第6話 「レオと姉ちゃん」
結論を先に。
朝まで眠れなかった。美女2人に朝まで付き合わされた。
眠ろうとしたらどちらかに叩き起こされ、また、どちらかが眠ろうとしたらもう片方に叩き起こされ………………。
両手両足の指の数じゃ足りないくらい繰り返したところ、やっと美女2人の体力も尽きて眠りに落ちた。チェーザレも2人が眠ったところを確認して、やっと眠った。
長かった夜は終わって、空は明るくなっていた頃であった。
残念ながら、眠れた時間はたったの5時間。
それ以上眠るのはチェーザレの生活リズムが許さなかった。
おかげで、体はボロボロ、心もクタクタ。
疲れがすぐにくるのはチェーザレが若いからか。
そうであるなら兄弟の中、最後に産んでくれた両親に感謝しなくてはならない。
「……う、うぅん。うぉ~~……」
天まで届く大あくびをして体を起こしてみれば。
全裸の青年が2人、チェーザレの両隣に眠っていた。
マリーノと丸眼鏡を外した男、丸眼鏡の方はバルドと呼ばれていた方だろう。
嫌な仮説が正解だったというわけだ。笑えない。
ほんの少しだけ良い思いはしたが、昨日のことは悪い思い出になってしまいそうだ。時間が苦い思いにはしていくだろうが、今は最悪の気分でしかない。
少年チェーザレ、人生最悪の目覚めである。
「おはようございます。チェーザレさん、昨日はよく眠れましたか?」
「おはよう……。うん……よく……眠れたの……かなぁ?」
チェーザレは平常運転のレオに力無く答える。
部屋の外でぼんやりと天井の染みを数えているところに現れたのは、いつもと変わらないポーカーフェイスのレオだった。
「俺、今日そんなに顔色悪い?」
「顔は悪くない方なんじゃないですかね」
「うん、俺が言ったのは顔色だよ。顔がいいのは知ってる」
「そうですか、顔色は……。もう!」
「えっ! ど、どうしたの?」
「鏡を見たらどうです? そっちの部屋は確か鏡はありませんでしたよね? よかったら、僕の部屋の姿見を使ってください。みっともない姿をおじいちゃんとおばあちゃん見られたくないでしょう?」
「そこまで頭、回ってなかったよ、俺。ありがと。悪いねえ」
「いえいえ。お互い様ですから」
昨日のことなんかまるで無かったかのように平気にしているレオからすれば、チェーザレの顔色は悪く見えるようで。
しかし、レオの部屋の姿見に映るチェーザレの顔色はそれはそれは悪かった。こんな恥ずかしい姿見られたくはない。
似合わない無精髭。
髪だってボサボサ。
肌も荒れている。
最悪だ。
食事のときだけ魔術で誤魔化して、どこにも行かずに部屋でじっとしていよう。
「『見た目を(ウォロー・)取り繕え(イェオ・ヘァタミ)』……。こんなもんか、俺の元の顔には及ばないけど上出来!」
久々に呪文なんて使ったから、勝手が分からない。
こんなものだったか。まぁ、魔術の才能なんかないんだから、多少失敗してたって気にするものか。
ダ!
ダ!!
ダ!!!
ダ!!!!
ダ!!!!!
バタァン!!!!!!
勢いよくドアを壁に叩きつけたのは焦っているんだか焦っていないんだかよく分からないレオ。チェーザレはこの数日で慣れたが、どうやら焦っているらしい。
「お邪魔します!」
「うぇっ! 何!?」
凄まじいレオの勢いにチェーザレは目を丸くする。
「チェーザレさん、大変ですよ!」
「その前にちょっと落ち着こ? 深呼吸だよ、深呼吸」
スウ、ハァ。レオは大人っぽいようで意外と子供っぽい。
「おじいちゃんとおばあちゃんが……本土に行くので今日から二週間いないんです。理由は聞かないでください」
「いや、理由は聞かないけど……マフィアになったって、その期間は決してバレないってこと?」
「そういうことです。僕の目的は『紅い豚』を乗っ取り、ボスになること。アナタの目的はお姉さんに会うこと。そのお姉さんも『紅い豚』の専属の医者。『紅い豚』のメンバーだ」
「ちょっと待って。お前の目的なんて初めて聞いたんだけど」
チェーザレはレオの言動を思い出す。しかし、当然のようにそんなことは1つとして言っていなかった。
さらりと言いやがったが、レオ。結構な爆弾発言である。
「言ってませんからね」
「あぁ~……レオは姉ちゃんの弟子だったんだろ?
─―姉ちゃんが『紅い豚』のメンバーだってこと知ってるんだ? 姉ちゃんは一般人を巻き込むのは嫌いだし、弟子だっていっても関わらせないんじゃないかな」
10年以上も姉弟をやっているのだから姉ちゃんの性格は熟知している。あの姉ちゃんがたったの2年で性格も性分もがらりと変わるなんてことあるはずがない。
「義父も『紅い豚』のメンバーだったってだけです。もっとも、義父はただのチンピラでしかなかったんですがね」
「……なんか聞いちゃいけなかった?」
「いえ、別に。──それよりもです!」
マフィアとかよりも重大な問題があるのか。
地震か? 雷か? 火事か? それとも親父か?
