第二十三話 微妙な距離感
密約を交わした慧は先に教室へ戻り、制服に着替えて自分の席に腰かけていた。
「はぁ、面倒なことになった……」
数日前に蒔かれた災厄の種は見事芽吹いた。あの当時から嫌な予感を抱いていた慧は思う存分ため息を漏らしたが、これであの二人の諍いも終わり、恵凛との気まずい関係も打ち切られるかもしれないと考えたら、案外一挙両得ではあった。とは言えそれは成功した時にだけ限られた報酬であり、失敗した時のことを考えると、結局ため息をつかずにはいられなかった。
【どうしたのですか、ご主人?】
「あんなことになったら誰だって溜め息出るだろ」
【あんなこと? もしや、仲直り大作戦のことですか!】
「な、仲直り大作戦?」
【えぇ、そうですよ。作戦名と言うのは本のタイトルくらい重要ですからね。私が考えておきました!】
「気になってるのそこじゃ無いし、余計なお世話だし、ダサいし……」
【だ、ダサいですと!】
「うん、相当ダサい。てか作戦名とかどうでも良いし。それより、仲直り大作戦ってのは具体的に策があるのか?」
【いえ、まだ何も】
「はぁ……。そんなことだろうと思ったよ」
【確かに中身は考えていませんが、溜め息をついて現実逃避しようとしてる人よりマシだと思います~】
「うざっ。でもそっちこそ、恋愛サポートナビとしての役割を全う出来てないじゃないか?」
【ぐっ、痛いところを……。分かりました、ではこうしましょう】
「なに?」
【私が作戦を練りますので、ご主人は江波戸伊武氏と雀野璃音氏のデータを集めてください。好きな物でも好きな場所でもなんでも良いので】
「データを?」
【はい。作戦を立てるにしても、最低限のデータが無くては良策は生まれませんからね】
「まぁ、確かにそうか……。分かった。集めてみるよ」
【ありがとうございます! あと、出来れば眼鏡とイヤホンは着けっぱなしにしておいて下さいね】
「オッケー。頼むぞ、ラヴィ」
【はい! 私にお任せあれ!】
ひとまずラヴィとの共同戦線を張ることになった慧は一安心して眼鏡とイヤホンを外した。そして机の横に下げている鞄に備品をしまっていると、更衣室で着替えていた女子たちが続々と教室に戻って来た。もちろん恵凛もその中におり、慧が鞄から視線を上げると、丁度隣の席に彼女が着いたところであった。
(何でだろう。龍宮の姿を見たらやる気が湧いてきたな。いや、これは一種の使命感かもな。まぁどちらにせよ、穏便に事を済ませ――)
心の中で長々と独り語りをしていると、恵凛と目が合ってしまった。そこでようやく、自分が恵凛を見つめながら独白していたことに気付き、自分でもハッキリと音が聞こえるほどに生唾を飲んだ。
「ど、どうかした?」
まるで恵凛の方が先にこちらを見ていたかの如く、苦し紛れに話しかけてみた。すると恵凛はピクリと背筋を伸ばし、少しだけ視線を動かしてバッチリ慧と目を合わせた。
「あ、ごめんなさい。風見君を見ていたわけでは無くて、その、江波戸さんを……」
一言一言口から声が出る毎に顔を赤らめ、最終的にはぺこりと一礼をしてそっぽを向いてしまった。
「いやいや、こっちこそごめん。きっとその、何か糸口が無いか考えてたんだよね?」
慧が慌てて会話の軌道修正を試みると、恵凛はゆっくりと顔をこちらに戻した。
「は、はい。まずは江波戸さんを知ることから始めようと思いまして」
「実は俺もそう思ってたんだ。お互いまずは情報を集めて、そこからそれぞれの意見交換でもしようかな。って……」
取り繕うことにリソースを割き過ぎたせいか、自分が相当早口になっていることに気付いた慧は最後の数文字だけペースを落として考えを伝えた。すると恵凛はクスリと笑い、「はい、そうしましょう」と答えた。慧もすぐさま返事をしようとしたのだが、それは四時限目開始のチャイムに遮られた。
チャイムの直後に入って来たのはクラス担任兼数学担当の内海であった。教卓に教材を乗せてパッと教室を見回すと、一目で生徒たちの疲弊が伝わって来たようで、内海はスローペースで授業を進めていった。しかし慧にとってはそれが裏目に出たようで、欠伸は止まらず、瞼も次第に重くなり、意識も段々と……。なんて状態が続いたので、慧はその度に目をしばたかせて眠気を振り払った。
