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現代短編

屍体には櫻を君には意地悪を

作者: コーチャー

 四月の図書室は人が少ない。大学受験まではまだたっぷり一年あるという理由のない安堵からか三年生の姿はほぼなく、つい先日入学してきた一年生は高校生活に馴染むのに必死で教室棟から離れた場所にある図書室に現れることは稀である。来るのはせいぜい二年生であるが、自習よりも読書を目的にした人間が多い。


 そのため最終下校時刻になると図書室にほぼ人はいない。いるのは僕のような図書委員と常連の読書家の生徒くらいなものだ。彼女はだいたい下校時刻の五分前になると出て行ってくれるので、僕が返却ボックスに入っていた二冊を書架に戻して戻るころには姿がなくなっていた。


 誰もいなくなったことを確認して僕が帰り支度をしていると、貸出カウンターにだれかが立つ気配がした。顔をあげてみると、白原しろはらだった。


「先輩に聞きたいことがあって」


 彼女はカウンターの前に立ちふさがった。春休み中に彼女と会うことはなかったので、顔を含め声を聞くことさえ半月ぶりだった。クリーニングから戻ったところなのだろう彼女のセーラー服は皴一つなかった。近隣の高校はすべてブレザーに変わったというのに僕らの通う高校だけはいまだに学ランにセーラー服である。


「昨日、桜の写真を撮りに出かけたの。そうしたら桜の木の下には死体があるんだと、言っている人がいたの。でも、桜の下すべてに死体があったら、近くの城址公園もうちの高校も死体だらけになってしまうと思うの」


 白原はその話をしたかったのだ。


 おそらく彼女が聞いたのは昭和初期の小説家である梶井基次郎の有名な小説の冒頭だろう。『桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!』から始まるそれはインパクトの強さから多くの人が知っているが、それが誰の何の作品か言える人間に僕は会ったことがない。


 彼女が話をするのは決まって僕が一人でいるときである。誰かが近くにいたり、クラスメートと僕が会話をしているときには近づいてさえ来ない。だから、図書室に誰もいなくなるまで、白原は僕に話しかけられなかったのだろう。


 一度だけ彼女が話しかけてきたときに、常連の読書家が残っていたときがあった。そのときはピューリッツァー賞を受賞した写真の話だったと記憶しているが、人が残っていたことに白原は慌ててしまい、カバンを残して帰ってしまった。おかげで僕はカバンを返す方法に頭を悩ませなければならなかった。


 しばらくして白原は常連の読書家の行動パターンを理解したらしく最終下校時刻直前に現れるようになった。そこまでして僕と話をしているところ見られたくない理由は彼女の有名さにあるのかもしれない。白原は良く表彰される。彼女は写真を撮るのが上手いのだ。


 表彰された写真をいくつか見たことがある。雨の日の無人駅。水面に映った水仙。煌びやかに輝く薔薇。それらは絶妙な光加減で現実から切り取られ、現実味を失い幻想的だった。それらは鮮やかで色彩に満ちていた。だが、ヒトを写したものは何一つなかった。


 彼女と話をするようになってしばらくしてから、白原が僕に数枚の写真を見せてくれた。それは車に轢かれた猫の死骸、誰かに切り刻まれた蟷螂カマキリ、桜の木の根元に置かれた菊の花束が鮮明に映し出されていた。


 それにたいして僕が何を言ったのかよく覚えていないが。彼女はひどく驚いた顔を肩にかかる黒髪で隠したことだけは覚えている。クラスメイトいるときの彼女はひどく感情が豊かに表情を変える。だが、驚くようなことはない。何もかもが予想の通りというように笑うべきところで笑い。誰もが怒るべきところで怒っていた。だが、僕と話す彼女は決まってむすっとしており親しげな様子一つ見せない。それは僕も同じなので、もし僕たちを見た人間がいても図書委員と生徒が何かをもめているようにしか思わないかもしれない。


