第二話 カルカサの町
冒険の舞台としてのダンジョンを作る。
そう心に決めてから三日が過ぎた頃、ようやく町と思われる城壁に囲まれた場所が見つかった。
『ブック』と呟く事でいつでも出したり消したり出来るマスターズ・ブックにはこの世界の地図が乗っているし、その地図の上を動く赤い光点により自分の現在地も分かるようになっている。
しかし都市や町、村落の位置や、この世界にあるであろう国家の所在などは記されておらず、あくまでも大まかな地形図としてしか使えない。
街道に沿って歩いていけば小さな村落や農地等は幾つも見つかったが、ダンジョンを作る舞台としては満足出来るものではなかった。
まずは周囲を歩きながら観察してみる。
そこは高さ十メートル程の城壁で四角形に囲まれており、内部への出入り口と思われる場所には高さ十メートル、幅六メートル程の城門があって、多くの人間や荷物が出入りしていた。
城門の上には子供の胴体くらいはありそうな太さの丸太で組まれた巨大な落とし戸があり、あれで塞がれたら人力で扉をこじ開ける事は不可能だろう。
城壁を更に囲むように深い堀池が作られており、流れのない堀の水は生臭い臭いを放っていた。
見た目から大雑把に推測しただけだが、四角形を構成している城壁の一辺は、およそ五百メートルくらい。
日本人の感覚からすれば町としては狭いような気もするが、城壁に囲まれた町など見たことがないので、どれくらいが普通かと言われても分からなかった。
それに町の周囲には広大な農地が広がっていて、そこでは多数の人間が農具を手に働いている。
今まで歩いてきた土地に比べると人口密度が高そうだし、あの町は周辺住民の有事の際の避難場所としても機能しているのかも知れない。
城壁や門の作りは非常に頑丈そうで、軍事拠点として高い防御力を持っていると素人でも分かる。
これが地球であれば備えている相手は敵国の人間だけれど、この世界には魔物という存在もいた。
マスターズ・ブックに記されていたこの世界の基礎的知識によると、ダンジョンマスターはその能力を使いダンジョン内に魔物を生み出す事が出来るが、ダンジョンの外でも魔物は自然発生する事があるらしい。
環境中に存在する魔力―――、どういうものか良く分からないし詳しい説明もなかったので、取り敢えず不思議なエネルギーと思っておくことにした―――、が昆虫や動物などの生物、あるいはその死体に蓄積して肉体を変異させる事により魔物は生まれる。
この魔物は変異元の生物よりも強靭な身体能力や特殊な能力を持っており、他の生物が体内に保有している魔力を奪う事で、更に自分の力を増そうとする習性を持つ。
その習性故に、他の動物よりも多くの魔力を体内に保有する人間が優先的に狙われる事が多く、この世界の住人にとって大きな脅威となっているようだった。
でも、自然に魔物が発生するというのは僕にとっては都合がいい。
本来、魔物が全くいないのなら、僕がダンジョン内で魔物を作れば新種の生物という事で大騒ぎになり、想定外の事態に発展するかも知れないが、数は少ないが元々存在するというのなら比較的受け入れられやすいだろう。
それに僕が作ろうとしているダンジョンとは別だが、この世界でも特定の場所に異常に魔力が溜まってしまい、魔物の多発地帯になってしまうという現象が時折起こる。
特定の場所とは建物や洞窟、地下道の中といった閉鎖空間であり、魔力が溜まる原因としては多数の死体の放置や強力な魔物が住み着いた、などが多いようだ。
魔力は土や石の中を通りづらい性質があり、閉鎖空間の中では魔力が溜まりがち。
また、生物の死体は分解される過程で元々体内にあった魔力を少しずつ放出するし、魔物のその魔力量に応じて常に幾ばくかの魔力を体から出している。
この二つの要素の他に別の要因も含まれるらしいので、そんな環境が発生する条件が整う事はかなり稀だが、こうして発生したダンジョンの内部には魔力の影響を受けて変質した特殊な金属や植物、動物が生まれる事があるそうだ。
姿を消した上に浮遊により足音の対策も施した状態で町の中に入ってみれば、まず目に入ったのは高層建築。
門からまっすぐ伸びる大きな通りには多数の人が行き交っており、道路の両脇には四階から六階建ての建物がびっしりと並んでいる。
石ではなく煉瓦を積み上げて作られているようで、大体は規則正しい形でありつつも窓や入口を形作るアーチの縁は少し歪で、手作りの趣と異国情緒を感じさせる。
道路は塗装されておらず馬車の轍に泥水が溜まっており、水たまりを避けて道行く人の靴や服の裾も茶色に汚れていた。
どこからともなく排泄物特有の不快な刺激臭が漂ってくるが、耐えられない程強くはない。
以前呼んだ本では中世ヨーロッパの都市では、排泄物を道端に捨てていたと記述されていて、この世界も同じような状況かも知れないと思っていたのだが、衛生観念はそこまで酷くは無さそうだ。
