着いた心臓を再び彼女の声が刺激する。
「あぁ、今日はこの後用事があるんだ。部活見学に行く約束があって」
「そうですか……。分かりました。私は璃音と帰宅する予定なので、今度こそ何か情報を得られるように頑張ります!」
「うん。少しずつ頑張ろう」
「はい。……それと、明日の集合時間なのですが、朝の十時でも大丈夫でしょうか?」
「うん、大丈夫。明日のことはこのまま二人に任せるから。えっと、何かあったら気軽に連絡して」
「は、はい!」
比喩表現では無く、彼女が無垢の笑顔を浮かべると共にパッと周囲が明るんだ。慧もそれにつられて気持ちの悪い笑顔が浮かび上がりそうになった時、教室前方のドアが開いて内海が入って来た。
タイミング良く入室してきた内海に感謝をしていると、いつの間にかホームルームは終わっていた。「それでは、また連絡しますね」と、恵凛は頬を赤らめながら言い、一人で教室を出て行った。
(もしや、だいぶ良くなって来たんじゃないか……? いやいや、浮ついちゃダメだ。時間をかけて、ゆっくりとだ。……あ、そう言えば、龍宮の情報も記録してるのかな?)
風船のように浮き上がりそうな心を何とか押さえつけると、今度は疑問が浮かび上がって来たので、鞄にしまっていたイヤホンを取り出して装着した。
「なぁ、龍宮恵凛の情報も記録されてるのか?」
【何ですか、藪から棒に】
「時間が無いから要件だけ聞きたかったの」
【ふむ、そうですか。それならば、答えはイエスですよ】
「ふーん、そう。分かった」
【まぁ、大した情報はありませんが、ご主人の為に記録は怠っていませんよ】
「ま、まぁお隣さんだし、もしもの為に記録しといてくれ」
【えぇ、お任せを】
これ以上深堀されないよう、ここで話を強制終了させた慧はイヤホンをケースに入れて鞄に戻した。すると間もなく友宏が元気良く駆け寄って来て、慧は半ば強引に部活見学に駆り出されるのであった。




