第12話 「蜥蜴人間(リザードマン) その③」
風は止んだのだが、チェーザレは変わらず意識がない。
蜥蜴人間が狼狽えている中で、レオは全くもって動じていなかった。
「はい、起きてくださいね」
レオはリュックからパッと水風船を取り出して、チェーザレの顔面に思い切り投げつける。
水風船は割れて、チェーザレのシャツはびしょ濡れになった。
「え? はァァアアッッ!? 怪我人相手に何やってんだよ!」
レオの襟首を勢いよく後ろから引っ掴んで、蜥蜴人間がレオを引き寄せた。
レオは小さく悲鳴を零して、蜥蜴人間を睨みつける。
「アナタには、関係ありません」
「いーやッ、関係あるね! オレの目の前で、オレのファンがいきなりぶっ倒れちまったんだ! オレはコイツの関係者だ!」
蜥蜴人間の主張に、チェーザレは首を横に振った。
怪物といったって全員が全員『紅い豚』の構成員というわけではない。恐らく、この蜥蜴人間は『紅い豚』とは無関係だ。
対して、チェーザレは魔術師側の要人。チェーザレは魔術師組合に所属してこそいないが、そこの長と血縁関係がある。
魔術師側でも怪物側でも血縁関係を重視するのが主流で、最悪なことに魔術師と怪物は現在冷戦状態。トップの身内がラ・ヴェリタ島で気絶したとなれば、魔術師側に攻撃する口実を与えることになってしまう。
そうなれば、ラ・ヴェリタ島の住民なんて皆殺しにされるだろう。もちろん、構成員のほとんどが怪物の『紅い豚』も。チェーザレもレオも、その展開は望んでいない。
チェーザレは、怪物の蜥蜴人間と関係無く、勝手に倒れたということにしておけば、この場にいる誰にとっても都合がいい。
「彼がアナタのファンかどうかはどうでもいいことです。僕は僕なりの応急処置をしたまでなので」
「いやいやいや! 応急処置か、コレ!? オレには追い打ちかけたようにしか見えないんだが!?」
蜥蜴人間は、意識のないチェーザレを揺さぶって叩き起こそうとした。
「応急処置ですよ。彼はギターアレルギーでね。ギターの音を聞くと、血を吐いて倒れるんですよ。それを抑えるのに、水風船で気を逸らさせる必要があるんです。まぁ、水風船でなくてもいいんですけど……手持ちにこれしかなくって」
レオは蜥蜴人間の手を強くはねのけて、至極当然のようにチェーザレを背中に縛り付けた。リュックは薬がすぐに取り出せるように、胸側に引っ掛けた。
「そんなアレルギー、本当にあるのかよ!? 聞いたことねェぜ!?」
「彼は少々特殊な身体をしていまして……。他人よりも変わった病気を複数患っているんです。あぁ、でも、安心してください。他人に感染するような病気にかかってはいないそうですから」
「そ、そうなのか……。まったく、人騒がせな野郎だぜ……」
ほっと、安心したように蜥蜴人間は息を漏らした。
──蜥蜴人間は、レオの口から出任せの嘘に、まんまと騙された。こんな簡単に騙されるなんて、観光客か研究者か……どちらにしてもこの島の住人ではないことは確かだ。
「もう大丈夫です。僕が彼を宿に送り届けますから」
「おい、待て。何でコイツの宿をお嬢ちゃんが知ってんだ?」
レオに疑いの目を向ける蜥蜴人間。
レオの腕をがしりと掴んで、離そうともしない。
「彼は僕の友人でね。普段は遠くに住んでいて中々会えないんですが、今回はたまたま休みが重なったので僕に会いに来てくれたんですよ」
──全て嘘だ。
レオはチェーザレを友人なんて思っていないし、そもそも数日前までは赤の他人だった。
「彼本人に泊まっている宿へと、連れて行ってもらったんです。……もう、いいでしょう? 離してくださいよ」
──レオは、旅行者に人気の宿を適当に見繕って、そこにチェーザレだけを置いて逃げるつもりだ。目が覚めたら、チェーザレは転移魔術を使って勝手に逃げるだろう。
宿の場所はマリーノとバルドに知られてしまっている。
あの2人は、一見、普通そうに思えるが、本性はキレたマフィアなのだ。──いつ裏切るか、分かったものじゃない。
レオは魔術を使えるには使えるが、イルージャに教わった治癒呪文と攻撃反射呪文しか使えない。もしも、2人が裏切ったとしたら、チェーザレと一緒だと、レオは足手まといになってしまう。
「……離して」
レオが身をよじっても、蜥蜴人間の手は外れなかった。
怪力のレオであっても、怪物の力には勝てない。杖を持っていないこの状態では、チェーザレのように魔術を使うことができない。
「──離すわけねえだろ? 逃がさねえぜ、可愛い可愛い子猫ちゃん!」
蜥蜴人間はにやにやと下卑た笑みを浮かべ、腕に込める力を強める。
島外の人間だと思っていたが、人攫いか何かか。人攫いでなくても、レイプやら強盗やらの可能性も否定はできないが。
いつのまにか蜥蜴人間の尾は、レオとレオが背負っているチェーザレに固く巻きつき、2人を逃がすまいとしていた。
(──!! 普通、蜥蜴人間の尻尾は、バランスをとるために動くだけで、自由に動かないはず……。コイツ、蜥蜴人間に化けてるだけで、本当は別の種族なんじゃないか!?)
