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第百二十六話 メモの在り処

 メモを探し始めて数十分。成果はまだない。前回探した所も含め、もう一度部屋中を探し直してみたのものの、メモらしき紙片はどこにも無く、慧はベッドに腰を下ろしていた。


「はぁ……」

【ありませんねぇ……】


 高精度なセンサーを有しているラヴィ(眼鏡)の協力があっても、それらしいものを発見することは出来なかったのである。


「やっぱり捨てちゃったのかな……」

【そう思えて来ても仕方ありませんね。ですが、諦めるにはまだ早いですよ。探し直していない場所が一か所残っていますから】

「うん。だな」


 慧は呟くように答えると、首を左に回し、閉め切られているクローゼットの折れ戸を見る。


(あそこには洋服しか入ってないと思うけど……)


 期待感は皆無に近いが、それでも慧はベッドから立ち上がると、クローゼットの前に移動する。そして右の折れ戸、左の折れ戸と順に戸を開いていき、やがて文字通り全開になると、見慣れたクローゼットの全容が慧の視界に映る。ハンガーパイプの中央から右側にかけては、四季関係なくコートやジャンパーなどのアウター類が雑多に掛けられており、その下には三段チェストが二つ、横並びに備わっている。その鎮座した二つのチェストがクローゼット内のほぼ全てを占領していると言っても過言ではない。慧はそんな、毎日見ているはずの光景を改めて視認した後、まずはアウター類のポケットを調べる。……しかし紙片は見つからない。それはそうだ。昨日もチェックしたのだから。慧はそう思いながらラスト一着のチェックも手早く済ませると、次は右側のチェストを下から確認していく。部屋着とパジャマの入り混じった下段。タオル類やあまり着ていない肌着の入った中段。そして下着と靴下が詰まっている上段。と、どの段も全て中身を引っ張り出して調べたのだが、それらしいものは見当たらず、慧は左のチェストに移る。こちらも下から、着る頻度の低い衣服の下段。冬服の中段。夏服の上段。と調べていったが、紙片どころかゴミ屑一つ見つからなかった。


「……どうだ? それっぽいのはあったか?」

【……いえ、何一つ】


 頼みの綱であるラヴィの結果報告を聞いた慧は、つい先ほど自分の心に強く灯ったはずの覚悟の火が、もう既に風前の灯火と化していることに気付いた。


「メモが無いってことは、母さんへの手掛かりはゼロってことか……」

【そう、ですね。そういうことになりますね】


 慧とラヴィの会話は珍しく弾まない。


「まぁ、無いならしゃーないか。多分、捨てちゃったんだな。それか、そもそもそんなメモ貰ってなかったとか」


 自嘲交じりにそう言うと、慧は左の折り戸に手を伸ばす。すると次の瞬間――


【待ってくださいご主人。その左隅、何かありませんか? チェストと壁の間に】


 と、ラヴィが慧の行動を制した。


「間に?」


 指摘を受けた慧は、閉めようとしていた折り戸から手を離し、折り戸に身体を寄せてチェストと壁の間を覗き込む。するとそこには、黒い紙袋が倒れていた。倒れた拍子に中身が少し飛び出したらしく、黒い紙袋の口からは、クッキー缶がチラリと頭を覗かせていた。恐らくラヴィ(眼鏡)が捉えたのは、このクッキー缶だろう。慧はそんな推測をしたが、今はそれよりも先にすべきことがある。それは、この袋の存在を思い出すことである。しかし、


「……なんだこれ」


 十数秒黒い紙袋を見つめながら記憶の中を散策したが、その存在を思い出すことは出来なかった。


【ご主人がここに置いたのでは?】

「いや、置いた覚えはないな。てか、こんなもの買った覚えも無いよ」

【買った覚えもない? という事は、マスターかお母様がここに置いて行ったとかでしょうか?】

「うーん。それは無いと思うけどな……。まぁ、とりあえず中を見てみるか」

【そうですね。そうしましょう!】


 全く覚えはないが、この黒い紙袋は、部屋を探し直した中で一番メモが入っている気配を漂わせていたので、慧は特に躊躇う事も無く、黒い紙袋を手に取ってベッドに戻る。そしてベッドに腰かけ、黒い紙袋を傍らに置き、中身を一つ一つ検めていく。まずは先ほども目に付いていた円型のクッキー缶。蓋を開けると中には、昔遊んでいた指人形や昆虫のフィギュア、ストラップや缶バッジ、それにビー玉やおはじきなどの、多分綺麗だからという理由だけで入れられているガラスの玩具など。様々なものが一つ二つと少量ずつ詰め込まれていた。


【これらに見覚えは?】

「……ある。俺が小さい頃に遊んでたり、訳もなく集めてたやつだ」

【ということは】

「うん。もしかしたら、ここにあるかも」


 慧はラヴィが希望的観測を溢す前に自らの口で希望的観測を述べると、早速次の物を取り出そうと紙袋に手を突っ込む。出て来たのは順に、カードファイル、モデルガン、数世代前の携帯ゲーム機とその充電器とそのカセットケース。それと何故か、習っていたわけでもないのにあるテニスボール。と、種々雑多なものがポロポロと出て来た。そして最後に出て来たのは、雪だるまの貯金箱であった。慧は取り出したそれをしばし見つめ、


