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第百十三話 真の標的

「えっ、ちょ、ちょっと待って、今なんて言った?」


 昨日話しかけられた時点でなんとなく、母親の件で何か進展があったのだろう。と予想していたはずの慧だが、まさか既に日程が決まっていたとは思いもしなかったし、それに加えて伊武の言い方があまりにも流暢かつ淡白だったので、心構えが出来ていたとは言え、慧は思わず聞き直してしまった。


「お母さんと会う日、決まった」

「い、いつ会うんだ?」

「今週の土曜日」

「三日後か……」


 ひとまず今日じゃなくて良かった……。と心の中で一息つきながら、慧はおぼろげに呟く。しかし所詮は三日間。今日会いに行く。と言われるかもしれないという高いハードルがあったからこそ、三日の猶予がとても低いハードルに思えているだけで、一般的に、三日の猶予もそこまで長い猶予ではない。つまり今はひと時の安寧を得たというだけで、早いうちに策を練らなければいけないことに変りは無いのである。そうと気付いた慧は、一呼吸置いてからすぐに話を再開する。


「それで、その日について来てほしいって話か?」

「まぁ、そうなんだけど――」

「堤先生には話したのか?」

「ん。話したけど――」

「先生はついて来るって?」

「来るけど、一緒じゃない」

「一緒じゃない? どういうこと?」

「はぁ、こっちはずっとその説明をするつもりでいたんだけど、いつになったらそっちの質問は終わるの」

「あっ、ごめん。どうぞ……」


 伊武のため息交じりの冷静な言葉を聞き、自分がヒートアップしていたと気付いた慧は素直に謝罪して引き下がった。


「まだ大体のプランなんだけど、会う日時は土曜日の昼頃でほぼ確定で。会う場所は駅近くのファミレス。そこで、一対一でお母さんと話すつもり」

「一対一で?」

「そう」

「えぇっと、じゃあ俺たちは何を?」

「近くの席にいてくれるだけでいい。とりあえずは」

「それはつまり、問題が起きたら手助けしてくれってこと?」

「まぁ、そういう感じ」

「オッケー。そこは堤先生と相談して上手く対応するよ」

「ん。よろしく。……でも、なるべく介入の選択はしてほしくない」


 伊武はそう言うと、慧の方に視線を向けた。対して慧はその瞳から、自らの力で前に進みたい。という伊武の熱い気概が感じられたような気がしたので、小さく頷き、


「分かった。本当にヤバいと思った時だけ止めに入るよう先生に言っておくよ」


 と答えて微笑みを返した。


「ん。まぁ、そこら辺の判断はそっちに任せる」

「うん。もしかしたら判断ミスるかも知れないけど、その時は許してな?」

「フッ、いいよ。こっちの我がままなんだし」


 そう言って微かに口角を上げた伊武だが、慧の視線に気付くと、忽ち真顔に戻り、誤魔化すように視線を斜め下に逸らしてしまった。


(今、笑ってたな……。まだまだ全然分かりづらいけど、最近の江波戸は、前より感情が顔に出るようになった気がするな……)


 なんて、出会った当初を思い出しながら伊武のことを見ていると、


【ご主人、本題を忘れていませんか……?】


 と、ラヴィの囁きが聞こえてきた。


(あっ、そうだった。昨日の要件を聞きに来たのも間違ってはいないけど、本題は、なんでメッセージを返してくれなかったか。の方だったな)


 小さな囁き声のおかげで我に返った慧は、咳払いを一つ挟み、早速話を再開しようとするのだが、妙に良い雰囲気で話に区切りがついてしまったために、なかなか話を切り出すことが出来ない。こうなったら、さっきみたいに向こうが切り出すのを待つか? とも考えたが、今朝の反応からして、向こうが話を切り出す可能性はゼロに等しいだろう。それにそもそもの話、今の慧には、堤が帰って来るまで。というタイムリミットもあるため、『待つ』なんて選択は最初から論外なのである。となれば、この良い雰囲気を壊すことになろうとも、こちらから切り出す他ない……。二巡、三巡考えを巡らせてその結論に行き着いた慧は、覚悟を決めて口を開く。