(てか、いつの間にか龍宮と自然に話せてるよな)
黒板に文字が書かれる音を遠くに聞きながら、ふとそんなことを思った慧は頬杖をついて恵凛の横顔を盗み見た。
(でもやっぱり、俺としてはまだどこか引っ掛かるんだよな。仲直り大作戦の上にこの関係が成り立ってる感があるというか……。この件が終わったら、また話しづらくなっちまうのかなぁ……。いやいや、これ以上マイナスに考えるのは止めよう。悪い癖だ。うん。まずは目の前の雀野と江波戸の仲直りが先だよな)
そう思って頬杖を解くと、今度は伊武の方に視線を向けた。すると案の定彼女は眠っていた。机の上で組んだ両腕の上に自分の左頬を乗せ、いつも鋭く他者を睨む瞳は瞼とまつ毛のベールに隠されて、猛獣の休息を覗き見したような印象を慧に与えた。定期的な寝息は身体を微かに上下させ、その際に右耳の方まで持ってきていた前髪がサラサラと顔の方へ流れ落ちた。
(よく寝てるな……。そう言えば、古屋根の大通りにあるコンビニで働いてたよな。あの時は何も言及しないように尽くしたけど、今は少しでも情報が欲しいし、あそこに顔を出してみるのも手か)
伊武の寝顔をチラチラと伺いながらそんなことを考えていると、内海が早めに授業を切り上げた。「廊下には出ないように」と生徒たちに言いつけた内海は、教壇の近くにある椅子に腰かけてプリントが収められているファイルを開いた。
授業が終わって更に眠気が増した慧は、大きく欠伸をしながら伊武の方を見た。するとこちらを凝視している伊武とぴったり目が合った。
「ふぁー、あ……」
驚きの声を上げた慧に反して伊武は至って冷静に上体を起こすと、垂れ下がって来ていた右側の前髪をスッとかきあげて、安っぽい黒のピンで髪を止めた。
「……なに?」
「いや、何でも」
内心ドキドキしながら答える慧を他所に伊武はブレザーのポケットからスマホを取り出すと、それを横持ちにしてゲームを始めた。
(どこまでも自由人だな、こいつ。ていうか、もしかして俺が見てたの気付いてたか? いや、まさかな……。でも抜け目無さそうだしな……。この分だと、先に雀野の情報を集めた方が良さそうだな。明日三人で出掛けるっていう口実もあるし)
珍しく思考を早めに切り替えた慧は、まだ写していない板書をノートに手早く書き、四時限目が終了した。
「あの、風見君」
チャイムも鳴り終え、昼休みに入った教室がざわつき始めた頃、右隣に座っている恵凛が身体を真っすぐに慧の方に向けて話しかけて来た。
「ん、なに?」
今日はテラスでラヴィと作戦会議をしながら独り飯にしようと思っていたが、恵凛に声を掛けられたので一度鞄から手を引き、姿勢を正した。
「私、これから璃音とお食事をしながら色々と聞き出してみようと思うのですが、風見君は江波戸さんの方をお願いしても良いでしょうか?」
彼女のあまりに事務的な連絡は、先ほど考えていた『作戦上での関係』を助長しているような気がして、慧は少しだけシュンとした。しかし実際、恵凛の方が璃音と仲が良いわけだし、これが合理的か。と思った慧は「うん、分かった」と答えた。
「ありがとうございます。それと、明日の件はどうしましょうか?」
「え、あぁー、多分星峰のことなら雀野の方が詳しいと思うから、二人で決めちゃっても良いよ?」
「そう、ですか。分かりました。では、また放課後にでもお伝えします」
立ち去る恵凛の背中から少しだけ名残惜しそうな雰囲気を感じたが、慧は引き留めなかった。いや、引き留める勇気が湧かなかった。変な勘違いで溝を広げたくなかったし、何より、自分の傷に塩を塗るような気がして怖気づいたのであった。もしも自分が声を掛けたとしても、彼女が止まってくれる保証はどこにもないのだから。
そうして恵凛を見送ると、少しだけ時間を空けて慧も席を立った。昨晩コンビニで買っておいたおにぎり三個とイヤホン、眼鏡を持ち、人が行き来している廊下を抜けて職員棟へ向かい、今度は誰もいない廊下を進んでテラスのガラス扉を開けた。
「いつも通り、誰もいないな」
【ほう、なかなか良い場所ではないですか! トイレよりはマシですね】
既に眼鏡を掛けていた慧の視界を共有して、初めてテラスを見たラヴィはチクリと皮肉った。
「あのな、たった十分の休み時間でここまで来てる暇無いんだよ」
