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第十五話 重なる不運

 既に案内は済んでいるはずだが、沈黙が気まずかった慧は理科室にたどり着くまでの短い間、軽く名称を説明しながら進むことにした。しかし、


「それでしたら、もう学年主任の先生から伺いましたよ」


 と、恵凛の天然の刃で一刀両断されてしまった。


「だ、だよね……」


 その後会話をリードすることも無く、二人は短くも長い沈黙を経て理科室に辿り着いた。


「サクッと用事を済ませて来るので、ここで待っててもらっても良いですか?」


 振り返って話すうちに、恵凛の表情がみるみる膨れて行くのが見て取れた。何があったのかと首を傾げようとしたその時、自分が敬語で話していたことに気付き、慧が慌てて言い直そうと口を開くと、


「……う、うん。い、行ってらっしゃい」


 と、恵凛は恥ずかしがりながらも、見せしめのように言葉を返した。そんなぎこちない会話が慧の羞恥心をも煽り立て、それがそのまま沈黙と混ざり合って何とも言えないビターでスイートな空気を作り上げる。


「じゃ、じゃあ、そう言うことだから、待っててくだ……。ゴホン! 待っててくれ」


 自分でも変な言葉遣いになっていると思った慧はこの場から逃げたい一心で、理科室のドア前に立った。そしてドアを三回ノックすると「失礼します」と声を出しながらドアをスライドさせようとしたのだが、ガタン。という音が廊下に響き、理科室のドアは微塵も動かなかった。


「……アレ?」


 思わず声が漏れた。


(嘘だろ、まさかまだ来てないのか! しくじったな、早く来過ぎたか……。これじゃあ恥ずかしい空気がより一層恥ずかしくて気まずい空気になっただけじゃんか……!)


 ドアに手を掛けたまま言い訳を考えてみるが、何も浮かんでこない。こうなったら素直に白状しようと諦めて振り返り、恵凛に訳を説明しようとしたタイミングで左方から人影が飛び出してきた。


「あっ! 来てくれたんだね、君!」


 右手の人差しに通したキーホルダーをクルクルと回しながら登場した輝虎は、慧の存在に気付くとすぐ、声を上げながら駆け寄って来た。


「ど、どうも」

「やあやあ、よく来てくれたね。それに何だ、他の入部希望者かな? それとも、君が早速スカウトしてきたとか?」

「いえ、その、俺も彼女も入る気なんてさらさら無いですよ。ただ、イヤホンのことが気になっただけです」

「ふーん、そうか。まあいい、今開けるから入りたまえ」


 輝虎がそう言ったので慧は潔くドアの前から退き、彼女にドアを開けてもらった。そして先に入室した輝虎の「さぁ、入ってくれ」という言葉に釣られ、慧と恵凛は考える間もなく理科室に吸い込まれていった。


「ようこそ、僕のラボへ!」


 二人が理科室に入ってすぐ、教卓の近くに立っていた輝虎が振り返り、仰々しく手を広げて声を張った。慧は心の中で、また始まったよ。と思いながら右隣を一瞥すると、恵凛は真珠のような目を見開き、高速で瞬きをしていた。その姿はまさしく、未確認生物を発見した人そのものであった。


「気にしなくていいよ。いつもこんな調子だから」


 慧が小声で耳打ちすると、恵凛はゆっくりと頷いた。


「もしも疲れるようだったら、外で待っててください」


 未だに目をまん丸くしている恵凛にそう伝えると、慧は輝虎の方に身体を向き直して数歩前進した。


「それで、例のイヤホンはどこに?」

「このポケットの中さ」


 輝虎は白衣の右ポケットをポンポンと優しく叩いた後、ニヤリと不気味な笑みを浮かべて一言付け加える。


「しかし、本当にこれで君が来るとは思わなかったよ。何だかんだで逃げられると思っていたが、余程イヤホンに興味があるのか、はたまた、これ自体が何か訳アリなのかなぁ?」


 右手で顎を撫でて推察を披露し終えると、輝虎は睨むように顔を前方に傾けた。すると丸眼鏡に蛍光灯の明かりが射し込み、キラリと白い反射を見せた。


(しまった、露骨過ぎたか……! でもついさっき部活に入る気は無いってキッパリ言っちゃった手前、それで誤魔化すことは出来ないし。どうやって話を逸らせば……!)


