第六話 役場での顛末
ダンジョン外に出した動屍体五体は確かに狙い通り、町に混乱を引き起こしてくれたものの、弱らせておいたにも関わらず犠牲者が出てしまった。
ダンジョン周辺を遠隔視によって観察した限りでは、酒に酔い道端に横たわっている男を一人殺害した他、こちらは致命傷では無かったものの、警備兵らしき者に組み付き腕に噛み付き傷を負わせた。
間接的にとは言え、初めて殺人を冒してしまった。
覚悟はしておいたつもりなのに、いざ現実となると足元が抜けて奈落へと落下していくような感覚を覚える。
自分が今までとは別の生き物に変わったかのような不安と、もう元には戻れないという悲しみ。
だがしかし、僕に残された時間もまた少ない。
死なない為に、殺す。
その事実が言い訳となり、僕の罪悪感を僅かに和らげてくれる。
どちらにせよもう始まってしまった。
こうなれば行き着く所まで行くしかないのだ。
やがて動屍体がどこから現れたのか、本格的な調査が始まり、この地下墓地は必ずその候補になるだろう。
調査の為にこの墓地に足を踏み入れた人間が、最初の探索者という事になりそうだ。
念の為、もう一度魔物の配置を確認しておく。
誰かがダンジョンを探索している間は魔物には命令を出すつもりはない。
僕はダンジョン内のどこに人間がいるのかを詳細に把握出来るのだから、直接命令してその場所に集合をかけさせれば数の暴力で圧殺出来るだろうが、それでは直接殺すようなものだ。
例え罪の意識から少しでも逃れる為の逃避行動であろうと、最初に決めた一線は守ると決めていた。
既に夜は明けている。
小部屋の中で侵入者を待ち続ける時間が途轍もなく長く感じられた。
まさか最初の探索者にボスを二体とも倒される事はないだろうが、ボスが倒されるまでに十分な命力を得られるかはまだ未知数だった。
屍の騎士が控える大部屋までは少しでも道のりが複雑になるようにと、墓所の中心を真っ直ぐ伸びる大通路からの分岐は塞ぎ、代わりに奥まった場所からの迂回路を掘っておいたが、どれだけ持つか……。
朝日が昇ってから一時間くらい経過すると、この町の警備兵と思われる人達が扉を開いたが、結局入口近くから中の様子を伺っただけで消えてしまった。
探索者は未だ現れないようだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
帝国南部都市カルカサ。
地平線から朝日が上がり、黎明の空が赤く色付き出した頃、カルカサにある官庁の一つでは多くの人間が忙しなく立ち働いていた。
四角形の箱のような無骨な建物の屋上にはバイツライト陸軍の軍旗が翻り、その付近には総勢六十人程の男達が住む兵舎や練兵場が併設されている。
ここはカルカサ守護局。
カルカサに駐屯する陸軍部隊を指揮する軍事拠点であり、専業兵士の管理や、兵役対象者への定期的な訓練、魔物や盗賊、侵略者等、外敵への備えを担う組織である。
局舎の一階にある円卓と椅子が置かれた会議室では、一人の女性と三人の男性が顔を突き合わせて話し合っていた。
「カロナーク総隊長、報告を」
この場を取り仕切るのは、扉から最も離れた位置に座るまだ二十代の若い女性だった。
黒い長髪を後ろで縛り、裾がスカートになったゆったりとした服を身に纏っている。
身につけているものは総じて上質であり、指輪やネックレス等、そう華美ではないものの無骨な兵士達がひしめく守護局にふさわしくない多数の装飾品を身に纏っていた。
それに答えるのは金色の豊かな顎髭を蓄えた三十代後半の男性。
このカルカサで生まれた叩き上げの軍人であり、この町に駐屯する全ての兵士達を指揮するカロナークである。
「はっ! 兵に総動員を掛けて、城壁を見回らせた結果、侵入経路となるような崩れや穴は確認されませんでした。 亡者の発生源が不明な以上は断言は出来かねますが、外部からの侵入は考えにくいかと思われます」
「そうですか。 ならば一先ずは、守護局の不祥事という事態は避けられそうですね。 外部からの侵入が否定的という事は、内部からの発生という事になりますが、帝国では死者は葬儀の後速やかに火葬する事が義務付けられています。 それでも、この城壁内に亡者が出現したという事は………、何者かが意図的に死体を放置したということでしょうか?」
「先程も申し上げました通り、未だ断言は……。 ですが個人的な所見としては仰る通りの原因である可能性が高いかと」
