第百一話 虹色の真価
慧は卓上に並べられた自分の写真をしばらく無言で見つめた後、
「……えっと、これはどういうことですか?」
とようやく声を発し、輝虎の方を見た。
「黙っていてすまない。実は、君に虹色の歪みの話をした後、僕一人で他の写真の再検査を行ったんだ。そうしたら、君の写真にも虹色の歪みが写り込んでいることに気付いてね。それで今回一緒に見てもらったんだよ」
輝虎は淡々と、落ち着いた声で答える。
「いつ頃気付いたんですか?」
「君と電車で遭遇した日の数日前くらいかな」
「ってことは、荷運びと写真鑑定の手伝いをお願いして来た時は、既に知ってたんですね?」
「あぁ、そういうことになるね」
「なんで教えてくれなかったんですか?」
「あの時君は、伊武君と自分の写真に写っていた赤いオーブの解決に動いていただろう? だから、そこに虹色の歪みも写っていたと伝えたら、君を混乱させてしまうと思ってね。それでしばらく黙っておくことを選んだのだが、ついに今日まで話すタイミングを見つけられなくてね」
「そうだったんですね……」
慧は答えながら、先輩にも気遣う心があるんだなぁ。と、またしても人間的な一面を垣間見たような気がして感動した。しかしその一方、変なところは気にしいなんだな。とも思った。普段の輝虎なら、そんなこと気にせず問題に巻き込んで来そうなものだが……。なんて考えながら輝虎のことを見ていると、
「本当にすまなかった」
輝虎が堅苦しい追い謝罪をした。
(そ、そこまで気にしてるのか? いや、もしかすると、昨日俺に言われたことと、おばさんに釘刺されたことが結構効いたのかもしれないな……)
慧は輝虎の気持ちを推し量り、
「いえ。気にしないでください。別に怒ってないですから」
と答えた。すると輝虎は顔を上げ、嬉しそうに表情を明るませた。
「え、そうなのかい?」
「はい。ただ驚いただけです」
「なーんだ。そうだったのか! それじゃあ報告の続きを聞いても良いかな?」
「は、はい。もちろんです」
相変わらずの心変わりの早さには呆れるが、やはりこの方が輝虎らしい。と思いながら慧は微笑む。
「ということなので、お願いします」
「ほっほっほっほっ。それじゃあ、続きを話すとしようかねぇ」
温かく二人を見守っていたおばあさんは、自分の役目が回って来たと知ると笑いながら居住まいを正し、いよいよ本題に移る。
「さてと、まずはこの、虹色の歪みも含めて、オーブについて軽く説明をしようかねぇ」
「はい。是非お願いします」
食い気味に即答する輝虎におばあさんは小さく頷き、話を続ける。
「お前さんたちも知っての通り、オーブには色がある。そしてその色を見ることで、我々は大まかな鑑定を行っておる。例を挙げると、白は無害。赤は警告。黄色はポジティブな兆し。といった感じかね。それで本題の虹色だが、これは守護霊。或いは天からのメッセージ。という意味を持っておる。それに加えてこの虹色のオーブというのは、他の色よりも力が強く、暗示通りになる確率が高いと言われておる」
「なるほど。それが虹色のオーブの特徴……。つまり助手君と恵凛君は何かに守られている。若しくは、今後何かお告げを授かる可能性が高い。ということですね?」
「そうさね。そして見当が正しければ、恐らくその両方かねぇ」
「りょ、両方ですか?」
これには黙って話を聞いていようと決心していた慧も口を挟む。
「うむ。この二枚の写真を見る限り、彼女もお前さんも、確実にこのオーブに守られておるのが分かる。そしてそれと同時に、このオーブは何かメッセージを送ろうとしているようにも見える。残念ながらそのメッセージの内容までは分からんが、恐らく、邪気は感じられんから、悪い兆しではないと思う。が、だからと言って幸せを運んでくるとも言い切れないかねぇ」
「悪い兆しではないけど、幸せを運んでくるとも言い切れない。ですか……」
慧はおばあさんの言ったことを復唱しながら、歯切れが悪いな。結局どっちなんだ? と心の中で呟く。するとそれを察知したのか、
「うーむ、転機の兆し。いや、試練の兆し。というのが一番近い気がするかねぇ」
おばあさんが分かりやすく一言にまとめてくれた。
「し、試練?」
「ハハッ。なるほど。試練というのは言い得て妙ですね。結果が分かるまで凶兆とも言い切れず、吉兆とも言い切れない。だからあんなに曖昧な説明をしたんですね」
