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第百二十七話 心配事

 駅へ向かう道中。電車待ちのプラットホーム。学校へ向かう道中。慧は幾度かに分けて恵凛に話し掛けてみた。内容は様々、他愛無い話を振ってみたり、元気が出そうな話を振ってみたり、伊武も巻き込んで話を盛り上げようとしてみたり。しかしそのどれもが失敗に終わった。理由は至極単純で、慧がどんな話題を振っても、恵凛は「はい」とか「そうなのですね」としか答えてくれず、話が全く進展しなかったのである。その結果慧は、話し掛けることに意義を見出せなくなり、加えて、心ここに在らずといった状態の恵凛を見ていると、今はそっとしておくのが正解なのかもしれないな。と思えて来たので、話し掛けることを、乃至は話を聞き出そうとすることを諦めたのであった。こうして慧の心が折れると、忽ち三人の間から会話は消え失せ、三人はどことなく気まずい空気を纏ったまま、教室に辿り着いたのであった……。と言っても、この空気を気まずく感じていたのは慧だけであった。恵凛は始終考え込んでいてそれどころでは無かったし、伊武は元より沈黙を気にするようなタイプではないからである。つまりこの気まずい空気というのは、慧の心に宿る憂慮やら不安やらが勝手に感じ取った思い込みの空気なのであった。しかしその真実に気付かぬまま、慧はただ一人、居心地の悪さを感じながら学校生活を送るのであった。

 ……その後、慧の思い込みが解消されることなく時は流れ、あっという間に放課後。


(はぁ、もう放課後か……。龍宮、相変わらず元気ないな。こんなに元気ない。というか、考え込んでる龍宮を見るのは初めてだな……。もうある程度時間も経ったことだし、理科室に向かう前に、もう一回龍宮に話しかけてみようかな……?)


 隣の席で帰り支度を整えている恵凛を見て、慧は今日最後のチャンスをどちらに進むか考える。

『話し掛ける』

『そっとしておく』

 脳内に浮かび上がる二つの選択肢。二つの道。どちらとも正解のように感じるが、どちらとも間違っているようにも感じる。慧はその二つの選択肢の間を行きつ戻りつしながら、自分は一体、どっちを選べば良いんだ! と心の内で嘆く。するとその直後、


「はぁ……」


 左隣から大きなため息が聞こえてきた。かと思うと、ため息の主である伊武は席を立ち、恵凛のもとへ向かう。そして出し抜けに、


「帰ろ」


 と言った。


「は、はい?」

「今日、早く帰って来いって家政婦さんが言ってたじゃん」

「そ、そうでしたっけ?」

「ん。だから帰ろ」


 伊武は困惑している恵凛に構うことなくどんどん話を進めた挙句、一方的に話を切り上げて歩き出す。


「あっ、待って、伊武!」


 恵凛は伊武の名を呼びながら慌てて席を立ち、鞄のファスナーを閉め、それを肩にかけて歩き出そうとする。慧はそんな、今にも立ち去ろうとしている背中に向かって、


「き、気を付けて」


 と、声を絞り出した。すると、


「はい、ありがとうございます。それでは、お先に失礼しますね」


 恵凛はいつも通りの優しい笑みを浮かべて答えてくれた。慧はその笑顔をしばらくの間噛み締めた。その間に、恵凛と伊武は教室からいなくなっていた。

 それから約一分後、慧がそろそろ理科室へ向かおうかと考えていたタイミングで、ズボンのポケットに入れているスマホが振動した。もしかしたら輝虎からの催促メッセージかもしれない。そう思った慧は、ポケットからスマホを取り出し、電源を入れる。するとロック画面にはメッセージ通知が浮かび上がる。メッセージを送って来た相手の名は、伊武であった。


(江波戸からだ……。まさか、なんかあったのか?)


 通知を見ただけなのに、何か悪いことが起こったのかもしれない。と思い込んだ慧は、急いで通知をタップしてトークルームを開き、今しがた届いたメッセージを確認する。その内容は、


『こっちは任せて。あと一応、話聞けそうだったら聞いてみる。けど、期待はしないで』


 悪い報せではなく、むしろ良い報せであった。それを読んだ慧は思わず頬を緩め、


(江波戸にしては無理やり龍宮を連れて帰ったなと思ってたけど、そう言うことだったのか……。ったく、つい昨日、お人よしがどうのこうの言ってたくせに、江波戸も大概だな)