臭いの元を辿ってみると、高層建築の一階部分の扉付近に、木の板で蓋をした大きな壺が置いてあり、強い臭いが発生している。
恐らくあれは建物の住民の排泄物の集積場で、一旦他の容器に入れた糞尿をあそこに貯めているんだろう。
通りを歩く人間の見た目には統一性がなく金、赤、黒と様々な髪色に、肌の色も浅黒い者や色白の者など多様だった。
男女の衣装も様々だが、男は白か黄色の上着一枚に、紐で留められたズボン。
女は上下一体となったワンピースのような衣装が多いような気がする。
今は温かい時期のようだから軽装なだけで、寒い時期になればまた違う服を着るのかも知れない。
誰も全体的に少し薄汚れた身なりをしているが、そこまで酷く汚れた者はいないようだ。
高層建築の一階部分は商店に使われている事も多く、通りには客寄せや値段交渉などの賑やかな声が響いている。
人にぶつからないように気をつけながら店を見て回るが、あまり高度な技術で作られているようなものは見当たらない。
やはりこの世界の……、いや、この辺りの技術力はそこまで高くは無さそうだ。
マスターズ・ブックの世界地図では、一つの大陸と幾つかの島だけが確認出来る。
大陸は東側が大きく抉れた三日月のような形状で、大陸に半円状に囲まれた水域には小さな島が複数存在しており、それとは反対側、大陸の西にも大きな島が存在している。
今いるここは大陸中南部の内陸部で、周囲は起伏の少ない平野を主とする地形だった。
他の土地ではどれくらい技術が発達しているのかは分からないが、少なくとも銃や高度な電気製品が出てくることはないだろう。
この世界では地球では火薬として扱える物質でも爆発現象を起こさず、魔力が電流に作用して電圧を不規則に変化させる事で、複雑な電子機器は使用不可能とマスターズ・ブックに書いていた。
僕にとっては、あまりに都合が良すぎて何者かの作為を感じるが、かと言って考えてどうなるものでもない。
少なくとも銃器や電子装備を相手にする事態は避けられるのだから、喜ばしい事だと思うことにした。
(さて、問題はどこにダンジョンを作るかだけど……)
ダンジョンを作る際の絶対条件は二つ。
建物や洞窟内など、石や土に囲まれた閉鎖空間であることと、出入口が一つしかないことだ。
ダンジョンの機能を使用可能にするには、ダンジョン内を常に高濃度の魔力で満たさなければならず、その為にこの二つの条件は必須事項。
もしもこの条件が満たされなくなれば、ダンジョン内の魔物はたちまち制御を失い暴走し始め、もしダンジョン内で人間が死んでも命力を吸収できなくなる。
もし建物をダンジョンにした場合、壁を破壊されたりすれば直ぐに無力化されてしまうので、作るなら洞窟を利用するか、自分で地下に穴を掘った方がいいだろう。
勿論、こんな都市部に都合のいい洞窟があるはずないので自分で作る一択なのだが、その場所の選択が問題だった。
人の目がある場所でダンジョンの工事を始めても、ダンジョンが完成する前に発見されてしまい、非常に拙い事態になる。
かと言って、人に見つかる心配のない場所というと、この建物が密集した町でそれを捜すのは難題だった。
下水道など、地下の構造物があればそれを使えばいいけれど、そういった物は見当たらない。
(参ったな……)
焦りながらあてどなく町中を彷徨っていると、いつの間にか随分外れの方に来てしまったようだ。
この辺りは門の前と比べると人通りは少なく店も無い。
そして、その一角に建物が密集したこの町では珍しい少し開けた場所があった。
白く光沢のある石で出来た碑が幾つか立ち並び、その表面には碑文が彫ってある。
この世界の文字までには自動翻訳が適応されないが、かと言って読む手段がない訳ではない。
『ブック』
マスターズ・ブックを取り出して、その中の多くの余白があるページを開くと、本を持たない左手を碑文に添えて『翻訳』と呟く。
すると本の余白の部分に、碑文に書かれた文章の日本語訳が表示された。
(バイツライト帝国貴族アースウェル家、七代目当主、クロッカ・ジール・アースウェル。
第二次プサイ征伐戦争の英雄にして、この美しきカルカサ建立の功労者にして初代カルカサ守護官、ここに眠る。
バイツライト建国歴127年10月、1の週、緑の日……か)
バイツライト帝国という単語が出てきたが、これは今いるこの町を統治している国家の名前だろう。
態々他国の貴族の墓を町中に建てるとは考えづらいし、暦も恐らくバイツライト帝国の建国を紀元としたもののようだ。
カルカサ、というのはこの町の名前だと思う。
つまりここはバイツライト帝国という国の中のカルカサという町であり、この広場は墓地なのだろう。
