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第8話 「人魚、マリーノ」


「ハァッ……ハァッ」


 島の端から端まで、上も下も、走って走って逃げて逃げ回れば、諦めるんじゃないかって。


 ずっと、ずっと走り続けて。

 ずっと、ずっと逃げ続けて。


 それでも、追跡は終わることはなかった。


 もしや、追っ手もチェーザレの体力が尽きるまで追いかけ続けるつもりなのか?


 いや、余計なことを考えるんじゃない。

 ただ、走れ。


 しかし、どんなものでも終わりは訪れるもので……。


「あっ!」


 ──チェーザレにとっての終わりは、ヌルヌルして湿っていて吸いつく、アレ。キツくキツく肉を締め付けてくる、アレ。


 ────触手である。

 1番上の兄ちゃんが持っていた日本の『ドウジンシ』で女の子に絡んでいたスベスベしたのではなく、もっと身近な。

 ──タコの、8本ある触手。その内の2本。

 そいつらに、とっつかまった。


 しょうがない、仕方ない。

 突然現れた木の根に足を捕られてしまったら。

 誰だって、転ぶ。


「うおおおおぉぉぉぉッッ! いたたたたたッ! 痛いって!! 離れろ! 離れろってば! クソッ! 離れないッッ!」


 暴れれば暴れるほど、吸盤が骨を砕かんばかりに吸い付いてくる。


 どうにかして、この触手から逃れる方法を考えなくては!


 今は2本の触手が絡んでいるだけだ。


 ──だが! 

 触手が全て襲ってきたら?

 触手に込める力がちょいとでも強めたら?

 触手が絡む場所が、例えば首なんかに変わったら?


 ──死んでしまう!


 怪物ではないチェーザレは弱くて、(もろ)い。

 魔術師とはいえ、身体強化の魔術ですら使えないチェーザレは、はっきり言ってただの人間と同じレベルだ。


 人間を超える能力を持つ怪物に適うわけがない。

 どうにかしないと死んでしまうから、どうにかするしかないのだが。


 女性と子供には攻撃しないと、爺ちゃんの名に誓っている。

 だが──。


「ごめんね、『Cin Cin』!」


 照準も合わせずに、一発。

 この至近距離だ。外すはずがない。


 爺ちゃんの名を汚すことになりそうだが、おそらく正体は男なのでノーカン……ノーカン。セーフ。

 

 追跡者は絡んでいた触手だけ残して吹っ飛んでいた。


(ちょっと強すぎちゃったか?)


 人型のものを吹っ飛ばしても殺傷する威力はないが一応。


 潰れたトマトみたいになっていないか、一応、確認しなくては。……もし、なっていたとしたら、トラウマになりそうだ。


「あーっ……えっと……大丈夫? ……なわけないよねぇ……」


 大丈夫な訳がないのは一目瞭然だが……。 

 吹っ飛んだ衝撃で目を回しているようだ。……怪物の頑丈さを信じよう。そうしよう。


 追跡者は女性の姿のマリーノによく似た顔の怪物であった。

 腰から下は魚。太くて長々としてまるで、リュウグウノツカイのようにグロテスクだ。


 その他はほとんど人間そのものであった。

 ──頭部を除けば。

 両頬には魚のエラ。

 追跡者の頭部には絡んでいた触手と似たようなタコの触手が生えている。髪と同じような生え方をしているから、この触手が追跡者の髪と考えていいだろう。


「チェーザレさん! やっと、追いつきました……」


 息を切らして走り寄ってきたのはレオ。


「レオ! 遅かったねぇ、どうしたの?」


「遅かったねぇ、……島中走り回った僕に言う言葉でしょうか? ……流石姉弟(きょうだい)、そっくりだ。別に気にしないですけど。気にしないですけど……ね~ぇ……」


 「ふざけるな」とでも言いたそうな視線を無視する。

 言いたいことがあるのなら言えばいい。


 流石姉ちゃんの弟子、そっくりだ。


「姉弟だもん、そっくりに決まってるじゃん。そんなことよりさぁ、レオって姉ちゃんの弟子なんでしょ」


「弟子ですが、何か? ……今はそれどころではないでしょう」


 レオは興味無さげに溜め息を1つ。

 倒れ込んだ怪物に一瞬、視線を走らせる。


「アンタ、何やってるんです。マリーノ、ぶっ倒れちゃってるじゃないですか」

 