 なんて心の中で独り言ちながら、感謝の返信を打ち始める。しかしその折、伊武からもう一件メッセージが届いた。


『貸し一つね』


 その文面を目にした慧は、(え? 恩返しの一環じゃないのかよ……)とせせこましく思った。しかしすぐに、(まぁでも、江波戸には既に何度か助けられてるし、何より、あの江波戸が自発的に協力してくれたんだから、ジュースの一本くらい奢ってやっても良いか)という結論に落ち着き、改めて返信を打ち始める。


『ありがとう。このお礼はまた今度改めてするよ。それと、龍宮のこと、よろしくな』


 謝礼と懇願が強調されるよう、無駄な文言は省いてコンパクトに纏まった文章を打ち出すと、それを送信し、慧は理科室へ向かうべく席を立った。

 渡り廊下を抜けて実習棟の廊下を少し歩くと、理科室が見えて来る。と同時に、理科室のドアが開け放たれているのも視認出来た。どうやら、輝虎は既に理科室に来ているらしい。そうと知った慧はそれとなく呼吸を整えると、堂々と理科室に入った。


「やあ。遅かったね。約束をすっぽかされたのかと思ったよ」


 中では予想通り輝虎が待っていた。慧の到来にいち早く気付けるよう、開け放たれたドアが見える位置に座って。


「すみません。ちょっとホームルームが長引いちゃって」


 輝虎のジョークに対し、慧は平然と粗雑な嘘を吐いて輝虎の対面の席に着く。


「ハハッ。そうかそうか。まぁ、来てくれたなら何でも良いよ」


 嘘に気付いているのかいないのか。どちらにせよ、輝虎は慧の発言を受け流し、話を進める。


「伊武君はいないんだね?」

「はい。先に帰りました」

「ふむ、そうか。一応彼女の写真も現像して来たのだけれど、必要なかったみたいだね」

「あの、それ、俺が見てもいいですか?」


 母親の件に多少なりとも関与していたのだし、自分にも確認するくらいの権利はあるだろうと思った慧はそう申し出る。


「あぁ。いいとも」


 輝虎は短く答えると、数枚の写真を実験台の上に置き、それらをなるべく慧の方に滑らせた。慧はそれら提示された数枚の写真を、少し前のめりになって覗き込む。一枚目、二枚目、三枚目。どの写真を見ても、そこには伊武の姿しか写っておらず、赤いオーブそのものは勿論、赤いオーブらしき歪みさえ写り込んでいなかった。


「良かった。消えたんだ……」

「確かにオーブは写り込んでいないね。とは言え、まだ鑑定をして正確な結果を聞いたわけでは無いから、完全に脅威が去ったとは言えないよ」

「そう、ですよね」

「あぁ。でもまぁ、ここまでクリアな写真なら大丈夫だろうとは思うけどね」

「そう信じたいですね」


 輝虎は慧の言葉に頷き、写真を回収していく。そして回収を終えると、


「この写真はデータでも保存してあるから、僕の方から伊武君に送っておくよ」


 と言葉を付け足した。


「はい。お願いします」

「さてと、それじゃあ次は、助手君の写真を見てみようか」

「はい……」


 先ほどまで伊武の写真が並べられていた場所に、今度は慧の写真が並べられていく。そして最終的に五枚の写真が並べられたところで、早速オーブの確認をしようとしたその時、


「まず一つ、良い報告からしよう」


 と、輝虎に出鼻を挫かれた。


「な、なんですか?」

「君の写真からも、赤いオーブが消えていたよ」


 輝虎の口から発せられたのは、確かに良い報告であった。


「本当ですか?」

「あぁ。少なくとも、昨日撮った数枚の写真には写り込んでいなかったよ」

「そっか。良かったです」

「何か問題を解決したのかい?」

「えっと、そうですね……」


 伊武の件を明け透けに話すのはどうかと思い、慧は口ごもる。


「話しづらい内容ならば、無理強いはしないよ」

「……いえ、話します。詳細にというのは難しいですけど」


 正直オーブの話が浮かび上がった時は面倒だと思っていたが、そのオーブがあったおかげで問題解決に向けて動き出したのも事実である。そう考えた慧は、明確に誰とは言わずに、伊武の人間関係の改善を手伝っていたことを話した。


「なるほど。つまり助手君と伊武君の写真に写っていた赤いオーブが示唆していたのは、同じ人物だった可能性が高いわけか。だから同じタイミングで赤いオーブが消えたと……」