【そ、それは確かにそうですけど、毎回トイレに連れて行かれる身にもなってくださいよ】
「別に良いだろ、トイレでも」
【結構人が来るじゃないですか!】
「分かった分かった。たまに他の場所にも行くから」
会話を強制終了させた慧は持ってきたおにぎりを食べ始める。
「さっきの話だけど」
口の中に入っている米と鮭と海苔をあらかた飲み込んだ慧が話を切り出す。
「データってさ、片方だけでも平気かな?」
【片方だけですと? 何故に?】
「いや、実はさ、江波戸の方が抜け目ないって言うか、情報を引き出せそうにないって言うか……」
【なるほど、自信が無いってことですね】
「言い方に棘はあるけど、実際その通りだよ」
【うーん、そうですね。まずはマインドを変換してみてはいかがでしょうか?】
「マインドを変換?」
【はい。短期決戦ではなくて、長い目で見てみるのはどうですか?】
「いや、まぁ、確かにそうなのかもしれないけど……」
早く面倒事を済ませてしまいたいという感情と、恵凛との気まずい関係を解消したいという感情と、何をすればいいのか分からないという感情とで、勝手に短期決戦を想定していた慧は歯切れの悪い返事をした。
【ご主人の気持ちも分からないでは無いですが、距離が縮んだら一気に仲良くなれるタイプの子もいますからねぇ。逆に、最初から話しやすい子に限って、重要な情報は教えてくれなかったりするものですよ】
「本当にそう言うもんなのかな?」
【さぁ、どうでしょう? 私も最低限のデータから、ご主人の助けになれば良いなと思ったことを伝えたまでですから】
「なんだ、ただの憶測かよ」
【い、今あるデータからの推測と言って頂きたいです! そもそも、ご主人のデータ収集が甘いのですよ】
「そんなの当たり前だろ。お前と会って一週間も経って無いんだぞ?」
【あ、ははは。確かにおっしゃる通りで……】
テーブルに置いていたラヴィ本体の液晶には、三本の黒い線が成す苦笑が映し出された。
「ったく、どっちにしろ足で稼げってことか。……ん?」
骨伝導タイプのイヤホンにしたおかげで、ガラス扉に何かがぶつかる音がハッキリと聞こえた慧はテーブルに出していたラヴィ本体を素早くポケットにしまって振り返った。すると凝視するまでも無く、扉の向こう側に倒れている輝虎が視界に入った。
「はぁ、何でこの人は毎度行き倒れているんだ……」
率直な気持ちをぼやきながらも、慧は席を立って輝虎を抱き起し、テラスのベンチに座らせた。
「あ、あ、ありがとう……。ついでに、何か、食べ物を……」
(もうここで昼を食べるのは止めようかな)
渋い顔をしながら置きっぱなしにしていたおにぎりの片方を手に取ると、ベンチで項垂れている輝虎にそれを差し出した。すると今の今まで自分の掌にあったおにぎりは一瞬で消え失せ、気が付いた時には既に輝虎の口に咥えられていた。
「あぁー、生き返ったぁ! ありがとう、君」
あっという間に食事を終えた輝虎は勢いよく立ち上がると、慧の両肩に自分の両手を乗せた。
「身体測定の為に朝から何も食べていなくてね。いやぁ、本当に助かったよ」
「はいはい。それじゃあ俺はこれで失礼しますね」
軽くあしらうように言うと、輝虎の束縛から抜け出しておにぎりが置かれたままになっているテーブルに戻った。
「あ、そうだ。君」
そう言ってパタパタと慧の後を追って来た輝虎はそのまま対面の席に着いた。
「今朝、君が忘れて行った袋。本当は何か別のものが入っていたんじゃないのかい?」
(そうだった……。まだここにも面倒事が残ってたんだった……)
慧は面倒臭いという感情が表に出て来るのを何とか抑えながら、手元のおにぎりを開封した。
「ちょっと君、聞いてるよね?」
話しかけて来る輝虎を無視して黙々とおにぎりを頬張る。すると、
【あのー、ご主人。このお方でデータ収集の実験をしてみる。というのはいかがでしょうか?】
というラヴィの計略が咀嚼ばかりしていた慧の顎を止めた。
(確かに、アリだな)
研究者相手に実験をするというリスキーな行動ではあるものの、ここはひとつ、向こうもこちらの探りを入れてきているのだから、こちらだってそれ相応のことをしたって罰は当たらないだろうと思った慧は、口の中に残っているおにぎりを麦茶で流し込み、挑発的な表情で行動観察を続けている輝虎と向き合った。




