第7話 「女、マリーノとバルド」
「それでは、チェーザレさん、部屋のキー貸してください」
「いいよぉ~! あるんだったらどんなんか見たいし」
簡単に部屋のキーを放り投げて渡してから、ようやく気づく。
──待てよ。今、部屋はどんな状況になっている。と。
昨日の夜は美女2人だったから良かったんだが、今朝には男2人になっていた。いや、どちらにせよ部屋はとてもレオには見せられるものではないのだが。
完全に不意打ちで気絶させたんで、その負い目で部屋に連れてきたが、やめておけばよかった。あの趣味の悪い建物に置いて帰ってくればよかった。
そう。後悔なんてしたってやってしまったものはしょうがない。恨むぞ、昨日の自分。
レオを全力で止めるか。気絶させるか。
気絶させるにしたって、魔力だけというのは面倒でしかないし。
そんな時は────。
「待って待って待って、待って待って!」
浮気のバレたクズ男のように、レオの足に縋りついてしまえばいい。
これで実際、爺ちゃんと父さんと兄ちゃん達はどうにかなった。歴代のガールフレンドには足蹴にされたが、男には利くはず……多分。
「なんなんですか! あぁ、もう! 歩きづらい!」
「やっぱり駄目! 散らかってるから!」
「僕はお姉さんで慣れてるんで気にしません! 退いて!」
「俺が気にするんだよ! あと、姉ちゃんがごめん!」
「謝罪するくらいなら離してください! 邪魔!」
「それは無理!」
「アンタがいいっつったんだろ! 一度言ったことは守れ!」
「守らない!」
レオは苦情を叫んでいるが確実にゆっくりと足は進んでいる。チェーザレは全体重をかけているのに、どんな脚力をしている。
怪力すぎではないか。
本当に人間なのか。
人間卒業試験合格者ではないのか。
引きずられる。引きずられてしまう。
ズルズルズルズル、ズルズルと人間モップになって全身で床を綺麗にしてしまう。
服もブランド物のお洒落なヤツなんだぞ。
レオ、お前は弁償できるのか。高かったんだぞ、この服。
駄目だ。部屋のドアの前まで来てしまった。
もうおしまいだ。
レオとチェーザレの友情も。
チェーザレの将来も。
面倒ってだけで魔力をぶっ放さなかったのがいけなかったか。
(アイツらが部屋を掃除してくれて……服も着てくれてたら……いいんだけど……)
あぁ、レオがキーを差し込んで。
ガチャリ。鍵が、鍵が開いてしまった。
ノック、ノック、ノック。レオがドアをノックする。
ドアが開く。開いてしまう。
「お兄さん方~ぁ入りますよぉ~…………」
──レオの足が止まった。
部屋の中へと入らずにずっと立ち止まっている。
(どうしたんだろ? もしや、2人ともまだ全裸なの!?)
そんなもの好奇心旺盛なチェーザレが気にならないはずがない。
レオの足を思わず離して、部屋の中をひょいと覗き見る。
中では全裸で男のマリーノとバルド。……ではなく昨日の夜の美女2人。
服は着ているけれど露出度が高い。思春期のレオとチェーザレには刺激があまりにも強すぎる。
「あぁ、レオか。どうした?」
どうしたはお前にそのまま返そう。
今朝は男だったのに今度は女になっている。
怪物の中に性別が変わるものがいるだけで早計過ぎるか。マリーノは人間で男だ。
目の前の女がマリーノという名の別人かも。マリーノは大して珍しい名前ではない。
「どうしたもこうしたもないですよ。なんで女になっているんですか」
マリーノが前から女になれることを知っていたのか眉一つ動かさずに、チェーザレを蹴飛ばす。
「たまたまそういう気分だったってだけだ。バルドもな。バルド、なぁ、そうだろ?」
バルドは骨ばった手に備わった細長い指で無造作に、適当な塩梅で煙草を掴んで唇に運ぶ。ふっと吸い込み、天井に向かって長々と白銀の煙を吐き出した。
輝きのない瞳がチェーザレを見据えていた。瞳の中には獣には無い感情の泡が浮かんでは消える。
「儂は別に……起きたら女になっとったってだけだし。いつも勝手にこうなってるんで、気分でどうこうってのはないよ。マリーノもそんな冗談言ったってしゃあないだろ」
乱れた髪を鬱陶しそうに掻きあげるバルドの首筋にチラリと何かが。タトゥーのようだったが……。どこかで見たようなデザインだったような。
(あれによく似てたなぁ。デザインだから似ててもおかしくないんだけど……)
小さい頃、同じく魔術師の爺ちゃんと魔力がどのように体にあるのか? と実験をしたことがある。
チェーザレの魔力回路(魔力を全身に行き渡らせる回路)を皮膚に浮かび上がるもので、魔術を扱うのが家族の誰よりも下手だったチェーザレに爺ちゃんが魔術について噛み砕いて教えるためにやった実験だった。
その時に浮かび上がったチェーザレの魔力回路によく似ている。
(もし、俺の魔力回路だったらヤバいぞ……。兄ちゃん達だけじゃなくて父ちゃんにも母ちゃんにも怒られる! 姉ちゃんにも……会えたら、絶対怒られるだろうし。……でも、違うかもしれないしなぁ)