「多分そうだと俺は思ってます」

「ふむ。ありがとう。面白い話を聞かせてもらったよ」


 輝虎は笑みを浮かべて答えると、数秒ほどスマホを操作し、目的を終えるとそのスマホを実験台の上に置いて慧の方に向き直る。


「お待たせ。それじゃあ、助手君の写真を見ようか」

「はい」


 促されるまま、慧は写真を覗き込む。並べられた五枚の写真には、自分の姿と、以前見たよりも顕著に虹色のオーブが写し出されていた。


「やっぱり、虹色のオーブはハッキリと写ってますね」

「あぁ。これに関しては鑑定士じゃなくとも、何となく、虹色のオーブが強く何かを示していると分かるね」

「はい。実際そうだと思います」

「おや、昨日に比べて随分と前向きな発言だね。その感じだと、考えがまとまったのかな?」

「はい。考えもそうですけど、何より覚悟が決まりました」

「ほう。それは良かった」


 ここで輝虎がもう一歩踏み込んで来る想定だったのだが、輝虎はそこで言葉を止め、口を噤んだ。


「……聞かないんですか?」


 心当たりを、母のことを話すつもりで来ていた慧はそれをもどかしく感じ、思わず自分から踏み込んだ。すると輝虎は、


「うーん」


 と唸り、言葉を続ける。


「もちろん聞きたいとは思っているし、出来る範囲で手伝いたいという想いもあるよ。しかしだね、昨晩ふと、鑑定してくれたおばあさんが言っていたことを思い出したのだよ。この虹色のオーブは試練の兆し。君にとってキツイ壁を乗り越えることになるかもしれない。という言葉をね。それで思ったんだ、僕が首を突っ込みすぎるのは良くないのかなと。しかしオーブの話を持ち出した当人として、ここで君を見放し、孤立させてしまって良いのか? という想いもある……。とまぁ長々と話してしまったが、要するに今僕の気持ちは、正にフィフティフィフティと言った感じなんだ。だから、君が感じた心当たりを話すか話さないかは、君に任せることにしたよ。僕からはこれ以上何も聞かないし、話してくれなかったからと言って、君を悪者扱いするような真似はしない」


 輝虎は慧のことを真っすぐに見つめ、心の内を詳らかに話してくれた。それを受けて慧は、輝虎から配慮やら懊悩やらの意思を感じ取った。と同時に、都合が良いとも思った。正直なところ、本当に話す必要があるのかないのか今も悩んでいたので、慧はこれを好機と見て、別の策を提案してみることにした。


「分かりました。じゃあ、今日は話さない方向で行かせてもらいます。正直、心当たりを話したところで誰かが協力できるようなことでもないなぁと思っていたので。とは言え、先輩にはここまで協力してもらった恩というか、関係値があると思ってるので、事が収まったら、虹色のオーブの正体を話します。というのはどうでしょうか?」

「うん。至らない僕がこんなことを言うのも難だが、良い落としどころかもしれないね」

「いえいえ、そんなことありません。さっきも言いましたけど、あんまり話したくないなぁと思っていたので、俺的にはありがたかったですよ」

「ハハッ。そうかそうか。なら、ウィンウィンということにしておこうか」

「ははっ。はい。ですね」


 斯くして頭を悩ませていた報告会は最高の結末を迎えた。しかし、慧の脳内にはまだ一つ、大きな心配事が残っていた。それは恵凛のことである。自分の写真に写っていた虹色のオーブがここまで現実に影響を及ぼし始めた今、彼女にも虹色のオーブが迫って来ているかもしれない。そんな疑念が湧いて来た慧は、解散する前にもう一つ提案を試みる。


「あの、先輩、もう一つ提案があるんですけど、いいですか?」

「ん? なんだい?」

「どうにかして、龍宮の写真を撮りませんか?」

「恵凛君の?」

「はい。今日の龍宮、様子がおかしかったんです。もしかしたら、龍宮の写真に写っていた虹色のオーブにも何か変化があったのかもしれないと思って」

「分かった。そっちは僕に任せてくれ給え。とりあえず君は、君自身のオーブと向き合うことに集中するんだ」

「ありがとうございます。先輩」

「いや、いいんだよ。これが今の僕にできる最大限の協力だからね」

「先輩……。よろしくお願いします」

「あぁ。お互い頑張ろう」


 輝虎はそう言いながら右手を差し出す。対して慧も右手を差し出し、二人は新たな密約を結ぶ証に握手を交わすと、新たな志を胸に解散した。

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