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第百十八話 様子見と来訪者

 レストランを出た慧と堤はすぐに話し合いを行った。その結果、ひとまず人がいない所で伊武を休ませよう。ということになったので、慧たちはまず近くのコインパーキングまで移動し、そこに停めてあった堤の車で古屋根駅まで戻り、駅前にある堤の弟が経営している喫茶店を訪れていた。


「大丈夫? 江波戸さん」


 堤は始終心配そうに声を掛けながら、伊武を店内の一番奥にある角のテーブル席まで誘導し、そこに座らせた。


「風見君も、座って待ってて」

「はい。分かりました」


 慧はシンプルに答えると、堤の指示通り椅子に腰掛けた。構図的には、伊武が窓際の壁を背にする側の席に着いていたので、慧はその対面の、窓際の店内を背にする側の席に着き、堤が戻るのを待った。


「お待たせ」


 約一分後、堤はトレイを持って戻って来た。


「はいこれ」


 堤はそう言うと、慧と伊武の前に麦茶の注がれたコップを置き、慧の左隣の席に腰を下ろす。


「まだ話してなさそうね?」

「はい。ずっとだんまりです」


 堤の質問に答えた慧は、「麦茶、ありがとうございます」と一言感謝を述べてからコップを手に取る。


「江波戸さん、気分はどう? 落ち着いた?」

「……ん」

「お母さんとはちゃんと話せた?」

「……」

「はぁ、ダメね」


 レストランでも、帰りの車でも、喫茶店に来ても。返事はするものの、伊武は頑なに母親との会話内容だけは話そうとしない。


(俺は何となく話の内容を知ってるから平気だけど、先生からしたら、詳しい話を聞きたくて仕方ないだろうな……。でも、今無理に聞き出そうとするのは逆効果な気がするんだよなぁ。むしろ、二度と話してくれなくなるかもしれない……。となると、先生には悪いけど、今日は一旦止めておいた方が良さそうだよな)


 ラヴィの読唇術のおかげで大体の会話の内容を把握している慧は、その余裕から生じるアドバンテージを元に冷静な分析を行い、堤の方を止めることにした。


「先生」

「どうしたの?」

「今日はもう解散にしましょう」

「えっ」


 何か策があるのかと期待の眼差しを向けて来た堤の表情は、驚きの声と共に一瞬で翳った。しかし程なくして、


「……そうよね。話したく無さそうなのに問い詰めるのは良くないわよね。風見君の言う通り、今日は解散にしましょうか」


 と、微笑みを湛えて答えると、伊武の方に向き直り、


「江波戸さん。何度も同じ質問をしちゃってごめんなさいね。話したくなったらで良いから、いつか、どこかのタイミングで話を聞かせてくれたら嬉しいわ」


 と、堤は優しく柔らかい笑みを浮かべたまま言葉を続けた。慧はその笑みを見て何となく、この笑顔の裏では心配やら焦慮やら探求やらといった様々な感情がごった煮になっているのだろうなと思った。


「それじゃあ風見君、後は頼んでも良いかしら?」


 いつの間にか慧の方に向き直っていた堤がそう言う。


「な、何をですか?」

「江波戸さんの事よ。しっかり送り届けてあげてね。あっ、別に今すぐ出て行けって言ってるわけじゃないからね。お客さん入ってないから、江波戸さんが帰る気になるまでゆっくりしててちょうだい」


 またしても儚げな笑みを浮かべると、堤はトレイを持ってカウンターの奥に消えて行った。


(先生、悲しそうだったな。やっぱ止めない方が良かったかな……? いやいや、そんなことない。あのまま話を進めてたら、それこそ取り返しのつかないことになってた可能性もあるんだし、今日はこれで良かったんだ。てか、それよりも今は、今後の江波戸と先生の関係性がこじれないように、何か手を打っとかないと)


 今日はもう話したくないという伊武の気持ちも、今日の内に話の内容を聞き出したいという堤の気持ちも、どちらの気持ちも理解できた慧としては、どちらか一方を無理矢理退かせるというのは中々に難しい決断であった。しかしそれでも堤を退かせることを選び、現に退かせてしまった今、自分がすべきことは過去の選択についてとやかく考えることではなく、この選択が無駄にならないように行動することだ。と考えを改めた慧は、早速次の行動に移る。