 速攻でバレた。隠していたわけではないけども。


 やっぱり、触手の怪物はマリーノだったのか。

 マリーノは怪物ではないかと疑っていたが、正体はこんなにグロテスクでエロティックな怪物だったとは。


 怪物は恋愛対象ではないから、女性の姿のマリーノとは世間一般で言う男女の関係になることなんてないだろう、多分。


「症状からして、ただの魔力過多……。撃つ魔力の量を加減してください。……マリーノが許したって彼の部下、かなり厄介ですから」


「いやぁ俺、手加減苦手なんだよねぇ。それに、先に攻撃してきたのコイツだし」

 

 レオは無言で背負っていたリュックから瓶を取り出し、蓋をかっ飛ばして問答無用でマリーノの口に突っ込む。


「お、おい……そんなもん飲ませていいの?」


「はァ? 何、馬鹿なこと言ってるんですかアンタ」


「いいんデスネ……ハイ…………」


 やめさせようと手をのばしたが、レオの剣幕に即引っ込めた。子育て中の母熊よりもおっかなかった。


 (こぼ)れる量よりも減る量のが多いので、とりあえず飲んではいるようだ。


 待てよ。【スピリタス】とラベルが貼ってあるような……。

 見間違いかもしれない。疲れているからだろうか。


 うん、もう一度見てみよう。


 瓶のラベルは……【スピリタス】。


 ……もう一度。


 【スピリタス】。

 何度見したって、変わらずに【スピリタス】。 


(見間違いじゃなかったかー! 見間違いであってほしかった……。レオは【スピリタス】を知ってるよな? 知らなくて飲ませてたらレオが人殺しになっちゃう。自称だけど、姉ちゃんの弟子って言ってるし……人殺しにさせちゃあいけない!)


 もちろん、魔力過多に対する対処法は知っている。

 酒を使う必要はないし、【スピリタス】なんて使うことはない。


 【スピリタス】、ポーランドの世界一度数の高い酒。現地では果実酒を作るとか医療用に使うようなものだ。飲んでいる最中火気厳禁な上、スピリタスショット、なんてのはありえない。


 怪物は酒に強いと古今東西の物語で決まっているし、事実だが……【スピリタス】は無理だろう……。


「チェーザレさん、アンタ……どうやら勘違いしてるようです。これ、【スピリタス】ってラベルですけど、中身は違いますよ……」


 空になった瓶をリュックに戻しつつ、呆れ顔で舌打ちされた……ような気がした。


「うぇ!? ゲホッッゴホッッ!!」


 突然、とんでもない量の煙がマリーノから吹き出す。


 ひどい臭いの煙だ。

 スウェーデンで食べたシュールストレミングのがマシなんじゃないか。


「口を塞いだ方がいい……ってもう遅いですね」


(レオ、ちゃっかり後ろに下がってたのね……)


 中身は違う? 【スピリタス】ではないのか。


 確かに、いかに世界一度数が高かろうと魚は溶けない。


 瓶が空になってから、マリーノの磯臭(いそくさ)い部分はトロトロに溶けている。頭も腰から下も全部。


 しゅわしゅわと音を立てて。

 臭い煙を大量に出して。


 煙が収まる頃には、何事もなかったように眠っているような男の姿のマリーノがいた。


「マリーノもふざけないでくださいよ。気絶なんてしちゃいないでしょう」


 冷めた目をしたレオがリズミカルにつま先でマリーノを小突く。


 1、2、3。1、2、3。


 よくよく観察すると、マリーノの口元にある意地の悪い笑みが小突かれるごとに増している。レオは観察なんてしていないようだから分からないようだ。


(意識はあるんだ、よかった。悪戯(いたずら)できるくらい元気なら問題なさそうだな。……ヤバい。安心したら面白くなってきた、この状況)


