第9話 「レオ その②」
四苦八苦しながらチェーザレとレオがマリーノを邪魔にならないように道の端っこに運び終えると、遠くから親しげに手を振る人影が見えた。気が遠くなるスローモーションのような動きで人影はこちらへと向かってくるようで。
──5分後。人影はバルドだったようだ。
竹の生長スピードよりも遅い歩きで、ようやっと辿り着いたバルドは照れたみたいに顔を背ける。
「ガキども、早すぎやしないか? ……おいおい、そんな顔をしないでおくれ。儂が遅いのは知っとるから」
バルドは照れが収まったらしく、まっすぐにチェーザレたちを見た。すぐさま状況を理解して、頷く。
「マリーノ、いつものヤツで足に力が入らんくなったんか? ……ジジ先生は?」
レオと姉ちゃんを知っているようだ。
……あとで姉ちゃんがこの地方に来てからの話を聞いてみようか。
「仕事で海外……だそうだ。治まるまでここにいるわけにもいかないしなぁ」
「んん、お嬢から呼び出しがあるかもしれんし……」
ポリポリと頭をかくバルド。
なんだか、長くなりそうな話だ。
(眠くなってきちゃったや……)
マフィア達の話が終わるまで、レオと雑談でもして時間を潰そう。眠気を誤魔化すにはちょうどいい。
マフィア達から少しばかり離れたベンチで会話をした中で思い出したことが……。
「あ、そうだ。レオ」
「なんですか、チェーザレさん?」
「マリーノに飲ましてたヤツって結局、何だったの? 酒じゃないんだよね?」
言った。言ってやった。言ってしまった。
言わないでおこうと決めた【スピリタス】のラベルの中身について聞いてしまった。ついに。
……でも、今更言ったことは変えられないし。
自分の好奇心は抑え込むことなんて出来やしないのを、チェーザレ本人が1番理解している。
しょうがない、性分だもの。
「魔力過多に対する薬ですから、魔力を排出する鉱石と薬草を調合して煮詰めて蒸留したものですよ。マリーノは人魚族、水龍族、鮹頭族と人間の混血人で、後天性性転換症を持っていますから、その症状を抑える効果も出るようにしていますがね」
レオは真顔でつらつらと述べた。
混血人とは、まぁ、簡単にすると人間よりの怪物である。怪物と人間のハーフやクォーター、先祖に怪物がいる人間で怪物としての特徴が現れた人が該当する。
後天性性転換症? は知らないが、性別が変わる怪物は知っている。たぶん、そいつだろう。
? ──あれ? 思っていたよりレオの反応が軽い。
言ったら最後、殻の無い蝸牛でも見るかのような極寒の眼差しで貫かれるものと思っていたのに。
「さっき聞いたときはめっちゃおっかなかったのに……」
「そりゃあそうでしょう。あの状況でおっかなくならない方が無理ですよ。チェーザレさん、アナタの目的は何ですか? この島に来た目的ですよ」
「姉ちゃんに会うためだよ。前にも言ったよね?」
「えぇ。……お姉さんは『紅い豚』専属の医者だから組員になれば運が良ければ会えると、その時に言ったのを覚えています」
(……姉ちゃんが医師免許を取ったって記録はないけどね)
……医者ではあるが言葉の前に闇がつくような医者のようだ。そうでなければ姉ちゃんはマフィア専属の医者にはならない人だ。
「僕はお姉さんに恩返しがしたいんです。それにはまず、お姉さんを縛っている『紅い豚』からお姉さんを解放する必要がある」
「姉ちゃんがレオに解放してくれって頼んだの?」
頼まないでも、本人が自力で『紅い豚』を壊滅できるだろうが……ステゴロで。
「いいえ、僕の意志ですよ。『紅い豚』を乗っ取ってボスになれば、お姉さんに専属の医者を辞めさせられるでしょう?」
レオの声は落ち着いていて、予言や予告に似ている。まるで自分こそが世界の中心だとでも思っているかのようだ。
その自信に根拠はあるのか?
年齢も年齢だから根拠のない自信で天狗になっているのではないか?
