1話:邪竜ちゃんの鱗
まったりのんびり。
ここは麓の村から、邪竜の棲む邪竜山と呼ばれている。
山険にぽっかりと開いたどでかい洞穴は、邪竜のねぐらであった。そして僕の今の住処でもある。
僕の隣の、大人の馬より一回り大きい黒いドラゴンが「ふしゅう」と鼻息を立てている。彼女が今の僕の同居人。邪竜ちゃんである。
『せなかかゆい』
「はいはいお嬢様」
その邪竜ちゃんが僕に思念で命令をしてくる。
邪竜ちゃんはドラゴンの姿で人の言葉を喋ろうとすると、「ぐわぁごわぁ」と竜語になってしまうので、僕の頭の中に直接話しかけてくる。きっと魔法というやつだ。
僕は邪竜退治に来た男が遺した剣を持ち、ドラゴンの尻尾の先から背中へとよじ登る。
『くすぐたい』
「そう言われても」
背中へ登るための身体の棘を掴むたびに、邪竜は尻尾を不愉快そうに地面に擦り付けて揺らした。
僕は背中に立って剣先であちこち突付いて周り、『そこ』と伝えられた翼の付け根で剣を振りかざした。
「いきますよ」
『あい』
剣を邪竜の背中に叩き付けると、邪竜は「ふひゅう」と息を漏らした。
『もっと』
「はいはい」
二撃三撃と叩きつけ、鋼を叩きつける音がガキンゴキンと洞窟内に反響する。
そして黒く鈍く輝く、僕の拳サイズの鱗の一つがぽろりと取れた。
邪竜ちゃんは満足したのか、ぶるりと身体を震わせてごろりと横向きに寝そべった。その背中の上に立っていた俺は、納屋ほどの高さはあるその背中の上から転げ落ちた。剣を放り投げ、頭を守るようにごろりと受け身を取り、膝立ちとなった。
「急に動かないでよ」
『んー。ねむい』
邪竜は「ふすーっ」と鼻息を吹いた。毎日掃いて綺麗にしているはずの土埃が舞い上がる。
「僕は買い物に出かけてくるからね。大人しくしててね」
『んにゅ』
肯定とも否定とも言えない曖昧な返事をして、邪竜ちゃんは目を閉じ、金色の瞳を隠した。
僕は鱗を、ねぐらに遺されたボロ布と化した服を切って大事に包み、ずだ袋の中に入れた。それを担ぎ、僕は向こう山の先にある町へ向かった。
山の中はほぼ未開の地なれど、何度か行き来しているので、軽く獣道のようになっている。邪竜ちゃんが道を切り開くのを手伝ってくれたので、足止めになる箇所はない。しかも、その時に付いた邪竜ちゃんの匂いのおかげで、恐ろしい狼や熊が獣道に近づいて来ることはなかった。
もちろん、僕にも匂いが染み付いているので、数え年で13歳の成人したばかりの僕一人でも、山の中を安全に進むことができた。
三日掛けて向こう山を越えた。昨日のキャンプの時に川で身体を洗ったので、酷くは臭くないはずだ。
森を抜けて、土が踏み固められただけの街道を進む。すると、まずは空を突き刺す白い槍のような屋根の先端が見えてきた。町の中で一番高い建物の教会だ。
さらに近づくと、ぐるりと町を囲む堀と、先端を尖らせた木の柵が見えてきた。
街道に続く門へ近づくと、椅子に座っていた門番さんが立ち上がった。
「山の小僧か?」
「はい。山の小僧です」
「買い出しか?」
「はい。買い出しです」
無意味なこのやり取りは、門番さんの真面目さゆえである。
初めての時は浮浪者扱いで止められた。山で暮らしてると言ったら、渋い顔をしつつ入れてくれたけど。
町に入り、大通りから外れたちょっとした路地の先の、小さなよろず屋へまっすぐ向かう。
厚く重い木の扉を開けると、ゴロンガロンと鈍い鐘の音が鳴った。
「おお。竜鱗の。久しぶりじゃあねえか」
「どうもおじさん」
つるりとした禿頭のおじさんが、店の奥から顔を覗かせた。そしてどかりと年代物の椅子へ座る。
僕は店のカウンターの上に、ボロ布に包まれた邪竜ちゃんの鱗を置いた。
おじさんは丸いガラスを手にし、邪竜ちゃんの鱗をじっと見た。
「20リラクマだな」
「はい。わかりました」
おじさんは金庫から、2枚の銀貨と、銅貨の入った小袋を1つテーブルに置いた。
僕は銀貨を、鱗を包んでいたボロ布で巻いて、銅貨の袋をずだ袋に突っ込んだ。
「ありがとうございます」
「おう待たな。ああ、ちょっと待て」
おじさんは背を向けた僕を呼び止めた。
「これやるよ」
「これは……いいのですか?」
黒ずんだ革から柄を引き抜くと、長年研がれ続けて刀身がちびたナイフであった。
きっと売り物にしても売れない品を譲ってくれたのだろう。
「ああ。お前の身体にはちょうどいいだろう。持っていけ」
「ありがとうおじさん」
言外に「チビ」と言われた気がして、ちょっと心の中でむっとする。だけど、ありがたく貰っておく。
換金した銅貨で街中で日用品を買い物をしていく。糸とか、針とか。綺麗な布は買えないけど、布の端切れも買っておく。
後は欲しいものは……紐は蔓を裂いて編めば作れるし、山で作れないもの……綺麗なガラス玉は買っても意味ない。
露店を見て回っていると、街中がざわめき始めた。
みんながスリなどを警戒せず、むしろスリさえぽかんと空を見上げているだろう。一人残らず青空に浮かぶ黒い影を目で追っていた。
そして誰かが叫んだ。
「ドラゴンだぁー!」
ドラゴンだって!?
なんてこった。僕は買い物も途中に、町の外へ駆け出した。
露店主は慌てて商品を木箱に仕舞い、町民は家の中へ逃げ込んだ。
僕が町の門へ着くと間一髪。門が閉じられるところであった。
「おい小僧! あぶねえぞ!」
「大丈夫です! 山へ行きますから!」
町の外へ出られたからもう安心だ。危ないところであった。
そもそも、ドラゴン相手に家の中に閉じこもったり、門を閉じても意味ないと思うのだけど。
僕は街道を走り、町が見えなくなったところで、空を旋回する黒いドラゴンに手を振った
ぐるりぐるりと滑空しながら、ずんと土埃を巻き上げながら草むらの中に着地した。
「大人しくしててって言ったでしょ! なんで出てきたの!」
『さんぽ』
散歩じゃないよまったくもう。
言う事聞かないのはわるい子。めっ!
邪竜ちゃんは叱る僕を見て「くあっ」と楽しそうに笑った。
『はやくかえろ?』
邪竜ちゃんはぶわりと翼を広げて浮かび上がり、左手で僕をむんずと掴んだ。
「うわぁー! 怖いから! 高く飛ばないで!」
『や』
邪竜ちゃんはぐんぐんとまっすぐに空高く飛び立った。地面がどんどん離れていく。町ではバリスタが空に向けて準備されているのが見えた。だけどこの高さまでは届かないだろう。
雲を切り裂くように進み、僕の身体はぶるりと震える。空は寒い。
邪竜ちゃんに文句を言っても、風の音で声が届かなかった。
3日かけて越えた山を3分も掛からず飛び越えて、僕はねぐらに運ばれていった。