「それで、その、今朝のことなんだけど……」


 慧がそう切り出すと、心なしか、保健室内の空気が張り詰め、温度も数度下がったような気がした。


「こうやってすんなり母親の件を話してくれたってことは、母親の件以外で、メッセージを返さなかった理由があるんだよな?」

「……別に、理由なんてない。返さなくていいと思ったから返さなかった。それだけ」


 つい数秒前まで笑顔を浮かべていたとは思えないほど、伊武の表情は暗く硬い。


(理由なんてない。か……。もし仮にこの言葉が本当だとしたら、無いものを勝手に有ると決めつけられてるわけだから、向こうからしたらこう答えるしかないよな。けど、江波戸の様子を見るに、何か別の理由があると思うんだよなぁ……)


 何となく嘘を吐いているとは思うのだが、その嘘を暴くことも出来なければ、これ以上揺さぶる術も無く、慧は次の言葉に詰まった。すると、


「こっちから話すことはもう無いから、したいなら勝手に質問して」


 黙り込む慧に対し、伊武はとどめの一言を放った。そして鞄の上に置いていたスマホを手に取ると、もう話し合いは終了したのだと言わんばかりに、ポチポチとスマホをいじり始めてしまった。


(クソ。完全に向こうのペースだな……。些細な事でも良いから、何かしら違和感やら矛盾点やらを見つけられれば、俺のペースに持っていける可能性は充分あると思うんだけどな……。でも、今んところそんな兆しも無ければ時間も無いし、ここは一旦ラヴィに聞いてみるか……)


 完全に手詰まりとなってしまった慧は、タイムリミットのことも考慮して、ラヴィに助けを求めることにした。まず、右手をそっと持ち上げ、次に、その手を右目の前に持っていき、最後に、自然な動作で眉を掻きながら右目のレンズを覆う。すると間もなく、


【お困りですか、ご主人!】


 と、ラヴィの声がしたので、慧は伊武の動きを見張りつつ、小さく頷いた。


【今、頷きましたね! 待っていましたよ、この瞬間を。私ラヴィ、全力でサポート――】


 大袈裟で長ったらしい前口上に嫌気が差した慧は、ラヴィのセリフを遮るように、一往復だけ首を左右に振る。


【あっ、こういうのはいらないと?】


 慧はそれに頷いて応える。


【ちぇ。分かりました。では早速、私の見解を述べさせていただきますね。ゴホン。私が思うにですね、江波戸氏はほぼ確実に口を割らないと思います!】

(は? 自信満々なクセにそれはないだろ)


 ラヴィの発言に疑問と憤りを覚えた慧は、心の中で反射的にツッコミを入れながら首を傾げる。


【それはないだろ。と思いましたね? まぁまぁ、安心してくださいよ。ちゃんと切り込む術は考えてありますから。それはズバリ、何故江波戸氏はここに残ったのか。という点です。ご主人も江波戸氏の立場になって考えてみてください。もしも今朝誰かと言い合いになっていたとして、その人物がまた放課後問い詰めに来ます。となったら、ご主人は正々堂々放課後までその人物が来るのを待ちますか? こっちが圧倒的に不利で、責められる側だと分かっていて、待とうと思いますか?】


 一通りラヴィの提案を聞いた慧は、確かに。と思いつつ、伊武に焦点を戻す。


(普通、逃げるよな? 言い合いした奴となんか出来れば数日は会いたくないのに、そんな気まずい相手に問い詰められるためだけに、わざわざ数時間も同じ場所で待機するなんて、普通しないよな? 俺だったら絶対にしない。てか、江波戸だって、雀野と長い期間冷戦状態にあるくらいの頑固者なんだから、俺に質問されると分かっててここに残るなんておかしくないか……?)


