11話:邪竜ちゃんと耳長族の子
朝の水汲みで、邪竜ちゃんのいたずらで背中を押され、僕は川で水浸しになった。
焚き火の前で服を乾かしながら裸で座っていたけど、僕には替えの服があることを思い出した。
巫女服だけど。
僕は巫女服に着替えて、その上から脱皮コートを羽織った。コートが透明じゃなかったら巫女服姿を隠せたのに。
とはいっても、ここは邪竜山。僕の姿を見る者なんて邪竜ちゃんしかいない。
気にすることではないと自分に言い聞かせる。だが恥ずかしがっている僕の姿を見て邪竜ちゃんは「きゅふふ」と笑った。
邪竜ちゃんに人の性の違いと服の違いなんてわからないくせに。
「出かけてくるね」
僕は畑の様子と罠の様子を見に行くことにした。
崖の上の小さな畑は、春の恵みの雨で、にょきにょきと蔓を伸ばしていた。根本に石を積んで土に突き刺した木の棒に絡みつき、大きな葉を付けていた。
「うわぁ。遅れて植えたのに、もう育ってる」
僕が植えたのは邪竜様が好んだという、村の名産の紅蓮芋だ。邪竜様の吐く炎のように赤い芋だ。
山の麓の村ではこんなに早くは育たない。邪竜山の不思議な力でこんなに一気に育ったのだろう。
邪竜山の不思議な力は、動植物を早く大きく成長させてしまう魔法の力だ。
それならば邪竜ちゃんのねぐらで暮らしている僕も大きく育つはずなのに、なぜかまだ背が伸びない。
男は数え年の12歳で成人してから伸びると聞いていたのだけど、このままでは村に住んでる妹に抜かされてしまいそうだ。
「おかしいなぁ。狩人のおじさんは大男なのにね」
続いて僕は罠の様子を見に行くことにした。
邪竜ちゃんの匂いでこの近くには動物は近寄らないが、逆にそのため小動物の多くは暮らしている。
危険な大型獣は怯えて逃げていくので、小動物にとってはかえって安全なようなのだ。
巨大な危険な気配より、身近な危険の方が上回っているといった感じ。
僕も、邪竜ちゃんにいたずらされるより、うっかり崖から足を踏み外す方が死の危険が高いしね。
だけど罠には鳥も兎もかかっていなかった。
罠の多くは雨のせいで使えなくなってしまっている。草木が伸びて、罠が崩されてしまっていたのだ。
「成果なしかぁ」
もう少し奥に作った、鹿を狙ったくくり罠も見に行くことにした。
そしたら何やら声がする。
「わぁ! 罠に掛かかったんだ!」
きゅうきゅう甲高い声は子鹿か何かか。
僕は作った罠に近づいてみると、僕と同じくらいの背の人が罠に掛かっていた。
あちゃあ。
村の子どもが遊び半分で山に入って猟の罠に掛かってしまうなんてことは、三日三晩叱られることだ。
しかもこんなところまで登ってくるだなんて。狩人のおじさんの罠じゃなくて良かったね。
「今助けるからね」
「コルチヌィ クリルナァ!」
あれ? この地域の言葉にしては、すごくなまっている。
村の言葉も町と比べるとすごく田舎言葉なのだけど、それ以上に聞き取りづらかった。
それはその子が興奮しているからではない。
よく見ると、罠に掛かった子の耳が、普通の人よりも横に長かったのだ。
「耳長族の子? なんでこんなところに!?」
「オラァセ コラモ ワヲクヌゥキカ!」
耳長族は邪竜山の奥。方角的には西の町とは反対の、人里離れた東の森の部族だ。
極稀に、麓の邪竜村に交易しにくることはあるけれど、普段は人と接しない森の民だ。
だけどこんなところにいるわけないんだけども……現にいるわけで。
ナイフで蔓の縄を切ると、耳長族の子はどさりと地面に落ちた。
そしてすぐに逃げようとするも、足を痛めたのか、ひょこひょこと引きずっている。
「そんな怪我で帰るのは無理だよ。ねぐらに泊まっていかない?」
「カエゥ! アガグマオル キケヌ ミラニジラゼン!」
よくわからないけれど、きっと逃げて迷い込んだのだろう。この子が言った「アガグマ」に聞き覚えがあった。きっと邪竜山の森に住むと言われる凶暴な赤熊のことだろう。
耳長族の子は走り出そうとして、ばたりと足を滑らせ倒れた。
その様子を見て僕は、無理にでも連れて帰ろうと思った。きっとこのままでは着く前に死んでしまうだろう。
耳長族の子を引き起こして肩を貸し、この子が帰ろうとした方向とは逆に向かう。
随分と軽い子なので、苦労はなかった。
ぎゃあぎゃあと騒いで逃げようとしたけれど、力も無かったから、かなり弱まっているのだろう。
そのうち諦めたのか大人しくなったので、途中で休んで、怪我していた左足に当て木をした。
「あと少し、着く」
言葉が伝わるようにゆっくりと喋ったら、耳長族の子はしかめっ面をしながらこくりと頷いた。
僕は背中に背負ってねぐらに向かう。
僕と同じくらいの子だけれど、やはり軽い。見た目は細いけれど、それ以上に軽く感じる。
僕も山の動物と同じように、邪竜山の力でたくましくなっているのかな?
遠回りになるけれど、はしごを使わずに行ける道を通り、耳長族の子をねぐらに運び込んだ。
すると邪竜ちゃんは不機嫌そうに「グワッ」と鳴いた。
驚いた耳長族の子はこてんとひっくり返った。
「ドドドドラグゥ!?」
「大丈夫だよ。邪竜ちゃんは――」
良い子と言いかけて思い直した。良い子ではないな。
「きっと大丈夫。うん。僕は食べられてないし」
「グオドラグゥ! ヒキツノソ! ダマスタカ!」
「騙してないよ。スープまだあるから温めよう。汚れてるから顔と手をこれで拭いて」
布を水で濡らし、固く絞る。
邪竜ちゃんに怯えて固まったままでいるので、猪の毛皮に寝かせて顔を拭いた。
邪竜ちゃんが顔を近づけてふすーと息を吹きかけると、耳長族の子は気を失ってしまった。