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第百話 夢現

 まるで死人の如く安らかに眠っていた慧は、突然両目を見開き、荒々しい呼吸と共に上体を起こす。ただ寝ていただけだというのに、全速力で走った後のように全身が気怠く、息が詰まる。かと言ってもう一度横になりたいとは思わない。そこで慧はベッドの外に足を出し、床に足をつき、ベッドに腰かけた状態でゆっくり深呼吸を繰り返し、心身が安定するのを待った。


「すぅー、はぁー。何だったんだろ……」


 少し経ち、呼吸も大分落ち着いてきたところで慧は思わず独り言を漏らした。するとその直後、寝起きでまだぼんやりしている慧の脳内に、あの瞬間がフラッシュバックする。徐々に近付く軋み音。沈み込むベッド。背後から回された腕。そして最後に、耳元で囁かれた言葉。それら全てが鮮明に、そして詳細に思い出される。


(アレは夢だったのかな……? いやでも、聞こえた音も触られた感じも、結構リアルだったよな……)


 慧は少しも体勢を変えずに、夢とは思えないほど実感のある記憶を何度も脳内で再生し、アレは現実だったのか、はたまた夢だったのかと考え込む。が、勿論答えは導き出せない。何故なら、一番重要な、現実か夢かを決定づける物的証拠が揃っていないからである。つまりいくら考えたところで、慧の思考は全て机上の空論。言うなれば、ピースがひとつ足りていない、最初から完成しないと分かっているパズルに何度も挑戦しているようなものなのである。


(俺が寝てる間の録画か録音でもあれば、アレが現実に起こったことなのかどうか検証できるけど……。ま、そんな都合よくいくわけも無いし、もう考えるのは止めるか)


 しばし考えた挙句、この思考は徒労であるという結論に辿り着いた慧は、諦めてスマホをいじろうと枕元に視線を向ける。そして枕の横に置かれているスマホを取ろうと思ったのだが、ふと、その更に横に置いてあるラヴィに目が留まり、次の瞬間、パッと閃いた。


(そうか……! もしかしたらラヴィが……!)


 僅かな希望を見出した慧は、スマホではなくラヴィを手に取る。そして足元に置かれているボストンバッグを拾い上げ、ベッドの上に置き、その中からイヤホンを取り出してそれを耳に装着する。


「おい、起きてるか?」

【……】

「ラヴィ?」


 唯一の可能性からの返事はない。慧は左手に持っているラヴィ本体を胸元まで持ち上げ、空いている右手で画面を連続タップする。しかしそれでも反応はない。


「ちっ、どうして――」


 舌打ちをしてラヴィから視線を外した直後、慧はその訳に気付いた。


「あっ、充電……」


 小さく呟く慧の視線の先には、大きく口を開いたままのボストンバッグがあり、そしてその中には、マジックテープの結束バンドで纏められている充電器があった。恐らく昨晩、突然の睡魔に襲われて急ぎ足で寝支度をしたので、スマホの充電には気付いたものの、ラヴィの充電にまでは気が回らなかったのだろう。と回顧し、慧は自分の愚かさを責めた。と同時に、なんで高性能なのに充電性なんだよ。と、ラヴィに対する憤りも覚えた。しかし今は苛立っている場合ではない。一刻も早くラヴィの充電をしなくては。慧は自らで自らを宥め、充電器を手に取った。

 その後、数秒で充電の準備を済ませ、ラヴィと充電ケーブルを接続した慧は、再びベッドに腰かけた。


(何時くらいに切れたんだろ……。もし朝方まで充電が生きてたとして、ラヴィが休まず録画か録音をしてくれてたとしたら、何かしら証拠が録れてるとは思うけど……。いや、希望的観測は止めよう。充電が済めば分かる話なんだから、期待ばっか膨らませても失望が大きくなるだけだ)


 慧は冷静に現状を整理することで逸る気持ちを静め、ようやく思考を止めた。するとその直後、慧の動物的本能が急に活動を始めた。腹が鳴り、喉が渇き、尿意を催し。と、溜まりに溜まっていた生理現象が一つのビッグウェーブとなり、一気に押し寄せて来たのである。これは流石に我慢できないな。そう感じた慧はベッドから立ち上がると、ひとまずトイレを済ませようと思い、部屋を出た。

