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第10話 「蜥蜴人間(リザードマン) その①」

 

 チェーザレは見るに見かねて、レオと蜥蜴人間(リザードマン)の前に飛び出した。


「レオ、おまたせ! 遅くなってゴメンね? トイレめちゃくちゃ混んでてさあ。……どうかしたの?」


 これじゃまるで、姉ちゃんがするであろう行動を想像しているだけだ。そこにチェーザレの意志はない。


 …………あれ? レオの視線がとんでもなく痛いぞ。吹雪よりも痛いかもしれない。吹雪を実際に経験したことはないが、吹雪みたいに痛いし冷たい。


(ありゃ、これってそんなにダメなの? ……でも姉ちゃんは叱るだろうし……)


 チェーザレからしてみれば、そんな視線向けられるようなことやっていない。無自覚で怒らせてしまったのか? 


「よぉ、坊っちゃん! さっそくだけどオレの歌を聞いてくれよ! このお嬢ちゃんは聞きたかないって言うんだよ~。ひどいよなぁ、オレは悪い事しようとしてるんじゃないってのにさぁ」


 しょぼんとしていて蜥蜴人間(リザードマン)だってのに、しょんもりと垂れた犬の耳が見える。これはレオ、その前にも酷く罵ったな。


「へぇ~そうなんだ。俺は聞きたいけどな、お前の歌」


 蜥蜴人間(リザードマン)がパァっと表情を、曇り空から晴天に変える。チェーザレも嬉しいし楽しくなってくる。


「いっ、いいのか!? 本当に!?」


 チラチラとチェーザレの表情を伺う蜥蜴人間(リザードマン)


「うん、聞かせて。ねぇ、レオも一緒に聞こう?」


 ──蜥蜴人間(リザードマン)、さぁ、聞かせておくれ。お前の歌を、お前の音楽を。


「え、えぇ。アナタが聞くのなら……」


 レオは平静を装っているが、その目は死んでいる。


 レオにはこっそり魔術を使って逃げられないようにしておいた。後遺症は残らない安心安全な術式だ、蜥蜴人間(リザードマン)の歌を聞いたら死ぬかもしれないのだから関係ないか。


 すまない、レオ。一緒に死んでくれ。

 姉ちゃんの弟子のお前なら、姉ちゃんも同じ事をやると理解しているだろう? 


「それじゃあ行くぜ!」


 ジャジャジャン!

 蜥蜴人間(リザードマン)のギターの音が、耳を突き抜ける。


「あ、あぁ~~。

 なぁ恋人よ海の中で泣いちゃあいないかい?

 俺は悪い男さ、さっさと忘れっちまえばいいさ。

 お前が泣いてるうちにさ。

 俺は他の女とベットでダンスしてる。

 お前が泣いてるうちにさ。

 俺はお前が知らない女とキスしてる。

 俺のために流すお前の涙は真珠のようだったな。

 真珠の涙は俺にゃもったいない。

 忘れっちまえよぉ~、俺のことなんかさ。

 俺よりいい男なんて陸にゃ、お前の鱗よりもいるんだから」


 ジャジャジャン!

 聴衆の感覚は蜥蜴人間(リザードマン)に奪われた。

 嵐のような、ハリケーンのような……、人間にはどうしようもないパワーがこの蜥蜴人間(リザードマン)の音楽にはある。クソみたいな歌詞で、韻も踏んでいないのが残念だ。


 爽やかな風が吹き抜けて。サラサラと頬を撫でる。


「なぁ恋人よ────」


 吹き始めた風が徐々に強くなっている。

 蜥蜴人間(リザードマン)の歌も聞き取れない。


 ゴオゴオ。

 ゴオゴオ。

 風は強くなっていくばかり。


 レオもチェーザレも蜥蜴人間(リザードマン)も、吹っ飛ばされてしまいそうだ。


 これなら、どこぞの馬鹿が1人や2人、吹っ飛ばされてみたいと外に飛び出して来そうなものだが、…………来ない。


(うっ……! ……風の精霊の悪戯かな?)


 どうやら、この風には多量の魔力が含まれているようだ。まず、ここまでの魔力を含む風は自然界に無い。怪物の起こす風でもなければ、だが。


 風の属性とは相性の悪い属性の魔力を持つチェーザレには、この風は体に悪い。立っているのもやっとな状態だ。


 風の魔力の量が少なければ問題ない。しかし、この風に含まれている魔力の量は今まで体験してきた量と比較しても、遥かに多く濃い。


 ゴオゴオ。

 ゴオゴオ。


(……レオは大丈夫かな?)


 レオの方をこっそり見ると、平気そうにしている。レオの魔力は特別に風の属性と相性が悪いわけでもないようだ。属性の数は4つしかないのだから、チェーザレと同じ魔力の属性でもなければ、何ともないのだが。


「──────、────────」


 レオがチェーザレに気付いて、何かを言っている。

 風の音で、さっぱり聞き取れない。


「────────!」


 レオは何かを叫んでいるが、チェーザレには何も聞こえない。なにしろ、雷が落ちているかのような轟音が、耳の奥でずっと続いているのだから。


「ゲホッ……ガッ……うぇ」


 チェーザレは、何度も何度も、喉が裂けるような大きい(せき)をした。咳をする(たび)に、石畳の地面が血の雨が降ったかのように、真っ赤に染まる。


 ──けれど、チェーザレの顔には笑みが浮かんでいた。蜥蜴人間(リザードマン)が得たせっかくの機会を、台無しにしたくない。その一心で、ただただ静かに笑っていた。


 幼い頃の思い出が、チェーザレに歪な笑顔を作らせていた。あの蜥蜴人間(リザードマン)と、過去の自分が同じではないと理解しているのに。




 ○●○●○



 

