第百十五話 機能開拓
伊武と堤、二人合わせても一時間以内という濃密な話し合い二連戦を終え、灰になったような心持ちで慧が保健室を出た直後のこと。
【いやぁ、素晴らしかったですよ。ご主人!】
と、ラヴィが無邪気に話し掛けて来た。向こうとしては慰めのつもりでそう言ったのかもしれないが、慧からしたら、その明るく淀みのない口調はこちらを煽っているようにしか聞こえず、少し腹が立った。
「なんかお前、やけに明るいな」
【そりゃ当り前ですよ!】
「なんでだよ。確かに良いところまでは行ったけどさ、結果的には失敗してるんだぞ?」
【そうですね。結果的には失敗していますね。しかし、結果が全てではありませんよ。今回は、そこに至るまでの過程で様々な収穫があったのですから!】
「過程で収穫が?」
【はい。まず一つは……。と言いたいところですが、続きは家で話しましょうか】
「は? そこまで言ったなら最後まで言ってくれよ」
【いえ、ダメです。今は龍宮氏への報告が先です】
「あっ……。そ、そうだな」
完全に頭に血が昇っていた慧はラヴィのその一言で冷静さと記憶を取り戻すと、早速スマホを取り出し、電源を入れる。するとロック画面には三件のメッセージ通知が浮かび上がった。それらは全て恵凛からのメッセージであった。
(ヤバい。心配してるかな?)
溜まっている通知を見てそう思った慧は、急いでトークルームを開き、メッセージを確認する。一件目は約四十分前。内容は、
『今帰宅したのですが、三宅さんに聞いたところ、伊武はまだ帰って来ていないとのことです……』
という悲しげな報告であった。次いで二件目は約二十分前。こちらは一転して、
『伊武から連絡が来ました! まだ学校にいたらしく、これから帰るみたいです!』
と、嬉しそうな報告。二十分前ということは、恐らく、伊武が保健室を出て行った直後くらいに届いたメッセージであろう。そして最後の三件目、これが届いたのはほんの一分前。その内容は、
『つい先ほど、古屋根駅で伊武と合流しました。風見君はまだ学校でしょうか? このメッセージに気付いたらご連絡ください』
という伊武と合流した報告と、予想通り、慧のことを心配していそうなメッセージであった。これを読んだ慧は、やっぱりなぁ。と少々心を痛めつつ、下駄箱目指して歩き出しながら返信を打ち始める。
『ごめん、今気付いた……。細かく報告してくれてありがとう。江波戸と合流できたみたいで良かったよ。あと、俺ももう帰るから、こっちのことは心配しなくて大丈夫だよ』
いくら考えても謝罪の言葉と感謝の言葉しか浮かんで来なかった慧は、良く言えば簡潔な、悪く言えば淡白な返信をしてスマホをポケットにしまった。すると程なくして、
【三件目の内容から察するに、どうやら龍宮氏は、ご主人と江波戸氏が保健室で話していたことを伝えられていないようですね】
とラヴィが切り出した。
「えっ? あぁ、確かに。江波戸が俺と会ってたことを龍宮に話してたら、こんなメッセージ送ってこないもんな。……まぁでも、俺も龍宮には何も言わずに江波戸と話してたわけだし、俺としてはこの方が都合良いのかなって思うけど?」
【そうですね、その通りです。しかし、良いのですかね、このままで】
「どういうこと?」
【何度も龍宮氏に協力していただいているのに、その龍宮氏に隠し事をするというのは、何となく気になるのですよねぇ】
「あぁー、うん。それは俺も前々から気になってるよ。なんなら今だって、龍宮には話してあげたいなって思ってるし。けど、問題の当事者は江波戸だからさ、俺の判断で勝手に話を広めるのは違うかなぁとも思うんだよな」
【うーむ、それもそうなのですが……】
「まぁ、これも家に帰ってからゆっくり話そう。今すぐに答えを出せるような話じゃないと思うし」
【はい。そうですね】
いつの間にか下駄箱に辿り着いていたことに気付いた慧は上手く話を切り上げると、昇降口で靴を履き替え、学校を後にした。
それから約二十分後、慧はいつも通りの帰路を経て、四時半頃に帰宅した。念のため、帰りが遅くなった言い訳も考えておいたのだが、それを言うはずの相手である父がどこかに出掛けていて不在だったので、慧の努力は徒労に終わった。普段ならここで、なんか無駄に空回りしたな。なんて少しへそを曲げる慧だが、今日は何故か、言い訳しなくて済むならそれが一番良い形なのかもしれないな。くらいに考え、何事も無かったかのように行動を開始する。まずは寂然としている廊下を進んで洗面所へ向かい、そこで手洗いうがいを済ませると、次はリビングに……。ではなく、自室へ直行してしまい、鞄を椅子の上に放ると、最後は自分の身体をベッドに投じた。そしてしばらくの間、天井を眺めたままベッドの上で身動ぎせずにいる。すると身体が次第に心地良い柔らかさに沈み始め、このままどこまでも沈んで行けそうな気がして来た。という辺りで、慧は意図的に目を見開き、眠る寸前のところで睡魔を打ち払うと、ラヴィに話しを持ち掛ける。
「それじゃ、そろそろ話の続きを聞こうかな」
【はい。待ってましたよ! いや、お待たせしました。ですかね?】