 至って平静を装うが、脳内では中途半端な案が煩雑に浮かび上がり、これと言った明確で適正な手段が一向に浮かんでこない。しかしこのまま黙り続けていても図星だとバレてしまう。それが一層慧の気持ちを焦らせる。とりあえず何か喋らなくては……! 窮地の中でひとまずそこに考え至った慧はひとまずフィラーで誤魔化すことにした。


「あー、えーっと、イヤホンが好きというわけでは無いんですけど、そのー、何と言うか――」

「ここでは何が行われるのですか?」


 誤魔化しに誤魔化し続けていた慧に、思いもよらない助け船が出た。


「ん、なんだいお嬢さん。もしや、僕の研究室に興味があるのかい?」


 先ほどまで慧に向けられていた懐疑の瞳は歓喜の瞳に色を変え、視線も恵凛の方に向けられた。


(助かった……。まさか龍宮さんが興味を示すとはな。てか、あの人サラッと僕の研究室って言ってたよな……。まぁそれはいいか)


 ターゲットから外れた慧は揚げ足を取る余裕さえ感じ始めており、ひとまずは恵凛が場を繋いでくれるだろうという安心感も生じた慧は一歩離れたところで二人の行く末を見守りながら、適切な言い訳を考えることにした。


「大いに興味があります。ここで何が行われているのか。そして貴女にも」

「僕もかい? ハハハッ、これは困ったな。まさか自分が研究対象にされているとは思いもしなかったよ。とは言え、まずはここで何をしているかに答えてあげよう。座り心地は悪いがかけてくれたまえ」


 教卓の目の前に並ぶ黒く大きな理科用実験台に歩み寄った輝虎は、その下から角ばった背もたれの無い木椅子を引き出すと、恵凛をそこへ誘導した。


「君も、テキトーにかけてくれたまえ」


 興奮してど忘れしているのか、輝虎は慧に向かって雑に声を掛けると、恵凛の対面に座して話し始めた。慧はその姿を見ながら心の中でラッキーと思いつつ、恵凛の二個左隣の木椅子に座り、話に耳を傾けながらもイヤホンを奪還する術を吟味した。


「まずはここの説明から。知っての通り、ここは表向きは理科室という名を冠しているが、実は、放課後は超常現象や不可思議な事物、その他、僕が気になったモノをとことん調べ尽くすラボになっているんだ!」

「ラボ、ですか」

「あぁ。皆は何故か、頑なに理科室と呼ぶけれど、僕は親しみを込めてラボと呼ばせてもらっている」

「な、なるほど……。それで、今このラボでは何か研究をしているのですか?」

「勿論! と、言いたいところなのだが、生憎、最近は僕の興味を特段刺激するものが無くてね……。一応、心霊現象やら未確認生命体、錬金術など、去年から調べ続けているテーマもあるのだけど、しかし今はどれも食傷気味でね……」

「そうでしたか。では、今は何も手付かず。と言った状態なのですか?」

「残念だが、それが事実だね。しかーし! 今日の昼、ようやく気になる物を見つけたんだ!」


 輝虎は嬉々として立ち上がると、白衣の右ポケットに手を突っ込んで何かを掴み、引き抜いた。そして握っている右手をスーッと恵凛の目の前に持って行くと、それをそっと開いた。するとそこには、慧がラヴィとの通信で使っていた二個のイヤホンがちょこんと乗っていた。


(どうやら持っているのは本当だったみたいだな。後はこれをどう奪い返すか。だな)


 現物を見た慧は、絵画のように静止している二人の姿を視界に収めながら脳をフル回転させる。


「これは……。イヤホン、ですよね?」


 事情を知らない恵凛は当然の反応を示す。


「そう、イヤホン。してお嬢さん。君はこういったものに造詣が深かったりするかい?」


 掌の上でイヤホンをコロコロと躍らせている輝虎は、まるで探偵が核心に迫る質問をするような、低いトーンでそう聞いた。


「いえ、私はあまり……。ですが、父の会社で電子機器の取り扱いをしていたような気がします」

「ふーん、父の会社でねぇ。つい数時間前にもそれと似たようなことを言われた気がするけども、詳しく聞こうかな?」

「はい。その、ひけらかすようであまり言いたくは無いのですが、私の父は大きな商社を営んでおりまして、確かそこで、イヤホンの取引仲介も行っていたような気がします」

「ほう、つまり、これも扱っている可能性があるという事か……」


 右手を自らの面前に持って来ると、輝虎は掌に乗っているイヤホンを見つめた。


「はい。うちで取り扱っていればの話ですが」

「他家を詮索するのはあまり道徳的とは言えないが、君の名前を伺っても?」

「……龍宮恵凛です」


 輝虎がそう問いかけると、恵凛は少し躊躇した様子を見せた後に硬い表情で自分の名を答えた。


「た、た、龍宮!?」


 恵凛の名前を聞いた輝虎は勢いよく立ち上がり、目を見開いた。そして自分が取り乱したことに気付き、咳き込んで誤魔化しながら再び席に着いた。


「ゴホン、そ、そうか。君が噂の、龍宮グループのご令嬢だったのか。僕は二年の宇留島輝虎だ。よろしく」


 平静を装っているようではあったが、出だしで声が裏返っていたので焦っているのは一目瞭然であった。


「はい、よろしくお願いします。それでその、差し出がましいようですが――」

「分かっているとも! 苗字は伏せて欲しい。という事だろう?」

「は、はい……! ありがとうございます」

「いやいや、気にしないでくれたまえ。それで恵凛君。コレについてお父様に意見を聞いてもらうことは出来るかい?」

「あ、そのことなのですが、今父は家を出ていまして……」

「あぁー、そうだったのか。オーケーオーケー。それじゃあコレは……」


 新たな希望が見えた時は瞳を輝かせていた輝虎だが、恵凛の父が不在だという事を知り、すぐに唇を尖らせた。それを全て見聞きしていた慧は、ここだ。ここしかない。という確信の元、少しだけ前のめりに口を挟んだ。