「なぁ江波戸、今の先生の話、聞いてたよな?」


 まずは伊武がしっかり話を聞いていたかの確認から入る。


「ん。聞いてた」

「なら、返事くらいした方が良かったんじゃないか?」

「別に平気でしょ」

「はぁ、ったく……。ただでさえポーカーフェイスなんだから、短くてもいいから言葉にした方が良いと思うけどな、俺は」

「……ちっ」

「ご、ごめん。言い過ぎた」


 伊武の舌打ちにビビった慧は反射的に謝罪をした。すると伊武はギロリと慧を睨み、


「じゃあ聞くけど、風見は気にならないの」


 と話を続ける。


「えっ、何が?」

「私がお母さんと何を話したのか」

「そりゃ、気になるよ」

「……なんか嘘っぽい」

「い、いやいや。そんなことないだろ。聞きたいと思ってるよ。でも、今日は疲れてるだろうし、気持ちの整理もしたいかなって思ったから、解散にしようって提案しただけだよ」

「ふーん、まぁいいや。先生とあんたにはちゃんと話すつもりだから、もう少し待ってて」

「うん。そうしてくれると嬉しいよ」

「ん。あと、ありがと」

「えっと……。俺、なんかしたっけ?」

「はぁ、今日付いて来てくれたことと、整理の時間を作ってくれたこと」

「あぁ、なるほどね。これくらいならお安い御用だよ。また何かあったら言ってくれ」


 慧の実直な答えに伊武は無言で頷き、会話はそのまま終了した。

 その後数分間、二人は堤が注いでくれた麦茶を飲みつつ何でもない時間を過ごした。しかしその内にチラホラと客が入って来たので、二人は空気を読んで席を立ち、堤に一言挨拶をして喫茶店を後にした。そして歩き慣れた住宅街を真っすぐ進み、互いの門前で別れの挨拶を交わすと、慧と伊武はそれぞれの家に入って行った。

 こうして長いようであっという間だった立ち会いが終わった。帰宅した慧は、手洗いうがいを済ませると自室に直行した。


【いやー、お疲れさまでした。ご主人】


 部屋に入ってベッドに腰かけたタイミングでラヴィが話し掛けて来た。


「まぁ、多少は疲れたけど、今日は俺よりお前の方が疲れただろ?」

【いえいえ、そんなことありません。私に疲れるという概念はありませんからね!】

「充電はあるだろ」

【そうですね。だとしても、そこまで消費していませんよ】

「へぇー、そうなんだ。なら、読唇術は今後も使っていけるかもな」

【好感触でしたか?】

「うん。大分」

【でしたら、使いたい時が来たら気軽に言ってください。ご主人がターゲットを見続けてくれさえすれば、読唇術はいつでもどこでも使えますので】

「分かった。使いたくなったら言うよ」

【はい! これでまた一つ、我々のコンビネーションがパワーアップしましたね!】

「はいはい。そうだな」


 慧は粗雑に答えると、イヤホンと眼鏡を外し、しばしの午睡に入った。


 翌朝。九時頃に目覚めた慧がリビングに向かうと、そこには父、裕翔がいた。そう言えば、丁度一週間前のこの時間、父が帰って来たんだっけ。慧はそんなことを考えながら、麦茶を飲むためにキッチンへ向かう。


「おはよう。慧」

「うん。おはよう、父さん」


 父はダイニングテーブルで何か作業をしながら。一方息子は冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぎながら朝の挨拶を交わす。


「父さん、今日ちょっと出掛けて来るよ」


 少しして父が切り出す。


「分かった。帰って来るの?」

「うん。仕事ではないからね。夕方か、遅くても夜には帰るよ」

「ふーん、そっか。もう一週間も家にいるけど、仕事、平気なんだ?」

「あぁ、平気だよ。大きな仕事は帰って来る前に片付けておいたからね。もしかして、早くいなくなって欲しいのか?」

「いや、そんなことないよ。ただ、父さんがずっと家にいるの、久し振りだなぁって」

「ははっ、そうだな。また仕事が忙しくなる前に飯でも食いに行くか」

「うん」

「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 麦茶を飲む息子を残し、父はショルダーバッグだけを持ってリビングから出て行った。

 ……それから数時間後、慧が自室で小説を読んでいると、インターホンが鳴った。


(誰だろ、日曜日の真っ昼間に……)


 インターホンの音に集中を乱された慧は、本に栞を挟んで読書を中断する。そして来客を確認しに行くかどうか迷っていると、程なくしてもう一度インターホンが鳴った。


(なんかの配達か? それとも急ぎの客とか?)


