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フランケンシュタインの殺し方

 身を低くしていた白猫の後ろ足が地面を強く蹴ったのを合図に、アカネは飛び出した。

 かび臭い裏路地を駆けて追いつくと、その青目がちらと見上げてくる。


「アカネ、目標が時計塔に入った」


 それは硬質な男の声で明瞭に喋った。猫はアカネに並走しながら、彼だけに見えている解析情報を述べる。


「ランジーナ・スアレス、十四歳。身長152、体重――」

「覚えてるよハク。ってか」


 道なりに折れた先で行く手を阻む、自身の倍ほどの錆びた鉄柵を前に、思わず舌を打った。

 ダストボックス、塀と順に足掛かりにして大きく跳躍し、ひらりと超える。眼下ではハクが身体を細めて隙間を抜けていく。

 着地した足でもたつくことなく再び地面を駆ると、肩で揃った赤髪と、ブラックレザーのライダースがはためいた。


「……ちょっとは人間(わたし)のこと考えてくんない?」


 ぶっきらぼうに不満を吐いてハクを睨んだが、彼は冷めた様子でアカネに流し目をよこす。


「身体能力お化けの元軍人の何を考えろって?」

「体力温存とかさあ。私はこれでも、部隊に合わせてた」

「なら俺も同じだ。アカネに合わせてる」

「あっそ。人間だった頃の感覚、あんた忘れてそう」

「今は猫だから別にいいさ。この身体は便利だぞ。速いし夜目もきいて、解析(アナライズ)の示す最短ルートも難なく行ける」


 声帯を介さないハクの声は、走っていても平坦だ。アカネは弾みかけの息で鼻を鳴らした。


「案外気に入ってんじゃない」

「三年もこいつの中にいれば愛着も湧くさ」

「老いがなきゃいいのにね。猫の九歳、人間で五十くらい?」

「ああ。だからガタが来る前に――」

「わかってるよ」


 路地を抜けて二人は足を止めた。正面にそびえる煉瓦造りの古びた時計塔を見上げ、アーチ状に開いた入り口まで視線を下ろしていく。


「早く移植手術を受けないとね。脱走軍医、『フランケンシュタイン』のさ」

「ヴィクター・ノインな。そのあだ名、不本意らしい」


 ハクがぶるりと身を震わせて体毛についた錆の欠片を落としたあと、軽快な足取りで中の階段へ降りていった。アカネはデニムのショートパンツのすぐ下、右のレッグホルスターに収まった拳銃を意識し、あとを追う。

 姿が見えなくなって数秒。「にゃあ」とアカネを呼ぶ声が聞こえてきた。

 アーミーブーツの底で小石をちりちりと噛みながら階段を進む。古い建物にもかかわらずセンサーライトが灯る違和感に、歩調は自然と忍び足になった。


「いる?」


 廊下のような一本道に出て尋ねると、奥から短く「にゃっ」と返ってくる。イエスの意だ。

 中身が人間であることを隠すための猫らしい振る舞いの一方で、その目に見えているのは、視野から算出される高精度の3Dマップ。さらに人感センサーやサーモグラフィーといった機能がハクには備わっている。

 その彼の長い尾が、神経質そうに揺れた。


「まずい」

「へ?」

「爆発する!」


 ひと飛びで胸に体当たりしてきたハクに突き飛ばされ、アカネは後方へ転がった。ジャケットの内にしっかりとハクを抱きとめて、勢いのまま身体を翻しもと来た階段へ。小さくうずくまり、それぞれの親指で耳を、残りの指で目を塞ぐ。