 白原にどうして写真を撮るようになったのか質問したことがある。

 彼女はカウンターに置いていた貸出簿を僕から奪うとコンビニで売っているようなボールペンでかろうじて植物と思われるイラストを描いた。前かがみになった彼女の首筋が見えた。血管が透けてみるような白い肌だった。


「これが何かわかりますね?」

「植物だと思うけど、僕は植物には詳しくないんだ」


 ヴォイニッチ手稿に描かれていそうな植物の区別がつくようなら僕は暗号解読家になれるかもしれない。


「ライオンです」


 彼女の言葉の意味が分からず僕はもう一度、貸出簿を凝視した。そこにはギザギザとした葉を揺らす得体のしれない植物があるだけで、百獣の王が持つ勇ましさや気高さというものは読み取れなかった。


「ライオンです」


 白原はもう一度念を押すとライオンをボールペンで塗りつぶして「絵が下手だったから写真にしたの」と不機嫌に言った。「そのほうが良かった」と「独自性があっていい」のどちらが救いがあるかと考えたが僕は無言を答えとした。


 この話は僕と白原の出会いの物語である。なんてことは言わない。話している途中あるいは階段の上から白原の真っ白な首筋を見たときに思い出す。その程度の話だ。





 担任教師は最初のホームルームをこの一言で始めた。


「二年生の一年は一度しか来ません」


 それは何年生でも同じであるはずだが、担任はどれほど今年が特別かについてこんこんと説いていた。クラスのほとんどは担任の話を聞き流しながらそれぞれの学生生活について思いをはせているようだった。そういう意味では多くのせいとは担任が言っている一年の特別さを理解しているようだった。


 担任が話を終えると調子のいいクラスメイトのいく人が「鹿田シカダ先生、わっかりましたー」とか「ノリオ。青春を語るねぇ」茶化した。担任はほとんどの男子生徒よりも小さな身長を大きく揺らして「おい!」と怒っていた。短髪に刈り込んだ担任は三十手前とは思えない幼顔もあり生徒から人気があった。特に女子からは可愛らしいとさえ言われていた。担当教科は国語で生徒から尊敬されるというよりも慕われるタイプの教師だった。


 だから、新しいクラスはあまり緊張した生徒はおらず大らかな雰囲気だった。


 僕は隣や前後になったクラスメイトに適当な挨拶をした。なかには去年のクラスメイトがいて久々の再開と春休みの差しさわりのない話をした。その中のどれだけが嘘であったかは忘れてしまったが、微笑みと相槌を知っていれば、ほどほどの社交性がある読書好きという可もなく不可もなしという高校生としてクラスに同化できた。


 誤差五パーセント以内の量産型男子高校生である限り、面倒なことに巻き込まれることはない。


 幼いころ、捕まえてきたカナヘビがバッタを食べる光景を見続けていたことがある。僕はそれを飽きることなく眺めることができたし、子供はみんなそれが好きだと思い込んでいた。バッタを捕まえてはトカゲの入ったカゴに放り込む姿を薄気味悪そうに見る母に気づいてから、僕はみんなを意識するようになった。


 お絵描きでは空は青く太陽は赤で染め抜き、お父さんとお母さんと自分を笑顔で幸せそうに描く。それが望まれていることなのだと心がけた。そうしておけば誰もが困らない。


 放課後になると僕はクラスメイトに笑顔で笑いを告げると図書室に置いてある新聞をめくった。思ったとおり新聞の社会面には毎年四月になると起こる風変わりな連続殺人事件について昨年と変わらない注意喚起を促す記事が載っていた。はじまりは三年前のことだった。


 四月初旬、女子高校生が殺されているのが発見された。少女は首元を鋭利な刃物で切り裂かれて殺されていた。死体は公園の桜の根元に寝かされているのが近所の住民によって発見された。その際に被害者の首の傷に何本もの桜の枝が差し込まれており、血を吸った桜が赤く色ずいていたことがニュースで報道されるとこの事件は血桜事件として有名になった。