 用を足してトイレを出ると、ますます腹が減り、ますます喉が渇いたような気がした。きっと勘違いではあるのだが、朝から頭を使い、謎の疲労感に襲われていたことを思えば、あながち勘違いではないのかもしれない。なんて無益なことを考えながら部屋に戻ろうとしたその時、対面の部屋のドアが開き、そこから輝虎が出て来た。


「ふわぁ~あ。やあ、おはよう助手君」


 瞼を擦りながら能天気に挨拶をする輝虎は、眼鏡をかけておらず、髪はボサボサで、かつ着ている服はオーバーサイズのシャツ一枚だけという自堕落な格好をしていた。そんな輝虎を前にして、慧はすぐに目を逸らそうとする。しかし、ぶかぶかのシャツを着ているにも関わらず主張してくる胸と、シャツの裾から伸びる白い足が慧の意識を奪い、慧は数秒見惚れてしまう。


「お、おはようございます。先輩。では……」


 このままでは輝虎のペースに巻き込まれる。危険を察知した慧は早口にそう言うと、ようやく目を逸らしてそのまま部屋に戻ろうとするのだが、その前に輝虎が立ち塞がる。


「どうしたんだい、助手君。朝から腹でも壊したのかい?」

「い、いえ、そう言うわけじゃ……」

「ふむ。じゃあ気分が良くないとか?」

「いや、違くて。だからその、先輩の格好が……」

「なーんだ、そういうことか。それなら心配はいらないよ。ちゃんとショートパンツを穿いているからね。証拠を見せようか?」


 そう言うと、輝虎は躊躇なくシャツを捲り上げようとしたので、


「大丈夫です! 大丈夫ですから!」


 と、慧は慌てて阻止した。


「そうかい? それじゃあまた後でね」


 輝虎は不思議そうに首を傾げて答えると、慧の横を抜けて洗面所に向かった。


(はぁ、本当に何も分かってないな、あの人は……)


 昨日の一件から何も学んでいない輝虎に慧は辟易した。しかしその反面、この方が輝虎らしいか。とも思ったので、慧は特に言い返すことはせず、部屋に戻った。

 それから十数分後。昨日買っていたスポドリでなんとか喉の渇きは潤したが、空腹感だけは解決出来ずにいた慧のもとに祖母がやってきて、朝食が出来たと報せた。その報せを受けると、慧はすぐさまベッドから立ち上がり、呼びに来た祖母と共にリビングへ向かう。そして輝虎と祖父が来るまで少し待ち、四人揃ってから朝食を頂いた。

 品も会話も少なく、朝食はあっという間に終了した。祖父は食器をまとめると、畑仕事の準備があるからと言って、後は祖母に託してリビングを出て行った。これが毎朝のことらしい。残った三人は、各々食器をシンクに運ぶと、再び椅子に座った。


「何時くらいに出るの?」


 一息ついたところで祖母が切り出す。


「昼前には来てほしいと言っていたから、少し休憩したら行こうかな。出来るだけ長く話したいと思っているし」

「そう。迷惑は掛けないようにね」

「うん、分かってる。助手君もこのスケジュールで大丈夫かい?」

「はい。大丈夫です」

「よし。じゃあ決定だ。準備が出来たら部屋に呼びに行くよ。あっ、そうだ、おばあちゃん。写真鑑定を終えたらそのまま彼を送ってから帰るね」

「分かったわ。お見送りをしたいから出る時は言ってね」

「あぁ、分かったよ」


 会話も区切りがつき、食後の休憩も程々にしたところで、三人はそれぞれ活動を開始した。

 と言っても、慧がすることは服の着替えと、忘れ物がないかの確認だけであった。それらが終われば後はギリギリまでラヴィを充電しつつ、輝虎が部屋に来るのを待つのみ。強いて他に出来ることを挙げるならば、どんな鑑定結果が出るだろうかと推測をするか、今日会う相手はどんな人物だろうかと想像するか。くらいのものである……。