 笑ったらレオに変な目で見られるかもしれないから、頬の内側を必死に噛んで堪えよう。


(レオ、マリーノの顔。顔ーッ! クフフフ……。言わないけどね)


 1、2、3。1、2、3。


 ──4。小気味のいいキックの炸裂音。

 堪忍袋の緒が切れたのか鳩尾(みぞおち)に渾身の一発をお見舞いしたらしい。


「いい加減起きなさい。通行の邪魔です」


 マリーノはグエッと(うめ)き声を腹から出して、パッチリと目を開ける。


(レオ、俺には手加減してくれてたんだね)


 レオに股間を蹴られたら、なんて……想像もしたくない。

 レオを怒らせないようにしよう。

 チェーザレは遠い目をしながら(ちか)う。

 ……【スピリタス】については何も言わないでおこう。


「レオはいつも引っかからないな。……本当にティーンなのか? 俺の部下もお前の師匠もいつも騙されるんだが」


 つまらなそうにしてマリーノは泳ぐような仕草で立ち上が……れない。立ち上がろうと努力はしているようだが、立ち上がれない。


「ティーンですよ。そう、見えなくってもね。今年で16になります」


 長い沈黙。


 不思議そうに首を傾げるレオと真っ白に燃え尽きたマリーノ。おまけのチェーザレは2人の関係を知らない。


「すまないが……会話を楽しむ余裕がない。──立てないんだ、全く。足に力が入らない」


 マリーノのダラリと伸ばされているよく鍛えられた長い足は、ピクピク動かしたり横にスライドさせたりなんかはできている。だが、レオやチェーザレが膝を立たせてみてもすぐにベしゃんと崩れ落ちてしまう。


 どんなにやったって変わらない。マリーノが立つことはなかった。


「すまんな、レオ。いつものヤツだ。お前の師匠は……いったいどこにいるんだ? お前1人だけを寄越すことは今までしなかっただろう? その弟はいるようだが……ジジ先生はどこだ?」


 何も知らないのだ、マリーノは。


 レオがある女を1ヶ月、姿を見ていないことを。

 姉ちゃんが2年前、チェーザレの前から姿を消したことを。


 ジジ先生。──ジジ・ブルネッティ。

 これは姉ちゃんのこの地方で使っていた名前だろう。


 姉ちゃんの名前は、イルージャ・カンパネッラ。


 ジジというのはイルージャの愛称だから、そこからか。

 ブルネッティはこの地方では、『ブルネットの』という意味の言葉になる。姉ちゃんもブルネットだった。


 つまり、この地方では姉ちゃんは──『ブルネットのジジ』ということになる。なるほど、本人は偽名っぽくしようとしているが偽名になっていないところがまさに姉ちゃん。姉ちゃん本人しかこんな間抜けなことやらない。


 チェーザレはマリーノに本当のことを言えなかった。弟の自分が言う方がいいはずなのに……何故かロが動かなかった。


 頭が強い酒を飲んだ時よりも(しび)れて物事が考えられない。きっと、【スピリタス】をスピリタスショットで飲んだってこんな風にはならないはずだ。


「お姉さんは1ヶ月近く仕事で海外に行ってます。日本と台湾に行くって言ってたかなぁ。お土産、大量に買ってくるとも言ってましたから期待していいと思いますよ」


 恥ずかしいが声が出ないチェーザレの代わりでレオが言ったのは、優しい嘘。


 姉ちゃんならありえない話でもない。2年会っていないから、今はどんな人間になっているのかは分からないけれど。


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