 事件はセンセーショナルに報道されたが犯人は捕まることはなく、季節のうつろいと共に忘れられていった。そのままであれば完全に忘れられたかもしれない。だが、次の春になると桜の開花に合わせるようにまた女子高生が殺された。手口はまったく同じで少女の首筋には桜の枝が奇妙なオブジェのように生えていた。


 そして今年である。記事ではこの二つの事件は類似性から同じ人間の犯行だろうと推測されており、またこの四月に犯行が起きるのではないかという喚起なのか煽りなのか分からない文章が載っていた。いずれの事件もこの街から遠く離れているとは言えない。そういう意味ではこの事件は身近なものだった。


「立ち読みはいかんよ、若者よ」


 背後から声がして振り返ると栗毛色の髪の少女が腕組みをして立っていた。


「図書室はいつから本屋になったんですか? 能勢のせ先輩」

「席は一杯あまってるんだ。座って読みなさいな」


 先輩は僕が去年図書委員だったときに当番が同じ水曜日だったことで知り合った。華道部という人数の少ない部活の部長でもあるが、生花は金がかかるらしく月に一度しか部活動が出来ないらしい。


「これを読んだらもう出ていきますよ。先輩こそ今日は水曜じゃないですよ」

「今日は客で来てるんだよ」


 先輩はカバンの中からスパイが活躍する時代小説とテレビドラマになっていたOLと社長の恋愛を扱った小説を取り出して見せた。先輩は流行りものに弱いらしく読んでいる本はそのときTVや映画でやっているものが多かった。


「そういえば、一階の玄関に飾ってある生け花見ましたよ」

「それはどうも。見たと言われたのは君が初めてだよ」


 僕たちの高校では入学式に合わせて華道部が桜を玄関の目立つ場所に活けている。器は花瓶というよりも壷というような大きさがある。僕がそれに気づいたのは花の隣に置かれた木板に華道部製作と墨で書かれていたからだ。それがなければ僕は教師の方で用意したのだろうと判断したに違いない。


「部活動の宣伝としてはいいんじゃないですか?」

「うちは少数精鋭主義だから。新入部員は一人でいいかな。一年に写真が上手い娘が入ったらしいからその子がいいかな。活けた花を撮ってもらって記録すれば一石二鳥だし」


 吹奏楽部のクラスメイトが部員集めに気合を入れていた様子と比べると随分と印象が違っていた。僕は帰宅部だったので部活動のことはあまり分からないが、部員が多いほうが良いことがあるのだと思っていた。


「あの桜、いくらすると思う? 二万円だよ、二万円」


 僕が驚きを示すと先輩は「そうでしょ!」と賛同に喜んだ。


「部費が年間で四万円なのにうちは四月に半分なくなるわけ。部員が増えすぎたら花代が足りなくなっちゃって活動どころじゃないのよ」


 単純に金銭的な問題で活動できないというのは部活としてどうなのだろうかと思うが、先輩の話は部費の話から急速に矛先を変えていく。


「そもそも桜って活けるのが難しいの。花一輪はごく小さくて、たくさんの花が集まってないと栄えないから、大きな鉢に大きく広がるように面で活けるようにするんだけどね。枝は堅いのよ。普通の鋏ならもう全く切れないの。だから剪定鋏でやるんだけどそれでも力いっぱいやらないと切れないし。大きな枝だとうまく水を吸わないから根元割りっていって枝に十文字の切れ込みを入れなきゃならないから面倒で仕方ないのよ」


 面倒という割には先輩の話し方には熱がこもっており、自分がやった活動にそれなりに満足している様子だった。それは僕が模範とするべき姿であった。先輩は言いたいことだけ言うとすっきりした顔をして先に図書室から出ていった。


 僕は持ったままになっていた新聞を丁寧に折りたたむと台に戻した。今日の図書委員は知らない顔だったので挨拶をすることはしなかった。階段を降りていくと一階の玄関口で真新しいセーラー服に身を包んだ少女がじっと桜の生け花に向かって一眼レフカメラを構えていた。