 大分主観的な偏見も混ざってはいるが、最終的に、伊武の性格的にもここに居残っているのには何か意図がある。と推理した慧は、小刻みに数回頷き、ラヴィに感謝のジェスチャーを送る。するとその視覚情報だけで慧が話し出すと察知したのか、ラヴィから、


【焦ってはダメですよ、ご主人。恐らく今つつける点はこれくらいしかありませんからね】


 と、最後の一言アドバイスが贈られた。慧はそれに対して心の中で頷くと、静かに呼吸を整えて伊武に投げかける。


「江波戸はさ、なんで帰らなかったんだ?」


 前触れもなく放たれた質問に、伊武はスマホをいじる手を止めた。そして、疑心の籠った瞳で慧の方を見た。というか、睨んだ。


「今朝、俺とちょっとした言い合いになっただろ? それでその後、多分堤先生に残ってくれって頼まれて、江波戸はここに残ったんだと思う。けど、それを断って帰ることも出来たよな? なんで帰らなかったんだ?」

「……他人の家に一人で帰るのも変でしょ」

「だったら、龍宮に連絡すれば良かったよな? そうすれば先に帰ることも出来たし、俺が来る前に龍宮と合流して帰ることも出来た。でも、龍宮のスマホには何の連絡も来てなかった。つまり、最初から帰る気は無かったってことだよな?」

「……なんで帰らなかったか。これに答えればいいの」

「うん」

「単純な話。お母さんに会うこととか、今後のこととかを相談してた。それくらい少し考えれば分かるでしょ」

「そ、そっか。先生にも話したって言ってたもんな……」


 怒涛の質問攻めで形勢逆転したかのように思われたが、伊武は何食わぬ顔で質問の波を乗り切ってしまった。しかしだからと言って簡単に引き下がるわけにはいかない。とりあえずこじつけでも良いから話を長引かせるんだ。そう考えた慧は、


「で、でも、母親の話と今後の話だけで六時間近くも潰せるかな?」


 と、待機時間と話のボリュームが釣り合っていないことを指摘した。すると伊武は、


「はぁ、別に四六時中話してたわけじゃないから。あっちが仕事してた時もあれば、こっちが寝てた時もあったし」


 と答える。


「ぐっ、そ、そう来たか……」


 確かに。と言ってしまったら負けを認めることになるような気がした慧は、すんでのところでその単語を飲み込んだ。しかしだからと言って反撃の糸口があるわけでもなく、慧は黙り込んでしまう。すると慧に代わり、伊武が話を継いだ。


「これで分かったでしょ。理由なんてないって」

「いやでも……。うん……」


 まだ疑ってはいるが、その反面、もしかしたら、本当に理由なんてなかったのかもしれない。と感じている自分の存在に気付いてしまった慧は、こんな半信半疑の状況で突っ込むのは危険だ。と判断し、渋々伊武の言い分を受け入れた。


「じゃ、この話は終わり」


 伊武は無慈悲に言い退けると、再び視線をスマホに落としてしまった。


【惜しかったですね、ご主人】


 ラヴィの慰めに慧は両肩を落とし、そのままガクリと項垂れる。


【ですが、まだ希望はありますよ】

「へ……?」


 予想だにしないラヴィの発言に、慧は微かに声を漏らす。


【江波戸氏から聞き出せたのですよ。本当に話すべき相手が】


 ラヴィのそんな匂わせ発言の直後、コンコン。と、保健室のドアがノックされる。


「私、堤よ。戻って来たわ。開けても良いかしら?」

「は、はい!」


 慧が慌てて答えると、程なくしてドアノブのツマミが回り、ドアが開く。そしてその奥から堤が現れ、部屋に入って来た。


「どう? 話せたかしら?」

「え、えぇ。まぁ……」

「そう。良かった」


 慧と短い会話を交わすと、堤は自分のデスクに向かい、荷物を置き、自分のオフィスチェアに腰かけた。かと思うと、それとほぼ同時に、


「じゃ、帰る」


 と言って伊武はソファから立ち上がり、保健室から出て行ってしまった。


「あっ、江波戸!」


 慧はそう言って立ち上がり、後を追おうとするのだが、


【待ってください。ご主人!】


 と、ラヴィからストップがかかったので、咄嗟に伊武を追う事を諦めた。そして、


「なんでだよ……?」


 と少々恨めしそうに問うと、ラヴィはこう答えた。


【堤氏が次のターゲットです。つまり彼女こそが、私たちの本当に話すべき相手なのです】

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