「解明できない。ってことになりますね」


 自分が持って帰る。と言っては同じ轍を踏むと考えた慧は、研究者の気持ちを煽るようでいて、遠回しに自分ならば解明できる。という旨を含んだ台詞で割って入った。


「……ふむ。確かにそうだね。だけど、君は言葉を間違えた」


 輝虎はそう言って立ち上がると、白衣の右ポケットにイヤホンをしまい込み、教卓の上に置いていた鍵束を手に取った。


「今日は解散だ。ひとまずコレは僕が調べる。ほらほら、早くしないと本当に閉めちゃうよ?」


 冗談交じりに微笑みながら二人を追い立てると、輝虎は一番最後に理科室を出て、本当に鍵を掛けた。そして「僕は鍵を返して来るから」と言って階段に向かうと、その角に隠れて慧と恵凛の動向を伺った。


「えっと……。帰ります、か?」

「え、は、はい」


 残された二人は嵐のように去って行った輝虎にしばしの間言葉を失っていた。しかしこのまま理科室の前に立っていても時間が過ぎて行くだけだと思った慧の提案で、二人はようやく渡り廊下を歩き始めた。


「ククッ、君には悪いけど、コレは餌として使わせてもらうよ」


 廊下の影で笑みを浮かべた輝虎は二つの背中が消えるよりも前に視線を逸らし、階段を下って行った。

 その一方、渡り廊下を過ぎて四階の廊下に戻って来た二人はそのまま下駄箱を目指して階段を下っていた。


「用事と言うのは」と恵凛が話し始める。「あの部活動に顔を出すことだったのですか?」

「いやー、まぁ間違いでは無いんだけど……」


 別に隠すことでも無いのだが、わざわざイヤホンを取り返しに行った。とも言い出し辛いし、そもそも目的を果たせなかった動揺が大きく、慧は言葉を濁した。


(マズいな。このままじゃラヴィと通信できないどころか、モニターの役割も果たせない。どうにかして取り戻さないと……)

「――気になります」

「え?」


 考え事に熱中していて恵凛の話を聞いていなかった慧は、声に出して聞き返した。


「私、あの部活動が気になります」

「……え?」


 聞いていなかったから聞き返した慧だが、改めて聞き取った結果、恵凛の言っていることが瞬時に理解できなかったので、思わず階段の途中で立ち止まって再び聞き返す羽目になった。


「嫌、でしたか……?」

「ううん! そういうわけじゃ無くて。本当にあそこに入るつもりなのかなと思って」


 二段ほど下で立ち止まった恵凛が悲しそうに自分を見上げていたので、慧は慌てて恵凛の横に下りて弁明をする。


「風見君は部員ではないのですか?」

「うん、ただ勧誘されてるだけで」

「そうでしたか……」

「あんなグレーな部活、俺は入らない方が良いと思うけど」

「そうですかね。いろんなことを知れて面白そうだと思ったのですけど」


 少し気落ちの色が伺えたように感じたが、当の本人は淡々と階段を下って行くので慧は答えに困った。


(入部したくは無いけど、イヤホンを取り戻すためにしばらく通う羽目になるだろうし、龍宮さんも入りたそうにしてるし……。そうか――)


 考えている間に一つの案が浮かび、それはそのまま声に出ていた。


「仮入部」

「はい?」

「仮入部、してみますか?」

「はい……! しましょう、仮入部!」


 仮入部と言う発想が無かった恵凛には、慧の提案が最善だと感じられて即答した。


(良かった。案外丸く収まりそうだな)


 完全に全てが解決した。というわけでは無いが、展望が開けたように感じた慧は一安心した。と、そんなやりとりをしている内に二人は下駄箱まで辿り着いていた。


「龍宮の下駄箱は……」

「はい、用意してもらいました」

「そっか、てっきり特別なものが用意されてるのかと思った」

「ふふ、そんなことないですよ。みなさんと同じ環境で学びたかったので」


 用意してもらったと言う下駄箱から靴を取り出している恵凛を見て、健気な子だなとしみじみ思っていると、右ポケットが微かに振動した。何だろうと思う暇も無くポケットからスマホを取り出すと、画面には「父さん」と送り主の名前が表示されており、次いで『試作品の確認がてら、今日帰るぞー』と書かれてるのを視認した慧は全身の毛穴から汗が噴き出て来るのを実感しながら、スマホをポケットにしまった。


(マズい。本格的にマズい。なんでこのタイミングなんだ……!)


 最悪の事態にプチパニックを起こしていると、そこへ、


「あれ、アンタ隣のクラスの」


 という声が聞こえて振り向くと、璃音が勢いよく階段を下って来た。


(なんで、なんでこのタイミングなんだ……!)


 度重なる不運に口をあんぐりと開け、慧はこれ以上考えることを放棄した。

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