 日中で照明の灯っていない玄関は外から日光が入る部分と屋根で光が途切れた部分で明暗の差が生まれていた。少女はその境界にいる。カメラを構えてがら空きになった右の首筋が見える。真っ白なカンバスのような白い肌に僕は見とれた。しかし、すぐに流れてきた黒髪に隠されて僕は正気に戻った。


 校内で一眼レフカメラを構える生徒を見たことがなかったのと画角に入ってはまずいと、そのまま立ち止まっていると僕の隣でまた誰かが止まった。おそらく僕と同じ理由だろうと視線を向けると、それは担任だった。


「君は彼女を知ってるのかい?」


 知らないと答えると担任は「有名な写真のコンテストで優勝した子だよ。白原さんだったかな」と女子生徒の集中力がこちらに向かないように小さな声を出した。担任の男性にしては高い声は小さくてもよく耳に入った。その間に少女はシャッター音を二度ほど鳴らして去っていった。


 彼女がいなくなるまで僕らは階段で立ち尽くしたあとゆっくりと生け花の前に進んだ。開花から数日たった桜の花は生け花とはいえかなり散っていて花器や台の上にうっすらと桃色の斑点を残していた。


「明日か明後日には片付けないと」

「先生が片付けるんですか? 華道部じゃなくて」

「ああ、俺は華道部の顧問だからな」

「能勢先輩のところの」


 担任は少し意外そうに僕を一瞥すると「似合うとか茶化されると思ったよ」とぼそりとこぼした。確かに小柄でどこか中性的な担任に花というのは似合う気がした。が、それをあえて言う必要はなかったし言ったところで意味はないと思っただけだった。


「桜って高いらしいですね」

「ここまで立派なやつはな。買うのも高いが捨てるのも大変だ。枝を細かく切って粗大ごみにしないといけないからな。力仕事だから能勢に任せるわけにはいかない」


 担任は親指よりやや太い桜の枝を指さした。「本当は、桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言って切らないほうがいいんだ。梅は枝を切っても次の年の花に影響はないが、桜は枝がなくなるとそのまま花がつかなくなる。この学校では伝統になっているから毎年活けるが贅沢なものだよ。だから、こうやって桜を楽しめている裏では枝を失った桜の木があるんだ。せめて、より美しく活けてやらないとな」と台の上に落ちていた花びらを拾い上げた。


「優しいですね」

「それは違うだろうな。飾るということは、それ自体が自然から離れたことだ。人間だけが飾るんだ。不自然なことだだが、俺たちはもうそれなしではありえない。美しいという気持ちを知っているからだ」


 そういうと担任は職員室のほうへと消えていった。





 次の日の放課後、僕は電車で二駅離れた公園にいた。


 思ったとおり桜の木の下には缶ジュースや花が置かれていて、昨年にここであった事件を想起させるには十分だった。満開の桜からは粉雪のように花弁が降り注ぎ、それらをわずかに隠している。僕は駅の商業施設で買った菊の花束をほかのものと同化させるように紛れ込ませる。ここで死んだ少女とは何のかかわりもないが、僕にとって血桜事件は最近の事件の中でとくに気になるものだった。


 一年に一回というサイクルで人を殺す。


 犯人は良くそれで我慢できるものだ。放火犯がだんだんと頻度を増やしてしまうように一度、殺したなら待たなくても構わないのではないか。警察が恐ろしくて一年待ったとも考えられるかもしれないが、それなら同じ方法で殺すことはない。


 まったく違う方法。まったく違う場所。まったく違う時間帯にやればいい。

 そのほうが疑われないだろう。


 しかし、犯人は繰り返しを望んだ。桜の木の下で少女を殺して、切り裂いた喉に桜の枝を差し込む。花の盛りはあたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒まき散らすものだとしたら、その光景は心を撲つだろう。少女の死体は、不思議で美しい器として桜を飾る。