「これは……」


 と小さく呟いた。


【何か心当たりが?】

「俺の記憶が正しければ、これは母さんから貰った貯金箱だ」

【お母様からのプレゼントですか!】

「うん。当時の俺は、これが貯金箱だって分からなくてさ」


 慧は次々に蘇る記憶を辿りながら雪だるまの貯金箱をひっくり返す。そして平らな底部に備わっているプラスチックのつまみ蓋をつまみ、蓋を外す。


「で、母さんから貰ったものは、とにかくこの中に入れちゃって、それで取り出せなくなったことがあったんだよ」


 言葉を続けながら、慧は貯金箱を上下左右に揺らす。すると底部にぽっかりと空いた穴から、貯金箱に突っ込まれていた物がポロポロと出て来た。謎の記念コイン。一等綺麗なおはじき。本物の千円札。花の形をしたカフスボタン。幼年期の慧からしたら、そのどれもが高価に見えてしまい、ここに保管されたのだろうと思われる。しかし、高価に見えたから。というのは一番重要な動機ではない。貯金箱にこれらが保管されていた最大の理由。それは、これらが全て、母の手から直接手渡された品々だという点である。そしてその事実を、慧はそれとなく思い出していた。


【これで終わりですか?】


 ベッドの上に散らかっているコインやらボタンやらを捉えたラヴィが慧に問い掛ける。


「いや、まだある」


 半信と半疑で均衡が保たれていた天秤は、今や「信」の方に完全に傾いていた。この中にある。慧はその確信を持って答えると、左手に持っている雪だるまの貯金箱を揺すった。すると中から、カタカタと物音が聞こえて来た。明らかに、硬貨やガラスのぶつかる音ではない。しかしいくら揺すっても中の物が出て来ない。恐らく穴につっかえているのだろう。そう思った慧は、貯金箱の底部に人差し指を突っ込み、中に残されている物を穴まで引き寄せ、最終的には親指と人差し指で摘まみ出した。


【ご、ご主人!】

「うん。これだ……!」


 引っ張り出された物は、不格好に折り畳まれた紙片であった。


【早く中を見てみましょう!】

「分かってるよ」


 慧は冷静に答えるが、その鼓動は高鳴りつつあった。何が書いてあるのだろう……。母への手掛かりだろうか。或いは突き放すような言葉だろうか……。色々な、特にネガティブなことが脳裏を過るが、慧はそれら全てを振り払い、折り畳まれた紙片を開く。――そこには母の字で、「陽華ようか市。八塚やつか町。〇丁目〇番」と、住所が記されていた。


【住所。みたいですね】

「うん。俺の知識に間違いが無ければ、陽華市は県内にあるはずだ。でも、ちょっと遠いな」

【そうなのですね。ちなみに、この住所に心当たりは?】

「心当たりも無いし、行ったことも無い。でも、わざわざメモに書いたってことは、母さんはここにいるんだと思う」

【その可能性は高そうですね。行ってみますか?】

「……うん。今週末、行ってみようと思う」

【待ってましたよ、その言葉を! 私、どこまでもお供します!】

「ははっ。あぁ、ありがと」


 慧は安堵と信頼の笑みを浮かべて答えると、ベッドの上に散らばっている思い出の品々を、一つ一つ丁寧に黒い紙袋に戻していった。


 翌朝。スマホのアラームが鳴るよりも前に目覚めた慧は、これから鳴ろうとしているアラームの設定を解除して登校の準備を始めた。

 朝のルーティーンを行う間、慧は様々なことを考えた。まず第一に母親のことを。しかしこの問題は、自分が母親に会いに行ってみなければ、これ以上進展しない。つまり今は考える余地がないと判断し、すぐに別の考えに移った。璃音と浜崎の進捗のことや、伊武と母親クロコの進展のこと。そして何より、昨日輝虎に与えられた宿題のことに頭を悩ませた。


(先輩、考えをまとめておけって言ってたけど、アレはどういう意味なんだろ……。単に俺を気遣って解散にしてくれたのか。それとも、考えがまとまったら話してほしいってことなのかな? まぁ、先輩にはラヴィのことも話してるし、虹色のオーブについてもほとんど全部知ってるわけだし、心当たりがあるなら先輩にも話すってのが道理ではあるよな……。つっても、完全に身内の話だしな……)


 なんて輝虎の言葉の意味を考えている内に登校の準備は済んでしまい、答えが出ぬまま慧は家を出た。

 門扉を抜けて駅への直線を歩き始めて間もなく、慧は先を歩く二つの背中を見つけた。それは見紛うはずもない、恵凛と伊武の後姿であった。


「龍宮。江波戸」


 慧は大きくも小さくもない、丁度いい声量で呼びかけながら二人に歩み寄る。


「おはよう」

「ん」

「……おはようございます」


 恵凛は一瞥と共に挨拶を返したかと思うと、すぐに歩みを再開する。慧はその背中を立ち止まったまま数秒見つめた後、同じく立ち止まっている伊武の方を向き、


「なんかあった?」


 と問う。


「さぁ。昨日帰って来てからずっとあんな調子」

「そっか……」


 本家に呼び出されたらしい。という情報を聞いているだけに、その本家で何かあったのではないかと訝しまずにはいられない。しかしだからと言って、今恵凛のもとへ駆け寄り、何があったんだ。自分が相談に乗る。何でも話してくれ。なんてずけずけと踏み込む勇気もなく、慧は伊武に、


「とりあえず行くか」


 とだけ言って、伊武と共に恵凛の後を追った。

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