「宜しい。 それならば責任は警務局に……、あ、いえ。 意図的な亡骸の放置の取締は警務局の役割ですね」
「それは……、まあ」
カロナークは目の前の女性、カルカサ守護局の最高責任者、守護官ピサの発言に対して思わず眉を顰める。
都市の警備兵は志願した地元の住人で構成されており、一度隊に入ればその土地で兵士のしてのキャリアを終えることも珍しくない。
その為、兵士の忠誠心は中央の皇帝や官僚達よりも現場の指揮官に向く傾向にあり、かつて帝国が混乱した時期には、地方軍閥が離反して中央の意向を無視して動き出す事がしばしばあった。
現在ではその対策として地方の守護局のトップ、守護官の地位には中央から派遣された文官を置くことを定められており、ピサはまだ若いが四年前に帝試を通り、二年前から官僚として、このカルカサ守護官に任命された俊英だ。
実際に法律や財務に関する知識は深く、普段の守護局の運営や、兵役義務を持つ自由民を対象とした軍事訓練の手配等は、元々守護局に努めていた下級官吏の力を上手く借りて無難に回している。
「それでは、今後は衛兵も市内の捜索に振り向け、亡者の発生源を確定させてください。 まずは何にしても責任の所在を明らかにしなければなりません。 警務局に都合の悪い証拠の隠滅等されないように、彼らの動きにも目を光らせて」
「………了解致しました」
しかしピサには―――、彼女に限った事では無く中央から派遣されてくる官僚は皆そうだが、保身と責任の押し付け合いという役人根性が染み付きすぎていて、カロナークのような現場の人間からすると不満を感じる事も多い。
確かに外部からの脅威に対して備える守護局と、都市内部の犯罪の取締りを行う警務局では、同じ都市の防衛を目的としながらも責任範囲が異なっている。
しかし都市内に亡者が五体も発生するなど、明らかに尋常な事態ではない。
少なくともカロナークの人生においては経験の無い事件であり、非常時くらいは他の部局とも協力出来ないものかと思わずにはいられなかった。
その時、会議室の扉がノックされる音が響く。
ピサの隣に座る秘書官が、彼女に目配せをして了承を得ると、ドアの向こうに声をかける。
「入りなさい」
そこにいたのは衛兵の一人で、彼はまずピサに対して敬礼をとった。
「只今、警務局から連絡が入りました。 亡者の出現元と思われる場所を発見したと。 そこは北地区にあるカルカサ地下墓所であり、警吏が扉を開けた際、内部から亡者のものと思われる臭いと物音を確認したそうです。 魔物への対策は警務局の管轄にあらず、守護局に調査と脅威の排除を願いたし、とつい先程言伝が届きました」
その報告にピサは目を伏せ、指でテーブルを叩きながら何かを考える。
(考えるまでもなく、今すぐ衛兵を派遣して事態の把握と収束に努めるべきだろう。 ピサ殿は何を迷っているのだ?)
カロナークが怪訝に思いながらもピサの指示を待つ事一分近く、ようやくピサが口を開いた。
「確かに都市への魔物の侵入を防ぐことは守護局の責務ですが、内部で、しかも人為的と思われる要因で発生した魔物への対応は前例がなく、明確な規則が定められていません。 ここは中央に連絡を取り、指示を仰ぐべきですね」
「な、何を悠長な事を!」
カロナークはあまりに暢気な決定に、思わず声を荒らげた。
「街中で亡者が発生するという異常事態は既に民の間にも伝わり、不安が広がっていると聞きます。 我々が為すべきことは一刻も早くカルカサに対する危険を除くことではないのですか?」
その意見にピサは、物分りの悪い少年を諭すような曖昧な笑みを浮かべる。
「カロナーク総隊長、我々は兵士の命を預かる以上感情で動いてはいけません。 魔物は確かに脅威ではありますが、発生数は少なく、このような城壁内に現れる事は滅多にない。 もしあっても大型の昆虫程度であり、民間人でも駆除可能な強さだったので、今まで法整備を怠っていたのは中央のミスですね。 ですが、それでも帝国は法治国家であり武力の行使は、法に則らなくてはなりません。 ―――幸い、地下墓地への入口はたった一つ、扉を厳重に塞いでおけば内部に亡者が居たとしても封じ込められます」
「……はい」
剣の腕には自信があっても、無骨な軍人のカロナークが弁舌でピサに勝てる訳がない。
むしろ話を聞いているうちに、自分が間違えていたような気さえしてくる始末だった。
どこか釈然としないものを感じつつも、カロナークは部下に地下墓所の入口にバリケードを作り、厳重に封鎖する事を命じた。