 僕はの場にないそれに思いをはせた。


 もし、そんなものを見れたのならまた次の年まで待てるだろうか。そんなことを考えていると僕よりも少し年上の女性が同じように菊の花を桜の根元に置いた。彼女は簡単に手を合わせると僕に「ありがとうございます」と頭をさげた。


 きっと彼女は僕が何を考えていたか知ればさぞ落胆するだろう。だから僕は頭だけを軽く下げた。


「妹にもあなたのような男の子の知り合いがいたのね。もしかして彼氏ではないでしょうけど」


 このとき僕は彼女が被害者の姉だということを知った。そして彼女の顔を通してここで殺された彼女の姿をありありと思い浮かべることができた。やはりそれは毒々しいまでに美しく、生き生きとして腐乱していた。


「知り合いでした」


 彼女の死後に一方的に知っただけだが嘘ではない。


「ありがとう。きっと加奈も喜ぶわ」

「だといいのですが」

「……同じような知り合いに女の子はいない?」

「どうしてですか?」

「最後に出ていった日、加奈が言っていったの。別の高校の面白い子と友達に会ってくるって。あなたが別の高校の制服だったから知ってるかなって思ったの」


 最後に会おうとした相手なら警察も調べただろう。だが、こうやって彼女が尋ねるということはそれが誰か分からなかったということだろう。単純に考えれば、その他校の生徒というのが犯人の可能性が高い。しかし、その人物はいまだに捕まっていない。


「さあ。わかりません。何か特徴が分かれば分かるかもしれませんが」


 この近辺だけでも高校は四校ある。越境入学の生徒もいるとなるので他校の生徒というだけではあまりにも範囲が広い。女性は少し悩んだあとスマートフォンを操作した。僕のほうに向けられた画面には二人の人物が仲良さそうに微笑んでいる。違和感があるとすれば二人とも目が極端に大きく、肌が異常なほどのっぺりとしていた。背景には原色ピンクで「カナとカオリ」とひどい字で書いてある。


 おそらくゲームセンターにあるプリント写真の画像なのだろう。目元を含めた造形が大きく変わっている。加奈と思われる人物でさえ、目の前にいる彼女と比べても姉妹とは思えなかった。もう一人はセーラー服を着ている以外は頬や首すじを隠す長い髪で誰かなど分からなかった。


 僕が謝るとに彼女は落胆したようだったが、すぐに表情を取り戻した。おそらく彼女は強い人なのだろう。


「ごめんなさいね。また来てやってね」


 そう言って彼女は桜の前から去っていった。僕がまた来たところで死んだ少女は喜ぶだろうか。

 彼女が消えたあと僕は公園のベンチに腰を掛けた。桜を眺めていると通りかかかるいくにんかは事件を知っているのか桜を視線から避けていた。残りの人間は地面に置かれた缶ジュースと花を見て驚いていたがおよそ何があったか推測がついたのか嫌なものでも見たような顔をした。


 異物がいた。

 それは一心不乱にカメラを桜に向けていた。


 周囲を歩く人間や遊んでいる子供など目に入らないのか、たまに人とぶつかりながら彼女はシャッターを切り続けていた。その姿は古いフィルム映画のテープチェンジの合図のようだった。流れなど関係なく押された丸い印。明らかに本編とは違う理屈で刻まれたそれは見るだけで分かる違和感だった。


 僕はしばらく異物を目で追った。


 幸いなことにそれは最後まで僕に気づくことがなかった。





 次の日の放課後、僕は図書委員の仕事だった。


 幸いにも二年続けての図書委員だ。クラスのなかでは僕が多少明るい読書好きというイメージが浸透しているらしく、立候補してもだれも気にしていなかった。カウンターに座って適当な文庫本を開く。貸出はいまだに図書カード方式だ。


 相手の名前と学年を聞いてカウンターにある相手の図書カードに図書委員が貸し出した本の名前と日付を記入する。貸出期限は最大で二週間。それを過ぎた場合は委員が該当クラスの委員に督促を依頼する仕組みだ。三人ほどの貸し出しを行うと図書室の中は僕だけになった。