「ほっほっほっほっ。鋭いねぇ。その通りだよ。正直、現時点ではこれ以上は分からん。今後良い方に転ぶか、悪い方に転ぶか。それは写真に写っている彼女とお前さんの頑張り次第。まぁ十中八九悪い結末にはならんと思うが、より確実に良い結末を迎える為には、キツイ壁を乗り越えることになるかも知れん。……というのが、今回の鑑定結果になるかねぇ」
おばあさんは鑑定の総括を述べると、渇いた喉を麦茶で潤した。
「鑑定と解説、ありがとうございました。とても勉強になりました」
結果を聞いた輝虎は満足そうに感謝の言葉を伝え、頭を下げる。
「あ、ありがとうございました」
慧もそれに続いて頭を下げるが、どことなくモヤモヤする。おばあさんは始終笑って話していたので、多分危険性は低いのだろうが、それでもやはり試練という言葉が脳裏にちらつく。試練とは一体どんなものなのだろうか? もう訪れているのだろうか? 一応今現在、自分と恵凛は璃音と伊武のいざこざに巻き込まれているが、そのことなのだろうか? 等々。様々な憶測が脳内に飛び交い、慧の頭と心は全く安まらない。すると、
「助手君。何か聞きたいことがあれば、この機会に聞いておいた方が良いと思うよ」
隣の輝虎が小声でアドバイスをくれた。
(た、確かに。先輩の言う通りだな。ここで聞いておかないと)
考えるばかりで話し出せずにいた慧は、助言をくれた輝虎に頷いて応えると、おばあさんの方に視線を戻して質問を始める。
「あの、質問良いですか?」
「何でも聞きなされ」
「はい。えっとそれじゃあ、ここに写ってる歪みは、それぞれ違うモノなんですか?」
「うむ。全くの別モノ。彼女には彼女の霊が、お前さんにはお前さんの霊が憑いておる」
「わ、悪い霊ではないんですよね?」
「うむ。悪い霊ではない。さっきも言った通り、どちらからも邪気は発されていないからね」
「そうですか、良かった……。あと、試練の話なんですけど、それはもう始まってるんですかね?」
「うーん。恐らくまだ始まってはおらん。しかし、限りなく近くはあるかねぇ」
「ってことは、もうすぐ何かが始まる?」
「そうだねぇ。明確には言えないが、今日までに何か兆候があったかもしれない」
「兆候が……。ちなみに、どんな兆候か。とかは分かるんですか? 大体でも良いんですけど」
「いいや、分からん」
「ですよね。すみません、くどい質問を」
「よいよい。気にしなさるな。こうして質疑応答をするのも仕事の一環なんだからね。それに、試練に立ち向かおうとしている殊勝な青年を放っておくわけにもいかないからねぇ。遠慮せず聞きなされ」
「ありがとうございます。それじゃあもう少しだけ……」
おばあさんの親切な言葉を聞いてようやく気まずさが吹き飛んだ慧は、疑問に思っていることを全て聞くことにした。これからどんな試練が訪れるのか? とか。悪い霊になる可能性はあるのか? とか。周りの人にも影響はあるのか? とか。心に引っかかっている不安の種は全て吐き出した。それに対しておばあさんは、一問一問真摯に向き合い、判明している点は分かりやすく率直に答え、判然としない点は現時点での推測を交えて、なるべく慧の心を害さないようにポジティブな言葉で答えてくれた。とは言え、質問の大半は推測での答えであった。つまりほとんど答えは得られなかったのである。しかしそれでも慧は充足していた。何故なら、慧のことを一番悩ませていた心のモヤモヤが晴れたからである。
「……今ので最後です。長々とありがとうございました」
気になることを全て聞き終えた慧は、お礼を述べて深々と頭を下げた。
「あまり答えらしい答えは出来なかったが、今日のこの話がお前さんの力になることを祈っておるよ。それと、何か気になることがあったらいつでも来なさいな。老人ってのは話し相手が欲しいものだからねぇ」
おばあさんは気さくに答えると、満面の笑みを浮かべる。
「ハハッ。至れり尽くせりだね」
「はい。もう本当に感謝しかないです」
「ほっほっほっほっ。誰かに褒められるというのは、何歳になっても気持ちが良いのう」
こうしてスムーズに鑑定の結果も聞き終え、質疑応答タイムも終えると、三人は残りの数分を談笑して過ごした。そして約束の時間が訪れると、慧と輝虎は改めて礼を述べ、席を立った。