……そんなの、チェーザレだって同じだが今は棚に上
げておこう。今はレオだ、レオ。
その自信に根拠はあるのか、ないのか。──試さなくては。
「まぁ、穏便に乗っ取れたら……だけどね。マフィアのボスになる、……乗っ取るってなると組織内部の序列も変わってくる。……抗争になるのは確実だよ? 死傷者だって少なくないだろうし。もし、成功したとしても裏切り者をずっと警戒してなくっちゃいけない」
これで、いいのか。
……もし、もしもこの場にいたのなら姉ちゃんはこんなことをレオに伝えただろうか。もしもの話だから、ありえないか。
がむしゃらに本音ばかり早口でまくし立てた。時に嘘も交じえて。
「──覚悟はできてる? 俺には姉ちゃんに会うためになんだってする覚悟はとっくの昔にできてるよ。──君はどう?」
女の子をナンパするのより、真剣だ。
滅多にないぞ、チェーザレがこんなにも真剣なのは。
チェーザレは縋るように見つめる。
覚悟さえできてれば、人生どうにかなるのだ。覚悟だけで人生が上手くいくはわけではないだろうけど。
「僕が、ですか? いきなり……ですね」
一瞬だけ、レオはほんのり鳥のように目を見開く。
ほんの一瞬。
パッと驚愕の顔から、実に穏やかな顔へと変えた。
「僕は馬鹿じゃない。覚悟もないのにそんなこと言いませんよ。『言葉』を無駄にしたくないのでね」
そんなつまらない質問をするなというように、レオはしゃんと胸を張っていた。
「ただの雑談だよ。暇つぶし」
真剣半分、雑談半分。
そんなものがちょうどいい。
「ハァ?」
レオが今、忌々(いまいま)しそうに顔を歪…………ませてはいない。うん、いない。いないったらいない。
悪霊も悪魔も退散する、とんでもないツンドラ顔のレオなんていない。見ていないから、いない。
バッとすぐさま目をそらしたから、見ていない。
チェーザレは顔を真っ青に、冷や汗ダラダラ。
(……姉ちゃんが弟子にしたのも分かる気がする)
──姉ちゃん、反省しない人だったもの。レオだったら怒るとおっかないから、姉ちゃんでも反省するだろう。そりゃあ、弟子にする。
〇●〇
ずっと睨みつけるレオと、ビビって動けなくなっているチェーザレ。2人が一緒にいて、何も知らずに見たら、2人を険悪な恋人に勘違いする者もいるだろう。
チェーザレが自分よりもレオが背が高いと感じたのは、レオがヒールブーツをずっと履いていたからだ。
今日のレオは中性的で体格が分かりづらい服装をしている。レオ本人も中性的な雰囲気で女顔だから、何も知らなけれぼ女の子に見えるだろう。それもとびきり可愛い女の子に。
とにかく、チェーザレ達の国、……特にレオ達の住む地方、ネーロネーロ地方の人間は女性に対してわりとストレートというか……。──性別が女、というだけで節操なく口説く。まぁ、そうでない者もいるにはいるが多くない。
チェーザレのように、ナンパをする男がいて。
可愛い女の子に見えるレオがいる。
──勘違いして、レオをナンパするヤツがいたっておかしくない。……もっとも、ナンパするのは女にかなり飢えている現実が見えていないヤツだろうが。
………………。
…………。
……。
あれは何だ? ちょっと席を離したらなんか、なんか……。
おかしいぞ。……色んな意味で。
「お嬢ちゃ~ん、いいじゃ~ねぇ~かよぉ。いい夢見せてやるぜぇ~」
「やめてください! 警官呼びますよ!」
嫌がるレオと……絡む、上等なスーツを着て眼帯を付けた蜥蜴人間。スーツが上等すぎて逆にスーツに着られている。
蜥蜴人間の方は「お嬢ちゃん」とレオを呼んでいるから、女の子と勘違いしているのだろう。
マヌケなヤツだ。よっぽど、女に飢えているのだな。
(俺がトイレに行ってた間に何があったの!? つーか、あの蜥蜴人間どんっだけモテないんだ……レオ口説くって……)
同族を口説いた方が、いいんじゃないか。
………………いや、止めておこう。
同族にモテないから人間を口説くんだろう。
可哀想なヤツだ。
ヤツがどんなヤツかは知らないし、チェーザレはヤツにはなりたくもないしなれない。けれども、同情はする。気の毒なヤツだ。
「オレの音楽はこの世で1番! いや、あの世でだって! あの世に逝っちまうんだ、オレの音楽を聞いたヤツらは、みんな!」
よくよく見たら……ギターを、ギターを持っている。
音楽を、やっているのか? この蜥蜴人間が?
耳なんか無いのに!
チェーザレも音楽をやっているから、聞いてもらいたい気持ちは分かる。無理やり聞かせたいとまでは思わないが。
「だから、聞きたかないって言ってるでしょ! 耳聞こえないのか、アンタ!」
「ハッハッハッ! 面白いこと言うなぁお嬢ちゃん! 蜥蜴人間に耳なんかあるわけねェだろ!」
「聞こえてるじゃないか! いい加減にしてくれ! 人を待ってるんだ!」
「待ってる間でいいから! 少しでもいいから聞いてくれ! オレの歌を! オレの音楽を!」
しつこい。しつこすぎるぞ、あの蜥蜴人間。
そろそろ止めなくては。レオが本気で嫌がっているし、蜥蜴人間の歌は人間を殺してしまう。多くの怪物の音楽でも人間は死ぬが、特に蜥蜴人間の歌は絶命するまでのたうち回る程だという。
だが、あの蜥蜴人間…………何かが…………。
「誰が聞くっていうんだ! アンタの音楽なんか! 怪物の音楽なんか! 誰も聞きやしないさ、怪物のアンタの歌なんか! 死ぬかもしれないんだから!」
レオ、それは……。
姉ちゃんの弟子だったのなら、そういうのは絶対に言っちゃあいけない言葉だ。姉ちゃんの誇りのために。
チェーザレの家族の弟子であるのなら絶対。
絶対に、言っちゃあいけない言葉だった……。
「それでもだ! 聞いてくれ! オレの……音楽を…………」