「助手くーん、そろそろ行こうか」


 ドアがノックされて声が掛かったのは、凡そ十分後くらいのことであった。うたた寝していた慧はやや大きな声で「はい」と返事をして、ラヴィとラヴィの充電器を急いで回収し、ボストンバッグに入れる。そしてバッグを肩にかけて廊下に出ると、いつも通りの白衣姿に着替えた輝虎が待っていた。慧はその姿を見て安心しつつ、輝虎と共に玄関へ向かう。するとその物音が聞こえたのか、呼ぶよりも前にリビングから祖母が出て来た。


「二人とも気を付けてね」

「ありがとうございます。それと、一晩お世話になりました」

「いえいえ。手伝ってもらってばかりで、むしろこっちがお礼を言いたいくらいだわ」

「ははっ。少しでも役に立てたなら良かったです」

「充分過ぎたわよ。今度来たときはもっとおもてなしをするから、また来てちょうだいね」

「はい、またお邪魔させていただきます」

「……それじゃあ行ってくるよ、おばあちゃん」

「えぇ。行ってらっしゃい」


 慧と祖母の会話が終わるタイミングを見計らい、輝虎は出発の挨拶をした。それに対して祖母は笑顔で答え、そのまま二人を送り出した。

 家を出た二人はまず駅まで歩いた。そして駅を通り過ぎると、そのままずっと道なりに進み、大きな橋を渡り、再び大通り沿いの歩道を真っすぐ進み、蕎麦屋やらパン屋やらの前を通り過ぎ、もう大分歩いたな。と思い始めたところで、少し先にある「竹川神社」と書かれた看板が目に入る。


「もう少しだよ、助手君」


 輝虎も看板を見てそう言った。


「まさか、目的地って神社なんですか?」

「いや、違うよ、目的地は神社の裏にある普通の一軒家さ」

「なんだ、てっきり本業の人が相手なのかと思いましたよ」

「うーん、まぁ間違ってはいないかもね。一応神社の仕事も手伝っていたらしいし」

「そ、そうなんですか?」

「ハハッ。そんな緊張しなくても大丈夫だよ、本当に普通の人だから」


 輝虎は笑って答えるが、彼女が言う普通ほど信じられないものはない。と、慧は話半分に受け流し、苦笑いを浮かべる。そして程なくして交差点の信号が青に変わったので、二人は歩き出した。横断歩道を渡り、相当な敷地面積のある神社の外周をぐるりと半周し、神社の裏まで来ると、何の変哲もない一軒家の前で立ち止まる。


「ここだよ」


 輝虎は一言そう言うと、その家のインターホンを押した。すると間もなく玄関ドアが開き、杖をついたおばあさんが二人を出迎えた。


「いらっしゃい。どうぞ」

「はい、お邪魔します」


 慣れたやり取りを交わす輝虎に続いて慧も家に上がると、二人はリビングに通された。家の中も特段変ったところはない。どうやら本当にただの一般家庭のようだ。


「ごめんなさいね、時間を指定してしまって」


 おばあさんは麦茶の注がれたコップを慧と輝虎の前に置きながら謝罪する。


「いえ、全然大丈夫です。時間を作ってもらっただけでも有難いですから。あとこれ、いただきますね」


 にこやかに答えた輝虎は麦茶の入ったコップを手に取り、口に含む。


「数日前に渡された写真、見ておきましたよ」


 まだ麦茶を飲んでいる輝虎に向かっておばあさんが言う。確かにそう言われてみると、輝虎は手ぶらであった。写真を鑑定してもらうのなら、データの保存されているパソコンが必要なはずだが……。疑問に思う慧を余所に、話は進む。


「ありがとうございます。何か分かりましたか?」

「大体は。と言ったところかねぇ」

「なるほど。全部が全部ってわけにはいきませんでしたか」

「そうねぇ。とりあえず、モノを見ながら説明しましょうか」


 おばあさんは呟くように答えると、隣の椅子に手を伸ばし、二枚の写真を卓上に並べる。一枚は聞いていた通り、恵凛と虹色のオーブが映っている写真。そしてもう一枚は、何故か慧の写真であった。しかもそれには、虹色のオーブが映り込んでいた。

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