唸る。「ウーッッ!」と水を沸騰させたヤカンのような声が出た。
チェーザレの魔力回路がバルドの首筋のタトゥーのデザインになっているのであれば大問題。魔術師の世界を揺るがす大スキャンダルになりかねない。
「どうかしましたか?」
レオだけだ、心配してくれるのは。
「バルド? だったっけ」
チェーザレの言葉が震えまくって、部屋中に響きまくる。
「えぇ、儂の名はバルド。バルド・アッカルドと申します」
良かった、合ってた。
間違ってるような気しかしなかったのに。
「ちょっとだけ首筋、見せてくれるかな? あっ、ヘアゴム貸したげる」
誰のものかも分からない部屋の机の引き出しにあったヘアゴムでも無いよりはいい。チェーザレが使うわけではないのだから衛生面を気にする必要もない。
「首筋? あぁ、コレか。今朝、マリーノに言われて気づいたんだが身に覚えがなくってな」
バルドは慣れた手つきでひとつにまとめて、真っ白な首筋をチェーザレに見せつける。
首筋にはタトゥーなんかじゃない、もっと別の……。
タトゥー以上にヤバいもの。
──皮膚の下から浮かび上がっていたのは雛菊、別名はデイジー。どこかで見たような、ではなく確実に見たことがあった。
今もチェーザレの体内にある魔力回路に、瓜二つ。
魔力回路はひとつとして同じものはない。
双子だろうが親子だろうがクローンだろうが、似ていても細部は違う。移植をしたのであれば、また別の話になってしまうが……基本的に同じものはない。
チェーザレの魔力回路はチェーザレしか持っていないのだ。移植だってしていない。
そもそも、チェーザレとバルドに血縁関係はないはずだ。
遠い祖先での繋がりはあるかもしれないが、実家にある家系図にバルドの名はなかった。
「たしか……儂だけじゃなくマリーノも今朝、出てたって」
マリーノも?
いや、バルドが出ているのならマリーノに出ていたっておかしくはない。チェーザレとしては大問題なのだが。
チェーザレの魔力回路が浮かび上がったということは……つまり、マリーノとバルドを娶った、妻にしたということで。知っている限りではバルドもマリーノは男で、それを妻にしてしまったことになる。
魔術師は多夫多妻制だし、重婚は問題ないと言われれば問題ないのだ。けれど、チェーザレは1人の女を決めたらその人とずっと一緒にいたい。そして、問題はそこではない。
チェーザレは同性愛者を差別はしないが、同性愛者ではないのだ。普通に可愛い女の子が好きだし、柔らかいおっぱいもふっくりした太ももも大好きだ。
今はバルドもマリーノも可愛い女の子だけど、元の姿は厳つい野郎。野郎は守備範囲外だ。
「俺は胸に、だけどな」
シャツをはだけさせたマリーノの胸には、やっぱりチェーザレと同じデイジー。
ぎゅうっと胃が痛くなった。マリーノまでとなると責任がとりきれない。
「あはは……俺、トイレ行っていい?」
顔を青くして、全力でダッシュした。この場から逃げられるのだったら、何だってした。
○●○
──なのに、何故、憑いてくる。
逃げ足だけなら、誰であろうと負けやしないのに。
背後に誰かいる。
振り向いて確かめる勇気もない。
振り向いてしまったら最後、どうなるんだか分からない。
だから、「帰ろう」って言ったんだ!
ドラッグの匂いがするなんて碌なトコじゃないんだから。
チェーザレもマリーノとバルドに手も出したし、撃った。
手を出したのはアイツらのが先で。
撃ったのは自分とレオを守るため。
自分は悪くない。
いや、誰が悪いとかこの際どうだっていい。
逃げて、逃げて、逃げろ!
逃げなかったら、殺される!
走れ、走れ、走れ!
疲れてなんかいられない!
壊れるまで動き続けろ、我が足よ!
走れ! 走れ! 足を動かせ!
姉ちゃんに生きて会いたいのなら!
宿から飛び出たって追ってくる。
追いつかれてはいないが、いつかは追いつかれてしまうから。
走れ。
人間も犬も猫も怪物だって、蹴散らして。
「あのクソヤロウッ! オレの一張羅のスーツ汚しやがった!」
「ギャンッッ! ……ウーッッ! バウッバウッッ!」
「ウニャーゴォッ!」
「ウギャアアアァアァッッ!! 俺様の尻尾を踏みやがったッッ!! このマリオ様を知らねェってのかッッ!! ぶっ殺すッッ!!」
フェラーリ、ポルシェ、ディオに自転車、走る道路をただ走っていく。ブーイングなんて気にしない。
気にしてる余裕なんてない。
ただ逃げるだけ。それしかできない。
魔力をぶっ放すにしたって、振り向いて照準を対象に合わせなくてはいけない。走りながら照準を合わせるなんて器用な芸当はできやしない。
走って逃げるだけしか選択肢はないのだ。
(逃げてばっかだ。昔から、ずっと)
走って、走って、走って。
逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げた。
走って逃げるしかなかった。