「それでは、僕たちはそろそろ失礼します」
「うむ。今日は短くてすまなかったね」
「いえ。むしろタイムリミットがあって良かった。それが無ければ、オーブ以外の現象についても根掘り葉掘り聞いてしまう所でしたから」
「ほっほっ。そうかいそうかい。興味を持ってくれて嬉しいよ」
「また伺った際には、思う存分語り合いましょう。覚悟しておいてくださいね」
「楽しみにしておるよ。さてと、玄関まで見送りに出ようかね」
「あぁ、見送りは大丈夫ですよ。お気持ちだけで十分です」
「いいのかい?」
「えぇ。午後の準備もあると思いますので」
輝虎はそう言うと、軽く会釈をしてリビングを出て行く。
「そ、それじゃあ俺も失礼します。その、俺、頑張ります」
「うむ。良い報せを待っておる」
「はい!」
慧は力強く答えると、おばあさんに向かって再度頭を下げ、輝虎の後を追う。
リビングを出て玄関で輝虎と合流すると、二人は順々に靴を履いて外に出た。そして神社の外周に沿って歩き出したタイミングで、輝虎が口火を切る。
「いやー、実に有意義だったね」
「ははっ。ですね」
「これは良いスーパーアドバイザーを見つけたかもしれない」
「また来る気満々ですね」
「当り前だろう。来て良いと言われたんだからね」
「それはそうですけど、節度ってものが……」
そこで会話は一度途切れ、交差点へと続く直線に差し掛かると、輝虎が話を再開する。
「ところで助手君。君は試練の話を恵凛君にも伝えた方が良いと思うかい?」
「うーん。話しづらい内容ですけど、早めに話した方が良いのかなとは思いますね。心の準備もあると思いますし」
「なるほど……」
「先輩はどう思ってるんですか?」
「僕は、話さなくても良いかなと思っているよ」
「えっ、なんでですか?」
「君の心を惑わすような答えになってしまうけれど、良いのかい?」
「はい。それでも聞きたいです」
慧が真っすぐに答えると、そこまで意志が固いなら仕方ないといった風に輝虎は頷き、一呼吸置いてから答え始める。
「あくまで可能性の話だが、恵凛君に虹色のオーブの存在と試練の存在を伝えなければ、彼女は心の準備をする必要もないし、試練の不安に苛まれる必要もないし、成功とか失敗とかに悩まされる必要もないんじゃないかと僕は思ったのだよ。君はどう思う?」
輝虎の言い放った言葉があまりにも的を射ていたので、慧は何も反応を示すことが出来なかった。そうして慧が固まっていると、輝虎が話を続ける。
「まぁ、写真のことを黙っていた挙句、君に無理矢理鑑定結果を聞かせた僕がする提案ではないと思うけれど、そういう選択肢もあるのかなと思ってね」
「た、確かに。そうですね……」
とりあえず答えを絞り出した慧は、頭の中でじっくりと輝虎の言葉を咀嚼する。
(そうだよな。俺は既に虹色のオーブの存在も試練の存在も知ってるから、話した方が良いって言えるけど、龍宮の立場からしたら全く何も知らないわけで、そこにいきなり、虹色のオーブがどうとか、試練がどうとか言われたって、混乱するだけだよな。それだったら、龍宮には何も知らせず、知らない内に試練が始まって、知らない内に試練が終わってた方が幸せだよな……。でも、それは俺たちが隠し通せたらって前提付きの話だ。もしも俺みたいに、突然虹色のオーブと試練の存在を知ったら……)
考えが進むうちに、慧の脳内には二つの世界線が出来上がっていく。一つは、試練が終わるまでバレず、試練も乗り越えた最高の世界線。もう一つは、試練が始まった直後にバレて、試練も失敗するという最低の世界線。慧は自らの脳内に生じたこの二つの世界線の間を何度も行き来し、その結果、どんどん表情が険しくなっていく。するとそれを察知したのか、輝虎が、
「答えを出すのはなるべく早い方が良いのだろう。だが、絶対に今日答えを出さなくてはならない。というわけでもない。だから今日は一旦持ち帰って、また後日、一緒に考えよう」
と、妥協案を出してくれた。
「……分かりました」
「よし、じゃあ今日は、蕎麦でも食べて帰ろう!」
輝虎はそう言うと、突然駆け出した。
「ちょ、待ってください!」
そんな輝虎の勢いに釣られ、慧も駆け出す。
……その後、二人は道中にあった蕎麦屋で昼食を摂った。移動中も食事中も、一切虹色のオーブが話題に出ることはなく、二人は駅で別れた。