例えで出した面子ならチェーザレの魔術でどうとでもならないが。
「朝食用のパンが切れてました。これは一大事ですよ」
くだらない。あまりにもくだらない。
チェーザレの顔色が悪いと言っておきながら、そんなくだらないことで大声を出すんじゃない。
自分で買いに行くとか作るとか、その、なんとかすればいいじゃないか。
「えぇ……? 自分でどうにかできるよね、外食とかさあ」
「外食しようにも今日この島で開いてる店の方が少ないですよ。昨日の夜、マフィアと怪物連中との抗争があったみたいですし」
「つまり? 何が言いたいの?」
眉間に皺を刻めば、レオは天使のような微笑を浮かべる。
「朝食、作ってくださいませんか? 久々にお姉さんのレシピが食べたくなりまして。僕が作っても同じ味にはどうしてもならなくって。レシピはお姉さんがノートに書いて渡してくれたので残ってます」
なにが一大事だ。素直に「朝食を作ってくれ」と言うだけでいいのにまどろっこしい。可愛いとは思うが、それはそれとして腹は立つ。
(うぅん……作ったっていいけど、姉ちゃんのレシピってことは日本式でしょ? 朝からしょっぱいのはなぁ。マリーノと……誰だっけ? バルド? にも持っていってやらないとだし。……俺らの口に合うかな)
まったくもって、ひねくれた天邪鬼のような少年である。こんな少年を姉ちゃんはよく弟子にしたものだ。
基本的にチェーザレ達の国では、朝はビスケットかコルネット(クロワッサン)をカプチーノかカフェラテで食べる。もしくは、朝と昼の間に軽食をつまむ。
朝食は決まって甘いものを食べるのだ。例外はない。
理由なんかは特にないのだが、チェーザレ達に流れる先祖の血が「朝食は甘いものを」と求めるのである。それに逆らってまで甘いもの以外を食べる理由もない。
朝から塩気のあるものを食べることは、フルコースに満干全席、デザートには巨大チョコケーキをホールで食べることと同じくらい論外だ。
──だが、不思議とゲチモノ料理を作るような気持ちにはならない。やる気がムンムンと湧いてくる。
「作ったげるよ。レシピのノートってどこにある?」
不気味にニヤニヤ笑うのを抑えようとしても、駄目だ。抑えきれずにまたニヤニヤしてしまう。
ニヤニヤニヤニヤしているチェーザレに若干引きながら、レオは鏡の裏に手を突っ込む。エロ本ではないのだから、そんなところに隠すんじゃないと声を大にして言いたい。
「これですね。ちょっと汚れてますけど」
差し出されたはミモザ色のノート。
パラパラ、パラと捲れば、姉ちゃんの字だ。汚すぎて読めなくて暗号みたいになっちゃってる、いつもの姉ちゃんの字。
ノートのレシピはそれだけで世界中の旅をした気分になるほどよりどりみどり。
日本は当然あるとして……。
イタリア、ドイツ、イギリス、フランス、スペイン、中国、ニュージーランド、エジプト、ブラジル、アメリカ、トルコ、ギリシャ、インド……………………他にもたくさん。
食材もチェーザレ達の国ではまず見ないものばかり。虫を使ったり、トウモロコシの粉を使ったり。
姉ちゃんが家にいた頃は日本料理しか作っていなかったから、余裕ぶっこいていたのだ。
(姉ちゃん、レパートリー増やしたんだね。俺も頑張んないと)
こんなにあるなんて知らない。
何を作ればいいんだか、さっぱりだ。
知らん。分からん。けど、やりたい。
「何を作ればいい? こんなにあるなんて知らなかったからさ」
レオは表情を変えないで、目だけパァ~っと輝かせる。器用貧乏な顔面だ。
「日本料理! 日本料理がいいです! ハクマイ、ミソシル、ダシマキタマゴ、シオジャケ、タクアン!」
「はやいはやい。もうちょい、ゆっくりお願い」
白米、味噌汁、出汁巻き玉子、塩じゃけ、沢庵。
典型的な日本の朝食をこの国で食べたいというのか。
レシピは姉ちゃんがよく作っていたから知っていたが、材料がこの国では揃えることができない。姉ちゃんは婚約者に強請って密輸させていたが、やはり、難しい。
味噌も醤油も無いし、出汁のためのホシシイタケやコンブもカツオブシも無い。シャケに至ってはまだ市場に出回ってすらいない。
最難関は米。日本の米とこの国の市場に出回る品種が違う。
日本の米に近い品種も買えないことはない。だが、べらぼうに高い。
「材料揃えるの難しいんだけど……何かで代用できない?」
「材料、ですか? 大丈夫です。お姉さんが地方中巡って揃えた素材がチェーザレさんの部屋の床下に保管されていますよ」
床下に保管、とは。
腐ってるかカビてるか、どちらにせよ嫌な予感しかしない。
控えめに言ってズボラな姉ちゃんがそんなことやれば、ヤバいことにしかならない。
「現実的に考えて。食べられる?」
「食べられますよ。保存の魔術? とやらでダメにならないんですって」
保存の魔術を使っているならまぁ、まだマシか。
食べられるというだけでは意味がない。美味しくなくては。