 ──12年前。


 その時のチェーザレは両親とも兄弟とも離れて、爺ちゃんと暮らしていた。


 理由は知らない。

 理由なんて、たくさんあって、そのたくさんがごちゃ混ぜになって、絡まり合って、こんがらがっていたのだろう。


 小さいチェーザレは、今よりも臆病でよく泣く少年だった。魔術のことなんてこれっぽっちも知らない、絵画と音楽と美味しい料理が好きな、ただの少年だった。


 爺ちゃんはそれを、「そのままで良い」と言ってくれた。他の大人が否定したそれを、爺ちゃんだけが否定しないでくれたのだ。


 爺ちゃんのおかげで、家族の前でも、堂々と絵を描いたり、歌を歌えるようになった。使用人にも、叔父さん叔母さんにも、馬鹿にされることはない。いじめられることはない。もう、こそこそ隠れている必要なんか無いのだ。




 ────10年前の4月1(エイプリル・フール)。爺ちゃんが死ぬその日までは。



 ──チェーザレの人生はこの日を境に、真っ白になった。


 チェーザレの世界は、爺ちゃんだけだったからだ。

 彼はチェーザレにとって、父親であり、友人であり、先生であった。青年となった今でも、爺ちゃんより尊敬できる大人を知らない。



 そして、チェーザレは、両親と3人の兄ちゃんが暮らす屋敷に移ることになる。


 屋敷では、両親はほとんど家に帰らず、チェーザレ達兄弟の世話は1人の使用人に任せきり。その使用人も、仕事をしようともせずに、朝から遊び歩き、深夜になっても帰ってこないことが多かった。


 住み込みの教師は、魔術を扱うのが下手なチェーザレを嫌っていて、両親がいないときを狙って、チェーザレを屋敷の地下に閉じ込めた。


 この教師はそれ以外でも、チェーザレの家族にバレないように、チェーザレを執拗に陰湿に付け狙い、肉体的にも精神的にも、暴力を振るった。


 大人は頼りにならない。ならば、3人の兄ちゃんはどうだ。

 いや、彼らもまた、チェーザレを苦しめた。

 彼らは、チェーザレから絵画と音楽を奪ったのだ。


 チェーザレが絵を描けば、絵を破り捨てた。歌を歌えば、殴りつけて止めさせた。


 今思えば、兄ちゃん達は、兄弟の誰よりも心が幼く何も知らないチェーザレを守るためにやってくれていたことなのだろう。そんなことをやっていたのは、決まって両親や親戚などの大人(魔術師)がいるときだけだったから。


 ──だが、そんなこと、当時は知る(よし)もなく……。


 その頃は、いつもひとりぼっちで泣いていた。地下でなくても、庭の大きい木の下で一日中泣いていた。




 ──そんな日々が続いていた、ある日のこと。


 いかにも意地の悪そうな狐顔の青年と、チェーザレとよく似た少女が、屋敷にやってきた。


 2人が屋敷の中に入る前に、兄ちゃん達によって部屋に閉じ込められたため、顔を合わせて話すことはできなかった。だが、彼らがチェーザレの部屋の前を通ったときの会話を、盗み聞きすることはできた。


 どうやら、青年は爺ちゃんの跡を継いで当主となった男の息子で、少女は彼の許嫁(いいなずけ)らしかった。青年が自慢話か愚痴しか口にしないからか、少女はつまらなそうに相槌(あいづち)だけしていた。


 チェーザレは青年にも少女にも、(まった)くもって興味がない。ずっと部屋に閉じこもっているのが、馬鹿らしくなってきて、窓から抜け出して庭に出たのだ。


 その日は少しばかり手間取ってしまって、時間がかかってしまった。


 ──それが、運命の分岐点となった。


 同じころ、少女が気を悪くして、気分転換に庭へと向かっていたのだ。青年が少女の家族を侮辱したことが原因らしかった。



「き~ら~き~ら~ひ~か~る~」


 チェーザレはいつもの木の下で、誰に歌うのでもなく、『きらきら星』を繰り返していた。よく爺ちゃんと歌ったこの歌を、爺ちゃんを忘れないために歌っていた。


「ち~いさ~な~ほ~し~よ」


 チェーザレが歌い終わると、どこからかパチパチと拍手が起こった。振り返っても、誰もいない。



「アンタ、上よ! 上!」


 明るい、女の子らしい声。兄ちゃん達のような、声変わり前の少年の声ではない。


 声の言うとおりに上を向くと、向日葵(ひまわり)のように強烈に存在する少女がそこにいた。直感だが、今まで見てきた女性の誰よりも魅力的な女性に思えた。


「えっ、何で……ここに?」


 チェーザレの心臓が早鐘を打つ。

 客人である少女が来れるような場所ではない。


「そんなどうでもいいこと、気にしないの! ──それよりも、アンタ、歌上手いね」


 さりげないその言葉を、チェーザレは初めて言われたのだ。

 目を真ん丸に広げたチェーザレを、少女はクスクスと笑った。


 それが、少女──『姉ちゃん』こと、イルージャ(ジジ)との出会いだった。

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