周囲を見渡せば他にも幾つかの精巧な彫刻が彫られた大きな墓標があり、広場の奥まった場所には四角形の箱状の建物と木の扉があった。
それが何か気になって扉の脇に付けられた横長の石に彫られた文字を翻訳してみると、カルカサ地下共同墓所とある。
(共同墓所……? これは、良いかもしれないな)
まだ昼間だというのに広場に人影は無く、この墓地自体あまり人が訪れない場所なのだろう。
それに地下の墓地ならば外よりは作業を目撃されるリスクも少ないし、ダンジョンを作る立地としては最適だ。
扉には鍵は掛かっていなかったが、明るいうちに入ろうとすれば周囲の建物から目撃されるリスクがゼロではない。
念の為に日没まで時間を潰してから、軋む扉を開けて墓所の中へと入り込んだ。
今の僕は闇の中でも目が利くようになっているから照明がなくても問題はない。
地下へと降りる階段を十メートル程下ると、水平に伸びる通路に行き当たる。
通路の幅は僕が両手を広げた長さの2倍といった所だ。
人が手を広げた時の両手の指先の間の長さは、身長とほぼ同じというし、通路の幅は3メートル強か。
それなりに広く、少し激しく動いても問題なさそうだった。
その太い通路から分岐するような形で、十メートルくらいの感覚を開けて左右に少し細い道が伸び、それらの道は先で更に分岐しているか、行き止まりになっている。
思ったよりも広い場所だ。
あの狭い町の中で、土地を最大限に有効利用しなければならない都合上、墓地は地下に作ることにしたのだろう。
壁の側面には無数の穴が掘られており、そこには小さな骨壷が収められている。
骨壷があるという事は、この町では死者を火葬で葬っているようだ。
マスターズ・ブックによれば死体に魔力が宿って、生者を襲う魔物と化す事もあるようだし、その対策だろうか。
骨壷は墓所の通路の壁に埋め込まれた物の他に、通路の脇に作られた小部屋に収められている場合もあった。
その内一つは幅五メートル、奥行き七メートル程で、部屋の奥に植物が彫られた祭壇があり、その上に骨壷が乗せられている。
溶けきったロウソクの跡や、元は何色かも分からない程に朽ちた大量の花が祭壇の上にあり、当時はその骨壷に収められた死者を弔う人が大勢いたようだけれど、部屋に積もる分厚い埃を見るにもう何年、いや、下手をすれば何十年も誰も訪れていないのだろう。
祭壇の上の白い石版には碑文が刻まれている。
特に有益な情報もないだろうけど、この部屋の現状を見て忘れ去られた死者の悲哀を感じた僕は、この部屋の主の事を知りたくなり碑文を解読してみた。
『白雷の騎士』スペイサー・ブロウズ
その剣閃は白き稲妻の如く、その咆哮は雷鳴の如し。
ユリウス・テイル・ミドクラス・バイツライトを主君とし、その生涯をかけて忠誠を貫く。
逆らい難き定めの中で反乱の将として逝けど、その戦いに一辺の曇りなし。
二十年の間、無銘の土中に骸を埋めるは、勇者にあたう礼儀では無し。
我が父にして先帝、ゼブ・ロウネ・ミドクラス・バイツライトの子にして、ユリウス・テイル・ミドクラス・バイツライトの弟、皇帝イニアスカの名の元に、スペイサー・ブロウズをここに葬る。
(……なんか、訳というかドラマがありそうだな)
この碑文だけでは全ての事情は分からないが、皇帝という名が出てきたという事は重要人物だったんだろう。
軽く手を合わせてから、僕は墓地の探索に移り、途中で何回か迷いながらも中央の太い道を目印にして、一時間半くらいで全体像を把握出来た。
基本的には中央の太い道が一直線に伸び、その両側に少し細い通路が分岐していく形で出来ている。
分岐した通路は先で更に分岐したりもするが、そこまで長く進まなくても行き止まりに突き当たる。
確認した所、出入口は地上の広場へと出るもの以外は無さそうだ。
(これって、そのままダンジョンに使えないかな?
通路の広さもまあまあだし、出入口も一つ。 内部構造もそれなりに複雑だし、少し手を加えれば行けそうな気がする……)
ここをダンジョンにするとしたら、配置する魔物は人間の死体が魔物化したタイプが雰囲気に合致している。
昔やったRPGでも地下墓地のダンジョンは鉄板だったし、直ぐにアイデアは浮かびそうだ。
それに人間の死体が魔物化した存在を仮にアンデッドと呼ぶが、アンデッドはこの世界でダンジョンを作る際の間合いを測る為の実験に使いやすい。
どこまでやるとダンジョンマスターの存在に勘付かれる危険があるのか、この世界の人間はどこまでの強さを持つのか。
言い方は少し悪いが最初に作るこのダンジョンは、最初に決めたルールは守りつつも、今後の活動の参考となる実験の場にするつもりだった。
(ダンジョンに欠かせないものといえば、魔物と宝とボスモンスター。 せめて少しでも探索者が興奮出来るような冒険の舞台としての浪漫溢れるものにしないとな……)