 と、爆発の衝撃が辺りを襲った。


「――っ!!」


 煙、音、火薬臭。迫りくるそれらに息を潜める。天井から落ちてくる石粒がばちばちとジャケットを打ちはしたものの、威力も殺意も感じない。

 静寂が訪れたのを見計らい、立ち上がる。


「彼女は?」

「見るから待て」


 地面に飛び降りたハクがサーチのため瞳孔を広げたのを横目に、アカネは抜いた銃の安全装置を外した。


「爆心地から離れたところに生命反応。倒れてる」

「巻き込まれた?」

「どうかな。壁に開いた穴の向こうに通路が現れた」


 嫌な予感がよぎる。罠か、あるいはランジーナの仕業か。だとしても彼女は、ノインの貴重な手がかりだ。

 ハクの出した答えも同じらしく、「先行する」と鋭い声で言い残し、瞬く間に薄靄の中へと遠ざかる。小さな白い後ろ姿が、人間だった頃のそれと重なった。

 こういった互いの役割は、当時となんら変わりない。相棒の頼もしさにアカネは頬が綻ばせかけるも、すぐに引き締めた。

 だからこそ、誰よりも早くノインを見つけねばならない。別の者に捕えられれば、まみえることなく管理下に置かれてしまう。その前に。


 追っていくと、数メートル先でハクがぴたりと静止した。

 足下に横たわる金糸のような細髪。肌がざわつくのを感じ、慌てて駆け寄る。


「大丈夫?」


 外傷がないことを慎重に確認しながら、少女とハク両者に向かって尋ねた。バイタルスキャンを終えたハクが頷き、アカネはその華奢な肩を抱き起こす。

 同性ながら目を見張るほどの美少女だった。ペールブルーのワンピースが、ほっそりとした身体によく似合う。まるで陶器人形だ。

 意識を確かめるために、きめ細かな頬に触れる。

 その瞬間、少女の目がカッと見開いた。


「っ!?」


 息を飲む間に素早い身のこなしでアカネの腕から脱し、低く身構える。

 しかし、猫の方がわずかに速かった。


「きゃっ!」


 飛びかかったハクが、少女の右袖にしっかりと絡みつく。振りほどこうとする手から金属音を立てて落ちたのは、シャープな刀身のナイフだった。

 そんな気配は一切なかった。アカネも反射的に銃を構えていたものの、アナライズと違うハクの威嚇の視線に、成り行きを見つめる。


「やだ! 離し――」

「動くな、ランジーナ・スアレス」

「……え」

「腕を抉られたくはないだろう。おとなしくしてれば何もしない」


 豊かな体毛の隙間からチタン合金の銀爪を覗かせ、ハクが凄んだ。

 少女は抵抗をやめ、戸惑ったような面もちでひゅっと短く息を吸う。

 無理もない。武器を備え、人間のように喋る猫だ。しかし少女は、彼の『名称』を口にした。


「……生体、アニマロイド……」


 世間が知りえない存在。今のハクを正確に表す単語に、アカネは眉を寄せて顎をしゃくる。


「知ってんの、コレ」


 低い声で尋ねると、少女の顔つきはさらに強張った。


「五年前に禁止された軍事機密の技術よ。――ハク」

「バイタル上昇。動揺してる」

「てことはあんた、ヴィクター・ノインの」

「っやめて! その名前聞くだけでムカつくわ! なんでわたしのこと知ってるの!?」


 押し黙っていた少女が途端に、激しい剣幕でまくし立てる。

 見た目も相まって騒々しいカナリアのようだ。アカネはふうっと息をついて、ハクに離れるよう手振りで告げた。ハクは渋々地面に降りたものの、すぐに動ける体勢で座る。


「あんたのことはそんなに知らないよ。私らは行方をくらました軍医のノインを探してる。奴の足取りがこの街で途絶えたこと、あんたが奴の元にいたことは調査済み。ここに使われてない古い坑道があるって知ったのは今朝」


 ホルスターに銃を戻し、敵意がないことをアピールするように両手を竦めた。


「『フランケンシュタイン』が軍で確保していた三人の捕虜を連れて逃げるには、うってつけじゃない?」


 その辺りの事情はどこまで知っているのか。探りながらアカネは目を細める。少女は未だ、警戒心をむき出しにしたままアカネを睨んでいる。

 娘という線は考えにくい。ノインは四十になる頃だが、子をなしたという記録はない。女体より献体に触れている方が、ずっと楽しそうな男だ。

 それが半年前、忽然と姿を消した。警察機関への護送を前に拘留していた、三人の凶悪な捕虜とともに。

 しかし少女は口を閉ざしたまま。


「その様子だと、さっきの爆発もあんた?」


 諦めて話を切り替えたアカネに対しキッと目を吊り上げた少女が、一気に懐に切り込んだ。

 懲りないな。ひとりごちていなそうとしたアカネだったが、眼前に迫った右手の付け根から飛び出した、鋭く長い三本の錐のようなものに目を剥いた。


「なっ!」


 咄嗟に首を仰け反らせ、よろめきながらも距離を取る。喉元1センチ先まで近づいた脅威に、アカネは体勢を整えたあとで思わず首を押さえた。


「あなた達、何者?」

「元軍人だよ、私は純粋な人間だけど。そっちこそ、あんた……なんなんだ?」


 明らかにただの少女ではない。体捌きも気迫も、かつてアカネが戦場と呼んだ場所で対峙してきた者と相違ない。加えて手の甲を覆うように出てきた暗器。それは今も、鋭い光を放っている。


「……その子の人間版」

「――は?」


 頓狂な声を発すると、少女の視線がハクに落ち、再びアカネに戻った。


「クソフランケンが、『生体ヒューマノイド』っつって私をこの子の中に入れたのよ」


 暗器を引っ込めるとともに整った顔を歪め、ぎりと歯を食いしばる。


「あいつ許さない……今度こそ絶対――」

「待って待って。てことはあんた、元は」

「別の人間よ。この子とは無縁の」


 少女の暴露に二人は唖然とした。

 移植元(ドナー)は病や外傷により再起不能と診断された人間。

 移植先は健康状態良好な4kg以上の哺乳類。

 ドナーの脳機能とリンクするマイクロチップを生体に移植する。

 生体が活動可能かつドナーの記憶や思考が生体を通じて認められたら、ドナーは軍の監視下で厳重に管理する。

 禁忌であった生体アニマロイドにハクがなろうという時、何度もさらったルールをアカネは思い出す。


「ヒトへの移植は、許可されてなかったはず……」

「わたしだって許可なんかしてない! あいつ絶対殺してやる……!」


 ノインへの殺意をあらわにした少女は、唇を小刻みに震わせていた。

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