 蛍光灯の放電の音がわずかに聞こえる。その向こうでは体育会の部活だろうか掛け声のような野太い声が聞こえる。校舎の壁一つ隔てているだけだというのにそれらの音はどこか遠くのもののようだった。昔からたまに感じる感覚だ。この世界には僕さえもいなくてヒトのような何かが何かをしているのを無理やりに見せれている。スクリーンの内側と外側。どちらが本物などということはない。ただ存在するというだけのことだ。


「先輩に聞きたいことがあって」


 首から顔ほどもある一眼レフカメラをぶら下げた少女が立っていた。それは昨日公園で見かけた異物であった。彼女はこちらがあの公園にいたことなど気づいていないようだった。適当に返事をすると彼女は「一年三組白原です」と名乗った。


 僕は学年ごとに並べられている図書カードの群れの中から白原のカードを抜き取った。真新しい図書カードに間違え防止のためカタカナで名前が書かれている。白原のカードには当然だが貸出履歴はなかった。


「本を借りたいわけではありません」


 図書室で本を借りないなら黙って自習するなり、本を探せばいいとカードを戻す。


「人を探しているんです」


 いつから図書委員の仕事に人探しが加わったのだろうか。と首をかしげると白原は図書カードの群れを指さして「そこの中にシノダカオリという名前はありませんか? 去年の写真展で声をかけてもらって、もう一度お会いしたいの」と理由を述べた。


「個人情報はちょっと」


 僕は白原の依頼を問答無用で断った。


 探すのは一瞬だっただろう。だが、僕は意地悪をした。それはそちらのほうが面白そうだったからだ。カオリという名前には聞き覚えがあった。昨日、見たプリント写真の生徒と同じ名前だ。もし、これが同じ人物なら僕は血桜事件の犯人が犯行をおこす姿を見られるかもしれない。


 白原は何か言いたげだったので「図書委員会の委員長の許可があれば見せるよ」と伝えたが四月に各クラスの委員を決めたばかりで図書委員長は決まっていないので彼女が三年のクラスに行っても委員長を見つけることはできない。


 彼女が出ていったことを確認して僕は図書カードを漁ったが「シノダカオリ」の名前は見つけることができなかった。まぁ、そんな都合がいい話もないだろうと手元のノートにシノダカオリの文字を書いてみる。そして、違和感を感じた。どうしてカオリは他校の生徒とばかり交流があるのだろう。


 加奈はもちろんだが、白原はこの四月に高校生になったばかりだ。彼女が写真展で声をかけられたのだとしたらそれは去年、彼女が中学生のときだ。つまり、カオリと会っているのはうちの生徒ではない。だが、彼女が着ている制服はこの近辺では僕たちの高校を残して絶滅したセーラー服だ。


 血桜事件でうちの生徒は被害者になっていない。


 それは、同じ学校の生徒だとすぐに誰がカオリかバレるためではないか。


 僕はノートの一部をちぎると短い文章を二つ書いて玄関へと向かった。能勢先輩が飾り付けた桜の生け花はほとんどの花を散らせていたが一番大きな枝の花弁だけが春の名残のように持ちこたえていた。僕はそれを鼻で笑うと靴箱にノートの切れ端を放り込んでいった。





 その夜、僕は高校からさほど離れていない市立植物館の外苑にいた。植物館の内苑は有料公開であるが、外苑は無料公開されており、夜間であっても入場を規制するようなものはない。何よりも外苑には大きな桜の樹があった。閉館時間を過ぎたこの場所に来る人間はいない。それも都合がよかった。


 僕は家族にもうすぐ体力測定だからと言って黒い上下のジャージに着替えて家を出た。母や父はそのことに違和感を感じることはなかったらしい。


 桜の樹が見える植え込みの影にはいると自分自身も暗闇の一部になったような気がした。空にはがりがりに瘦せこけた月がいるが、狼男を生み出すような魔力は感じない。むしろ、たよりのない明るさが桜の白い花弁だけを浮かび上がらせていた。