「はぁ、別にどっちでも良いよ……」
【それでは……。待ってましたよ! さぁ、何からお話ししましょうか!】
「うーん。じゃあ、今日の収穫とやらから聞かせてもらおうかな」
【承知しました!】
ラヴィは元気よく答えると、そのまま話を続ける。
【ゴホン。では早速、本日得た収穫についてお話ししますね。まず一つは、江波戸氏の次の行動が分かったことです。次に二つ目は、江波戸氏と堤氏が何かしらの約束をしているという事が分かりました。そして最後に、ご主人と私のコンビネーションがパワーアップしました!】
最後に。という枕詞はあったが、流石にまだ続きがあるだろうと思った慧は黙ってラヴィが話し出すのを待つ。すると数秒後、
【あ、あの~、ご主人? 終わりましたけど……?】
と、ラヴィが恐る恐る言葉を継いだ。
「は? 今ので終わり?」
もったいぶっていた割に収穫の内容が薄かったので、慧は思わず声を上げながら飛び起き、ベッドの上で胡坐をかいてラヴィを問い詰める。
「一つ目は俺個人の収穫じゃないし、二つ目は何か約束してるのが分かっただけだし、最後に至っては意味不明だし。これが本当に収穫って言えんのか?」
【ちょ、落ち着いてくださいよ。ご主人! 確かに一つ目と二つ目は大きな収穫ではないかもしれません。しかしですよ、江波戸氏の次にやりたいことが分かった。江波戸氏と堤氏が何かしら隠していることが分かった。という二点は、今後ご主人が行動する上で、大事な指針になると思いませんか?】
「うーん。まだ何とも言えないけど、一つ目と二つ目はちゃんとした情報だし、とりあえず収穫ってことにしてやるよ。でも、三つ目は何。俺とお前のコンビネーションがパワーアップした? 意味不明なんだけど」
【いやいや、何を言っているのですか、ご主人。今日の一番の収穫はこれなのですよ!】
「はぁ、始まったよ……」
【何ですと! 思い出してください、ご主人。今日、私とご主人は、ほとんどアドリブで二つの話し合いを乗り越えたんですよ? 凄いと思いませんか?】
ラヴィにそう言われた慧は、伊武との話し合い、そして堤との話し合いを軽く思い出す。その結果、少なくとも最悪の結果にはなっていないと思ったので、
「……まぁ確かに、アドリブにしては悪くない対応だったのかもな?」
と答えた。すると、
【そうでしょうそうでしょう! 私たちはやり遂げたのですよ!】
と、慧の答えを聞き、ラヴィは更に調子付く。
【それにですよ! 今回の話し合いを経て、誰かと対話をしながら私のアドバイスを聞き取ることが出来る。ということも分かったのですよ! 正直、ご主人の対応力に依存している所は大きいですが、これを大きな収穫と言わず、何と言うのですか?】
「そ、そうだな……」
【それにそれに! ご主人が助けて欲しい時に出す合図も出来たじゃないですか!】
「えっ、あのハンドサイン?」
【そうですよ! あのハンドサイン、機能してましたよね? 私は実用的だと思いましたよ?】
「うーん。確かに今日はバレなかったけど、それは江波戸がこっちを見てなかったからってだけの可能性もあるし……」
【そうかもしれませんが、成功は成功です!】
グイグイ成功アピールをしてくるラヴィは、止まらずに話を続ける。
【良いですか、ご主人。とてもとても聞こえ良く言いますけど、今日の私たちは、相手の重要な情報を二つも聞き出した上に、私たちは私たちで実験を成功させたのですよ? それも、今後有効に活用できるかもしれない実用的な作戦を二つ、実際に体験出来たのです。凄くないですか?】
「分かった。分かったから、一回ストップしてくれ」
これ以上喋らせると永遠に話が続いてしまいそうだったので、慧はそこで一度話をぶった切った。そして無理矢理作り出した時間を使い、ラヴィの話を精査する。
「えっとつまりお前が収穫って言ってるのは、情報を二つ聞き出せたことと、俺が誰かと話しててもお前のアドバイスを聞けるのが分かったってことと、まぐれかもしれないけど、ハンドサインが機能したってこと。この三つってことか?」
【そうです。大収穫じゃないですか? 今後も話し合いがあるときは、ご主人が合図を出して下されば、私が助太刀に入ることが出来るのですよ?】
話半分で聞いていた慧も真剣に耳を傾け始め、興奮していたラヴィの言葉も徐々に分かりやすく纏まって来たところで、慧はようやく事の重大さに気付いた。
(そっか。今までは俺が自力で話して、家に帰ってからラヴィと反省会をする。って形だったけど、今回試した二つの方法が安定すれば、例え誰かと話してても、ハンドサインさえ出せればラヴィがアドバイスをくれるってわけか……)
ラヴィの言葉を自分の言葉で脳内翻訳し終えると、慧は得心がいったように小さく頷き、
「確かに、良い収穫だったのかもな……」
と呟いた。
【ですよね!】
「うん。まだまだ改善する必要はあるけど、これは今後も試していこう」
【はい!】
こうして新たにラヴィとのコンビプレイというか、ラヴィの新機能の開拓に成功した慧とラヴィは、その後、他の議題はすっぽかし、改善点の話し合いに没頭したのであった。