 そんな来客に心当たりは無いが、万が一のこともあるかもしれないと考えた慧は、面倒ながらもリビングへ向かい、モニターボタンを押す。すると次の瞬間、モニターに映し出された人物を見て、慧はあんぐり口を開いた。何故ならそこには、輝虎が映っていたからである。


(せ、先輩、だよな? なんで? なんか約束してたっけ?)


 慧は慌ててスマホを取り出し、輝虎とのメッセージルームを確認する。しかし約束どころかメッセージのやり取りさえしていない。となるともう本人と話す他に訪ねて来た理由を解き明かす方法はない。と結論付けた慧は、深呼吸をしてから通話ボタンを押す。


「えっと、宇留島先輩、ですよね?」

「おっ、来た来た。そうだよ助手君。僕だよ、僕」


 間違いない。先輩だ……。モニターに映る姿と陽気な返答を聞いてそう確信した慧は話を再開する。


「ど、どうしたんですか? 何かありました?」

「いや、何も無いよ」

「はい? じゃあ何しにしたんですか?」

「家にいても何も無いから遊びに来た。それだけさ」

「そ、それだけですか?」

「あぁ、そうだよ」


 輝虎の答えに慧が絶句していると、


「ハハッ。冗談だよ。助手君とお話がしたくて来たんだ」


 と、輝虎は笑いながら話を継いだ。


「話?」

「あぁ。助手君は先日の話、覚えているかな? 時間がある日に、ラヴィ君についてもう少し話を聞きたいってやつ」

「え……。あぁー、はい。ありましたね」


 慧はそう答えながら、


(確かラヴィの事を先輩に打ち明けた時、また土日に集まりたいみたいなこと言ってたなぁ……)


 と、一気に数日前の出来事を思い出した。


「それで、今日暇なら今からどうかなって」

「い、今からですか?」

「うん。流石に厳しいかな?」

「えぇっとですね……」


 慧は言葉を濁しながら考えを巡らせる。


(どうするべきだ? これから出掛ける用事が……。とか言って逃げることも出来そうだけど……。いやでも、例え今日逃げれたとしても、後々しつこく追い回されるだろうなぁ……。だったら、今のうちに色々と質問に答えておいた方が、信頼度も高められるし、追い回される可能性も低くなるし、今日行っとくべきなんじゃないか……?)


 右往左往、四苦八苦考えた結果、慧は、


「大丈夫です。けど、少しだけ時間を貰っても?」


 と、オーケーの返事をした。


「おぉ! 本当かい! それじゃ僕は外で待ってるから、ゆっくり準備してきてくれ給え」

「はい。着替えたら行きますね」


 慧はそう言って通話を切ると、早足で階段を上り、目に付いた服にパパッと着替え、ラヴィ一式を装着してラヴィに現在の状況を軽く説明すると、バッグを肩に下げて玄関に向かう。


「すぅー。はぁー。よし、行こう」


 呼吸を整えてから家を出た慧は、玄関ドアの鍵をかけ、飛び石を渡り、門扉を抜けたところで輝虎に声を掛ける。


「すみません。お待たせしました」


 すると輝虎は右手に持っていたスマホをポケットにしまい、


「やあ、おはよう助手君」


 と、軽く挨拶をした。かと思うと、


「それじゃあ行こうか」


 と言って颯爽と歩き出す。


「あっ、ちょっと、どこ行くんですか?」

「まぁまぁ、付いて来給え」


 行き先も言わず、輝虎は駅の方に歩を進める。これはきっと、何を言っても止まらないやつだな……。彼女の背中を見てそう悟った慧は、黙って輝虎の後を追いかけた。

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