 携帯の時計を見る。時刻は午後十時二十五分だった。


 小さな影が細長く折れ曲がった猿の手のような影を曳きずるように現れた。その姿は僕からは良く見えていた。暗闇にしっかりなれた僕の目はカオリをとらえていた。同時に僕はひどく落胆した。考えが外れていたからではない。


 ムンクの叫びが来日公開されているされていたので観に行ったことがある。そのときの感想に近い。


 隠れている必要がなくなった僕が植え込みの中から出てくるとセーラー服のシルエットが「白原さん」とこの場にいない人物の名前を呼んだ。


「すいません。呼び出したのは僕です。カオリさん」


 僕の顔が見えたのか声で分かったのかカオリはひどく動揺したようだった。

 教室では短髪の姿しか見たことがなかったので肩口までかかった髪はウィッグだろうか。化粧が施されているのか元から大きな瞳と幼い顔の作りで、それは確かに女性のように見えた。だが、こちらをにらみつける瞳だけは女性ではなく男性のそれであった。


 カオリは僕の名前を低い声でつぶやいた。


「よく似合ってますよ。鹿田先生。確かにそれなら他校の生徒を騙せたでしょう。本来なら僕は見ているだけにしようと思っていたんです。なのにいまは失望を隠せません」

「……何が言いたいんだ?」

「人だけが飾るという話。とても面白かったです。だからこそ僕は落胆しています」


 それは嘘だらけの僕の中で本当のことだった。


 女子高生にしか見えないほど飾り付けて姿を変えた鹿田がもってきた桜は高校の玄関に飾られていたそれだった。多くの花が散りわずかな花だけが必死にしがみついているような無残なもので飾り付けられる。それほどおぞましいものはない。


 美しさを求めるために飾るのだ。


 考えたことがあるのだろうか。白原の白い首筋を飾るのが、こんな醜悪なものであったときの落胆を。首筋から流れ落ちた赤を汚すくすんだ花弁を。それはもう飾りではない。冒涜だ。だから、僕は傍観を止めた。


「いったい何を? あのメモは君が入れたのか?」

「そうです。僕が入れました。今夜。十時半に植物館の桜の前でシノダカオリ様。白原。だったでしょうか。適当に書いたのでもう文章を忘れてしまいました」


 鹿田が犯人だと思ったのは、カオリと会ったことがあるのが違う学校の生徒ばかりだということもあった。だが、一番は桜だった。これまで犯行に使われた桜は被害者の血を吸って赤く染まっていたという。


 中学の授業で切り花を色水につけておくと、花びらに色がつくというものがある。それは植物が水を吸い上げる力があるからだ。だが、血は色水と同じではない。粘度もあれば凝固もする。それでも花びらが血に染まったのなら吸いやすいような処理がされていたと考えるべきだ。


 根元割りだっただろうか。華道にはそういう手法があった。


 手法を知っており、桜の枝を手に入れられる環境にあり、うちの高校に関係がある。それが犯人の条件であるのならそれは鹿田をおいてほかに誰もいない。


 僕が説明すると鹿田は「そうか」とだけ言った。


「本当なら今年は誰を殺すつもりだったんですか?」

「お前が知らない奴だよ。去年も一昨年だってお前が知らない奴だろうに」


 それは事実だった。


「どうして一年も待てたんですか?」

「待てた? それは違う。最初が最も美しくて忘れられなかった。だから、待ったわけじゃない。影を追ってしまった。同じ一年などないのに」


 僕は彼女たちに対する正義感でこんなことをしたわけではない。むしろ、白原がグロテスクな花器になることを望んでいた。維管束のなかを血の赤色があがっててゆくの夢のように眺めたかった。それだけのことである。だが、僕は鹿田と同じ桜の樹の下にいられなかった。美しさが違っていたからだ。