よくよく考えると、怪しいところは山程……。──いやいやいや、そんなことを考えている場合ではない!
チェーザレを安全な場所に連れていかないといけないのだ。できるだけ、早急に、迅速に。こんなくだらないことに時間を奪われてはいけない。
(人間相手じゃないから、平気だろう。 色々と混ざって成分も薄まっているだろうし……よし!)
──リュックから瓶を取り出して、それを蜥蜴人間の頭にフルスイング!
パリィン!
小気味のいい音を立てて、瓶の破片がそこら中に飛び散った。ぱっと、蜥蜴人間が手を放す。
「いってェな! なんだァ? 酒の……瓶? こんなんで──」
まぁ、別に死ぬようなものではない。
死にたくなるくらい────
「うっぎゃあああああああああああッッッッッ!」
──痒いだけだ。
毒ではあるが、特別危険なものではないのだ。
下手に掻かなければ、痒みも早々に治まる。
「あまり、掻かないほうがいい」
(と言ったって、もうすでに遅いか)
蜥蜴人間の身体中に、瓶の中身は染み込んでいる。全身を掻きむしっていた蜥蜴人間には、爪の間まで地獄の痒みが襲っているだろう。
「ああああああああああああああああああああッッッッッ!」
蜥蜴人間の絶叫は、あの風よりもやかましい。
使っている最中、レオも一滴手のひらに落としてしまったことがあるから気持ちは理解できる。理解できるが、心底やかましい。
「おーい、大丈夫ですか?」
「あああああああああああああああああああああああああッッッッッ!」
「……駄目だ。聞こえちゃいないな」
蜥蜴人間はリズムの整っていない呼吸を繰り返し、絶叫と共に穴という穴から体液を垂れ流している。
(いい大人がみっともない……)
どちらが悪役か、これではもう分からない。
溜め息を吐いて、レオは2本目の瓶を取り出しながら、蜥蜴人間にこう続ける。
「──もう1本、いきますよ」
残酷な宣言ではあったが、蜥蜴人間はそんなことに気を回せなかった。無論、そんなことに気を回すことができるように作っていないから当然なのだが。
レオは、瓶を躊躇なく蜥蜴人間の後頭部に叩きつけた。何度も何度も、瓶の破片が1mm以下になるまで、それは繰り返された。
何よりも恐ろしいのは、これまでのレオの言動全てが、──いつも通りの無表情で行われたことだ。
──プログラムされた動作を繰り返すロボットのように、感情のない仕草、言葉、攻撃、それをただ行うだけ。レオにこれをプログラムしたのは、他でもない、チェーザレの姉イルージャだ。
レオの世界ではイルージャが唯一神だ。イルージャが言ったことはレオの言動の指針となり、イルージャの命令は絶対だ。
これは親愛とか恋とかそういう甘っちょろいものでは片付けられない。レオはその感情の名前を知らないが、一般的に愛だの何だの言われている感情ではないと断言できる。
凍りついたレオの表情筋も、イルージャの話題ならば仕事する。というよりも、イルージャがやりそうなことを思い浮かべながら、日常生活を送っているだけなのかもしれないが。
まあ、師匠に向ける感情にしてはクソ重いのは重々承知している。犯罪にまで至ったことはないのだから、問題ないだろう。
「……まずは、チェーザレさんをどうにかしなくっちゃあな」
個性のない声で呟いて、レオは蜥蜴人間を放ってすたすたと歩きだす。
蜥蜴人間に使った薬は、どちらも毒にはならない。1本目は、地獄の痒みが襲ってくるだけ。2本目は、怪物としての正体を明らかにするだけ。
2本目なんて1本目と比べたら、大したことないはずだ。──本当に正体が蜥蜴人間ならば。
「うえっ! お、おああああああああああッッッッ!」
蜥蜴人間の口から白い煙が吹き出して、煙が黒く染まってまた口の中に戻っていく。
(ようやくか……。相変わらずひどい臭いだ。これは、何度やっても慣れないな)
レオは顔をしかめるも、そのまま歩き続ける。
さて、蜥蜴人間の正体は──────。




