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53話:邪竜ちゃんと邪竜様

 最初の印象は、巨大な黒い雲が動いている、だった。

 だけどそれは雲なんかではないことはすぐにわかった。

 だとすると、邪竜山にある黒くて空を飛ぶものなんて、邪竜様に決まっている。


「どうしよう」


 僕の呟きはお弟子さんには届かなかった。彼女は恐怖で震えている。

 まだ遠目で確認できるくらいの距離だけど、邪竜様がなぜ邪竜と呼ばれて恐れられていたのか、僕にもはっきりとわかった。あの巨大な黒い魔力で包まれた存在は、恐怖の権化と言うべきだろう。邪竜様に比べると邪竜ちゃんはただの太った空飛ぶトカゲであった。


『なんかいま失礼なこと考えた?』

『考えてないよ』


 ところで邪竜ちゃんは平気なのだろうか。邪竜ちゃんに取って邪竜様は親みたいなもの?

 いやでも、魔女さまの話からすると、邪竜ちゃんは僕と妹の意識が創り上げた魔法生物みたいだし、邪竜様と無関係?


『邪竜ちゃんは平気なの?』


 邪竜ちゃんの答えはなかった。考えているのか、答えに困っているのか。背中に乗っているので表情は見えない。単純に質問の意味がわからないだけかもしれないけど。

 答えのないまま、こちらへ向かってくる邪竜様とあっという間に接近してしまった。

 邪竜様と邪竜ちゃんは空でぐるりぐるりと円を描き、その体格差は大鷲と小鳥が追いかけあっているような感じであった。


「あの、邪竜様ですよね? 何の御用でしょうか」


 僕は一応話しかけてみたものの、声が届くとは思えない。

 空を二周三周しても、邪竜様は何も答えず、何もしてこなかった。


『僕たちは何をしてるの邪竜ちゃん』

『追いかけっこ?』


 お互いに様子を見てぐるりぐるりと回っているので、どちらがどちらを追いかけているのかわからない。

 邪竜様が僕たちが目当てで追いかけているのなら、回り続けるのは意味がないだろう。

 それならば村へ向かおう。

 邪竜様が僕たちを襲うつもりなら、びゅんと飛んで僕たちを丸呑みにすればいいのだから。


『村の広場へ行こう』

『わかったー』


 僕たちが村へ向かうと邪竜様も付いてきた。

 村の広場は大きい。邪竜様の身体に合わせて作られたというのは本当らしく、邪竜様がぎりぎりすっぽり入る大きさになっていた。邪竜ちゃんは居場所がなくて隅に追いやられている。

 邪竜様が降り立ち、村人たちは3回くらいひっくり返って潰れた蛙のように床にへばりついた。


「巫女ばあやを呼んでこなきゃ」

「ここにおるぞ。なんとまあ邪竜様。お久しゅうございます」


 邪竜様と会話できるのは巫女ばあやだけだ。

 巫女ばあやが邪竜様に近づくと、薄く魔力の線が繋がった。


『つかれたーごはーん』

『ちょっと待っててね』


 邪竜様のことは任せて、村まで帰ってきた邪竜ちゃんを労わなければならない。

 僕はお菓子の悪魔のくれた小さい星のお菓子の残りを全部邪竜ちゃんの口に入れて、邪竜ちゃんの魔力を回復することにした。

 僕も邪竜ちゃんに手を当てて、ちょっとだけ力を込める。

 すると邪竜ちゃんの身体の色が、鉛色から今度は黄銅色に近づいた。なんでどんどん明るくなっていくんだろう。


『ぴかぴかしてきた』

『ぴかぴかしてきたね』


 もうほとんど金色に近い邪竜ちゃんは、もはや黒い身体の邪竜様とは似つかない姿になってしまった。

 もう邪竜ちゃんという呼び名も変えた方が良いかもしれないね。


「よくあれを前にして平然としていられますね……」


 お弟子さんがぷるぷる震えながら、やっとのことで邪竜ちゃんから降りて地面にへたり込んだ。


「僕たち邪竜村は邪竜山の恵みで生活しているからね。邪竜様は恐ろしいけど、そのおかげで成り立っているから」

「わかるようなわからないような……」


 会話が終わったのか、巫女ばあやは僕を手招きした。

 邪竜様の顔が目の前にくる。邪竜ちゃんと違ってごつごつして凄く怖い。二つの目がぎょろりと僕を伺っている。


「こちらがあの小さい方の巫女でございますじゃ」

「はじめまして。小さい方の巫女です」


 邪竜様は僕の身体に顔を近づけて、舌を伸ばしてべろりと舐めてきた。


「うひゃあ!」

「これ! 邪竜様を恐れるでない!」


 そんなこと言われても。急に舐められたら誰だって驚く。

 舐められたことで何か僕の身体の中の、魔力に変化が現れた。僕の身体の中にあった、ほんの小さな黒いもやもやが消え去っていた。


「え、あの。ありがとうございます?」

『いいってことよー』


 え? 僕は邪竜ちゃんの方を見た。邪竜ちゃんはぐでーってなっていた。

 さっき邪竜様に舐められたことで、僕と邪竜様が薄く魔力で繋がっていた。すると今のは邪竜様?

 なんだか思ったより邪竜様のノリが軽くない?


「邪竜様の声が僕にも聞こえるようになりました。何の御用で起きられたのでしょうか」


 邪竜様はねぐらを転々として普段は寝ているという話だ。

 僕らはそのねぐらの一つを間借りしているに過ぎない。


『んー。なんだかー、懐かしい匂いがしたのでー。起きちゃったぁ』


 懐かしい匂い。なんだろう。

 匂いのするものなんて、お菓子やさんの焼き菓子くらいしか。あっ。


「これですか」

『これこれー。ちょうだい』


 邪竜様のきゃぴきゃぴ具合に戸惑いつつも、焼き菓子をどでかい口の中に放り込んだ。

 邪竜様はもきゅもきゅと食んで、首をくねくねと動かした。


「あの。もしかして邪竜様はそれを作った人をご存知なのですか?」

『そうよー。その人にナウいの言葉を教わったのよー』


 なるほど。だからこんな見た目と喋り方に違和感のある状態になってしまったのか。

 僕はちらりと巫女ばあやを横目で見た。巫女ばあやはうむと頷いた。


「竜の言葉はわしらとは少し違うようじゃ」


 いや竜の言葉とも多分違うだろうけど。

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