「これからどうするんですか?」

「そうだな。お前を殺すとか言えばいかにもな悪役になれるんだろうけど、この格好で殴り合いなんて美しくないだろ。それに生徒を殺すのは先生ではない」

「だから、他校だったんですか?」


 質問の答えは帰ってこなかった。


 鹿田は黙ったままスカートのポケットからナイフを取り出すと自らの首に穴をうがった。脈動に合わせるように血が吹き上がった。それは最初の数回だけですぐに漏れ出すような勢いになり鹿田の身体は桜の樹にもたれかかるように崩れ落ちた。


 血の気がなくなった鹿田はその服装と化粧から本当の女子高生のように見えた。

 飾り付けるということが不自然というならそれは正しかった。


 僕は鹿田の首大きく開いた空を埋めるように彼の持ってきた桜の枝を差し入れた。花弁の少なくなった桜の枝はどことなく男性的で女性的な鹿田に似合う気がした。時計を見ると十一時の十分前だった。僕は担任に最後の挨拶をすると再び暗闇に溶け込んだ。


 五分もしないうちに現れた白原は鹿田の死体にひどく驚くようなこともなく、一回だけカメラを構えると暗闇を切り裂くようなフラッシュが瞬いた。そのあとになって彼女は淡々と警察に電話した。なんといったのだろうか。


 靴箱に『今夜十一時に植物館の桜の前で。シノダカオリ』と書かれたメモが入っていてと正直に言ったのかそれとも。僕は少しの興味を押し殺してその場を去った。家に帰ると風呂上がりの父が「どうだ、少しは鍛えられたか?」と笑った。何を言ったかは覚えていないが父が笑ったので何か気の利いたことでも言ったのだろう。


 僕は嘘ばかりだ。





 次の日、鹿田の死がクラスに伝えられたが彼がどのように死んでいたか説明はなかった。


 それでも日常は変わらない。授業は普通に行われたし、クラスだって数日もすればいつもどおりになっていた。それは僕も同じで図書委員の仕事をこなしていた。下校時刻の直前になってカウンターの前に立つ者がいた。


 座ったまま見上げるとそれは白原で彼女は僕に「意地悪をしましたね」と図書委員長がまだ決まっていないことを指摘した。僕は本当に確認しに行っていたのかと馬鹿正直さを褒めると彼女はむすっとした顔でこちらを見下ろした。


 長い髪が首筋を滑り落ちて白い肌が見えた。


 赤が映える白さだった。


「いないから教えなかった」


 そういうと彼女は「それは残念です」と無感動な様子で答えた。


「仲が良かったの?」

「いいえ、展覧会ではつまらない写真だと言われました。だから、知りたかったのです。面白いものがどういうものなのか」


 鹿田がどういう理由でそれを言ったのか僕には分からない。僕が初めてムンクの叫びを見たときと同じ気持ちだったのかもしれないし、その逆だったのかもしれない。


「僕は君の写真を見たことがない」

「見せたことがありません」

「なら、彼女がいないことを教えたお礼に見せてほしい」

「一方的すぎませんか?」

「先輩だからね。後輩には強権にでるものなんだ」

「なるほど。これほど留年しろと願ったことは初めてです」


 彼女はそういうと踵を返した。


「今度、来るときは用意しておきます。先輩」


 消えていく彼女の背中を見送って僕は先輩になったのだとようやく認識した。






引用:「現代日本文學大系 63 梶井基次郎・外村繁・中島敦集」筑摩書房

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文学的な香りを醸す非常に練り込まれた筋と美しい文章で、途中、アレっと思って気になる部分を読み返してしまうほどに独特かつ魅力的なお話でした。 あと、白いうなじ=桜を差したい、という心理を梶井…
[良い点] 読んでいて乙一のGOTHを思い出しました。 文章も淡々としていて素晴らしいと思います。 私もこんな風に書けるように頑張ります
[良い点] 淡々と進んでいくお話にどんどん引き込まれました。 桜の妖しい雰囲気にすごくあっていました!
感想一覧
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